第一日目

第5話 聖槍作戦

 






 夕霧が中東の戦地へと旅立ってのち、三十三の日が過ぎた。

 その国に消えた彼女を追うように、今は悠馬達忍びが向かおうとしている。

 それは運命か、もしくは……。



 




紫色の幻想的な夕日を背に、夜がやってくる。

 恐怖の時間の始まりを前に、沸き立つ血潮。

 今まさに戦争が始まらんとする、極度に張りつめた空気がこの地平一帯を支配しているかのようだった。


 地中海キプロス島。対岸にあるハダイの地に対して、まるで楔を打ち込むかのような形で存在するこの島は、いまや国連軍の不沈空母と化していた。

 キプロスとハダイ周辺の海域には、アメリカを中心に、日本の海上自衛隊も含めた多国籍軍の艦艇がひしめき。その中央に守られる空母、とりわけ原子力空母からは無数の艦載機が発艦し、ハダイの首都、アンテオンに向けて飛んでいった。

 さらにハダイに隣接するトルコや、ここキプロスの航空基地からも膨大な量の戦闘機、爆撃機が飛び立ちつつある。

 アンテオンの上空はあと一時間もしたら、淀んだ水たまりに群がる蚊のように、軍用機で大混雑状態になるだろう。

 そして地上からは、アメリカ主導のハイテク地上軍が野戦砲で包囲し、徹底的に軍事施設を叩きつぶした後アンテオンに向けて、進撃を始める。

 十字軍の再来としか思えない光景が、今からこの現代に再現されようとしていた。ただしそれはかつての剣と剣、肉体と血と憎悪がぶつかり合った戦争ではなく。ほとんどは一方的な殺戮で終わると思われる。

 国連軍のハダイ 攻勢はついに首都にまでおよび、今夜アンテオン攻略作戦、「ホーリーランス作戦」が実行されようとしていた。

 非常にかっこいいおしゃれな作戦名だが、アンテオンの聖なる槍伝説は、かつての第一次十字軍の時にまで遡る。

 アンテオン攻略後、逆にその勝ちとった街に閉じ込められ、包囲された十字軍が苦肉の策として捻りだした戦意高揚の与太話でしかない。

 包囲されたアンテオンの街で、窮地に陥った十字軍、そこに従軍していた修道士は、キリストを貫いたと言われる聖なる槍を発見したと突如言いふらした。そのような聖遺物が発見されたのだから、この戦いには勝てるといった、そういう方便である。

 状況的には全く逆の作戦名を、ブラックジョークとして使っているのか、本気で使っているのかは知らないが、趣味の良いネーミングセンスではない。


「いつまで待てばいいの~、ってか待たせる男とかオニサイテーなんですけど~」

 キプロス島、アフロデテ基地、地中海にありながらイギリスの軍事基地であるこの飛行場は、今国連軍機が多数待機し、発進していっていた。

 薄暗い滑走路に、タキシングする航空機のライトが煌めき、戦闘機のジェットの炎がそれを切り裂くように飛んでいく。

 雷のように空気を震わせるジェットの爆音がほとんど常に周りにこだましていた。

「なに、そのしゃべり方……」

 飛行場の一角、錆びた三角形の格納庫の横に停まる二機の航空機。C‐130、ハーキュリーズと呼ばれる輸送機だ。

 目立たないようにアメリカ空軍仕様のような灰色の塗装が施されているが、航空自衛隊の資産であり、今はN機関が使用するためにここにある。

 その機体の翼の下に、ひっそりと三人の兵士が座って、もう何度目かの装備チェックをしながら待機していた。

「レディーファーストって知らないわけ?まじだるいんですけど~」

「古臭い単語を混ぜるのね」

「吹雪っぴ、なんか文句あんの?緊張してる?」

 ギャルっぽい、不思議な言葉遣いをする少女。ウェーブのかかった髪をシニョンにしてまとめている。高校生くらいか、しかし、戦闘服を着てスタイリッシュで動きやすそうなボディアーマーを着用している。

 対する、吹雪と呼ばれた少女も高校生くらいの見た目、黒い髪をポニーテールに縛り、同様の戦闘服を着ていた。

 吹雪、彼女は四年前のハイジャック事件の直前、兵吾と共にターゲットを監視していたあの少女だった。

 四年の歳月は、吹雪をくの一としてさらに成長させていた。

 その変化は、あの頃の純真さに対して、どこか影を差したようなものでもあったが。

「文句?そのしゃべり方に違和感を覚えるだけだけど」

 二人の少女の隣に、同様の装備を着込んだ悠馬が座っていた。

 三人の高校生くらいの男女が特殊部隊のような軍装をしてこのような最前線の基地にいるというのは知らない者からすれば異様な光景だが、彼らは三人とも忍者であり、忍者は常識の範囲外にある存在であった。


「まあ、初めてだしそりゃあ緊張しちゃうか~、かわいい~」

「夜未さん……」

 ギャルっぽい言葉づかいの女。

 それに対して悠馬が、シリアスな時間なんだからそっとしておいてあげてくださいよ、とそこまでは口に出さずに呼び止める。

 が、聞き入れる相手ではなかった。

「初体験の時はね、最初は怖いかもしれないけど~、そのうち気持ちよくなるっていうか~、そんなにびくびくしなくて大丈夫だよ?どうせ相手は弱っちい男なんだから、むしろこっちがリードしてあげなきゃあ」

 もはや何の話をしているのかよく分からない夜未と呼ばれる少女の問題発言に、悠馬には不穏な空気を感じざるを得ない。

「あなた何の話をしているの?」

「あれ?吹雪ちゃんはこういうネタだめ?」

 夜未は微笑みながら、くるくると波打つ自分の髪の毛を指で弄ぶ。

「言葉に一貫性がないと返しようがないんだけど」

 吹雪は、夜未のほうは見ず、無表情のまま、パラシュートのバッグの紐を点検していた。

「戦場の話よ。初陣って懐かしいわぁ、今でも覚えてる」

「夜未さん……」

 恍惚とした顔で回想している夜未に再度悠馬がつっこむが、それは逆効果だった。

「ゆう君も緊張してるの~?だよね~初めてだもんね~、ちょーかわいい~、あたしが緊張ほぐしてあげよっか~」

 悠馬の方にすり寄り、腕を取り、体を近づけてくる夜未。先輩忍者とはいえ、同年代の身なりをした少女、女性のルックスとしてはそれなりに可愛い部類に入る彼女の接近に、悠馬は戸惑う。

 若い娘の体から発する、香水のような体臭は、少年には悪い。

「いや……ちょ……!夜未さん!」

 そんなことをしている間に、三人の元に、もう一人の忍者が歩み寄ってきた。

 陸上自衛隊の迷彩色の戦闘服を着ているが、悠馬たちのようにボディアーマーは付けていない。

 四十代後半くらいの男。すらっとして背が高く、姿勢も良い。髪の毛は短くまとめ、軍人という雰囲気を纏った男だった。

 口元にあるダンディな髭が特徴的だった。

「貴様ら何をやっとるか!」

 その喝は軍人のそれだった。だが、それでも彼はN機関の幹部だ。

「な~に?さなぴっぴ。部下のメンタルケアをしてるだけなんだけどぉ?」

 この夜未はともかく。悠馬と吹雪は姿勢と表情を正してその場に立ちあがる。

「なにがメンタルケアだ、隊内でのセクハラはやめておけ、始末書を書くのは私だからな……まあいい、ようやく発進許可が出た。乗りこめ」

 さなぴっぴ……普段は真田と呼ばれるこの男の言葉に、三人はついにこの時が来たかと気を引き締めた。

「どっかの誰かが戦争をおっぱじめてくれたおかげで遅れたが、私の考えた素晴らしい作戦に変更は無い。ヤク中のアサシン野郎共のケツにきついのをぶちかましてやれ」

 真田の短い上にセンスの無い訓示に、三人の若者は黙って敬礼を返すと動き出した。

 装備を手にした三人はそれぞれに乗機に向かう。悠馬と夜未は一緒だが、吹雪は別の目標に向かうため、もう一機の輸送機に乗ることになる。

「吹雪、向こうで空厳によろしく頼む」

 装備を担いだ吹雪に、真田が声をかけた。

「はい」

「戦場を経験すれば、お前は本物の戦士になれる。戦士になれば酒のうまさが分かる」

「は……」

「任務が終わったら、お前の親父と飲みに行こう、まあ、忍者は年齢制限なんか守らんでいい」

「……」

 言いたいことを言って真田はさっき来た道を戻っていった。彼は前線には出ない、幹部らしく基地で後方待機しつつ指揮を取る役目だった。

 それを見届けつつ、出撃前の最後のタイミングを使って吹雪が悠馬に言う。

「死ぬなよ、悠馬」

「……死なねえよ」

 それだけの、簡素なやり取り。

 ただ、かつて共に任務にあたり、それでいて兵吾を守れなかったことを吹雪が悔んでいること。そして、夕霧同様に、兵吾の忍法を受け継いだ悠馬のことをなんとも言えない複雑な思いで見ていることを、悠馬本人はあまり理解していない。

 だがしかし、吹雪のその思いは、決して恋愛感情ではない。少なくとも吹雪自身はそう思っていた。

 彼女の初恋は兵吾その人であり、彼の死後人を好きになったことは無い。


「ゆう君はあたしが守るの~、だから絶対安心大丈夫だし」

 吹雪の言葉に対して、夜未が不満そうなふりをする。

「そうね、あなたなら安心」

「えへへ~、そう思う?ってか実際そうでしょ~」

「夜未は大概のことで死にそうにない」

「……なにそれ、お化け?」

 この二人は仲が良いのか悪いのか分からない。このことも、悠馬にはおそらくこの先もわからないままなのだろう。

「吹雪、お前も死ぬなよ」

 悠馬は最後にそれだけ言いたかった。

「死ぬ?私が?……アサシンに負けるくらいなら確かに死んだ方が良いわね」

「やっば~、吹雪ちゃんちょーかっこいいんですけど~、ちょっとあなたどこのイケメン?って言うか~」

 普通のギャルはそんな言葉使いませんよと言いたくなる言葉で、その場は若干ゆるい空気になった。

「じゃあ」

 三人はそう言いあって、それぞれに機に乗りこんでいく。

 滑走路の先では、まだ戦闘機や爆撃機がジェットを吹いて、閃光と爆音を発しつつ飛び立っていっていた。

 二機のハーキュリーズはそれに続くように、ゆっくりと滑走路に向かう。

 それを眺めているのは真田だけだった。

 その男の憂慮を余所に、輸送機は加速をはじめ、飛び立つ。

 地獄の戦場が待つ、ハダイに向けて。

 夕日に染まる地平とは反対の、夜のやってくる方向。あの闇の先は、もはや何が起こっても仕方のない場所。法の適用外であり、テロリスト共が跳梁跋扈する魔の世界。

 悠馬と吹雪にとっては初めての戦場だった。


 一か月前、地上軍がハダイに進攻を始めたばかりの時期。日本の自衛隊もハダイの地に展開していた。

 戦闘には加わらず、後方支援が主な仕事だったが、危険な地域での活動であることは疑いようがなかった。

 そんな中で、ついに事件が起こる。

 夜間哨戒に出ていた自衛隊員の一隊が突然テロリストに襲われ銃撃戦になり、幸い死者は出なかったが三名の隊員が行方不明となったのだ。

 三日後、ジハード戦線が動画サイト、イーチューブ投稿した映像には、捕まえられた何人かの多国籍軍の兵士と共に自衛隊員の姿が映っていた。

 この兵士を返してほしければ地上部隊を撤退させろという、テロリストのナンセンスで理不尽な要求がなされたが。当然人質を取られた各国がその要求をのむわけにはいかない。

 とはいえ、その映像の衝撃はその兵士たちの母国のお茶の間を震撼させた。

 それ見たことかと反戦デモは激しくなり、それに参加しない者も、この状況にどうすればいいのか、国や軍の対応に心の中でケチを付けるか、ネットの世界に不満を書き込むか。あるいは、テロリストに捕まった以上彼らは死んだも同然で、もうどうしようもないことだと諦めるしか出来なかった。

 しかし、誰もが心の奥で望んでいた。

 誰かが彼ら捕虜を助けてくれるのではないかと。どこかの国の特殊部隊がデルタフォースかネイビーシールズか知らないがブラックホークに乗りこみ、アンテオンかどこかにあるテロリストのアジトに忍び込み、グレネードと自動小銃でテロリストを皆殺しにし、人質を解放してくれるのではないかと。そんな都合の良いヒーロー神話を望んだ。

 日本でも、それは同じだった。

 しかし、日本人は、自国の自衛隊にそれほどの力のある部隊があるとは思わなかった。あったとしても、法的に大丈夫なのかどうか、判断がつかなかった。

 そういった際どい仕事に最適の。N機関という組織が存在することを、日本人は知らない。


 だが、N機関はN機関でこの事態に混乱を生じさせていた。

 そのような事態になった時に、隊員を守るために同行していたのは夕霧だ。彼女がきっちりと働いていたら、少なくとも自衛隊員の拉致は無かったはずである。

 拉致を免れた隊員の証言によると、銃撃戦の時、夕霧らしき戦闘員が敵と戦っていたらしいということは分かっている。

 しかし夕霧はあろうことかその後音信不通となり、隊員と共に行方不明になっていた。

 敵がアサシンを使ってきているということは明白だった。しかし、アサシンごときに熟練のくの一である夕霧が負けるというのも疑問ではあった。

 とはいえ、ハイジャック事件の時、アサシンに対して確かに兵吾が敗北したというのも事実だったのだ。

 夕霧は、映像には映っていなかったが、アサシンに負けてどこかに拉致されているか殺されたか、あるいは何らかの理由で動けず潜伏しているのだとN機関は判断した。

 そして、五名の忍者を選抜し、ハダイに送り込み、自衛隊員をはじめとする多国籍軍の兵士を救い、さらに夕霧も救助することを決めた。

 隊長の真田信政をはじめ、今キプロスから飛び立っていった、天生院夜未、吹雪、高坂悠馬。そして四人より先に派遣され、既にハダイに潜入している戸隠空厳。

 ハダイという小国に対して五人もの忍者を送ることは異様な事態だったが、しかしここで忍者の面子を汚されたまま引き下がることは出来なかったのである。


 この日、キプロス島の基地についた真田隊はすぐさまハダイに飛び立とうとしたが、タイミング悪くホーリーランス作戦こと多国籍軍の大攻勢が始まろうとしていた。

 それ故に、この基地でしばらく出発を待たされたのである。

 そればかりか、夜未と悠馬がこれから降り立つポイントは、包囲されて今まさに銃弾飛び交う戦場になろうとしている首都アンテオンその場所であった。普通の軍隊なら、状況の変化故に作戦中止になってもいたしかたない状況である。しかし忍者にそのような常識は許されなかった。

 大規模な戦闘中に敵の本拠地に飛び込み、捕虜を救助する。これは大変な作戦だったが、忍者にはそれほどのものでもない。むしろ戦闘中の方が敵も混乱しており侵入しやすいというのが隊長である真田の判断だった。

 その真田に言わせると「ヤクでアヘってるアサシン共のハウスにサンタさんよろしくパラシュートで飛びこんで、子羊ちゃん(捕虜)達を解放、窓の外ではアメリカ人達がドンパチやってるが子供の遊びなので問題はない、シンプルな作戦だ」ということらしい。

 そのようなことで、約二時間遅れで悠馬たちを乗せた輸送機はアフロデテ基地を発ったのだった。

 真田信政と戸隠空厳はともかく、残りの三人はまだ若い少年少女に見える。

 特に悠馬は経験も浅く訓練も四年しか受けていない。忍法は会得しておりその使い道もあるにはあったが、主力というよりは極めて補助的な役目としか言いようがない。

 だが、吹雪と夜未。一見ただの女子高校生に見える二人は、N機関の戦闘員の中でもよりすぐりの精鋭だった。

 見た目の若さはともかく、N機関の本気を出した選出だったのである。



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