第15話 魔剣






 見つけたぞ……高坂悠馬。


 ガブリエルは、小さなビルの屋上から、下の道を見下ろす。そこには一台の車が停まっており、二人の男がそばにいる。

 一人の男は、憔悴しきった様子で、もう一人にもたれかかり、そのもう一人はマントと戦闘服を着た若い男だった。

 ガブリエルは、悠馬の顔写真を見て、記憶に叩き込んでいるので彼がターゲットだとすぐに分かる。それに息も絶え絶えそうな男は、明らかに先ほど戦った忍者。戸隠空厳だった。


 高坂悠馬が、かつて戦った朱膳寺兵吾の力を受け継いでいること、あのジャンボジェットにあの時悠馬も乗っていたこと、そして彼も自分と同じ年代であることを、ガブリエルは事前に知っていた。

 だが、感慨深いといったような思いは無い。とにかく奴を捕まえるのだという気持ちがあるだけだ。

 幸い、先ほどの戦闘で予想外に空厳はダメージを受けている。それに高坂悠馬は即席の忍者であり、それほどの異能使いではないと聞いていた。


 ならば……!

 地を這う鼠を狙う鷹の様に、アサシンは狙いを定めた。だが、彼女は功を焦りすぎていた。

 もう一人の忍者がいることを念頭から外していたのだ。

 アル・シャオクの索敵網、背後にかすかな反応がある。それを感じると同時に、ガブリエルは反射的にその屋上のコンクリートを蹴り、緊急的に跳躍する。やらなければ、おそらく真っ二つに、胴を斬られていた。

 跳躍しながら視界の端にさらなる忍者、くノ一を捉える。

 刀を振り払った状態の吹雪だった。

 事前に得ている情報では、最強の忍者と評価されていた、そのくノ一に対して、ガブリエルはためらうつもりは無かった。すぐさまアル・シャオクを全力で吹雪に対して行使する。さらに隣のビルに着地し、物陰に隠れるとと、注射器を取り出し、また胸に突き刺した。

 再びブーストのかかった幻術を、渾身の力を込めて投射。

 手応えはあるが薄い、おそらくさきほどの空厳と同じように無心の術を使っているのだろう。普通のアサシンの幻術に対抗するならそれでいいかもしれないが、ガブリエルの術はそのようなものでは防ぎきれない。

 空厳ほどの完璧な無心ではないということも、術のパスから伝わる感触で良く分かった。

 くらえ!!

 さらに集中した術の投射により、ようやく手ごたえを感じた。

 と、同時に彼女は物陰から少し体を出し、持っていたAK‐47で吹雪を狙って撃つ。

 ヒットしたと思った瞬間、何事も起こらず、むしろ敵のくノ一はすっくと立ち上がった。


 そして、ガブリエルは死を察知した。

 本能的に右手で防御しようとし、それは一応功を奏した。彼女の命は助かったが、代わりにその右腕を、持っていたAK‐47と共に失った。

 瞬間的にガブリエルの至近まで迫ってきていた吹雪は、しかしまだ五メートルほどの距離があったが、それでも致命的な一撃を繰り出してきたのだった。

 くノ一が手に持つのは、ひと振りの太刀。

 先ほど使った無銘の剣ではなく、世にも恐ろしい代物。所謂妖刀と呼ばれる類いのものだった。




 吹雪は、敵の幻術を一度は受けた。

 ついさっき空厳から手短に聞いた話で、このアサシンの術の性質はなんとなく理解しており、食らえば即座に死ぬという類いのものではないという軽視もあったが。それ以上に驚いたのは、敵の顔だった。

 最初の、回避された一太刀の時に見えたあの顔は、紛れもなくハイジャック事件の時の、あの少女の顔だった。

 忘れるわけがない、あの当時は扮装していたのか、肌を焼いたように色を塗り、髪の毛も暗く染めていたが。その瞳の輝きは変わらなかった。

 兵吾の仇をようやく見つけたのだ。

 だからこそ、その仇の術を一回受けてみようと、それにより兵吾がどのような痛みを感じながら死んでいったのかをその身で知ろうとした。

 その上で、この憎きアサシンを殺そうと思ったのだ。

 圧倒的力量差から来る自信であり、気迫であって、それは慢心ではなかった。

 アル・シャオクを受けた吹雪は、例によって目の前に兵吾の幻影を見た。そうなるのは予測していたので、身構えていた通り無心の術を使い幻想を断ち切ろうとしたが、それはならなかった。

 無我の境地にある吹雪の頭の中に、幻術は水の様にあらゆる隙間から入りこんでくる。

 よもや無心状態にまで浸食してくる強力な幻術に、さすがに僅かな動揺はあったが、吹雪はそれでもまだ絶対的な余裕を保ったまま、腰の刀に手をやる。

 躊躇いは無かった。

 惜しげもなく、その腰に下げた刀、神切丸を抜き放ち、空を斬る。それだけで、吹雪にかかっていた幻術は消え去った。

 術のパスを斬ったのだ。

 そのまま吹雪は疾風の如き俊足で敵に接近し、さらに無慈悲に斬り下ろした。女アサシンは持っていた銃でそれを防御しようとしたが、鉄の銃とはいえ、豆腐の様に切り裂き右腕もろとも左右に綺麗に切断した。その切り口は、レーザーで切った断面図の様に奇妙なまでに美しかった。

 作られた年代、場所、刀匠、すべてが謎であるこの魔剣「神切丸」。戦国時代に伊賀の忍びが大阪城の奥の奥にある極秘の宝物庫から盗み出した刀だと言われており。それ以降、夜未の「長流」のように、忍びの所有物として世に知られることは一切なかった。

 この刀は、普通の刀である。一般人がこれを触っても、何かが起こることは無い。しかし、忍者が持ち、その魔力を刀身に流し込むことで、この刀は世にも恐ろしい魔剣と化す。

 森羅万象のあらゆる物を斬る。

 それが魔剣「神切丸」の正体である。

 岩も、鋼鉄も……通常では切ることのできない魔術の類いすら、この刀は斬ることが出来る。

 その代わり、持ち主の精力、つまり異能使いにおける魔力を大量に吸うという欠点はあったが。おかげであらゆる攻撃、異能、魔術をほぼ無効化できるのであるから、元は十分にとれる。攻防一体の完璧な得物。

 忍術に弱い吹雪が、忍者の中でも最強と呼ばれる所以が、この刀にあった。


 しかし、吹雪はむしろ驚いていた。さきほど、もう一方のほうの刀での初撃をかわされ。さらに必殺の一念で放った今の一撃も、致命傷を避けられたのだ。

 アサシンは腕を落とされた痛みをもろともせず、残された左腕で拳銃を引き抜き、撃ってくる。

 神切丸でそれを払うようにするだけで、九ミリ弾が消滅する。半分に切れたり、粉砕するというわけではなく、本当にフッと消えさるのだ。

 と、逃げるアサシンの背後にある派手な看板。先ほどまでは確かにアラブ人の顔の写真が入っている清涼飲料の看板だったそれの顔が、なんと兵吾の顔になっている。

「……!」

 さらに逃げるアサシンの女も姿がぼやけ、兵吾の幻影が重なった。

 吹雪は忌々しそうに体の周囲で太刀を振り回すと、その幻影もまた全て消え去る。

「殺してやる……」

 さすがに怒りが苛立ちへと変わりつつあった吹雪は、猛烈な追撃を始めた。

 だが、既に数メートル先を行くアサシンになかなか接近できない。敵はこのあたりの街並みを熟知しているかのような機動で、フェイントすら混ぜつつ脱兎のごとく走る、また走る。

 建物内に入り、地下下水管を抜け、車の陰に隠れ、軍人の隊列に紛れる。

 身体的能力として、吹雪の方が最高時速は速い。だが、それでもチーターの追跡から逃げ切るガゼルの様に、アサシンは巧みな逃走術を展開し、ついに吹雪は敵を見失った。


 追跡を諦め、茫然としたまま、しばらくそこに佇むしか出来なかった。

「……くそっ!」

 吹雪の弱点は近距離特化型の戦闘スタイルにあり、素早く逃げる敵に対しては、銃で撃つしかなかった。が、その銃撃も苦手であり、あまり当たらない。

 その弱点を突かれ、逃げられた形となった。

 だが、本来は最初の隠密からの一撃で勝負はつくはずだったのだ。

 剣撃が二度も避けられたということは屈辱でしかなかったが、それは逆に敵の能力がそれだけ高いということを示していた。そこは素直に認めるしかない。

 アサシンが……これほどとは。

 兵吾の仇を逃がしたということについては、憤懣やるかたないものだったが。しかし逃がしたものはどうしようもない。


 この街の、変わり映えのしない裏路地に立ち、吹雪は刀の収まっている鞘をそっと撫でた。

 また、使ってしまった……。

 この魔剣は、効果は絶大とはいえ、魔剣たる恐ろしい性格を持っている。それを吹雪は先代からさんざん言い含められていた。

 この刀を使う時は、常に心を一に保ち、精神で刀を支配しなければならない。

 心を乱し、情のまま力に溺れ、逆にこの魔剣に支配された時、この刀の使い手は神切丸に喰われるのだと。

 これまでの使い手はほぼ全てが、刀に喰われて死んだのだと、そう言われていた。例え話だとかそういうものではなく、事実そうなのだという。

 今のは……大丈夫だったはずだ。

 吹雪は心の中で思う。

 自分は、この刀を支配していた。怒りは感じたが、それも闘争心へとうまくコントロールし余裕を持って対処していたと、そう確信していた。


 吹雪は深く息をつくと、元来た道を戻って行った。

 その先で待つ悠馬と空厳と合流しなければいけない。

 特に空厳は、非常に緊急を要する状態のようだった。夜未はともかく、空厳までやられるとは、これは一層気を引き締めないといけない事態だ。

 この作戦全体を覆うなんとも嫌な雰囲気を、吹雪は感じざるを得なかった。




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