第16話 録画映像






 深夜。


 一台のトヨタランドクルーザーがハイウェイを疾走していた。

 イシュケダルから、海岸沿いを南下していく道。ここはまだハダイ国軍の支配地域であり、多国籍軍は現れていなかった。だが、その到来を予測してか、車の通りはほとんど無い。道の脇にはガソリン切れか故障か分からないが、何台かの車が乗り捨てられているのが見受けられた。

 ハダイ国軍の検問も、イシュケダルを出てすぐのところにある一つだけで、他はバリケードの名残だけがあり、無人であった。


「悠馬、出来るだけ飛ばして」

 後部座席にはもはや昏睡して意識の無い空厳が横たわっている。それに対して応急処置をしていた吹雪も、これ以上処置のしようが無い様子だった。

「分かってる」

 真田との通信で、とりあえず一時撤退が決まった。自衛隊の護衛艦からの迎えが、ここからさらに南下した所にある小さな港町に来るようで、悠馬達もそこに向かっていたのだ。

 通信はまず間違いなく傍受されているだろうから、事前に決めておいた暗号での会話を使った。それに敵が知ったところで吹雪と悠馬、さらに真田も合流するとしたらこちらの戦力は三人になる。そこに突っ込んでくるほどの戦力を、敵が持っているとは思えなかった。

「もっと速くならないの?」

「アクセルは一杯踏んでる、それに夜だぞ?電灯だってほとんど無いのに!」

 速度計を見れば、確かに危険なまでのスピードだった。吹雪は「そう」と言ってまた黙りながら、応急処置で血に濡れた手をバンダナで拭いた。

 空厳は、つい数時間前、別れる前にみたあのふてぶてしいような顔ではなく。苦痛に汗を流していた。ベテランの忍者が、銃弾の一発や二発でこうなる、人間の壁は越えられないのだからしょうがないことだった。

 吹雪は脱がしたベストから、血のついたカメラを取り出し、それを再生した。

 とにかく、空厳が命がけで届けようとしたこの映像を、見なければいけない。

 ボタンを押すと、カメラの液晶が起動し、その光が暗い車内の中で、彼女の顔を青白く照らしだした。




 同時刻。ガブリエル・ハロムは斬られた右手首をマントでくるみながら、先ほどの邸宅に帰還していた。ジハード戦線の戦闘員は何人かいたが、アメリカの軍人や、あと一人はもういなかった。

 戦闘員に頼んでハダイ国軍の軍医を呼んでもらい、右手の欠損という重すぎる傷の治療をしてもらう予定だった。軍医が来るまでのしばらくの間、彼女は地下室に下り、洗面台の棚にある鎮痛剤の錠剤を飲むと、ソファに座った。

 冷蔵庫から氷を出して袋詰めにし、手首に押し当てる。斬り落とされた右手は回収しており、それもビニールに入れて氷を敷き詰めたクーラーボックスに入れておいた。ハダイの軍医に可能かどうかは分からないが、傷口は極めて綺麗なので、接合することも可能かもしれないという希望はあった。

 痛みに、汗をかいている。それなのに猛烈な寒気がしたのは、ついさっきまで限界以上のドラッグブーストを使用したからだ。

 先ほど洗面台の鏡で見た自分の顔は、酷いものだった。白目は血走り、焦点を失ったような瞳。一気に二十年ほど老けたような、狂気を感じる顔だった。

 ソファにそのまま横になり、荒い息を上げながら、腕の痛みと、頭の痛み、全身の痛みを治めようとする。

 自分は、このまま死ぬのかもしれない、そんな思いにすら囚われる。

 こんな状態で、まだ忍者と戦えというのか。今度薬を使ったら、それこそ死んでしまいかねない。なのに、自分はあの忍者を捕えないといけない。

 出来るのか……私は……。

 そんな思いを振り払うように、敢えて別のことを考える。そう、自分の仕事のことを。ついさっきこの部屋で行われた、あの奇妙な組み合わせの会合を。




 一時間前。

 戸隠空厳が丁度邸宅に侵入した頃。

 ガブリエルは今と同じようにこのソファに座っており、そこにあのアメリカ人が入ってくる。

 米軍からすれば敵地のど真ん中だというのに、堂々とした態度でゆったりと歩み、そして反対側に置いてあるイスに座る。茶色い髪、白と言うよりは赤っぽい肌に、青い瞳。同じ白人とはいえ、この男とはどこか相容れない印象がある。

 アレン・パークス中佐と名乗ったが、間違いなく本名ではないだろう。

 米陸軍の特殊部隊におけるトップチーム、デルタフォース。その中でも最高の戦士という意味でデルタ1と呼ばれる男は、静かに口を開いた。

「君のお仲間は、ああモサドの方だが、彼ら全員逃げ去ったみたいだ。まるで地震前の動物みたいに」

「……そう」

「興味は無いかい?アサシン寺院のほうが気になるか?」

 この街にいるハダイ国軍や、政府の中にはモサドのスパイが少なからず入り込んでいる。ガブリエルもその一人と言って良いが、正直二重スパイとしてはモサドのことは詳しく知らないし、彼らの動向にもあまり感慨は無い。

「……忍者がこの街にいる」

 彼女はデルタ1に、簡潔に告げた。

「知っているさ、それは我が軍が掴んだ情報だからね」

「……詳しい潜伏場所は?」

「それはさすがに難題だ。ウォルマートで山のようにM&Msの積んである棚から、袋を開けずにどれがプレゼントの当たりかを見つけ出せというくらい、あいつらを探すのは難しい」

 男は微笑んでいるが、そこから心情的な笑みは感じられなかった。

「高坂悠馬はいるのか」

「それは、まあ、おそらく。先ほどゴドフロアとアレニエが首尾よくその忍者と交戦したようだ。私が待ち伏せしていたハイウェイには来なかったよ、ハッハ、こういう運は悪いんだ私は」

 ガブリエルの睨みつけるような視線の中、デルタ1は続けた。

「敵は二人、一人の女忍者は……アー、ヨミって名前のクノイチだ。彼女は殺害したらしいが、もう一人は逃がしたようだ。そのもう一人が高坂悠馬だな。傍受によると彼は今この街に向かっていて、仲間と合流しようとしている、いや、もう合流している頃だろう」

 MI0とテンプル騎士団の戦士が忍者と戦い、一人撃破したという情報は驚愕に値するものだった。

「そう……二人も、こっちに戻ってくるのなら、五人態勢で三人の忍者を包囲出来る」

 だが、ガブリエルの希望的観測は、即座に打ち砕かれる。

「いや、ゴドフロアは死んだらしい」

 デルタ1はさっきと変わらぬ薄い笑みのまま、そう言った。ガブリエルはゴドフロアのことはあまり知らない。しかし、このアレン・パークスという男は、あの魔法使いが魔法使いになる前からの長い付き合いだったと聞いていた。それなのに、この動揺の無さかと、異様に思ってしまう。

 自分が望んだアサシン寺院の壊滅にも、ガブリエルは動揺していた。それが、まだ十代半ばである自分の若さなのだと、改めて気付かされる。

「アレニエはこっちに向かっているようだが、連携をとれる時間があるかどうか、どうだろうな、だいたいあのカエル野郎はだらしがない」

「……」

「忍者は今にも攻撃を仕掛けてくるかもしれない。今もこの部屋にいるかもしれない。戸隠空厳と言う男は、相当な隠密術の使い手と聞いている、インビジブルマン(透明人間)か、指輪物語か、それよりもすごいかもしれん」

 言いながら、デルタ1は演技っぽく部屋を見回した。彼の言うとおりこの部屋には今まさに空厳が潜入していたのだが、その完璧な隠密を見破ることは二人には出来なかった。

「この部屋の中にいたら、さすがに分かる」

「君は自分の力を過信しすぎだ。忍者はそれほど生易しい物じゃない、ESPベトコンや、モガディシオの黒魔術師や、KGBのやり手のエリートとも比べられない、一番戦いたくない相手だ」

 ここで初めて男は眉を僅かに顰めた。

「……」

「ここで、イシュケダルで戦うことはあまり得策ではないと私は思う、だが、チャンスでもあることは確かにそうだ……」

「……」

 ガブリエルは、男の話を聞いているしか出来なかった。持っている情報と、その質が余りにも違う。悔しいが、謙虚にならないといけない。

「どちらかと言えばこちらが受け身側に入る。リスクの高い戦闘になるだろう、それでも君はやるつもりか?」

「構わない」

 ガブリエルは即答した。彼女が強がれるのはそんなところしかなかった。

「グッド、良い覚悟だ。実際、君のイリュージョンは強力だ、過去に忍者を倒したという実績もある、私はそこは大いに評価している。積極的なのは、良いことかもしれない」

「さっきからの言い方、忍者を迎撃する作戦はあるのか?ないのか?」

 上から目線に、さすがに嫌になってきた彼女は、そう詰め寄る。

「……」

 デルタ1は黙ったまま、表情だけをコミカルに動かすが、それが何を意味しているのかは分からなかった。

「……教えてほしい」

 彼女は、頼むしか出来なかった。戦闘には自信がある、しかしそこに至るまでが難しいのだ。

「ウン、そうだな、分からないことは素直に訊く。合理的な判断だ。戦闘員としては極めてまともな行動だよ。一番いけないのは浅知恵のまま勝手な行動をすることだ」

「……」

「よしわかった、教えよう……いいか?良く聞いてくれ……」

「……」

 じれったく話を伸ばす奴は嫌いだと、ガブリエルは心の中で吐き捨てる。

「実は私も分からない、忍者にはお手上げだよ」

 手を上げて降参のポーズをする。

「……」

 女アサシンの怒りを、表情で読み取ったように、彼は笑顔で誤魔化す。

「だから、言っただろ?分からないことは分かる人に訊く。蛇の道は蛇、というコトワザが日本にはあるようだ、そう彼女は教えてくれたよ」


 その瞬間、ガブリエルのソファの後ろに、気配を感じた。振り返ると、一人の女が立っている。

 黒い短めの髪に、黒い戦闘服。軍人特有のそれをさらに越えるほど鋭いまなざし。

 忍者、夕霧だった。

 夕霧は部屋を横切ってアレンの方に歩き、彼も立ちあがって彼女を迎え、抱擁し、キスをした。……頬にするキスではなく、マウストゥーマウスだ。

「会いたかったよ」と甘く囁くデルタ1、アレン・パークスにたいして夕霧は「ええ」と返す。


 ガブリエルは二人の関係を一応知っているつもりだったが、これが作戦中の戦士の姿なのかと、アホらしく思う。だからアメリカ人は嫌いだし、そんな男を好きになる女も、同様に軽蔑の対象だった。

「空厳は、すでにここに侵入しているわ」

 という忍者の発言に、ガブリエルはは訝しみ、アレンは驚いたような振りをした。

「なぜわかる?」

 というアレンの最もな問いに、夕霧は答える。

「あなたも通信は聞いていたでしょう?やつらはこの街に潜伏してる、吹雪は車で出て行ったけど、空厳はここにいる。あなたがここに入る時に、わざわざ分かりやすく正面から軍用車でこの邸宅に入って来いと注文した理由、わかってるはずよ」

「つまり、僕がわざわざ分かりやすくこの建物に入って行くことで、その空厳と言う忍者をおびき寄せたと、そういうことだろ?でも、通信では他の二人と合流するまで空厳は行動を控えろというものだったはずだ」

「アサシン寺院であいつが命令を守った?すでに奴はこの部屋の中にいると思ったほうが良い。その可能性は高い」

 三人の異能使いは部屋をなんとなく見回したが、そのような気配は一切なかった。だが、夕霧は真面目な顔をしている。

「東洋の神秘か、空厳と言う男は、なんと恐ろしい……」

 アレンはわざとらしい言い回しだったが、今度は本当に驚いているようではあった。誰だってこの部屋にもう一人いるなんて思わないだろう。

「人質はすでに車に乗せている、あなたもすぐにここを出る準備をして。プランBで行くわ」

 夕霧は、急いでいる様子でそう言う。

「プランBか……しかし、このアサシン君は」

「マハ、戦いたいのなら今から三十分くらい、この邸宅から半径六百メートルほどを索敵しながら回りなさい。空厳は、隠密状態のまま遠くまで逃げることはしないから、必ずそのあたりで気配を出すはずよ」

 夕霧はガブリエルのコードネームと言ってもいいマハの名で呼ぶ。もっとも本名を名乗ってはいないのだから、他に呼びようはなかった。


「……わかった」

「あなたの幻術なら、忍法を解いたやつを探知できるはずよ。それにやつは後悔の塊のような男……相性は良いし、確実にやれる……」

「……」

 一瞬恐怖すら感じる顔で、彼女は言う。

「マハ……空厳を殺しなさい」

 アサシンは頷く。この夕霧とはそれほど親しいわけではない。むしろハイジャック事件の時は敵だったのだ。その女と共に闘おうとは、運命とは分からないものだと思うが、そのような感傷的なことはどうでもよかった。

「高坂悠馬も、一緒に捕えてやる」

「……一番危険なのは吹雪というくノ一よ。無策であいつは倒せない。私達がここを引き払うのも、あの娘が来るからよ。空厳と接触したら、その勝ち負けに依らず引きなさい、深追いはやめた方が良い」

 魔剣使いの話は、前に夕霧からもブリーフィングがあった。

「……そうか」


 吹雪という忍者がどれほどのものかは知らないが、とりあえず曖昧な返事をする。そんなガブリエルの心情を夕霧はなんとなく理解していたが、敢えて止めるほどの仲でも無かった。

 ここで仲間が死んでも、それまでの奴だったと思うだけだ。

 そのようなドライな関係で、この多国籍チームが成り立っているのは、ひとえにあの高坂悠馬を捕え、その血脈伝法を利用する為だった。

 デルタ1や、死んだMI0のゴドフロア、テンプル騎士団のアレニエがわざわざ中東にまでおびき寄せた忍者と戦うのは、その力によって異能の後継者問題を解決するためだった。

 世界の異能使いはなかなか増えることは無い、むしろ減る一方だった。だが、血脈伝法があれば力の継承は遥かにたやすく行える。その力を使って再びかつての帝国主義の時代の様な異能集団の陣容を回復させたいというのが彼らの望みだった。事実日本のN機関だけは、戦後すぐの時期とほとんど変わらぬ勢力を誇っているのだ。

 自分達の子供や弟子を作って、組織を存続させていきたいというのは誰もが望む、本能の様なものだ。

 朱膳寺家に伝わる忍法を知れば、それを何としても欲しいと思うことは当然のことだった。


「では、健闘を」

 そう言ってガブリエルの肩を優しく叩くこの夕霧は、自らの組織を裏切り、アメリカに高坂悠馬を売るつもりの、そんな女だった。

 日本の自衛隊員が囚われたのも、それによって忍者のチームがこの国に入ってくることになったのも、すべてこいつの策略だ。

「ああ……」

 だが、裏切ったのは、自分もじゃないのか、とガブリエルは自問する。忍者を引き込み、アサシン寺院を壊滅させたのは自分だ。

 いや、私は裏切り者じゃない……私はイスラエル人だ、あのままアサシンに仕えることこそが母国や民族に対する裏切りだ。

 そうだ……違う。

 自分で自分に言い聞かせるが、しかし、頭の中にアリの不器用な笑顔がどうしても小さく浮かぶのだった。

 部屋にいた異能使い達は、まもなく全員そこから足早に出て行った。







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