第13話 銃撃戦
ドブの臭いのする、暗い路地裏だった。
空厳が意識を取り戻し、周囲を警戒する。
今の今まで自分が隠密行動をとりながら敵の施設に入りこんでいたという記憶は無かった、寝ていて、今まさに覚醒したかのような気分であり、頭は少しぼんやりとしていたが。足の筋肉の僅かな疲労と、呼吸の速さからさっきまでまさに走ってあの邸宅から逃走していたのだと分かる。
さらに、ベストに仕込まれたカメラを探ると、しっかりと録画されていることが分かった。
時間は、意識を失ってから二十分ほど。
ここは……まだあの邸宅からそれほど離れていない場所だ。
裏路地から見える大通りの様子から、まだあの敵の施設から五百メートルほどしか離れていないことを知る。
とにかく小走りに走って現場からさらに離れつつ、空厳はカメラを確認することにした。何が映っているのかということを、一刻も早く知りたかった。
イシュケダルの、迷路のような裏路地を鼠のように駆け抜けていきながら、カメラを早送りに再生する。会話は聞こえないが何が映っているかはそれで分かるはずだった。
デジタルカメラ型の小型カメラの裏の液晶に、先ほどの潜入時の映像データを映し出す。
裏庭から、恐ろしいまでに堂々と邸宅に入っていく。屋内には何人かの警備要員らしいテロリスト。それとすれ違い、避けながら地下室へと入っていき、そこでさらに人影が映る。
アサシンと思われる服装と装備をした女が映っている、それも若い、二十代前半といったところか。だがその者は金髪に白い肌であり、まるで欧米人のような見た目をしている。だが、テロリストとの会話のしかたや、その様になった身なり、物腰は明らかにアサシンのものだ。
まあそれはいい、ジハード戦線やアサシンの中には欧米のイスラム教徒も参加していると聞いている。
だが、その横にいるのは。
……アメリカ軍人だと?
その男は、明らかに色素の薄いアメリカ人の顔をして、マントをはおっているが、その下の戦闘服や装備はこれまた明らかに米陸軍の特殊部隊のそれだった。
米軍から装備だけ奪ったとか、人質の一人だとか、そういうような様子ではない。堂々とした貫禄のある様だった。
その雰囲気は、空厳も何度か見たことがあるアメリカの特殊作戦群、異能部隊隊員のそれだ。
先ほど夜未達が多国籍軍と思われる異能使いと交戦したという情報は得ていたが、まさか本当に米軍まで関与しているというのか。
この作戦は、テロリストに拉致された自衛隊員を救出するという、単純な話ではないということが分かり始めてきた。だが、なぜイギリスやアメリカの異能使いがアサシンやテロリストと結託するのか。その真意は空厳には分からなかった。
持ち主のそのような困惑をよそに、カメラの早送りの映像はまだ地下室の、それなりに豪華なインテリアの大部屋を映し出していた。
少し暗い部屋の中で、アサシンの女やアメリカ人が話し合いのようなものをしており、何人かのテロリストが動いている。
ふいにカメラの死角から、人物の影が映り込んだ。
「……なに!」
逃げながらも気配を消していたはずの空厳が思わず声を出してしまう。
映り込んだ人物にさらに驚愕したのだ。
これは……!そういうことなのか……?
空厳は、なんとなく思い当たることが無くもなかったが、しかし、こうなったらすぐにでもこの映像データを真田の待つ司令部に送らなければいけないと思った。
通信は出来ない。通信機は持っていたが、それを今使用することはあまりにも危険だった。米軍が敵だとすれば、米軍の世界最高の通信傍受システムを敵に回すということだ。無線通信は全て敵に丸聞こえと思わなければいけない。
元々その通信傍受を警戒して、忍者同士での無線通信は近距離以外はなるべく使わないようにしていた。作戦の打ち合わせの為に何度か司令部と通信はしたが、それも今後はやめた方が良いだろう。
吹雪は悠馬と合流してもうすぐこちらに帰ってくるはずだったが。それと接触するのが今最優先でやるべきことだ。
この状態で、単独でやつらと戦闘になっても逃げ切る自信はあったが。万が一のことを考えればやめた方が良い。
「……!?」
その時、路地の向こうから一人の女が歩いて来た。全身を覆う地味な現地の服を着ている。
街中にあふれているハダイ軍やテロリストを避けるように裏道を歩いているという風体だったが、その顔はまさに。
夕霧?
彼女の相貌そのものだった。
「お前……なぜここに!?」
あまりの場違いに、空厳は咄嗟に携帯していた拳銃を夕霧に向ける。しかし、当の夕霧はその動作に驚いたのか、目を大きく開き、「キャアアアア」とらしくない叫び声をあげ、腰を抜かしつつ元来た道を走って、大通りに向かっていった。
「待て!夕霧!!」
あまりの拍子抜けの行動に、彼女は夕霧ではないのかとも不安になったが、とにかく空厳は追いかけ、大通りへと出た。
そして、さらに驚愕する。
通りにはハダイ国軍兵士が行列を作り、どこに行くのか歩いていた。が、しかしそれら兵士はすべて女だった。女性にはブルカを着せ、家の外には極力出さないのがハダイの宗教的な文化だ。女兵士がいるなどありえないことだった。
いや、ちがう……砂避けのバンダナをしていて良く分からなかったが彼女らの顔はみんな同じ。
夕霧のそれだった。
「……!?」
その時点で空厳は自分が幻術に捕まったことを悟った。
だが、どういう術なのか、どこから攻撃を受けているのか分からない。気配を消し、逃げ去ろうと試みるが幻術特有の頭痛が彼を襲った。
その痛みの中で感じる殺気。
パァンという銃声を聞く少し前に空厳は回避行動をとり、その体のすぐ横に弾丸が爆ぜ、歩道のコンクリートが砕ける。
道を歩く夕霧の顔をしたハダイ国軍の兵士が、銃声の、空厳の方向を訝しげに見る。空厳は敵の撃ってきた銃弾の跡から、敵のだいたいの方向と距離を算出していたが、拳銃を構えて応戦することは出来なかった。
今ここで銃撃戦をすれば、何が何やら分からないハダイ軍兵士達は混乱し、一般人の身なりをしているこちらを攻撃してきかねないからだ。
走って大通りを横ぎり、反対側の裏路地に入りこむ。
今一度気配を消そうとし、ある程度成功したが、幻術はまだ消えなかった。
目の前のさびれた裏路地に、突如炎の渦が巻きあがり、と思うと地面のひび割れたコンクリートから水が溢れ、さらに道の奥から猛烈な暴風が吹いて来た。
これは……陰陽術か?この突拍子の無い現象は、明らかに異能の類いだった。それも空厳のかつて良く知っていた所の陰陽術、その遁術によく似ている。
「……ふざけるなっ」
これも幻術だ、それもだいたいわかってきた。
対象の弱点をついてくる幻術、おそらくそのようなものだろう。不快極まりないものだったが、確かに強力だった。
幻術に混乱しつつも、空厳は殺気を感じる。
路地の建物の影から、何者かが近づいてくるのが分かる。そこに向けて、先制を打ち、拳銃、シグザウエルP226を発砲した。
当たった感触は無い。そのまま建物の壁沿いにこちらに襲い掛かってこようとする敵の姿は、やはり夕霧の顔だったが、その服装はアサシンのものだった。それも、さきほどのカメラの映像に映っていた、金髪の若い女のものと同じ。
間違いなくこいつが術者だった。
空厳はP226を撃ちつつ、そうと分かっていても叫んでしまう。
「夕霧っ!!」
敵のアサシンは大きく跳躍しながらAK‐47と思しき銃を連射してくる。空厳はそれを避けつつ路地の遮蔽物に逃げ込み、P226の弾倉を交換しつつまた応戦した。
狭い通路で、異能使い同士の激しい銃撃戦が繰り広げられる。
「アハハっ!!みんな思い人の名前を叫ぶ!」
夕霧の声。だがその声色は明らかに違う。アサシンが、こちらを揺さぶる為の言葉での攻撃を仕掛けてきているのだ。
言葉と同時に、銃撃の嵐。
「……む」
空厳は銃弾に砕ける壁の破片を顔に浴びながら、それを耐えた。
上空にはまだ炎の渦が竜巻のように渦巻き、うねっており。足元は水が洪水のように溢れ、幻覚と分かっていても体が濡れていく。さらに身の周りには常に強風が吹いており、銃の狙いを定めるのが困難だった。
これらは、全て若いころの空厳が極めようとしていた技だった。
「あたしが誰に見える?好きな女だろ!!撃てるのか?」
夕霧のと同じ声は、容赦なく路地に響いた。
俺は……夕霧に淡い恋をしていたことはあった。
確かにそうであった。小さな村のような忍びの人間関係では、恋愛対象となる女は限られていた。空厳にとって夕霧はいささか歳下ではあったが、十代後半から二十代前半にかけての時期に、彼は夕霧になんとなく意識を向けていた。
それは結局彼の心の中だけで終わった、その初恋も、二十五の時の隠密術の相続後、捨て去ることになった。
もはや記憶のかなたにあるものと思っていたことを、この幻術は掘り起こしてきた。この陰陽術の幻覚も同様である。
恐ろしい技だと思った。かつて本物の夕霧が語った、兵吾を殺したアサシンの幻術と近いものを感じた。いや、こいつがあのハイジャック事件の時のアサシンなのかもしれない。
兵吾を倒した相手と、俺は今対峙しているのか。だとすれば、勝てるのか。
「お前の望むものを、思い出せ!!」
幻術がふいに強力になったのを感じた。ドラッグのブーストでも使ったのか。確かに過剰摂取するごとに、アサシンの術は強力になっていくようだった。とはいえ、使用後のリスクは知ったことではないらしいが。
その狂気の攻撃のおかげで、空厳の頭の中は、もはや過去の思い出で溢れかえっていた。
今まで自分が捨ててきたもの、それが全て復活したかのようにハレーションを起こす。
「お前の失った物を、再び渇望しろ!!」
この術、敵の言動から察するに、おそらく過去のトラウマやついに得られなかった夢のような、そんな心の負の部分に比例して、それを利用して幻術は強力なものになるらしい。
だとしたら、今まで自分の意思に反して生きてきた空厳には、あまりにも効果てき面な技だった。
むしろ俺を殺すための技だ。
空厳はそう考えながら煩悶する。だとしたら、この技に破れた兵吾もまた、心に深い闇を抱えていたということか。
兵吾には良い思い出は無かった。血脈伝法のことも、そして、兵吾が夕霧に慕われいることと、しかしそれに振り返ることはなかったということも。
まあ、恋愛のことはあくまでも薄い嫉妬でしかなかったが、その他の自分の失った青春を、朱膳寺を継いだエース忍者とも言える兵吾は、全て持っていたと思っていた……のだが。
いや、この技は、忍者を殺すための技だ……。
闇を抱えていない忍者などいないのだと。空厳は悟った。
アサシンごときが小賢しいものだ。そう思った空厳は心を平静に保とうと集中する。
「死ね……忍者め!」
いつしか目の前にアサシンが躍り出てきていた。空厳は拳銃で応戦するが、当たらない。代わりにAKの弾丸を一発足に受けた。
だが、空厳の顔は苦悶には歪まない、穏やかだ。いや、表情は捨て去られたかのように無い。どこまでも空虚な顔だった。
その虚ろな瞳の呑み込まれたかのようにアサシンは動揺する。戦闘中に、ここまで虚無を纏った敵などこれまでに見たことは無かったのだろう。
空厳にとっては、集中力を全力で使って平常心を取り戻しただけだったが、その平静が逆にアサシンには不気味だったようだ。
その隙をついて彼は最後の忍法「灰身滅我」を完成させた。
存在を消し去った空厳は、無心の心のまま、足を引きずりつつもゆっくりと立ち上がり歩き出す。
急に敵の気配を見失ったアサシンの女は、髪をふりみだして焦燥に駆られた。ここまで追い詰めて逃げられるなど、あり得ないことだ。迷っている暇は無かった。
ポーチから取り出した注射針を胸に突き刺す。もっとも強力なタイプのブーストドラッグだった。しかもさきほどから連続しての行使であり、限界摂取量は遥かに超えていた。
強化された幻術は、結界の様に周囲の空間を埋め尽くし、そこにいるはずの空厳の心の隙に入り込もうと圧迫した。
灰身滅我は完璧なはずだった。一分の隙もないはずだった。だが、人の心を完全に消し去ることなど出来ないというのもまた道理。
心のかすかな、本当にわずかな気配を察知したアサシンは、その方向にAK‐47を連射する。それはほとんど闇雲なものだったが、奇跡的にその中の一つが空厳の胸を貫いた。
だが、一度完成した彼の渾身の隠密術は、そのような致命傷を受けても崩れなかった。
空厳は無心のまま、無色透明のまま歩き続け、ついにその場を切り抜けた。
アサシンは敵に致命傷を与えたことも分からないまま、右往左往するしか出来なかった。
空厳が最後に消し去れなかった思いは、夕霧のことであったか、兵吾のことであったか、家のこと、捨て去った修行の日々のことか、それは誰にも分からない。
だが、どれだけ厳しい、人外的な尋常でない忍びの修業を積もうと、心を綺麗さっぱり絶ちきることは、死をもって以外不可能であった。
いや、例え死んだとしても、魂は残るのかもしれない。
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