第8話 暗殺者の巣









 一面の暗闇、全方位に渡る黒。上下感覚が無くならないのは、重力と激しい空気抵抗を受けているからだった。

 地平の向こうに赤い光が見える。アンテオンの光、戦場の炎だ。

 しかし眼下の荒野と街並みは、かろうじて建築物の影である長方形の集合が見えるだけだった。

 町の、山岳地帯に近い場所に、それはある。

 夜未と悠馬がアンテオンに降下した少し後、吹雪もC‐130からHALO降下を行っていた。

 目指すのはクルムの町の外れにある寺院。そこがアサシンの本拠地と言われている。

 その敵の総本山を叩くのにN機関が投入する戦力は、僅か忍者二人。


 身を斬るような猛烈な空気の反発。砂漠特有の闇夜の冷気と相まって吹雪の着る軍装は冷え切っていく。しかし、その体の奥は熱く燃えていた。

 三百メートル、加速限界のまま一瞬のうちに地表が眼前に迫る、通常であればパラシュートを開く高度だが吹雪はそのまま落下を続ける。

 二百メートル、それが数秒で過ぎる、もはや投身自殺のように、このままいけば、その体は冷えた荒野の砂地にぶつかり砕け散ろうとしていた。

 百メートル、ようやく彼女は背負ったパラシュートを開き、ガクンという衝撃と共にふわりと減速する。

 地面スレスレで減速が完全に働く、と同時にパラシュートを切り離し彼女は二メートルほどをジャンプ。受け身を取りつつそのまま起き上がり疾風のように駆けだした。降り立ったのは町の郊外の山へと続く斜面沿いの岩地、目的の寺院は斜面を越えた向こうだったが。少し走っただけで、そのいかにも伝統的な宗教建築は視界に入った。

 しかし異様な気配、寺院の正面、広場から斜面を下っていく階段にかけて人が倒れている。それも三人ほど、この寒空にわざわざ野外で寝ているようには見えない。

「空厳、どうした」

 吹雪はヘッドセットで呼びかけるが応答は無かった。

 まあいい、とばかりに寺院の側面に周り、岩陰から飛びだして窓から直接施設内に進入する。その一連の動作は、巣に帰るツバメのように素早く鮮やかだった。

 窓を割り、室内に飛び込んだ吹雪は、礼拝堂と思われる空間に踏み込んでいた。天井から下りてくるいくつもの柱、その間の床に敷かれた絨毯。そこに横たわった数人の死体と、部屋の隅から柱を通して伝わってくる殺気。

 いたな、一人か。

 アサシンは、どうやらおそらく一人。他は全員高価そうなペルシャ絨毯の上に転がされ、冷たくなっていた。

 そして異能者同士の戦闘が始まる。

 柱と柱の間を素早く移動する黒い影。威嚇しつつ、こちらの様子をうかがっているというところか。その動きは洗練された早さがあり、敵が熟練の戦闘員だということを物語っている。

 だが。

 サイレンサーを通した銃声、未来予知でもしないと命中しないのではないかというほどのタイミングで放たれた、吹雪の予測射撃による銃弾。

 それは柱の間を移動するアサシンの腕を貫いた。

 腕か……致命打を外すとは……。

 とぼんやり思う吹雪に対して、敵は柱の裏に隠れ、まさかの被弾に喘いだ。と同時に敵は魔術の行使を決断する、出し惜しみできるような相手ではないと判断したのだった。

 だから銃は苦手だ……。

 そう心の中で呟く吹雪の目の前。敵の隠れた柱の裏から突然光が溢れだした。

 色彩豊かな光が放射状に放たれ、寺院の壁を照らし、色のイルミネーションと同時に不思議な形の影を落とし、それが回転していく。まさに巨大な走馬燈のような光の奔流。

 幻術、幻視と……幻聴か。

 吹雪の耳に、経のような、もにゃもにゃした声が溢れる。仏教の御経ではない、聞いたこともない言語。何の教えなのかもわからないが、アサシンが使うイスラム教以前の土着信仰の呪祖の一つだということは、吹雪にはわからない。

 それが、明らかに洗脳の意思を持って吹雪の脳内に進入しようとしてくる、しかも強力な力だ。先ほどまで異国の、理解できない言語だった経は、やがて日本語のように吹雪にも理解できるものになり、頭に入ってくる。どうやら霊魂か何かを称える言葉のようだ、その祈りを要求し、お前も共に行こうと呼びかける。

 これは信者獲得には有効だろうと吹雪は思う。常人ならこの時点で洗脳され、アサシンの忠実な下僕になっていてもおかしくないだろう。だが、忍者となれば話は別である。

 吹雪の頭部、特に両耳に繋がれた魔術のパス、それにこちらの忍術のパスを無理やり繋げて敵の幻術を外に逃す。どの魔術大系にも存在する、「術外し」と言う、初歩的だが重要な技だった。

「ちっ……」

 しかし、吹雪の術は成功しない、術の成否にかかわるのは精神統一という集中力だ。意識を術に集中させなければならない。だが、敵の幻聴のせいでその集中力は著しく削がれていた。

 汝霊魂を信じ、霊体を信じ、霊気を信じ、神霊を崇め、よって体内の霊脈に……。

 意味不明なはずの言葉の羅列が、恐ろしいほど頭の中に入り込んでくる。相手の洗脳と、異能の行使の妨害の二段構え。良く考えられた幻術だった。異能使い同士の戦闘であれば、それなりに脅威となるだろう。もっと強力な術であったならやられていたかもしれない。

 だがしかし。

 吹雪はふっと立ちあがると、次の瞬間柱の間を電撃のように駆け、そして気がつくと離れた場所の柱の裏に隠れていたはずの、そのアサシンの背後に立っていた。

 吹雪は無表情で、柱にもたれて座り込んでいる敵を見下ろす。アサシンは女だった。茶色の肌、彫りの深い顔。かつての、ハイジャック事件の時のあの家族と重ね合わせようとするが。

 いや、ちがう。

 ハイジャック事件の時のアサシンの生き残り、あの少女と、目の前の女は全くの別人だった。

 女が驚愕に震えながら吹雪を見上げた。その腹からは滑らかな鉄の棒、刀が飛び出しており、その先、いや根元の柄を握る手、それは吹雪のものだった。

 アサシンの口から血飛沫が噴き出る。その顔は既にドラッグの副作用で筋肉はゆるみ、鼻水や涎や涙に汚れ、目は黒い隈に落ち窪んでいた。

 手を下さずとも近いうちに死んでいただろうが、慈悲は無いのか、それともこの介錯が慈悲なのか。

 吹雪の腰に差す二本の刀、その脇差し。無銘の忍者刀だったが、人肉を貫くには申し分ない。   

 若いくの一は刀を抜きつつ、その血糊をアサシンの服でぬぐった。

 敵の幻術は既に消え去りつつあり、室内を眩しく照らした走馬燈は蝋燭一本ほどのともしびにまたたく間に弱まっていき、そして儚く消えた。

 吹雪も、軽く息を吐く。

 無心。無我の境地とも言われる精神の究極の到達点。剣豪のような達人のみが獲得できるその神域に、吹雪はたどり着いていた。

 術による意識遮断ではなく、厳しい精神修養の末に会得するその心の世界は、どのような周囲の妨害にも邪魔されない完全な状態であり、それによりあらゆる幻術も跳ね飛ばすことが出来る。

 そして、ただ敵を斬る、という言霊のみで吹雪はアサシンに刀を突き立てたのだった。

 実のところ吹雪の忍術の力はそれほど強くない。単純に才能が無いというのが原因であり、どれだけ修練を重ねても中忍レベルの術しか使えなかった。

 だからこそ、彼女は他の分野で自身の力を磨いた。

 吹雪の本領は、身体能力、精神能力、そしてそれを元にした卓越した剣術である。

 だからこそ、吹雪に対して術妨害という幻術は、敵からすれば相性が悪かったと言わざるを得ない。ただ、そのような相性などは些細な物であるほど両者の力量の差は離れていたのではあるが。

 この女はアサシンの中でも屈指の幻術使いではあったが、忍者の中の一つの頂点を極めつつある少女に勝てるものではなかった。


「へっへ……やったなぁ吹雪」

「空厳……」

 その時、礼拝堂の壁に突然一人の男が現れた。いや、と言うよりはいつのまにかそこにいた。

「夕霧はいないぜぇ、人質もな、アンテオンにもいなかったらしい。なのにお前情報源を殺しちまってよぉ」

 クルムの現地人に見えるような服を着た男だった、顔は日に焼けて砂漠の砂に汚れているが、顔はどうみても日本人だった。三十代くらいの、ひょろりとして背の高い、ヤクザか警官か軍人といった感じの強面。

 吹雪達四人より一週間先に現地に到着しハダイ各地に潜入していたN機関の忍者。戸隠空厳だった。

 空厳はこの寺院周辺で待っているという話だったが、今現れたようだった。

「夕霧は見つからない?アンテオンにも?」

「ああ」

 にやにやした顔で頷く空厳。

「……しかし、こいつはどうせ自白しない、薬でもうすでに精神が逝ってた」

 先ほど、空厳に情報源であるアサシンを殺してしまったことを言われて吹雪は反論する。この女はドラッグのブーストのおかげで最後にあのような強力な幻術を使えたが、そのせいで記憶などは崩壊していたと思われた。

 アサシンに良くあることだ。彼らは最後に窮鼠猫を噛む的に全力を出すので、そのまま自爆するか脳が使い物にならないほど溶けきって廃人になるかのどちらかだった。そんな者達に拷問による自白は望めない。

「わーってるよ、冗談冗談……へへ、だから今そこでお仲間さんに聞いてたのさ」

 そう言う空厳の手にはナイフサイズの小さな刀、小柄が握られており、その先端は血に濡れている。どうやらさっきまで外で他のアサシンを拷問していたらしい。薬を飲む前であれば、アサシンだって自白する。

「……空厳、これはどういうこと」

「まあ、待てって、夕霧達は恐らくイシュケダルにいる。ここからさらに北の街、ハダイ第二の都市だ」

 吹雪はそのまま空厳を睨みつけた。最低限の情報は得ているようだったが、本来この寺院のアサシンの掃討は、吹雪と空厳の二人で同時にやる予定だったのだ。

 朱善寺兵吾の敗北、そして夕霧の失踪と、熟練の忍びが相次いでアサシンにしてやられたのである。だからこそN機関は今回の作戦に当たって常に二人一組での行動を求めた。潜入捜査はともかく、特に戦闘になる時は必ず二人で相手をしろという命令だったのだ。

 いくら忍者が強いとはいえ、異能戦は相性が大きく関係する、その時に備えて万が一の時に対処できるような配慮だった。

 だからこそ、悠馬と夜未はペアでアンテオンに行き、吹雪は空厳と合流するという手はずだったのだ。それが先に空厳がほとんどのアサシンを殺してしまっていたのである。

「それは真田隊長に報告して。私が聞きたいのはこの状況」

 吹雪の目は、その名の通り風雪のように冷たくなっていた。

「俺は指示通り寺院には侵入しなかった、ここに立ったのは今が初めてだ」

「……」

「ただ、あんまりこいつらが弱そうなんで、一人ずつ外におびき寄せてやっただけだ。後はあいつらここに引きこもりやがったから、窓から狙い撃ちしただけさ。慎重に確実に、一人で突っ込まないって指示は守ってる」

 吹雪が来るまで寺院への突入は避けろ、という指示なら、屁理屈は屁理屈だが確かに納得はできなくもない。

 確かに、いつでも倒せるような弱い敵を前に「待て」と言われても、吹雪だって我慢にそれなりの努力がいるかもしれない。

「……」

 だが、吹雪は依然睨みつけ、質問を続ける。

「一人だけ生かしておいたのは?」

「そいつが一番強そうだったからな、お前に一人くらい残しておかないと怒るだろ?」

「へぇ……」

 くの一の視線はどこまでも冷たい。

「あと、うまくいけばお前の秘剣が見れるかもしれないと思ってなぁ」

 空厳は正直にそんなことまで言う。その視線は吹雪の腰の刀。さきほどの忍者刀とは違う、もっと長い刀の鞘のほうにむけられていた。

「……」

「そんな怒ることはないだろぉ?臨戦態勢で下りてきて、敵が誰もいなかったらむしろ欲求不満じゃねえかよ。少なくとも俺はそうだぜ。それとも俺が忠犬みたいに大人しく待ってて、お前と一緒に仲良く戦った方が良かったか?」

 連携なんて俺達の間じゃむしろ邪魔しあうだけだろうよ、と空厳は正論を言う。忍者は基本的に個人プレイだ。連携技を特訓した相手とならともかく、何の打ち合わせもなく協力して戦闘など出来るものではない。

 それに、確かに初めての本格的な対外戦に臨んで降下したのだ。神経は尖り切っていた。なのに敵が全滅していたとなったら、恐らく今以上に不機嫌になっていただろう。

 それは吹雪にも納得できた。

 あと、吹雪はそれほど上の命令を遵守するような主義でもないし、臨機応変に対応した空厳をこれ以上追及するような趣味もない。

「……わかった」

「……だろ?」

 何が、だろ?なのか良く分からないが、とりあえず吹雪は警戒を解き、周りの惨状を見回す。

「ああ、でも……もし私の剣が見たいなら」

 ここにはもう用は無いといった感じで礼拝堂の入口へと歩いて行く。

「いつでもいい、あんたが受け切れればのはなしだけど」

 背中でそう言って、腰の刀に手を乗せるので、空厳はへへっと笑った。

「そいつは勘弁して欲しいなぁ」

 少女の後をついて、男も歩きだした。

 最後に建物の外に打ち捨てられている死体を寺院に投げ込み、火を付けて全焼させればそれで終わりだった。

 後は次の指示を待つだけ。おそらくイシュケダルという街に行くことになるのだろうが、それを決めるのは真田の仕事だ。

 吹雪はこの男と組むのは些か不本意だったがいたしかたない。仕事なのだから我慢するしかない。

「ちっ……」

 霊体は空を飛び、天の世界へと誘われる、汝も霊体を信じ、天の生を……。

 吹雪の耳の奥で、まだ先ほどの幻術が残っていた。鼻に残るほどの悪臭のように、それはしばらく残るだろうが、もはや影響力は少なく、やがて消えていくだろう。

 だが、まあ、それだけだ。

 忌々しく思いながらも、吹雪は炎を背にして階段を下りていく。


 とにかく、この日アサシンの一大拠点であったこの寺院は燃えて朽ち果てた。

 それをやってのけたのは二人の忍者であり、実質そのほとんどの成果を挙げたのは空厳一人。

 その彼が我慢できずに最初に攻撃を始めてから三十分も経っていなかった。





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