第6話 堕地獄
高度約一万メートル。
浮かぶ鋼鉄の塊。
その内部、肋骨の内側のような円筒形の空間。快適さとは程遠いその場所。気圧の変化から来る、飛行機特有の気持ちの悪い感覚。そして不安感。
それに包まれながら、悠馬は壁に備え付けられた硬いシートに座っていた。
C‐130輸送機、ハーキュリーズの貨物室に彼はいる。
全長30メートルの巨体、ぎゅうぎゅうに詰め込めば100名ほど入る貨物室に、今は二人しかいない。
そのたった二人を目的地である戦場、アンテオンに運ぶ為だけにこの戦術輸送機は飛んでいた。
眼下に展開する爆撃機との接触を避けるため、敵にも友軍にも視認されないために限界高度を越えて上昇していく。もはや古臭くなったプロペラ機としてはその持てる力をフルに使ったフライトである。
悠馬と夜未の乗機は、アンテオンの上空にたどり着いていた。
「ゆう君みてみて!」
夜未が嬉しそうに貨物室の小さな窓を指差す。悠馬は身を乗り出して覗き込んだが、そこから僅かに見えた世界は、百万ドルの夜景か、大文字焼きのような風情のある光景ではもちろんなかった。
夜間とはいえ快晴の為、眼下には、爆撃と砲撃に燃え、照らされるアンテオンの街並みが見える。その爆発光をたまに横切る蚊のような影は恐らく多国籍軍の爆撃機だろう。
街というものは、いつの時代も戦争の犠牲になり焼かれて灰になる。それは古代から変わらない風景だった。
「すご~い」
あの光の下で多くの人が焼け死んでいることを思うと、少なくとも女子高生くらいの娘がキャッキャしながら眺める景色ではない。
ハーキュリーズのコックピットには当然数名の操縦士が乗っている。彼らはN機関の構成員ではあり訓練は受けているが忍者ではない。航空自衛隊や他国の空軍パイロットなどからN機関がリクルートした人材である。
生まれた時から機関に所属している生粋の忍者と違い彼らは中途採用のスタッフだが、全員書類の上では死亡扱いになっており戸籍などはない、家族も彼らのことは死んだものとして信じている。
そんな世捨て人の集まりだった。
「つけられてるな……」
「大丈夫だ、そのまま飛ぶ、……予定より早いが、もう投下しないといけないだろうな、お客さんに伝えといて」
「はい、Y1、Y2へ、米軍戦闘機につけられている、予定より早いタイミングでの投下する」
『はいはい、Y1りょうか~~い』
コックピットに響く夜未の場違いな声色に、緊張した操縦士達の間の空気が否応なく僅かに柔らかくなる。
「しかしステルス機ってのは、全然レーダーに反応しないなぁ」
「まるでニンジャだな」
高高度降下、低高度開傘。所謂HALO降下というものを悠馬達は敢行しようとしていた。
友軍機の飛ぶ高度より上から侵入して降下開始。そのまま地表近くでパラシュートを開いて降り立つことで、ほとんど誰にも知られずに戦地に忍びこむことが出来る。
N機関の介入は常に、出来る限り誰にも知られないように。が前提条件なのでそうするしかなかった。だからこそこのC‐130は敵味方識別信号すら出していない。米軍の戦闘機がそんな所属不明機を不審がって追跡してくるのも無理は無いことだった。
パラシュートを背負い、ヘルメットを被り、貨物室の中でいつでも降下出来る態勢に入っている二人の忍者は、出撃前のコミュニケーションを図っていた。
「緊張してる?」
「まあ、してますよ……」
「やっぱりあたしとタンデムのほうが良かった?」
「……いえ」
HALO降下は、気圧の急激な変化、空気抵抗、降下する恐怖など様々な悪条件が重なるため、かなりの訓練を要する降下方法である。悠馬は一応訓練で降下しているがまだまだ熟練しているわけではなかった。
そういう不安な兵士の為に、二人一組で降下することも実戦ではあり得る話だった。夜未はそれをやればよかったんじゃないのと言う。
悠馬も降下演習の時に夕霧とタンデムダイビングはしたことがあった。が、相手が男ならともかく、女性、それも綺麗な女性だとさらに緊張するものだ。
そんなことを考える時点で悠馬がまだまだ子供だということだが。そういう自覚はある。
「あたしのかわいいお尻だけ見て、しっかりついてくるのよ。はぐれちゃったらマジヤバだし」
「……はい」
確かに、下はもう戦場となっている。そんな所で夜未とはぐれたら……。それでも生き残る訓練は受けていたが、考えたくない状況だった。
「……」
「……」
ヘルメットのバイザー越しに夜未がこちらを見つめている。急に黙ってそんなふうに見られると、どう反応すればいいのか分からなかった。
「大丈夫よ……」
その頬笑みは、なんとなく今までと違う、優しさのようなものを感じさせる言葉だった。
『ドアオープン!』
イヤホンから声が聞こえると同時に、貨物室後部のカーゴドアが上下にぱっくりと開く。と同時にその先に真っ黒の世界が垣間見え。さらにそこから空気の擦れる轟音が響いた。
あの、無限の闇のむこうに、戦場がある。
そう思った瞬間、開いたカーゴドアの、斜めに下がったハッチ。その向こう、闇夜の空間にのっぺりとした黒い影が入り込んできた。その背後からは逆光にジェットの薄い光が見える。
『あら、挨拶ねぇ』
夜未の声、C‐130の背後に浮かぶのは史上最強と謳われるアメリカのステルス戦闘機。F‐22ラプターだった。
「……!」
聞いてはいたが、実際に肉眼で見ると驚きがある。ラプターはゆったりとこちらの後ろにつけ、その20ミリM16バルカン機関砲、そして機体内部に格納された空対空ミサイルは、蚊を叩くより遥かに簡単に、いつでもこちらを撃墜出来る状態にあった。
ラプターパイロットの英語での警告が、ハーキュリーズのコックピットに響く。所属を明かせという趣旨の通信だった。
それを聞いて操縦士の、機長らしい男は通信士に告げる。
「所属だと……正直に答えてやれ、当機は航空自衛隊所属だと。まあ、中身は自衛隊員じゃあないが」
「了解、こちらは日本国、航空自衛隊所属機である。故障により識別信号は出ていないが戦闘への介入ではない、支援物資の投下が目的である」
変な通信だなぁ、と機長は思った。だが、こんな意味不明な機体が飛んでいても、すぐさま落とされないようにわざわざこのハーキュリーズを選んだのだ。アメリカをはじめ各国で使われているこの馴染みの機体なら、米軍機も友軍であることを疑って即座には撃たないだろうという計算の上だった。
『ジャパニーズエアフォース!?』
だが案の定、少し驚いたような英語の返答だった。
「上空の警戒ご苦労である。我はこれより物資を投下し帰投する、と言ってやれ」
「了解」
これが限界だろう。予定降下ポイントにはまだ少し足りなかったが、機長は機体を大きくUターンさせる。
ラプターに丸見えになっていた後部カーゴドアが機体の陰に隠れ、見えなくなった。
追跡者があわてて追従するようにターンし、再びC‐130の後ろにつけた時、カーゴドアは閉まり始めていた。貨物室の中にはもう誰もいない。飛び降りた忍者を闇夜で視認することはさすがにラプターのパイロットにも不可能だった。
ターンして、来た方向に引き返していくC‐130を追うかどうかラプターは迷っているようだったが、その時ようやくHQから通信が入り、その輸送機をそれ以上追うな。という指令を受けた。
米軍の上層部はN機関がそこにいることを知っていてそれ以上手を出すなと言っているのであるが、末端のパイロットには結局何が何なのか良くわからないだけだった。
「本物の忍者なんだから、しっかりやってくれよ」
ハーキュリーズの搭乗員達は最後に燃えるアンテオンの街並みを見ながら、今そこに降り立とうとする忍び二人のことを思った。
国籍も何もない彼らだったが、この作戦が多くの人質を助ける、意義のあるものだということは分かっていたし。だからこそ、今まだ空を高速で落ちていく彼らを誇りに思った。
だが、その救出劇が戦闘と敵の殺人を含むこと、そしてそれは現行の日本の法律では不可能なことを、彼らは重く受け止めていた。
だからこその、世界中の何物にも属さないN機関なのである。
二人の忍者は、闇の中を高速で自由落下し続けながら、隼のように降下していった。
赤く、灼熱地獄のように光渦巻く街へと。
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