第3話 出陣
はい、すいません、また説明話です。
面倒であれば斜め読みしていただければと思います。
※現実にある名称、あるいは似たような名称が多数出てきますが、それらは全て架空の物です。
ハダイ共和国は中東地中海沿い、シリアとトルコに挟まれた小さな国家である。1938年、第二次世界大戦の予兆が漂う世相の中、この地域に石油の油田が発見され、金を得たこの地域はシリアから独立した。
その後第二次大戦とその後の混乱期を独立したまま切り抜け、そして独裁政権の元に石油の恩恵を得てそれなりの安定した国家であり続けた。
しかし、五十年以上の間石油を汲みつづけた結果それほどの規模ではなかった油田は2000年頃から枯れ始めたのである。
そして悲劇は幕を開けた。
2010年、完全に石油の枯渇したハダイ共和国は、これまであまりにも石油経済に依存しすぎたため、経済を維持する為の対抗策を見いだせず一気に財政難に陥り、それにより国民の生活は困窮し、各地で不満が高まった。
折しも中東には古い独裁体制から脱却して民主国家になろうとするアラブの春が起こっており、ハダイ共和国の首都や主要都市で民衆デモが起こり、その混乱はやがて大きくなり収集がつかなくなっていった。
治安維持軍が町中を走りまわりデモ隊と衝突し、ついに死者までもが発生した。
しかし、その悲劇を裏で煽り、助長したのは周辺国から流れ込んだ武装集団だった。周辺国の思惑や民族自決、イスラムの宗派を掲げてハダイに流れ込んだその武装集団は現地の反政府的な有力者とも交わりつつデモを扇動し、ハダイ政府の治安維持隊と銃撃戦まで始め出した。
戦闘は次第に激しくなり、政府軍と反政府軍という名の武装集団の戦争はまたたく間に全国的に広がり内戦の様相を呈していった。
さらにそこに拍車をかけたのはアメリカやイギリス、フランスといったお馴染みの大国である。彼らは独裁政権を倒し、民主化を応援するという名目で反政府軍に武器や資金の援助を開始し、火に油を注ぐ結果となった。
内戦は政府軍が化学兵器まで使用するという泥沼の状態に突入し、ついにアメリカを主導とした有志連合は政府軍の本拠地である首都アンテオンへの空爆を始め、そしてまもなく地上軍の投入が始まった。
イラク戦争以来の中東でのアメリカの戦争は各国のメディアを賑わし、連日ハダイ戦争のニュースが流され、砂漠での戦争、極めてハイテク化された米軍の様子と、一昔前の兵器を使うハダイ政府軍との様子が交互に放送された。
世界の多くの人々はその様子に心配し、ある者はもっとやれとネットに書き込み、ある者は反戦デモに参加し、そしてその他ほとんどの者は無表情に、少し眉をひそめてその映像を見つめながら「また中東か……」と心の中で呟くだけだった。
イラクほどもアフガニスタンほどもない小さな面積のハダイ共和国はあっという間にアメリカ有志連合と反政府軍によって制圧され、独裁者は捕えられ、政府の主要人物や軍関係者その他多数の人物が刑務所に入れられた。
そして国連の監視の元、国民投票が行われ、国会議員や大統領が選出され、新しい憲法が作られて新しい民主的なハダイ共和国が生まれた。
ここまでであれば、まさにハリウッド映画のような文句の無いハッピーエンドである。
しかし現実はそううまくはいかなかった。
民主化は西欧の資本をハダイに流入させた。独裁政権により今まで遮断されていた外国企業が大挙してハダイにやってきて、あらゆる金が動いた。しかし資本主義にモラルは無い、それで儲かるのは多くの貧しいハダイ国民ではなく、一部の有力者だけであった。
高価なものだけが溢れ、庶民はなけなしの金を搾りとられていき、結局内戦前よりさらに厳しい生活を強いられ、一向に良くならない生活、増え続ける経済格差に不満は再び高まった。
その中で民衆の支持を集め出したのはアルアハド党と呼ばれる、強いイスラム主義を唱える政党だった。彼らは元々ハダイにいた豪族のような地方有力者と、内戦時に流入してきたジハード戦線という、過激なイスラム武装組織が合流した勢力だった。過激派とはいえ、ハダイ国民にはそれなりの礼節を持って対応してきた彼らは、その掲げるイスラム宗派がハダイにおけるイスラム教徒の七割を占める最大宗派と言うこともあり、国民に期待され国民投票では三割程度の多くの票を得ていた。
アルアハド党は国民の不満を見てとり、すぐにこう打ち出した。「資本主義の名の元に我々を搾取する欧米企業を排除し、アラブ民族のためのイスラム国家の建設を約束しよう」と。
アルアハド党は民衆の支持を得て、他の政党を議会の上で攻撃していった。欧米の息のかかった軍閥の政党、そして旧政府の生き残りが集まった政党、その他小さな政党を民主的な言論戦で徹底的にこきおろしていった。その国会の様子をテレビで見た国民はまたしてもデモに走り、国は混乱した。
再びの内戦は堪らないと思った任期間もない大統領は国会を解散し、すぐさま総選挙が行われ、予想通りにアルアハド党が圧倒的な勝利を得たのである。
そしてアルアハド党は公約通りの西欧に依存しないイスラム国家建設を宣言したのである。
これに驚いたのは欧米の方であった。自分達の理想とする平和な民主主義の力が、逆に欧米を否定し、イスラム主義を掲げる前時代的な国家を作り出したのである。
だが、頭をかしげる欧米人は、かつて自分達が世界各地を帝国主義の名の元に支配し、蹂躙してきたことを半ば忘れていた。その恨みや不信感は、もちろん中東においても未だに根強く残っていることを彼らは知らなかった。
外国企業をデモ隊によって半ば暴力的に排除し、さらに国内ではイスラム宗派の統一をうたって他宗派や少数民族の弾圧が始まった。
だがしかし、過激派武装集団や地方の小役人上がりの集まりに国の運営など、ましてや石油に頼り切って碌な産業もない国を発展させていくことなど出来なかった。
アルアハド党の政策はすぐさま行き詰まり、国民は三度混乱に陥れられた。
その中でハダイが国策として麻薬や兵器にに手を出し、さらに国外のテロリストをハダイに呼び込みだしたことを察知したアメリカ等の国は、内戦終結後に進出した企業の多額の投資が無駄になった恨みも込めて、ついに本格的な経済制裁に乗り出していった。
再びハダイに地上軍を出すという選択肢は無かった。先のハダイ戦争が失敗に終わったことは明白であり、その責任を有志連合の各国は認めざるを得なくなり、アメリカなどの国の与党支持率は軒並み低下した。これ以上の軍事力での解決はあり得なかった。
しかし、経済制裁がこのハダイにどのような影響をもたらすのかは、誰もが深く考えようとはせず、もしくはある程度予想していてもあえて「いや、なんとかなる、きっと良い方向に行くさ」と思い込もうとした。
その中で2016年、世界各国で同時多発テロが起きた。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、カナダ、中国、そして日本で、ハイジャック事件や列車襲撃、繁華街の群衆への銃乱射といった自爆テロが起きたのだった。
中でも最も酷い犠牲者が出たのは日本のハイジャック事件であった。
ジャンボジェットの発進直前に機体をハイジャックしたテロリストは、ジャンボジェットを離陸させると同時に墜落させるという方法を使い、銃器や爆弾などを一斉使わずに乗客数百人を全て殺したのであった。
全世界を合わせれば千人以上の人が二日間ほどの間にテロリストに殺害されたのである。
あまりの悲惨な事件に世界中の人々は嘆き悲しみ絶望した。
そしてそのテロの後、アルアハド党の前身でもあり、ハダイ国が抱える武装組織ジハード戦線の元首であるサリーフ・アルディンは世界に対して犯行声明を出した。
「聖戦は始まった、我々はいつでも十字軍を皆殺しにする用意がある」と。
そのどす黒い思いは世界中を漂い、その後も世界各地で繰り返される様々な規模のテロにさらに憎悪は渦巻いていった。
世界中で、今再びのハダイへの鉄槌に反対する者が少数派になるのに、さほどの時間はかからなかった。
東京の中心地を物々しい装甲車や軍用車、輸送トラックやバイク等が列をなしてゆっくりと走っていた。
軍事パレードだ。戦後、東京の中心のこのような場所で自衛隊によるパレードが行われたことは無かった。国民のイメージとして、そのような軍国主義的な行事は不可能なことであった。
今でもかなりの日本国民はこのパレードを複雑な目で見ているだろう。戦争を賛美する者など、かつては大勢いたが、今はこの国にはほとんどいない。だが、やらなければいけないことはやらねばならない、という思いもあった。
2016年の世界同時多発テロ、ハイジャック事件を受けて日本の対テロに関する安全保障は国会で何度も議論され、4年が経った今でも続いている。その中で国連ではハダイ国に対する空爆及び地上軍の派遣を認め、アルアハド政権を終わらせる軍事行動の必要性が可決された。
2018年より始まった各国のハダイへの空爆は限界をきたし、2020年ついにアメリカを中心とする国連軍地上部隊が編成され。地中海やトルコに集結しつつあった。
日本も、現行の法律に定められた自衛隊派遣法を使い、その国連軍の後方支援として出動することになったのだ。大きな犠牲を強いられたということから、それに反対する世論はほとんどなく、むしろ後方支援だけでなく戦闘に参加しろという意見すら聞こえた。
今回の派遣はアメリカの戦争に付き合うという性質の、いわゆる集団的自衛権の行使ではなく、日本が実際にテロで攻撃を受けたのだから個別的自衛権として、現行の法律に適った形でハダイ国との戦闘が出来るというものである。
それは確かに一理も二理もある考えであったが、テロ攻撃を国家の攻撃と見ていいのかという事案が非常に難しい問題であり。また、世論的には戦闘への参加にはさすがに抵抗があるという結果が出ていた。
戦後、ほとんど一切の戦闘をしてこなかった日本が、ついに手を汚してしまうことに多くの国民は躊躇したのである。
その結果、とにかく緊急を要することでもあるしまずは後方支援として派遣しよう。ということに決まったのである。状況を見て自衛隊の戦闘介入が本当に必要なのか見極めるという意味合いもあった。憲法違反とならない為の法整備が混乱を極め、まったく間に合わないという問題もそれを後押しした。
そのような形で自衛隊の派遣は当然の如く決まり。その出発に際して、パレードをしようということに決まったのである。自衛隊の訓練所や基地内でのささやかなパレードを予想していた野党議員は、総理大臣が「東京での自衛隊パレードを行う」という発言に驚愕したのである。
皇居前、東京の中心道路を封鎖し、そこを集まった自衛隊の車両がゆっくりと進んでいく。徒歩で行進する隊員はいない、姿が見えるのはバイクに乗る者と、装甲車の窓から体を出す者だけだ。
スピーカーからは行進曲が流れ、それはたいしてエンターテインメント性のあるものでもなかったが、多くの人々が道路沿いにびっしりと集まり、押し合いへしあいしてそれを不思議な興奮を持った目で見つめていた。
ミリタリーオタクだけでこれほど集まるわけは無い。老若男女、右寄りから左寄りまで、東京都民だけでなく周辺の県はおろか、沖縄から北海道まで全ての地方から見物にありとあらゆる層の人々が来ていた。
その異様な雰囲気の中、自衛隊の車列は東京駅周辺から銀座を通り、勝鬨橋を越えて埋立地へ、そして最終的に春海埠頭へと向かいそこの広場で簡単な式典をした後、埠頭に接岸した護衛艦に乗りこみ、地中海へと向かう予定だった。
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