第二日目

第9話 朝、戦の後





 夢。


「おら、やれ……出来なかったら死ね」

 夕霧だった。

 彼女が、抑揚のない声で、不愉快な指示を出す。

「無理じゃないだろ、まだ出来るだろ、死なないならまだ出来るってことだ」

 俺にとって、夕霧は憎しみの塊でしかない。

 そして恐怖そのもの、死を実感させられたあの辛い地獄の日々の象徴。

 青春の真ん中に穿たれた、暗黒の四年間。

「……じゃあ死ね」

 個人の権利も、誇りも、何もかも全てを、人間性すら奪われた。それに反発するのは人としての本能だった、憎むなという方がおかしい。

 だが、それで俺は忍者に近づいた。

 夕霧のことも、俺は知っていった。思い人の兵吾を殺されたことも、そしてその男の血を俺が受け継いでいることも。

 いや、むしろ俺を生かすために彼は死んだのじゃないかということも。

 だが、そのような複雑な心情を、彼女が俺に漏らすことは無かった。

 やがて俺は朱膳寺兵吾がどのような男だったのか興味を持ち、調べようとした。調べると言っても夕霧や他の忍びに聞くだけだが、得られた情報は他愛もない思い出話だけ。

 そして、その最後に、なぜ俺は兵吾を知りたいと思うようになったのかという疑問にたどり着いた。

 ハイジャック事件の時、俺は確かに彼を見ていたはずだった。

 だが、あの時の記憶は無い。

 辛いトラウマと一緒に、記憶のかなたに閉じ込めてしまったのだろう。

 だからこそ、むしろ見てみたいと思うのだ。

 心臓移植を受けた患者が、そのドナーのことを知りたがるだろうか。そういう人もいるかもしれない。もうこの世にはいない人物とはいえ、命の恩人のことを知るべきだというのは義務だと思う人もいるだろう、だが、俺のはそういう単なる興味ではなかった。

 俺は、兵吾になりたかったのだ。強い忍者だと称えられていた彼に。

 そして、なにより。

 夕霧に愛されていたということに。

 修行の合間で見た、夕霧の体が浮かんでくる。彼女は風呂だって時には一緒に入ろうとした。羞恥心を捨てろ、師弟の関係にそんなものは要らないなどと彼女は言っていたが、俺の方はそういうわけにはいかなかった。

 あの体が、鍛え抜かれた鋼鉄のようで、それでいて滑らかな曲線が。

 俺の目の前に横たわって。

 俺は、夕霧の……。


 目の前に、極めて至近距離に少女が横になってこちらを見つめている。

 同じく、ベッドに横になっている自分の目を、彼女は微笑みながら見つめて……。

「おわっ!?」

 夜未だった。悠馬と同じ硬くてかび臭いベッドに彼女は寄り添うように寝ころんでいる。

「えへへ……やっと起きた」

 まるで彼女と迎える朝だ。そんな関係になった覚えは無かったが、夜未には常識は通用しない。

「冗談やめてくださいよ……」

「何が冗談なの?ゆう君の寝顔きゃわいかったよぉ」

 悪夢かと思う。

 そう、先ほどのは夢だった。


 昨夜、人質を解放した後。悠馬と夜未は、戦闘の行われていない地区の放棄されたホテルに入りこんで、とりあえず待機していた。

 その時点ではクルムの空厳達の報告から、イシュケダルが怪しいということになっていた。  

 だが、悠馬と夜未はそのまま後方に帰還する可能性が高いということも、真田は言っていた。

 イシュケダルに行くのは吹雪と空厳だけ。四人が一か所に集まるような、戦力の大量投入は忍者にとっては必ずしも良い結果になるとは限らない。

 それは、確かにセオリーだった。


 外はもう明るくなりつつあった。夜未に警戒を任せてから三時間ほど寝ていたらしい。

「あたし達もイシュケダルに行くってさ、ほい準備準備」

「え?」

 どうやら悠馬が寝ている間にそんなことになったらしい。事情としては、昨夜アンテオンを撤退したハダイ国軍や武装テロリスト達がそのままイシュケダルに向かったから、と言うことらしい。

 昨夜以前からアンテオンが多国籍軍に脅かされ始めた時点で、ハダイ政府は首都の機能や軍の中枢をイシュケダルに移し始めていたのだが。その移転先についにアンテオンの本隊が加わったことで、イシュケダルは完全に次の本拠地に変わったらしい。

 敵の本拠地なのだから万全を喫して四人全員がイシュケダルに集結する、という方針に変わったのだとか。

 さらに、今日の早朝に既にイシュケダルに着いていた吹雪達からの報告で、敵は予想以上に用意周到に隠れているという報告が、その作戦変更の決め手だった。

 しかし……。良く見ると、掛け布団を払った夜未は、スポーツブラにショーツという肌色の多い姿だった。

「ゆう君、初体験どうだった?昨日のあたし……すごかったでしょ?すっごく乱れてたでしょ?」

 なんてことを言う。

「勘弁してください……」

 こじんまりとしたホテルの一室、カーテンの隙間から入り込む朝の陽ざし。ベッドの上に座り込む露わな姿の少女にそんなことを言われて、動揺しない男はいないだろう。

「えへへ」

 てへぺろ、といった古臭い動作で彼女は微笑みつつ、ベッドから飛び出し、窓際に寄ると、カーテンをばっと開ける。

 日光に室内の埃が舞うのが見える。

 外はまだ黎明とはいえ、穏やかな良い天気のようだった。

 まるで昨日の悪夢が、本当に夢だったかのように。

 だが、時折聞こえるヘリのローター音やジェット機が低空飛行する音、そして外の道を走る装甲車の騒音に、現実を思い起こされる。

「良い天気~!」

 窓からの陽ざしを一身に浴びて、彼女の体は白く輝き、その滑らかな起伏がはっきりと分かる。

 それを知ってか知らずか、こっちを見てさらに微笑んだ。

「服着てくださいよ」

 注意するがそれは逆効果だった。

「え?興奮する?あたしのわがままボディがそんなにエロかわって感じ?」

 わがままってレベルじゃないだろうとは口にせず。

「窓からスナイパーに撃たれますよ」

 と言った。

 が、光を浴びたまま嬉しそうにくるくると踊る彼女には、そんな脅しは効かない。

「それくらいじゃ死なないし~」

 不毛な話だと思った悠馬はもう何も言わずに出発の準備をしようと思った。その時になって気付く自分の股間のあれは、あくまでも朝特有の生理現象であり、夜未の成熟間際の体を見たからではないと心の中で言い聞かせつつ、彼女の背中を向けて荷物をまとめた。

 よもや、あの人の夢を見ていたからということもありえない。


 朝日はまだ少しピンク色を帯びて東の空の低い所にある。

 街の中心の方にはまだ黒煙が上がり、時折銃声のようなパンパンという音も響いて来た。

 アンテオンは、そのほとんどが多国籍軍に制圧されたようだったが、一部の施設に逃げ込んで籠城している勢力がまだいるらしい。だが、大部分の区域はもはや戦闘の後始末の段階に入っていた。

 乗り捨てられた車や、住民が逃げ去り気の抜けたような街並み。空爆に崩壊した建物やそこから立ち上る砂煙。その中に、多国籍軍の兵士や車両が行き来している。

 兵士達はまだ昨日の興奮冷めやらぬといったふうか、もしくはもはや故郷に帰りたいといったようなうんざりした者まで様々だったが。彼らの往来は、住民の消えたこの街の隙間を、逆に活気づけているようだった。

 迷彩の戦闘服を着た夜未と悠馬は、その風景に溶け込んでいる。

「じゃあ、私がイシュケダルまでの道と状況をそれとなく聞いてくるから、ゆう君は車を調達してきて。現地の目立たない車で、後服も現地のを用意しておいてくれるといいかな」

 ということで、別行動になった。


 足を探しに行く悠馬を見送ると、夜未はある場所へ歩いて行った。

 大通りに出ると、住民も結構残っていることが分かる。そのほとんどは多国籍軍に不必要に銃を向けられないように家の中に閉じこもっているようだが。一部の商魂盛んな者は、道に出て兵士達にタバコか何やらを売り歩いていた。

 だが、彼らがテロリストの扮した者かどうか誰に分かるだろう。案の定、通りには兵士に連行される一般人の身なりをした人物が、お縄になって刑務所か収容所に送られていくのが見えた。

 いつの時代も変わらない、占領された街の空気。

 戦場とはいえ、まだどこか活気や緊張感の残る朝の空気を吸い、崩れた街や、どこへ行くのか行き交う装甲車、空をせわしなく飛び交うヘリを見物しながら、夜未はそう思う。

 その足は、まっすぐに、アメリカ陸軍のいかつい装甲を施された兵員輸送車、ストライカーへと向かっていた。

 あえて形容すると、亀のような形をした装甲車の車内には、二人のアメリカ兵士がいる。

「ハイ、調子はどう?テロリストどもは何人やったの?」

 夜未の、外国なまりの英語に、アメリカ人二人は少し驚いた様子だった。

「……あんたはどこの?」

 そんな当然の質問を返す兵士の目が、夜未の戦闘服の、わざとらしく開けられた胸元とそこに見える谷間に向いていることを確認した時点で、くノ一は勝利を確信していた。

「ちょっと見せて?ね?」

 そう言って車内に入ろうとする。

「お……おい」

 一方の男はさすがに反発を感じたようだったが。

「オウ……まあ、いいじゃねえか、美人さんだぜ」

「……ああ……えっと……そうだな」

「どうぞ、お嬢さん」

 という次第で、夜未の魅惑の術は完全に効いていた。くノ一最大の武器ともいっていい、異性を虜にする術は夜未の得意とするところだった。

 相手が彼女の体に興味さえ持てば、後はほとんど難しいこともせずに、魅了の術のパスをつなぐことが出来る。その術に嵌れば後はこちらの言いなりだ。

「お兄さん達大好き、かっこいいし、イケメンだわ、サンキューベリーマッチ」

 そうやって夜未はストライカーに装備されている通信ネットワークシステムの情報を堂々と探っていく。

 このような装甲車の端末でも、米軍とっておきのGPSを使ったネットワークにより、どの部隊がどこにいてどこに向かっているのかが一瞬で分かるようになっていた。シンプルな画面上に移る光点の一つ一つが部隊の位置、そして発見した敵の位置を示している。

 これを見れば、アンテオンからイシュケダルまで、どのルートで行けばいいかの見通を立てることが出来た。

 光点だけ見て、多国籍軍はイシュケダルに向かうハダイ国軍を巧みに追撃しているのが良く分かった。

「なるほど、いいわね」

 夜未は得られた情報に満足した。

「だろ?最高だろこのストライカーは。今度こいつでドライブして、どこか食事でも、いや、今からでもいい」

 少し魅了が効きすぎたようで、兵士は肩を触ってくる。それを押しのけて微笑みながら、夜未はぴょんと車外へと飛び出していった。

「ダメ、むさくるしいのよ、男の汗のにおいがプンプンする」

「オウ!綺麗にするから……消臭剤も、香水もかけて!さっき向こうの区画で良さそうなトルコ料理の店を見つけたんだ、絶対気にいるブレックファストを出してくれる!」

「バァイ、またね」

 そう言ってくノ一が小走りに去っていく先に、車が止まる。

 紺色のフォードエクスプローラー。旧式で、車体は砂と泥に汚れており、エンジン音もどこか繊細さを欠いている。

 それに少女は乗りこみ、走り去って行ってしまった。

 しばらくして兵士二人はようやく正気に戻るが、その時はもう後の祭りであり、正体不明の女にネットワークを見られたという失態は、上官には黙っていようと二人で頷き合った。





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