第10話 魔法使い








「こんな道、よく見つけましたね」

「え~、こんなのイマドキ常識じゃない?ってかゆう君アッシーになってくれるのはいいけど、ホントは彼ぴっぴのほうが調べて道案内するほうだと思う感じだけど」

 半分くらいはツッコミたい言葉の羅列だったが、悠馬はあえてスルーした。

 悠馬の調達してきた現地の車。フォードの4WDの見た目は、薄汚れておりいい意味でも悪い意味でもこの中東の風景に調和していたが、なかなか軽快に走ってくれる。

 アンテオンを出てイシュケダルへ向かう道はいくつかあったが、その全てに早くも多国籍軍による検問が設置されていた。

 普通なら許可証でもない限り検問を通ることは出来ないだろう。しかし、夜未の例の誘惑の術を使って、任務に当たっていたフランスの兵士は「よい旅を」と言わんばかりににこやかな顔で、検問のゲートを通してくれた。

 ただ、その後の道も主要道路では未だにハダイ国軍と多国籍軍が戦闘を続けているらしく、近寄らないほうが明らかに良い。だから、悠馬はわき道から、舗装されていない砂漠の一本道に入りこんだのだった。

 このルートが、夜未がわざわざ米軍のネットを閲覧して調べてきた理想的な道ということである。

 荒野を突っ切るこの道は、整備されておらず、しかも遠回りということもあったが、おかげで他の車はほとんど無かった。たまにすれ違うのはこの戦時に何をやっているのかと思うが現地人の車であり、多国籍軍らしい影もハダイ国軍らしい形もない。

 時折軍用機やヘリがはるか上空を飛ぶが、こんな特徴の無いフォードにわざわざ寄ってくる者はいない。

 悠馬と夜未は、しばしの間ドライブを楽しんでいた。

 運転するのはもちろん悠馬であり、夜未はさっきから助手席でぼーっとしたり、欠伸をしたり、猫のように伸びをしたかと思うと、目が覚めたのかしゃべりだしたりした。


「恋ばなしよ?恋ばな」

 夜未は忍者同士の、しかも作戦中の話題としてはいささかどうだろうというチョイスをしてくる。

「はぁ?なんですか?」

「好きな人、いるんでしょ?お姉さんに言ってみ?」

 周りは地平線まで荒野、もしくは山並が見える。たまに林や人が住んでいるのかいないのか分からない家屋が数軒。それだけだ。

 だが、まあ、警戒はしなければいけないのに、それを乱すような話題だった。

「いや……そんな、いませんよ」

 悠馬としては、そう言うしかない。

「あ……もしかして……ごめん、あたしだった?」

 夜未は助手席からわざとらしく驚いた眼でこっちを見つめる。

「はい?」

「悠君の好きな人があたしだったら、それは気まずいこと聞いちゃったね……」

「……夜未さんじゃないです、違いますから大丈夫です」

 面倒だ……。

「違うってことは……他にいるってことだよねぇ?」

 面倒すぎる、この女。

「いませんって、この四年間修業しかしてなかったんですよ?」

「修行ねえ……ならいるじゃない、夕霧が」

 舗装されていないでこぼこの道に、石でも踏んだのか車は少し揺れる。

「いえ……違いますから……」

 悠馬の声がさっきより弱々しいのは、明らかだった。夜未のような人で無くともバレバレだった。

 まあ、この誘導尋問は、明らかに結論を知っていたということだろうが。

「……そうねえ、違うって言うなら、本当にいないのかな~、フリーなのかな~」

「……」

 悠馬は、もうしゃべらないほうがいいと思った。声を出せばボロが出る。それだけだ。

「あたしは……悠君のこと好きだよ」

 悠馬とは反対側の車窓を見ながらの彼女の告白は、果たして本気なのか冗談なのか分からない。

 冗談だとしか思えないタイミングではあるが。

「……」

「……なにか感想は?」

「……?」

 悠馬は、感想と言われてもねぇ、といったふうに、ハンドルを握りながら肩をすくめて見せる。

「まあ、それは半分冗談なんだけどね」

「……」

 冗談かよ、と思う。予想通りとはいえ、微かに残念な気持ちもある。だが、半分冗談とは、またいかなることか。

「私は……あなたによく似た人と、契りを交わすはずだった……」

 妙にまじめな口調に、一瞬言葉の意味が頭に入ってこなかったが。似た人?契り?契りというのはつまり。

「……」

 悠馬は何も言えなかった。言うべき言葉が全く出てこない。

「まあ……それも半分冗談みたいなものなんだけどね」

 と、言われてもむしろ分からなくなってくる。

 こちらとは反対を向いているせいで彼女の表情が見れないことが、よりミステリアスだ。

 さっきからわけがわからないぞ、この話は……というのが悠馬の素直な感想だった。

「……」

 しかし、また、この人も兵吾なのか。自分に似ている人とは、朱善寺兵吾以外思いつかない。

 夕霧はともかく、吹雪もその経緯から兵吾に並々ならぬ心を寄せていたことは知っているが、よもや夜未まで彼と何らかの関係があったとは予想外だった。

「……つまり……まあ、なんだろうね」

 砂塵吹く荒れ地だけが、ただ流れていく。

 悠馬はただハンドルを握り、アクセルを微調整するのみ。

「……」

「……つまんないね、ごめんね」

 結局何が言いたかったのか……。

 ただ、なんだろう。この人なりのコミュニケーションなのだと思う。

 悠馬と夕霧の間のこと、そして夜未と兵吾のこと。それをなんとなく伝えたかったのだろう。

 忍びには、口にしてはいけないことの方が多い。ましてや兵吾に関する情報はトップシークレットだった。だからこそ、彼女はこのような分かりにくい言葉で言うしかなかったのかもしれない。


 夜未のことを、自分は何も知らない、と悠馬は思った。

 先輩の忍者であるという情報しか彼は知らない、N機関の施設内でそれとなく面識があっただけだ。普段何をしているのか、これまでどのような任務をこなしてきたのか、どんな忍術を使うのか。

 悠馬はこの四年間、伊賀にある機関の訓練施設ですごしてきた。

 衣食住はそこで賄われていたし、それかもしくは山に分け入り、サバイバル訓練として現地調達で生きていくかのどちらかだった。

 たまに東京にある本部にいくだけで、それだけだった。

 一方で、多くの忍者は実は特別な任務以外では実社会に溶け込んでいる場合がままある。

 海外に行って、外交官やら様々な者に化けて所謂スパイ活動をする者も、それか日本国内で普通の生活に紛れ込んでいる者も。

 吹雪が実はどこかの高校に通っているという情報も夕霧からなんとなく聞いたことがあった。それは決して高校レベルの勉強を受ける為ではない。実社会に溶け込めるような生活をしていないと本当の戦闘マシーンになってしまうということだそうだ。

 生粋の軍人は、立ち振る舞いなど見た目で分かる。その動作の癖は潜入捜査などの時には致命的な弱点となる。だからこそ、一般人として振る舞えるような練習もまた重要なのだ。

 簡単に言えば社会を知って来いというものである。

 吹雪のような極めて強い忍者が、普通に年齢相応に、高校に通っているという場面を想像しても笑いしか出てこない悠馬だったが、それは彼女にとって必要な儀式らしい。

 ただ、十二歳まで一般人として暮らしてきた彼には必要のない努力だった。


 では、夜未はどうなのか。吹雪のように学校か何かに行くことはあったのか。

 それを聞こうとして、どうだろうと考えなおして、どうしようかと思案し、そしてようやく悠馬は口を再び開いた。

「兵吾って、どんな人だったんですか?」

 言ってしまってから、この質問はまずいだろうと思った。

 だが、それが、一番聞きたかったことだった。

 他に何を訊けというのか。休みの日に何をしているの、とかそんなありふれた質問をして何になるというのか。

「兵吾?……そうねぇ……でもあの人、あたしのことは嫌いだったよ」

 こっちを振り向いて微笑む夜未の顔に影は無い。それが逆に悲しく思えた。

「そう……なんですか」

「兵吾のこと、そんなに気になる?」

「それは……まあ」

「彼みたいに、強くなりたい?」

 心の中を見透かされているような言葉が、雨粒のようにぽつぽつと発せられる。

「……なれればと思いますけど。実際難しいですよ」

「本当に?」

「……修行が遅すぎますから」

「そんなの関係ないんじゃない」

「……?」

「あなたは力を欲しいと思う?」

「……」

「それはとても重要なことよ」

 そう言う夜未の声は、今までにない重みを感じた。

「力……ですか」

 悠馬がそこまで言ったとき、夜未はいきなり走行中の車の助手席のドアを開け、車外に飛び出したかと思うと、車体の上に躍り出る。その動きはまさに一瞬。

 フォードの天井が、ボンボンと夜未の体重に音を立てる。

『敵、後方、七時の方向』

 車上からの通信にバックミラーをのぞくと、地平線、陽炎の向こうに浮かぶ黒い物体。

『指示に従って走って、今はまっすぐ』

「はい」

 そこでようやく気付く。

 敵襲だ。

 前方を見たままではよくわからないが、とにかく走らせるしかなかった。そして次の瞬間、バックミラーに猛烈な光が反射したかと思うと、巨大な爆発音と共に衝撃が車体を軽くゆすった。

「なんなんだよ!!」


 夜未は、フォードの上に立ち、アサルトライフルを構えている。その銃口の先、遥か後方には小さな影が飛んでいる、そのシルエットは戦闘ヘリ、ティーガーだった。

「無警告で撃ってくる?」

 ティーガーはフランス、ドイツが共同開発した最新型戦闘ヘリだ。ハダイ国軍に配備されているなどとは聞いたことがない。だとしたら相手は多国籍軍、それもフランスかドイツあたりなのだろうが、それが全く警告も無しに民間の車を撃ってくるとは考えにくい。

 この道をイシュケダルへ走るのはもはやテロリストだけだという判断か。それはそれで考えられなくもない。

 だが、もう一つの可能性としては、明らかに夜未達を狙って攻撃を仕掛けてきたということだ。

「なら相手をするしかないわねぇ」

 夜未の勘は、敵は後者だと告げていた。あのティーガーはこちらを忍者だと分かって仕掛けてきている。

 先ほど敵が撃ってきて夜未が迎撃した飛翔体は、自動誘導式の高性能対戦車ミサイルだ。そんな高価な兵装をテロリストの一般車両にためらいもなく使うとは考えにくい。

 それにこの荒野、人っ子ひとりいない今の状況は、異能者同士の戦闘のステージとしては理想的な場所だった。

 さらに惜しげもなく連続で二発飛んでくる対戦車ミサイルに対して、夜未はM‐16を構える。小銃でミサイルの迎撃など、かなりシュールな光景ではあったが、忍者の射撃スキルは神がかっていた。

 フルオートで放たれた弾丸は、投網のように弾幕となってミサイルに向かって飛んでいき、その中の一発づつが、とてつもない相対速度でぶつかり合った。

 オレンジ色の猛烈な爆炎が広がる。200メートル後方でのその豪火の熱は、走っている車の上に立つ彼女にも感じられるほど熱かった。

 このような比較的小型のミサイルを空中で迎撃など、常識的に考えてあり得ない。だが、くノ一の超精密射撃はそれを可能としていた。それはいわゆる殺気などと呼ばれる殺意の気の流れを読み、それによってレーダー射撃のような視覚に寄らない狙撃を行う技術ではあったが、常人に理解できる領域ではない。

「まだ来る!」

 今の二発は囮、煙幕のようなものであり、その黒い煙の向こうから殺気を感じる。目には見えない、だが、その気の乱れだけを手掛かりに、夜未は小銃を撃ち放った。

 さらに二つの爆炎。そしてその後ろから煙を抜けた一発が上空から獲物を見つけた鷹のように襲い掛かってくる。

「当たれ!」

 時速100キロ以上で走るフォードの後方、五十メートルほどまで迫ったミサイルがライフルの弾丸を受けて四散した。と同時に今までにない衝撃が降りそそぐ。

 車が地面に押さえつけられたかと思うと、大きくバウンドした。夜未はなんとか屋根にしがみつき。

「悠馬!左!!避けて!!」

 と、同時に上空に向けて小銃を撃つ。車が急カーブした、二秒後、先ほどまでフォードが走っていた車線上の地面に筒状の脅威が突き刺さる。

 目の前に雷が落ちたかのような、そして大地震が起こったかのような怒涛の激震がフォードを襲い、比喩で無く車体が飛んだ、夜未も悠馬ももうだめかと覚悟したが、幸いなことに直撃ではなかった。

 フォードは猛スピードで黒煙と巻きあげられた砂塵を抜け、再び荒野を駆け抜ける。


「ひゃっほーーーう!!悠君大丈夫!?生きてる?」

『……は……はい』

「まだ来るよ!ってかこれからが本番って感じ?」

『勘弁してくださいよ!』

「刀とって、あと後ろにRPGあったでしょ、あれ取って」

 悠馬が窓から突き出した二本の物、刀の鞘とロケットランチャーを受け取る。昨夜、テロリストが捨てていったRPGを拾っておいたのがここで役に立つとは思わなかった。その長い筒状の物騒なものをベルトで背中に背負い、そして手に取るのは。

 夜未の体格には似合わないほどの、長さ三尺もある長刀。鞘から抜き放たれた瞬間眩いばかりに煌めく刀身。この異国の暑い日光の元に、その鉄は冷たく澄んでいた。

 肉厚の、まさに豪刀と呼ぶにふさわしい太刀。忍びの間で「長流」と呼ばれるこの大刀は、長く闇の世界にだけ認知されていた物であり、本来は国宝級の名刀であろう。

 真偽のほどは分からないが平安時代備前で生まれたこの刀は、あの大包平で有名な包平の作と言われており、実際その名の通りの神気を纏っていた。

 今回の出撃に際して夜未が天生院家の蔵から持ち出してきた私物である。

「ちょっともったいないかな……」

 その超名刀を正眼に構える夜未。とはいえ、現代兵器の最高峰である戦闘ヘリに刀で挑むのはいかに忍者といえども無謀なものに思える。

 ティーガーはミサイル攻撃を諦めたのか、今度は接近しつつあった。とはいえ未だ一キロ以上の距離があったが。その距離においてはミサイルよりも恐ろしい必殺の兵器、三十ミリ機関砲がこちらを向いていた。

「悠君!とにかく左右に動いて!機関砲が来る!」

『了解』

 ヘッドセットでそう伝えたが、しかし自動車ごときがこの遮蔽物もほとんどない荒野で戦闘ヘリの機関砲から逃れるのはまず無理だろう。

 だからこそ、夜未は車の屋根の後部に踏ん張り、刀を構えたのだった。

 左右に不規則に動く車に対して、ついにティーガーの機関砲がヴウウウウっと不吉な音を響かせて唸る。

 動いている目標に動いている物体からの射撃なので弾は大きく乱れて散開し、周囲の地面に大きな土ぼこりをいくつも作る。

 が、数撃てば当たる、一発が過たず車へと飛んでいった。

 一閃、夜未の翻した長流がキィンと鋭い音を発し、車は全くの無傷。

「結構効くわ~」

 なんと太刀が機関砲の銃弾を弾き飛ばしたのだった。斬ったり跳ね返したりというよりは、うまく刀を当てて弾丸の軌道をそらせるという凌ぎ方だったが、人間業ではない。

 加えてこれほどの名刀だからこそできる神技だった。

 とはいえ、国宝級の刀にはダメージがいくし、夜未の腕にも痺れるような負担がきていた。

 だが、敵はそんなことは構わない。

 さらに接近しての正確な掃射。一発どころではない弾丸が車を襲おうとしたが。

「いぁーーーーーーーーーー!!」

 剣による決闘の掛け声のように、奇声を発した夜未は刀をぐんぐんと振り回すと、スズメバチの大群のようにおそいかかる銃弾を全て撃ち落とし、ねじ伏せ、跳ね飛ばし、あるいは弾丸を中心から切り裂いた。

 そしてティーガーが堪らず位置を変えようと機体を振り、迂回するようにさらに接近してきたチャンスに、背中のRPGを構え撃ち放った。

 距離一キロ以内とはいえ、RPGの有効射程の遥か外であるが、夜未の放ったロケット弾はまっすぐティーガーに吸い込まれていくように飛ぶ。敵は機関砲で迎撃しようとする様子だが、当たるはずがない。

 だが、簡単にやられる敵ではない。ヘリは急に、飛ぶ鳥のように豪快にバレルロールする、ヘリコプターが低空でこんなアクロバットが出来るのかというほどそれは物理法則を無視したような機動だったが、それによりRPGの弾は簡単に回避されてしまった。

 やるなぁ……。夜未はRPGにもう一発弾頭を装着しながら思う。

 大抵の兵士なら刀で銃弾を弾いた時点で驚いて隙を見せるはずだったが、この敵にはそんな素振りは無い。手慣れている感じだ。

 これは、少なくともティーガーの搭乗員二人のうちのどちらかは異能者なのかもしれない。

 RPGを警戒して適度な距離を取りつつある敵機は、さらに機関砲を撃ってくる。

 長流を振り回してそれを弾くが、少女の刀のレンジ内で車体全てをカバーするなど酷な話だ。何発かが刀の軌道を通り抜けてフォードのボディを穿つ。

 後部の窓が割れ、座席がはじけ飛び、ドアが砕け、サイドミラーが吹き飛んだ。

 さらに夜未自身も、弾が直撃しているわけではないが、超高速で飛んでくる弾丸を刀で弾いて行く負担は、腕や腰にかなりの激痛を与えていた。そして太刀にも刃こぼれがいくつも出来ていく。


『夜未さん!ヤバいですよ!』

 悠馬が悲鳴を挙げる、だが、一応車への致命打は避けているはずだった。

「うるさい!避け続けて!!」

 しかし、このままではまずい。掃射の合間に周りを見ると、進行方向の左に小さな森ほどの林が見える。

「悠君!左の森に!向いつつ回避蛇行!」

 そうするしかなかった。

 機関砲の猛ラッシュはさらに襲い掛かり、そしてついに恐れていた攻撃を敵は仕掛けてくる。

 ミサイル、やっぱり来た!

 機関砲の相手をしている最中に敵はさらにミサイルを撃ってきた。八本目、恐らくこれが最後だろうが、タイミングが悪すぎる。

 弾丸を弾きつつ、ミサイルを落す。どちらも人間の限界を越えた極限の難易度を持つ技を、同時にこなす。

 それが、忍者には可能だった。

 右腕に長流を持って払いつつ、左腕に構えたM‐16をフルオートで上空にばら撒く。

 腕一本での凌ぎは、凄まじい負担を彼女の右腕に与えた。血管が浮き出、筋肉の筋が裂けていくのが分かる。だが、アサルトライフルの弾丸は上空から襲いかかるミサイルには当たらない。

「うああああああああああああああああああ!!!」

 ついに弾切れを起こしたM‐16を夜未は投げ捨て、そして再び両腕で刀を構える。しかし迎撃を諦めた訳ではない、一寸たりとも彼女はそのようなことは考えなかった。

 飛んでくる三十ミリ機関砲の弾丸を下から掬いあげるように斬り払う。鋼鉄の一閃に弾かれた弾丸は上方に飛んでいき、そしてミサイルの先端部分、レーダーの目のようになった硝子を突き破り、内部を破壊した。

 太陽が爆発したかのような閃光、そして衝撃波がまたしても夜未と車を襲う。だが、八発のミサイルと機関砲はついに彼女達の足を止めることは出来なかった。

「っしゃああああ!!」

 夜未は歓喜を叫ぶ。

『なんなんですか!』

「止めをさすわ!左に急カーブ!」

 最後のミサイルが撃墜されたことにさすがに動揺を感じたのか、爆炎に車を見失ったのか、ティーガーは掃射を止めて地面を這うように左にスイングする。そこに夜未はRPGを撃ちこんだ。

 車の方向転換とヘリの機動が重なり、二者の距離は必然的にかなり狭まるが、間にある爆炎により敵はこちらの位置を正確につかめていない。

 そこをRPGのロケット弾が強襲する。

 自分が先ほど使った技、爆炎を煙幕としての攻撃を模倣されて戸惑いつつも、またしてもアクロバット的な回避運動を行う敵機に、夜未は止めの一撃を加える。

 刀の切っ先を指で挟み、思いっきり投げる。

 常識外れの刀の投擲だった。だが、そこには風を操る陰陽道を元とした忍術の力が纏われている。

「くらえ!」

 国宝級の傑作刀、長流は、もはや刃こぼれにぼろぼろになっていたとはいえ、不本意ながら飛び道具として最期を迎えた。

 その切っ先はティーガーのキャノピーを貫き、前席、操縦席に座るパイロットを座席に串刺しにする。

「やった!!」

『なに?どうなったんです!』

 前を見ているだけの悠馬には何が起こっているのかさっぱり分からなかったが。よもや戦闘ヘリに勝利したとは思っていなかった。


 しかし、ティーガーは複座式であり、後席にはまだ射撃手が乗っている。しかも後席でも操縦は可能であった。

「悠君!林に逃げて!あの木が切れてるところ!」

 とはいえ、回避行動中で無理な機動をしていた機体を突然立て直すのは至難の技だった。敵はぐにゃぐにゃとふらつきながらも機関砲を撃つが当たるものではない。夜未の視力は敵機のキャノピーを捉えており、その強化ガラスにはパイロットから噴き出した赤い血が覆っていた。

 これでは外も満足に見えないだろう。

 そしてとうとうヘリは態勢を戻せずに墜落する。地面に前のめりに突き刺さり、ぐしゃっと砕けた後、爆発する機体。

 忍者の勝利だった。

 悠馬はしかしそれを知らない。サイドミラーは銃撃に壊され、後ろの窓も砕けて白くなっていた、だから彼はそのまま車を飛ばし、林の切れ目、ちょうど車が通れるくらいの自然にできた道を行こうとした。

 夜未は勝利に胸をなでおろし、痺れた腕をほぐそうとしながら、ヘリの墜落した方向から黒い影が飛び出し、猛禽類のように超低空を飛んでいるのを見つけ。


 そして、体を三つに分断された。

 夜未の体は、木々の間に張られた二本のワイヤーのようなもので切り裂かれたのだった。

「ゆう……!敵は……」


「……魔法……使い」


 悠馬は何が起こっているのか未だに分からなかった。車の天井から夜未が動いたのか、ドンと音がしたかと思うと、何かがフロントガラスに跳ね、その後赤い液体が垂れてきて、さらに複数の物体が天井でドンドン跳ねながら後方に落ちていく音を聞いた。

「魔法使いって……ボグワース魔法機関ですか?」

 先ほどの夜未の通信を訊き返す。

『かも……おそらく……わた……しは……ゆうくん、は、先に行って』

 だが応答される彼女の声は、とぎれとぎれで力無い。

「夜未さんっ!!」

 悠馬はたまらず窓を開け、座席から身を乗り出し、後方を見る。さっき抜けた林は数十メートルほど後ろにあり、それと車の中間地点の荒れ地に不思議な物体がいくつか落ちている。その色は砂漠迷彩の茶色、そして形は、腕や足、まるでバラバラのマネキンのようで、周りには血が飛び散っていた。

『ゆうま……もどってきちゃだめ……ぜったい……ふぶきと……ごう……りゅう……』

「夜未さんっっ!!!!」

 その白い砂漠に落ちている肉塊の中に、確かに夜未の胸像のようなものがあって、それがこっちを見ている。砂煙にまぎれて良く見えなかったが、それは確かに微笑んでいた。


『……』

 もはや雑音しかなかった。それが夜未からの最後の通信だった。

 誰かがあの林の木と木の間にトラップを仕掛け、そこをまんまと通ってしまった俺のせいで夜未さんはバラバラになってしまった。

 そしてその相手は、夜未さんが言うには歴史ある英国の異能部隊、最近ではあるファンタジー小説からとった蔑称としてボグワース魔法機関と呼ばれる、その魔法使い。

 意味が分からなかった。

 イギリスの魔法機関であれば多国籍軍側であり、今回の件で言えば友軍と言えるほどの存在だ。昨夜悠馬達がテロリストから解放した人質の中にはイギリスの軍人もいたのだ。

 それが敵だというのか。

 理屈が合わない。

 とはいえ夜未という頼りになる味方は脱落したが、自分はイシュケダルに行って吹雪と合流しなければいけない。

 そこまでの道筋が、悠馬の頭の中に現れていた。

 本当は悠馬は今すぐにでも車を止めて夜未さんを回収したかった。彼女を、なんとか助けたかった。忍者であればそのような奇跡的な蘇生も可能かもしれないと思った。

 だが、それは出来なかった。実は夜未の最後の通信は、悠馬に暗示の術をかけており、そのおかげで悠馬は彼女の命令通りに動くしか出来なかったのである。魅惑の術と非常に近い忍術であり、悠馬はそれによってむしろ思考がはっきりと明快になってさえいた。

「くそっ!くそっ!」

 悠馬は術にかかっていることにすら気づいていなかったが、とにかく自分で自分を何とかできないもどかしさに悪態をつき。そして車の側面から猛スピードで追撃してくる謎の物体をついに発見する。

 それこそ追撃者だった。しかも、空飛ぶ箒にまたがった、魔法使い。

 嘘だろ……おい!

 先ほどの機関砲にぼろぼろになった窓から、後方の荒野に垣間見える空飛ぶ黒い影。

 戦闘服にマントをはおっている、そこまではまだ普通の兵士だったが、その男の顔は白い豊かな髭と長い白髪。さらに極め付けにまたがっているのは間違いなく箒であり、地面から一メートルほど浮いて高速で飛んでいた。

 これではハリー・ポッターというよりは、ガンダルフだ。

 悠馬の頭は混乱しつつも、暗示のおかげでやるべきことは明確であり、半ば無意識のうちにその腕は助手席に置いてあったAKを掴み、斜め後方から接近してくるその魔法使いに向けて引き金を引いた。

 と、同時に向こうも応戦してくる。だが残念なことに敵の武器は魔法の杖ではなく普通のアサルトライフルであった。

「があああっ!!」

 車体に銃弾が当たり金属の弾ける不吉な音、目の前を銃弾が飛んでいくのが肉眼でも分かるほどの銃撃に、双方たまらず反対方向にカーブして距離を取る。

 このままじゃいずれ撃たれて殺される。とはいえ悠馬の忍法はこの距離では到底行使できない。相手が仕掛けてこない限り無理だ。

 白髪の魔法使いは弾切れとなったライフルの弾倉を替え、再び突撃を開始する。同じくAKの弾倉を交換した悠馬は応戦する。

 飛び交うのは死を呼ぶ銃弾、どちらもジグザグに荒野を走る車と箒。だが、目標が大きいのは車の方だ。魔法使いは今度は車の足、タイヤを狙ってきており、またたく間に左側のタイヤがパンクする。

「くそっ!当たらない!」

 悠馬の方は、70メートルほど斜め後方を走る箒に対して牽制射撃以外のなんら有効打を与えていなかった。

 そして、ついに魔法使いが本領を発揮する。

 ライフルを左手に持ち替えると、右手で何か印のようなものを結び、口を動かして呪文のようなものを唱えたかと思うと敵の足元から突如黒い影が飛び出してくる。

 黒い薄い霧のようなものが塊となる。

 それはかつて悠馬が見たアサシンの幻術による悪魔の召喚に似ていたが、それよりもより現実感があるというか、うまく説明できない感覚として脅威を感じた。

 黒い塊は足を持って地面を走り、狼の姿を形作る。伝説上生物、死神犬のように。

「うあああああ!!」

 AKで撃つ、何発かはヒットしたように見えたが予想した通り銃弾が効いている様子は無かった。黒い狼は構わずこちらに駆け寄ってくる。道無き荒れ地でスピードを出しきれないとはいえ、九十キロ近く出ているのに走って追いつくとは、魔法生物以外に考えられなかった。

 逃げられないのならば轢き殺してやろうと、車を操作してぶつけようとするが、逆に狼はこちらに飛びついてこようとする。爪を立てて車体の後部にしがみ付くが、悠馬がハンドルを左右に切りまくるとさすがに吹き飛ばされた。そこにさらに銃弾を撃ち込むが効く気配は無い。

 何だってんだ、あれをどうしろっていうんだ。

 ならば本体を狙おうと魔法使いの方に銃を掃射するが、敵はさっきより離れたところを飛んでおり全くあたらなかった。

 どうやらこの魔法の狼だけで決着を付けるつもりらしい。ということはこいつだけで悠馬を殺すことが出来るほどの力を持っているということになるが。

 どう考えても、こいつに襲われるのはまずいと思わざるを得なかった。

 この絶体絶命のピンチにおいて、悠馬はもはや言葉もなかった。

 荒野の向こうに小さな川が見える、だからなんだと思うが、そこに向けてアクセルを全力で踏みしめ、とにかくスピードを上げて突っ走っていく。と黒い狼が車に飛びついた。そして先ほどと同じように悠馬は車体を左右に振って振り落とそうとしつつ、狼がどこにいるのか後ろを振り返ったその時だった。

 フォードは岩に乗り上げてバウンドし、そしてその先にあった一メートル五十センチほどの段差に側面から落ちていって、まさにさきほどのヘリのように墜落した。分かりにくい岩と崖だったとはいえ、悠馬は完全に自爆した形となり、勝負はついたと思われた。


 車はひっくり返って完全にひしゃげ、土煙を巻きあげつつ、無残な姿になっている。

 狼は衝撃に振り落とされたのか、二十メートルほど後方に立っており、さらにその後方からは主の魔法使いが箒に乗って半ば茫然と様子を眺めていた。

 魔法機関の魔法使いを前に、なんと最強と謳われた忍者の二人が無様にもやられた瞬間だった。






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