第17話 血の継承






 常時百キロ以上で突っ走る車の中、映像を見た吹雪は、しばらく絶句していた。

 女アサシンはともかく、アメリカ軍人まで自衛隊員の拉致に参加していたというのも、まだいい。まだ理解できることだった。


「夕霧……」

 最新型のカメラに収まった鮮明な映像に、確かに夕霧の姿が映っていた。人質として無理やりといった雰囲気ではない、アメリカ軍人と抱擁するばかりか接吻をし、アサシンにもアドバイスをしていた。

 空厳を、殺す為の指示を。……横で苦しそうに咳きこむ空厳を見ながら吹雪は戦慄した。

「夕霧師匠が?いたのか?」

 運転席の悠馬が、前を向いたまま訊いてくる。それにどう答えたものか、吹雪は戸惑った。

「夕霧は……いた……」

「くそっ!やっぱり引き返した方が……俺だけでも」

 悠馬は急ブレーキをかけ、ハイウェイに黒いタイヤの線を付けつつ停止しようとする。

「停まるな悠馬!走り続けろ!」

 吹雪は、その愚行に対して怒鳴りつける。

「お前と空厳だけ行けばいい、俺はここで降りてイシュケダルに戻る、師匠を追う!追跡するだけだ、無理はしない、それでいいだろ!」

 悠馬の気持ちは分からなくもないが、事態は彼の思うものとは違っていた。

「……夕霧は、裏切った。あいつを追えば、お前は捕えられる。お前の単独行は敵の最も望む行動だ」

「……!?」

 理解できないようだった、当然だ。

「私達N機関は嵌められたんだ。このハダイにおびき寄せられた。それを画策したのは、夕霧だ。奴はアメリカや欧州の異能機関やアサシンとも組んでいる」

「なんでそんなことを!」

 敵の求めるところなど分かり切ったことだが、渦中の本人は、逆に気付かないようだった。

「お前の力を欲している、夕霧はお前を捕えて、その力をアメリカに売るつもりだろう」

「……!!」

 車は完全に停止していたが、悠馬はまだ前を見たままだった。現実を受け入れたくないようだった。

「なんだよそれっ!!」

 彼が怒りにハンドルを叩くと、クラクションが寂しく荒れ地に鳴り響く。

 その時、空厳が再び咳きこみ、そして意識を取り戻した。

 目が開き、口が動く。

 吹雪がそれに気づき、ペットボトルのミネラルウォーターを飲ませた。

「悠馬は……いるな」

 しわがれた声で、空厳は言葉を発する。

「もうすぐ迎えが来る、動くな空厳」

 吹雪はそう言ってなだめようとするが、瀕死の忍者は聞かない。

「悠馬……俺の血を……吸え」

「な……!」

 二人は驚愕する。

「俺はもうだめだ……、わかる……だから、俺の力を……お前に引き継ぐ」

 吹雪は、確かにその選択肢を考えていた。空厳が死ぬとなれば、その時は悠馬が血脈伝法を使い、その力を受け取り保存しなくてはいけない。

 血脈伝法は対象が生きている間にやることが望ましい。死体からも力の継承は出来るが血の鮮度が重要になる。死後数十分という短い間にやらないと血はどんどん劣化し、力の継承も出来ないのだ。

「俺が……忍法を……?」

 先ほどの応急処置の時の判断では、彼の傷の状態が極めて酷いものだということは分かっていた。銃弾が内臓を貫いているのだ、忍者で無ければ即死しているだろう。こうやって意識を取り戻して喋ることなど、忍者だとしても奇跡的なことだった。

「そうだ……はやくしろ……」

「だってまだ助かるかもしれないだろ!」

 空厳は、動けるほど元気であれば、恐らく悠馬を全力殴っていただろうというほどの剣幕で睨みつける。

「人がどうすれば死ぬのか……俺は熟知している……」

「……でも!」

 悠馬は、まだ人に対して血脈伝法を使ったことはなかった。それに、今この技を使えば、空厳は血を抜かれて間違いなく死ぬ。

「……夕霧は……この程度の……臆病な男しか……育てられなかったのか……」

 怒りから一転、失望の声色に、悠馬はさすがに自分の過失に気付いたのか、さらに困惑したような表情を作った。

 夕霧のことについて言われることは、彼にとっては一番堪える事だった。彼女に裏切られていることも、まだ実感していないかのように、悠馬は夕霧を思っていた。

「悠馬、空厳の言うとおりやれ」

 そして、吹雪の一言が、とどめとなった。


 車をハイウェイの脇にやり、悠馬は空厳を背負いながら車を降りた。そして、荒野の土の上に、くたばりかけの忍者を寝かせる。

 血脈伝法は、結局のところやることは単純だ。血を入れ替えるだけである。

 悠馬は自分の首筋、動脈の位置に小柄を押しあて、血を出させる。それから右の掌にも小柄で傷を付けた。

 そして、その先端が血に濡れた小さな刀を、空厳の首筋に軽く添える。

「お前は結局……最後まで、素人だった……臆病は愚かだ……」

 空厳は最期の言葉を紡いでいた。

「……」

「だが……魔法使いを……やったらしいな……」

 悠馬は、かつて訓練期間中に、空厳から隠密術を習ったこともあった。僅かな時間ではあったが、掴みどころのない恐ろしい男という印象しかなかった。

 その男が、今そのような言葉を、投げかけてくる。

「でも……夜未さんを……守れなかった……っ」

 悠馬の心から、悔しさが溢れてくる。

「……夜未は……生きてる……あいつが、死ぬものか」

「なに?」

「いいから……はや……く……」

 空厳の瞳は虚ろに震えていた。死期がすぐそこまで来ているのが分かる。その強靭な精神力だけでもっているのが目に見えて分かった。

「空厳……」


 捨てるというのは、何度やっても慣れないものだなと、空厳は最後の意識の中で思う。

 なあ、そうだろ……?

 しかし、自分の人生の全てを奪ってきたこの忍法が、今命すら持っていこうとするそれが。最後に死にゆく自分にとっては、力を後世に残すという。そのような意味を与えられたようで、不思議だった。

「ひょう……ご……」

 一刻を争うことを悟った悠馬は、空厳の首を刺し、右手のひらで傷を覆うように掴んだ。そこから溢れる血を術で制御しつつ、手のひらの傷から自分の血管内に取り込む。

 悠馬と空厳の間に繋がった血の流れは、術によってさらに加速され、あふれ出る悠馬自身の血は、彼の首筋の動脈から噴水のように飛び散った。

 赤い雨が、深夜の冷たい大地に降る。

 ものの十秒ほどで、空厳はミイラのように干からびた死体となり、その血は全て悠馬の体の中に入り、循環していく。

 悠馬は自身の血に赤く染まり、汚れ。

 血脈伝法は、成功した。




 静まり返った、寂れた港町。そこから少し南下した砂浜に、一隻のモーター式ゴムボート、自衛隊で言う所の複合艇が波に揺れていた。

 そのボートに向けて、丘の林から出てきた黒い人影が走ってきて近寄る。

 吹雪と、空厳の死体を背負った悠馬だった。

 二人に対してボートから身を乗り出し迎えるのは隊長、真田信政。

「……とりあえず乗れ」

 二人の様子で全てを悟った真田は、それだけ言って二人をボートに乗せる。空厳のことを訊くことも無かった。

 三人の忍者と一つの死体を乗せたボートは沖に向かって海上を走って行ったが、彼らの気持ちは重かった。

 自衛隊員以外の人質を解放し、アサシンの本拠地を壊滅させたとはいえ、三人の頭の中にあるのは敗北という文字だった。


 しばらく一面暗黒の海を行くと、沖合の、多国籍軍の艦隊が集結する海域にたどり着いた。

 様々な国の、様々な艦艇が暗闇の中に黒い影となって浮かび上がる。その陣形を縫うようにボートは走っていった。

 中でも圧巻なのは、アメリカの原子力空母サラトガだ。

 まさに海に浮かぶ要塞の如き巨体。その飛行甲板からはちょうど戦闘機が飛び立つところだった。

 闇夜を切り裂くジェットの爆音と、閃光が、真田の操縦するボートの上空を飛んでいく。

 その巨大な空母を通り過ぎると、ようやく帰るべき母艦にたどり着いた。

 護衛艦あかぎ。

 ヘリコプター用の全通甲板を持つ、海上のプラットホームと言えるその艦影は、原子力空母と比べると些か劣るが、それでも大きかった。

 悠馬は、その姿を見ると必然的に東京湾でのことを思い出す。

 夕霧が乗りこんでいった船。あれが、最後に見た彼女の後姿だった。






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