第4話 夢想幻術
パレードの行われる東京。
車列は中心地、銀座あたりから築地方面に向かい、橋を渡り埋立地に差し掛かっていた。そこに林立する様々な建築物。人の多い道沿いから離れた裏路地は、逆に人の姿が非常に少なくなっている。
そんなひっそりとした裏路地を早足で歩く人影。
どこにでもいそうな、リュックサックを背負いカジュアルな服装の男。しかしその顔は日本人には見えない。髪は茶色く肌は白い。ヨーロッパ風の、白人だった。
何かに焦り、突き動かされるかのように小走りになる男が、急にその場に前のめりに倒れる。建物の影になり、周りに人はおらずそれを見咎める人はいなかった。
いや、一人やってくる人物がいる。まだ十代ほどに若く見える少年。地味な服を着ており、これもどこにでもいそうな高校生か大学生といった身なりをしている。道に倒れた人に声をかけようとするのかと思うが、ゆっくりと警戒しつつ近寄る歩調は、そうではない様子だった。
「三番をやった、反応は無し、近づいて様子を確かめる」
『了解』
少年の耳にはイヤホン、そしてシャツの襟に隠された喉にはマイクがはめられている。彼はN機関の工作員だった。
マイクから聞こえる囁きも、女の声。
どう見ても一般人の素人にしか見えない忍びは、三番と呼称されるターゲットに近づく。そのポケットに特注の小型の麻酔銃が隠されており、その麻酔針が先ほどの白人の尻に刺さっているとは誰が見ても予想も出来ないだろう。
5メートルほどの距離に近づいた時。倒れた白人から異様な気配が沸き立つように感じられた。
「呪術反応……麻酔は効いているはずなのに」
『三番はすでにDを服用していた、つまり夢想型だろう、下手に手を出すな、さがれ悠馬』
「……ですが」
完全に道に倒れ、背中が上下するだけで筋肉が緩みきっているように見える男だったが、黒い霧のようなものがその体から立ち上り、蛇のように怪しく渦巻く。
その動きは明らかに自然のものではなかった。異能、それも魔術や呪術と呼ばれる類いのものだろう。その中でも術者がこん睡状態でも発動するもの、むしろ頭が寝ているからこそ強力になる術があると、この十代後半の少年忍者、高坂悠馬は聞いていた。
『さがれ、今いく』
闇を水蒸気として集めたような黒い霧は、蠢きながらやがて形をなし、腕のようなものを地面に伸ばす。
どす黒い肌に、薄く汚らしい剛毛が生え、その指は節くれ立ち、爪はギラギラと尖ってる。さらに腕だけでなく、胴、足、そして頭部が形作られていった。しかも、でかい。
悪魔、もしくは鬼としか形容しようのない、ゆうに全長三メートルはあると思われる異形の生物が、白人男の体の上に出現していた。
「うぁ……!?」
グチャグチャに潰れたような頭部には目玉のようなものが飛び出したり、内臓のような管が体まで垂れ下がっていたり、山羊の角のようなねじれ曲がったものがいくつも肉の間から飛び出していた。
この男の悪夢がそのまま具現化したのであろう、おぞましいその怪物は腕を振り上げると大きな動作で襲い掛かってくる。
『見えたぞ悠馬、さがれ、幻影とはいえ触れると正気を持っていかれる』
女の声を聞きながら、悠馬は一歩下がる。
それに追いすがるように、予想以上の速さで敵は腕を突き出し、こちらを掴もうとする。その攻撃を、彼は道路に転がりながら避けた。
怪物の発する風圧は、死臭のように耐えがたいほどの生臭い悪臭を放っていた。これが幻影なのか、と悠馬は戦慄する。
これが、異能者との戦闘……!
受け身を取りながら地面に転がり、その起きざまにポケットから取り出した小さなハンドガン型の麻酔銃を構えて頭を狙い撃った。
が、麻酔弾は怪物の頭部に突き刺さる気配もなく、そのまま通り抜けていく。
「……!」
さらに腕を振り回す怪物から、後ろに飛んで回避したが、心は絶望感に捕らわれていた。
その時、ヘリコプターのローター音の爆音と周囲の建物の間に見える空から黒い影、テレビ局のヘリコプターが横切ったかと思うと、そこからさらに小さな影が飛び出したのが見えた。
上空にはパレードを撮影するヘリがいくつも飛んでいるが、その一つはN機関が空から監視するために使う、カモフラージュされた資産であり、中には即応部隊として忍者が搭乗していた。
飛び降りた影はビルの谷間を自由落下するように見せて、その腰からはロープが伸びており、しかし特殊部隊のヘリボーンシーンによくあるようなラぺリングとは明らかに違う速度で降下し、それは地面スレスレで反重力でも発生したようにふわっと降り立った。と同時に建物上空のヘリは去っていく。
悠馬があっけにとられている間に、さっきまで眼前にいた異形の怪物は現れた時と同様に、まるで霧のようにふわっと消え去った。
「最後まで心配かけさせるな、悠馬」
「夕霧さん」
ヘリから降り立った忍者。彼女は自衛隊の迷彩柄の戦闘服を着用しており。きりっとした姿勢で立っている。その美しく力強い相貌とショートヘアが似合っていた。二十代後半くらいを思わせる女性だったが、纏っている雰囲気は見た目の年齢を大きく超えていた。
夕霧と呼ばれたその女忍者の手には、悠馬の持つものと同じ、特殊に開発された小型の麻酔銃が握られている。
彼女は降下中にそれを撃っており、その針は白人男の首筋に刺さっていた。
夕霧は証拠を残さないために、もはや怪物の気配も出さず、微動だにしないまま道に寝ころんでいる男に歩み寄ると、首筋の針と、悠馬が最初に撃ちこんだ尻に刺さった針を抜いた。
「三番はオールクリア……後は警察に任せる」
「オールクリア?」
N機関で言う所のオールクリアは、特にテロリストなどの敵に使う場合は完全無力化、つまり死亡を意味する。
「テロの首謀者は既に捕縛している。こいつは使い捨てだ、しかもあんなものを出されたまま生かして捉える意味は無い」
夕霧は無表情で淀みなくそう言う。つまり夕霧の撃った麻酔銃は、非致死性の麻酔針ではなく、即効致死性の毒の入った針だったということだ。
「……了解」
悠馬は、もう呼吸に背中を上下すらしない死体に、目を向ける。
ほとんど初めての実戦だった。
その相手が、最初から眠っていたので対面して戦ったという実感もないが、あっけなく死んだというのはそれなりにショッキングなことだった。
「あんなわかりやすい呪術をこんな群衆で使われたら堪ったものじゃない、まあ、幻術は映像としては捉えられないだろうが……」
そうぼやく、くノ一の元に、悠馬は駆け寄った。
「ありがとうございます、助かりました」
そんな感謝の言葉を聞いているのかいないのか、夕霧はなんとなく悠馬の顔を睨めつけつつ話を続ける。
「それにこいつは逮捕しても麻薬所持くらいだろ、せいぜい懲役数年だ。しかも夢想型はコントロールが難しい、誰が24時間監視すると思ってるんだ。普通の刑務官じゃ無理だろ。だから戦闘中にやむを得なくいってもらうのが一番なんだ」
「……」
「他国異能機関の正式なエージェントならよほど凶暴で危険なやつ以外は絶対に生かして確保だ。だがテロリストは変に確保すると後々面倒しかない、お前にはそこらへんの判断はまだ下せないだろうが、これは覚えておけよ」
その声はだんだんイライラとした色を帯びていっているのが分かった。この人の癖だ。
この人はこの白人男を殺してしまったことに嫌悪感を感じている。しかし、それを正当化し、自分で自分を納得させるためにわざと正論を重ねているだけだ。
「夕霧さん……」
悠馬は、ただ名前を呼ぶ。夕霧が彼女の本当の名前だ。N機関に所属する者には戸籍も何もない。代々忍者の家に生まれ忍者として育てられてきた、それだけだ。
その彼女、四年前に悠馬が極めて例外的に忍者の訓練を受けることになった時からの師匠は。今日、日本を発つ。
派遣される自衛隊の裏の支援役として、共にハダイへ行くのだ。
N機関の目指すところはこの国、国民全ての平和なのだから。戦地に極めて近い場所に派遣される自衛隊員を守ることもまた、機関の忍者の仕事だった。
「……このパレードを狙ってたやつら、目星をつけていたテロリストは全て排除した」
これほど人の集まる自衛隊のパレードを、テロリストが放っておくわけが無かった。先ほどの白人男だけでなく、他にも何人ものテロリストが他の場所で他の忍者や警察などに捕まっている。
とはいえ、特筆するほど派手な異能者はあの男だけだったようだが。
四年前のハイジャックテロ以来、世界各地ではアルアハド・ジハード戦線のテロが頻発していたが、日本では一切起こっていなかった。
テロリストがあれ以降日本に来なかったわけではない、その全てをN機関が、警察や政府の情報機関などとも協力して潰してきたからだ。
「はい」
N機関が介入しておきながら、あのハイジャック事件が起きてしまったことは、忍者の威信を傷つけられた大不祥事だった。だからこその、この四年間の厳戒態勢である。
「ちょうど埠頭近くに降りたわけだ、私はこのまま歩いて行くよ」
悠馬と夕霧の背後では、一般車のようなワンボックスカーが止まり、中から出てきた数人の処理班が無様に倒れている白人男を死体袋に入れ、そのまま車に乗せていった。
あの死体はこの後どうなるんだろうと思うが、深く考えるのはよした。
敵とはいえ、誰かの死に直面するのは苦手だった、気分が良くなかった。まだ実感は無いが、やがて頭が整理されたら、自分はあの男の夢を、悪夢を、あの怪物と共に見るのかもしれない。
「見送りますよ」
「……そうか。……しかし、まだまだ下忍とも言えないレベルだが、お前はこの四年間よくやったよ」
夕霧は悠馬の肩にをポンと叩き、そして人通りの方へと歩き出した。
「なんですか、遺言ですか」
「ふふ……そうかもしれないな、そうならないように気を付ける」
パレードはいつの間にか終わり、春海埠頭の広場に集まった車両や自衛隊員達は簡単な派遣式を行っていたようだったが、それも終わっていた。
埠頭に接岸する巨大な護衛艦。
ヘリコプター空母とも呼ばれる、飛行甲板を持ったその船「あかぎ」に次々と自衛隊は乗りこんでいく。
「ここまででいい、私服のお前がついてくるのはおかしいだろ」
「では」
「じゃあ、私がいなくても修練に励めよ」
そんな簡単な挨拶で、夕霧はその自衛隊員達の中に歩いて行ってしまった。
悠馬は夕霧の顔を見ようとしたが、目をそらされたように感じる。
別れの前の彼女の最後の顔は、結局のところ分からなかった。
その背中を悠馬は見つめるしか出来ない。
自衛隊の戦闘服を来ていた夕霧はそのまま隊員の中に溶け込み、護衛艦に向かう。
タラップを渡って「あかぎ」艦内へと乗り込んだ夕霧は、さっそく情報部に所属する陸佐の敬礼を受け、士官待遇として艦内奥に導かれていった。
鋼鉄の艦内を歩きながら、夕霧は過去の思いに浸っていた。
悪夢のハイジャック事件。
あの時夕霧は、同期といってもいい腐れ縁の朱善寺兵吾と、まだ少女だったくの一の吹雪と共に連携を取りながら監視に当たっていた。
夕霧は貨物検査を担当しており、ジャンボジェットを外から見つめていた。それがいきなり動きだしたのである。
その後のことは思い出したくもなかったが。走りだすジャンボジェットを追いかけるもむなしく。
飛び立った旅客機は、そのまま弾道軌道のように山なりに飛びあがったあと、墜落した。
それでも、兵吾は生きていると思った。忍者は、今いる建物内にミサイルが直撃しても生存出来るくらいの衝撃回避運動を身につける、耐衝撃訓練を受けている。そんな化け物みたいな存在なのだ。
だが、未だ火災の続く墜落現場にいち早く駆け付けた夕霧が見たのは。力尽き、倒れた兵吾の姿だった。
敵のアサシンがどれほどの幻術使いだったのかは分からないが、かなりのレベルだというのは分かった。しかし、それでも兵吾が負けるなど信じられなかった。
ただ、彼が死力を尽くして残したものに、さらに目を見張るだけだった。
兵吾が抱きしめるようにして守った少年。墜落の衝撃で傷や軽いやけどは負っていたが、彼は生きていた。この悪夢のような事件でたった一人の生き残りだった。
熱風の渦の中。周りにはジャンボジェットの残骸、むき出しの鉄と砕けた座席と、その間に飛び散る肉片、肉塊、ちぎれた手足、焼け焦げた死体、恐怖に歪む表情、目を向いた首だけの物。
人権などというものは無い、人としての尊厳を完全に奪われた彼らは、血と肉だけの無機質な存在となって打ち捨てられ地獄のような炎に焼かれていた。
その中でたった一人生き残った者。
それが当時十二歳の高坂悠馬だった。
そして、その悠馬の口から血が溢れていること、その血は彼の血液ではなく、隣に干からびている兵吾の血であることを悟った夕霧はさらに打ち震えた。
兵吾の忍法。朱膳寺家に代々伝わる、特異な技。N機関の中でも最重要とされるその技は、忍法「血脈伝法」。
兵吾の忍術は血液を操るものであり、様々な応用が利くのであるが、その最も高度な技が、ある忍者の血液を他人に流し込むことで、その忍法を受け継がせるというものである。
忍び機関の忍者の一部は、江戸時代からその朱膳寺家に代々伝わる「血脈伝法」を使い、代が変わるごとに親が子に忍法を継がせ、もしくは混ぜ、薄めたり、といった様々なことをしてきた。
サラブレットどころではない、クローン技術によってDNAをいじり、最強の遺伝子を作り上げるような禁忌の技である。
海外の異能使いは、その人物が死ねばそれで、鍛えた異能も全てが消え去ってしまう。子供に受け継がれることもない。だが、忍び機関は代々技を伝えどんどんと血を濃くし、強力な忍法を使えるようにしていくことが出来た。
それが忍びが海外の異能使いに対して優位に立てた大きな理由であり、軒並み数を減らした他の組織と違ってN機関が未だに勢力を保っている理由でもある。
だからこそ、その力の継承者である兵吾は、N機関の中でも最重要な構成員だったのだが。その彼が死ぬに当たって、そこにいた少年に自らの「血脈伝法」をまさに血脈伝法したのだと気付くのには、一瞬の思考だけで足りた。
兵吾は自らの命を投げ出してせめて一人の少年を救い、そして彼に自分の血を、力を残したのだった。
高坂悠馬はそのまま死亡した者として情報の上では処理された。だからあの事件に生存者はいない。
「血脈伝法」という最重要の忍法を受け継いだ少年を普通の世界にそのまま帰すわけにはいかなかった。
悠馬は死んだ者として戸籍を抹消された上でN機関に引き取られ、そして通常なら母親の胎内にいる時から始まる、過酷な忍びの訓練を受けることになった。
その開始時期としてはどう考えても遅すぎたが、彼は夕霧に預けられ、技をコントロールし、自らの身を守る最低限の技術を学ぶことになったのである。
そして、四年が経ったのだった。
夕霧は艦内に、狭いが貴重な個室を用意され、その部屋に入ると既に運ばれていた荷物を確認し、それから堅いベッドに腰掛けた。
あの日の復讐のことを思えば、テロリスト共にかける情けなど排除したはずだったが、まだ先ほどの殺人に心がささくれだっている。
そうだ、あの日のことを私は忘れない。
恋した人を殺されたあの日のことを、私は忘れない。
その為だけの四年間だった。
その中で、あの悠馬という兵吾の血を受け継いだ少年の面倒を見ることになった日々は何とも言えない、皮肉とも言えない微妙な感情を伴う時間だった。
その弟子としばらくの間と別れることになったのも、心が落ち着かない理由かもしれない。
あいつは……ちゃんとやってくれるだろうか。
そんな軟弱なことを考えながら、夕霧は薄らと笑っていた。
たまにはこんなふうに感傷に浸らないといけない、心のはけ口を作らないといけない。不純物は吐き出さなければいけない。
だって、私はもっと……これから……。
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