六月第三週 水曜日 決戦

 放課後、昨日藤井先輩に集められた教室に『エル』のメンバーは集まっていた。

 集めたのは藤井先輩で、福良先輩との決着を今日ここでつけるつもりのようだ。それは、俺も望むところだった。

 藤井先輩は昨日と同じく教壇上におり、その脇に北斗さんが控えている。昨日と違うのは、メンバーの割合だ。

 教室の前方には『藤井派』が、後方には福良先輩と小川先輩を先頭に『福良派』が集まって睨み合っている。

「夏輝。こっちだ」

「和っち!」

 遅れて教室に入ってきた夏輝を呼ぶ。俺は昨日と同じく教室の真ん中の机に座っており、夏輝も俺の隣に腰を下ろした。

 夏輝が到着した後、緑さんは本西さんに付き添われる形で教室に入ってくる。

 二人を福良先輩が睨み付けていた。視線で来世分の命まで刈り取られそうだ。

 二人は俺と夏輝を見つけると、こちらに移動してくる。

 移動する緑さんと本西さんを、教室中のメンバーの視線が追う。その視線は、彼女がいる男と浮気したということへの軽蔑。そして嫉妬と邪で卑猥な目線だ。

 嫉妬は藤井先輩に憧れを持つ女性メンバーのもので、藤井先輩と関係を持ったことへの羨望も混じっていた。

 卑猥な目線は男性メンバーのもので、浮気相手の緑さんを簡単な女だと思っているのだ。

 ……どいつもこいつも、下衆過ぎる!

 好奇の目にさらされ、真っ青な顔をしている緑さんに俺は思わず声をかけた。

「大丈夫? 緑さん」

「う、うん」

 俺の声に反応した緑さんの表情は、まるで表情の変え方がわからなくなってしまった人のように、ぎこちないものだった。大丈夫なわけ、ないだろうに!

「さて、役者がそろったようだな」

 壇上に立つ藤井先輩が両手を広げ、役者さながらの演説を始めた。

「まず、忙しい中皆集まってくれたことに感謝する。そして、こんな騒動を引き起こしてしまったことへの謝罪をさせてもらいたい。すまなかった」

 藤井先輩は、自分が浮気をしたことへの謝罪をした。俺は、必死で叫びそうになる自分を押さえ込む。

 ……あんたが浮気なんてしなければ、こんなことにはならなかったんだ! 緑さんがこんな顔をする必要もなかったのに!

 震える両こぶしを握り締め、決意を新たにする。こんな茶番は、バグは、すべて俺が潰してやる!

 昨日の時点で、できることはすべてやった。まだ危うい賭けではあるが、用意したカードを出す順番さえ見極められれば、勝機はある!

「さて、今回の騒動だが、今日で決着をつけてしまいたいと思っている。皆の時間を取らせるのも悪いし、何より『エル』のためにならない」

 この騒動の半分は自分が原因なのにもかかわらず、抜け抜けと藤井先輩はそうのたまった。教室の後方に控えている福良先輩の怒気が、俺にまで届く。

「だから俺は先に謝罪した。この騒動を早期収束させるために、誠意を見せたわけだ。だから――」

 藤井先輩は俺と福良先輩を壇上から見下ろして、こう言った。

「お前たちにも、早く罪を認めて謝罪してもらいたい」

 その自分を棚に上げた上から目線の物言いに、俺の堪忍袋がぶち切れそうになった。

 だが、俺はここでそんな無駄なエネルギーを使う必要はない。何故なら――

「自分のことを棚にあげて、よくそんなことが言えるわね! このヤリチン野郎!」

 福良先輩の怒髪が、天を衝いた。

 ……いいぞ、ヤリマンビッチ。もっと言ってやれ。お前も人のこと言えたもんじゃないけどなっ!

「その前に、アンタ『謝罪した』って言ったわね」

「言ったよ」

「ってことは、緑と浮気していたってことを認めたわけね!」

 確かに、藤井先輩は謝罪した。つまり、自分の罪を、浮気を認めたのだ。

 福良先輩からすれば、そこを攻めるのは当然だろう。

「いや、何度も言っているが俺は緑と浮気していない」

 それを、藤井先輩は余裕の表情でかわす。

「そもそも、証拠がないだろ」

「証拠ならTw○tterの写真があるじゃない!」

 福良先輩が俺の代わりに藤井先輩に怒ってくれるのはいい。

 だが、あまり長く責めすぎるのはまずい。周りから自分たちの浮気を責められないように、悪あがきをしていると思われるかもしれないからだ。

 迷いながらも、ここで俺はカードを切ることにした。

「……俺も、藤井先輩は緑さんと浮気していないと思いますよ」

 予想外の援軍に、藤井先輩は一瞬呆気にとられていたが、すぐに満足そうに微笑んだ。

 反対に、福良先輩は一気に沸点を突破する。

「アンタ、こんな時に何を言ってるの! 東はあの日ラブホに居たのは確かなのよ!」

「ええ。ですから俺は『緑さんとは』浮気してない、と言ったんです」

「じゃあ、一体東は誰と浮気していたっていうのよ!」

「和春、何勝手なこといってるんだ!」

「よせ北斗」

「でも、東さん!」

「どうせ、南との浮気を責められるのが怖いんだろう。悪あがきだ。ま、お手並み拝見といこうじゃないか」

 藤井先輩は、絶対の勝利を確信した表情でこちらを見下ろしている。また、今の発言で俺が悪あがきをしている、とメンバーに思わせた。

 俺の話が終わった後、昨日俺が予測したとおり数に物をいわせて、俺と福良先輩を責める気なのだろう。だが、藤井先輩の思い通りにはさせない!

「では、これを見てください」

 俺は、用意していたノートPCを広げる。

「プロジェクターを使った方が皆見えると思うので、ちょっと時間くださいね」

 プロジェクターは教壇の机に設置されており、そこまで俺は移動する。

 教室に備え付けのプロジェクターを起動させ、ノートPCの画面を表示させる。表示されたのは、藤井先輩のTw○tterのつぶやきだ。

「次に教室にいるメンバー全員の荷物を真ん中に集めてもらえますか? スマホやモバイルルータ、財布も含めて全部」

「……何をする気だ?」

「Tw○tterのつぶやきから、俺と福良先輩が浮気してるって言ったのは、藤井先輩ですよね?」

「同じことを俺にもしようっていうのか? いっておくが、何も出てこないぞ」

「だったら別に構いませんよね? こうやって話を引き伸ばしている間に、藤井先輩が自分に不利なつぶやきを消しているって言うのなら、話は別かもしれませんが」

 藤井先輩は舌打ちをして、自分のスマホをカバンの中にいれ、教室の真ん中の机の上に置きにくる。ここで変に抵抗すれば、浮気に関連したつぶやきを消していると勘ぐられ、今後の話し合いに響いてくる。藤井先輩は、素直に従うしかない。

 藤井先輩に続いて、北斗さんがカバンにスマホをしまい真ん中の机に置いていく。『福良派』の先頭に立っていた福良先輩と小川先輩も、同じ机にカバンを並べた。

 真ん中付近に陣取っていた俺、夏輝、緑さん、本西さんも藤井先輩がカバンを置いた机に荷物を置く。

 それにつられて、『藤井派』『福良派』のカバンも集まっていった。俺たちが荷物を置いた机を中心に、円状に荷物の山が出来上がる。

 荷物を置いた後、『藤井派』と『福良派』は一箇所に固まるのを嫌がってか、元の位置に戻っていった。もう『エル』が一つになることはないだろう。

 荷物を置き、壇上に戻った藤井先輩が俺に問いかける。

「で、これからどうするんだ」

「では、まず今回の状況の整理をしましょう。まず、問題となった藤井先輩のつぶやきです」

 俺は自分のノートPCを操作し、藤井先輩がラブホの位置情報をつぶやいたツイートをスクリーンに表示させた。

「バッチリラブホの位置情報が表示されていますね。では、次に『チーズケーキ』の写真になります」

 次にスクリーンに表示されたのは、藤井先輩と緑さんが一緒につぶやいた『同じチーズケーキ』の写真だ。

「ご覧の通り、緑さんも藤井先輩もまったく『同じ』写真をアップしています。ただ、緑さんのつぶやきには位置情報はつぶやかれていません」

「だからって、緑がラブホに居なかったって証明にはならないでしょう!」

 福良先輩が過剰に反応する。いちいち話の腰を折られるのは、勘弁してもらいたい。

 だが、今は話をうまく進めるためには、福良先輩に話しに食いついてもらう必要があった。うまくかかってくれるといいのだが。

「その通りです」

「だったら、やっぱり緑が浮気相手じゃない!」

「いえ、同じ写真を同じ時間にアップロードするのは、十分偶然として考えられますよ」

「そんな偶然、あるわけないじゃない!」

 ……よし、かかった!

「だったら、より確実に浮気相手を決定付けられる証拠があれば、緑さんは浮気相手じゃない、と認めてくれるんですね?」

「それは、そうだけど。そんな証拠あるわけ――」

「証拠なら、もっと決定的なものがあるじゃないですか」

「……決定的なもの?」

「福良先輩は、藤井先輩の何を見て浮気されたと判断されたんでしたっけ?」

「それは、Tw○tterの位置情報、……ってもしかして!」

「ええ。『位置情報』から、藤井先輩の浮気相手を特定します」

 そう。浮気相手が同じ時間に藤井先輩と同じラブホの位置情報をつぶやいていれば、それは決定的な証拠になる!

「……それで、見つかったのか?」

「……何がですか?」

「俺と同じ位置情報を、つぶやいていたやつだよ」

 藤井先輩が、いやらしい笑いを浮かべている。浮気相手には、既にそのツイートを削除させた後なのだろう。そんな証拠は出てこないと確信しているのだ。

 そして、それはその通りだった。

「いいえ、見つけることができませんでした」

 俺は首を振った。残念ながら、Tw○tterで藤井先輩の居たラブホテルの位置情報をつぶやいていたアカウントは存在しなかった。

 そんな俺を見て、藤井先輩はこらえきれず噴き出した。

「何だそりゃ。これだけひっぱいっておいて、結局見つけられませんでした、って報告かよ」

「そうよ! だったらやっぱり緑が浮気相手だってことに――」

「デフォゲ」

 緑さんを糾弾する福良先輩の叫びをさえぎり、俺はそう言った。

「……何?」

「デフォルトゲートウェイです。最近、Tw○tterでつぶやくと表示される数字があるでしょ?それの事です」

「それが一体どうしたって言うのよ?」

「デフォルトゲートウェイって言うのは、通信するときに、とりあえずこのIPの人と通信しておけばいい、というものです。スマホで通信する場合、普通デフォゲのIPは通信事業者のIPになっているんですが、」

「だから、それが一体なんだって言うのよ!」

 俺はノートPCを操作する。画面には数字の一覧が表示された。藤井先輩のつぶやきで使われたデフォゲの一覧だ。

 この集計収集ツールを、昨日渡部さんと徹夜で作っていたのだ。

「今表示しているのは、藤井先輩がラブホテルの位置情報をつぶやいてから、一時間前後に藤井先輩がつぶやいたデフォゲのIPの一覧になります。すべて同じIPですね」

 ノートPCを操作し、同じIPを省いていく。

 すると、スクリーンには、たった一つだけIPアドレスが残った。

「さて、さっき普通は通信事業者のIPになる、と言いましたが、普通は、ということは普通じゃないときがあるんですよ。例えば、モバイルルータを使ってスマホを使っているとき、とか」

 俺の一言で、藤井先輩の顔色が変わる。今頃気が付いても、もう遅い。

「ちなみに今表示している藤井先輩のデフォゲは通信事業者が使っているものではなくプライベートIPと呼ばれるもので、要するに普通に通信事業者の回線でスマホを使っていては使われないIPなんですよ。例えばそう、モバイルルータを使わないとスマホのデフォゲとして使用されないIPなんです」

「おい、やめろ!」

「藤井先輩、花見のときに話してましたよね。自分のモバイルルータがある、って。ラブホの位置情報をつぶやいた時のデフォゲを見ると、モバイルルータはラブホテルでも使ってたみたいですね。当然お優しい藤井先輩は、浮気相手にも貸してあげたんでしょ? モバイルルータ。同じものを使っているんですから、当然藤井先輩と浮気相手さんのデフォゲは、同じになっている」

「やめろと言っている!」

「さて、では藤井先輩がラブホに居た時間帯に藤井先輩と同じデフォゲを使っていた人は誰か? 調べた結果がこれになります」

 俺は藤井先輩に構わず、ノートPCの操作を続ける。

 表示されたのは、一つのTw○tterのアカウント。

 それは――

 

「小川先輩。あなたが藤井先輩の浮気相手です」

 

「ちょっと待ってよ、和っち!」

 真っ青になりながらも、小川先輩は抗議の声を上げた。

「こんなのでアタシが浮気相手だって言われちゃ、たまらないよ!」

「では、デフォゲが藤井先輩と同じである理由を説明してもらえますか?」

「デフォゲってあれだよね? アタシも詳しくはよく分からないんだけど、自分で設定することも出来るんでしょ? たまたまその時間帯にかぶっただけかもしれないじゃん! それにデフォゲがつぶやかれるのは、和っちの『Noisy myna』を使っているからで、東君の浮気相手が『Noisy myna』を使ってなかったら、そもそも表示されないじゃん!」

 一気にまくし立てた小川先輩の理論は、一理ある。というか、完璧だ。

 事前に調べていたのだろう。そうでなければ、アプリの機能拡張を『おっきくなった』と評した人が、ここまで詳しく説明できるわけがない。

 ……何が詳しくはよく分からない、だ。

「確かに、デフォゲが偶然一致する可能性もあります。例えば――」

「……ふざけないで! アンタさっきから何なの? 場を引っ掻き回すことしかできないのならすっこんでてっ!」

 なかなか藤井先輩の浮気相手を突き止めない俺に、福良先輩の我慢が限界を超えた。

 わざとじらすことでボロを出しやすいようにしているので、もう少しだけ我慢してもらいたい。

「誰も、デフォゲから浮気相手を特定するとはいってないじゃないですか」

「ハァ? アンタさっき思わせぶりにデフォゲって、」

「俺は最初から『位置情報』から藤井先輩の浮気相手を特定する、って言ってるじゃないですか」

「だから、そんな『位置情報』をつぶやいていた人はいなかったんでしょ?」

「ええ。そうです。『つぶやいていた』人は、いませんでした」

 疑問符を浮かべる福良先輩を放置して、俺はノートPCを操作しながら小川先輩に話しかける。

「では、小川先輩。小川先輩は『Noisy myna』のバグについてはご存じでしたか?」

「……バグ?」

「ええ。実は位置情報をつぶやく機能なんですが、お恥ずかしながらAndr○id版だけにバグがありましてね。他の機能と連動すると、こうしたことが起こるんですよ」

 そう。合宿から帰宅して、そのまま徹夜で作った位置情報表示機能。

 スマホの位置情報共有設定をしていた場合、本人の意思と関係なしに、すべてのツイートで位置情報が表示されてしまうバグ。あれは、今もなおっていない。

 そしてその後、『Noisy myna』にはある機能が追加された。

 その機能は他のSNSと連携してTw○tterでつぶやいた『まったく同じ内容』を別のSNSに投稿する機能だ。

 では、その二つがつぶやいたときにどちらか片方の機能しか使われないのか?

 答えは既に言っている。

 連動する、と。

「スマホに入っているSNSアプリで、Tw○tterでつぶやいた『まったく同じ内容』を、位置情報を投稿してしまうんです」

 俺はプロジェクターから、あるSNSのサイトを表示させた。

 表示されたのは、m○xiのあるユーザの投稿画面。それは小川先輩のアカウントで、投稿欄に、ある位置情報の投稿があった。

 

 それは紛れもなく、藤井先輩がつぶやいたラブホテルの位置情報だった。

 

 今にして思えば、俺はもっと早くにこの結論に達しているべきだった。

 気がつくチャンスがあったのは、部室で小川先輩と位置情報の話をしていた時。

 あの時、小川先輩が『Noisy myna』で位置情報をつぶやけるのを知ったは、偶然自分で知ったのでも、緑さん経由で藤井先輩から教えてもらったわけでもない。

 俺だ。俺が教えたのだ。

 先ほどまで俺がプロジェクターで表示させていたTw○tterのアカウントは、GreenB0622。

 俺が花見の日に、緑さんのアカウントだと思ってフォローしたアカウントだ。

 昨日俺が確認した緑さんのアカウントは、BlueDragon0407。

 合宿の時、緑さんの名前の由来が『青龍』からというのを聞いた瞬間に、この間違いに気が付いてなければいけなかった。

 だから俺は、今月が緑さんの誕生日が六月二二日だと思っていたのだ。昨日アカウントを勘違いしていたことが分かり、今まで抱えていた疑問も解決した。

 ……そもそも、気がつくチャンスは他にもあったんだ!

 授業登録で新入生なのにもかかわらず、緑さんが単位の取りやすい講義を知っていた理由は?

 答えは、新入生じゃなかったからだ。小川先輩にその情報を聞いたからではなく、小川先輩本人が俺に情報を教えてくれたのだ。

 Tw○tter経由で緑さんに『Noisy myna』の追加機能の要望を聞いたとき、協力要請を小川先輩にしていないのにすねたのは何故だ?

 答えは、俺が緑さんではなく、先に小川先輩に要望を聞いたからだ。すねたのは緑さんのほうだったのだ。

 そもそも、小川先輩は『Noisy myna』のことをアプリといってた。直接喋った時もTw○tterでつぶやかれた時も。でも、今まで緑さんは『Noisy myna』のことを、ちゃんとクライアントと呼んでくれていた。一度だってアプリと呼んだことはなかった! 花見の日、GreenB0622からリプライで『アプリ作れるなんてすごいね!』と言われていたのに、そこに気が付かなかったっ!

 つぶやきを眺めることに終始して、Tw○tterでのコミュニケーションをしてこなかったせいで、緑さんと小川先輩のアカウントを取り違えて認識していたのだ。

 俺の間抜けな勘違いで、俺は小川先輩が欲しがった位置情報をつぶやける機能を追加した。だから小川先輩は機能が追加されたことを知っている。

 だが、このバグのことは知らない。

 このバグを知っているのは、渡部さんと。

 俺が直接電話した緑さんだけだ。

 あの時、俺は小川先輩が望んだ機能を追加したとは思っていなかった。

 緑さんだ。

 俺は、緑さんが望んだ機能を追加したと思っていたんだ。だから、あの時だけは直接電話で話したんだ。

 アカウントの認識違いに気が付いた俺は、他のSNSをまわった。

 小川先輩のFaceb○○kでは位置情報の投稿は消されていたが、m○xiの方は残っていた。

 花見のときに初めて小川先輩からもらったTw○tterのリプライでも、アプリはスマホに入れているが、もうやっていないといっていた。

 使わなさ過ぎて、ログインせず、消し忘れたのだろう。

「……」

 小川先輩は、うつむいて何も言わない。それが、俺の推理の正当性を示してくれていた。

 今にして思えば、四月ごろから小川先輩は変だった。

 サークル説明会のとき、ショックを受けている緑さんをよそに、いちゃいちゃいしている藤井先輩と福良先輩を見る目が尋常じゃなかった。あの時既に、小川先輩は藤井先輩に横恋慕していたのだろう。あの辺りで浮気していたのだ。呼び方も、花見の時から東君に変わっていた。

 部室で修羅場ってた時に、スマホを持って棒立ちになっているのも変だった。いくら突然のこととはいえ、スマホを持って突っ立っている必要はない。あれはスマホを操作して、Tw○tterでつぶやかれた位置情報を消していたのだ。

「和春! ふざけるな!」

 俺に浮気相手を当てられ、藤井先輩が怒り狂う。

「いい気になってんじゃねぇぞテメェ! オイ! お前だって南と浮気してたじゃねぇか! 何ヒーロー気取ってるんだよ!」

 俺は福良先輩と浮気なんてしていないし、ましてやヒーローなんかじゃない。

「あの青色のコンドームは、お前のものなんだろうが!」

「……では、青色のコンドームが俺のものじゃないと証明できれば、俺以外の人が持っていれば、俺の疑いは晴れるんですね?」

「アァ? そんなもん、できるもんならやってみろやァ!」

 ……よし、言質を取った! これで難易度はかなり下がったっ!

 浮気相手を立証するのではなく、青色のコンドームを所持している相手を見つければ、この件はクリアできる。

「では、同じように、福良先輩のTw○tterのアカウントについても確認していきましょう」

 スクリーンに福良先輩のTw○tterのアカウントを表示させる。

「続いてデフォゲを見てみましょう」

 藤井先輩のときと同じ流れなので、今回はよりスムーズに話しを進行できる。誰も俺の話を邪魔しない。

 福良先輩のデフォゲの一覧表示が表示された。

 だが、先ほど藤井先輩のときに表示されているIPとは少し違いがある。

「あの数字、さっきと違うんじゃない?」

「そうなんです。実はこのデフォゲ、普通モバイルルータに使われるものではないんです。普通じゃない、変なデフォゲになっています」

 教室から聞こえた声に同調し、俺は説明を続けていく。

「先ほどモバイルルータをデフォゲにした場合、IPはプライベートIPになると説明しました。ですが、福良先輩のデフォゲは、ほとんどそのプライベートIPではありません。かといって、通信事業者が使用しているIPでもありませんでした。IPはどの事業者に割り当てられているのかを調べれるので、嘘だと思う方は後で調べてみてください。そして、デフォゲが福良先輩と同じように、変なデフォゲになっている頻度が高い人が、福良先輩以外にもいます」

 俺が次に表示させたのは、二人のTw○tterアカウント。

 

「ちょ、ちょっと待って欲しいッス!」

「そうだよ! 何かの間違いなんじゃないかな?」

 

 それに反応したのは、夏輝と北斗さん。

 この二人のうちどちらかが、福良先輩の浮気相手だ。

「そもそもデフォゲは自分で設定できるんだろ? だったら偶然同じデフォゲになることだってあるんじゃないかな?」

「そうッスよ和っち! ひどいッス!」

「では、二人は自分でこのIPを自分で設定したっていうんですか? スマホでわざわざ? 何のために? ちなみにさっきも言いましたけど、これは通信事業者で使ってるIPでもないので、モバイルルータ経由でつぶやかれたものになりますが、こんなデフォゲをわざわざ設定した記憶は、二人にはありますか?」

「それは……」

「……」

「ちなみに、二人のデフォゲがこのIPになっている理由は分かっています」

 黙り込む二人を横目で見つつ、俺は教室の真ん中にゆっくり移動する。

「二人は同じモバイルルータを使っていますよね? そのルータ、実は不具合でデフォゲが変なIPになってしまうんですよ」

 Tw○tterのニュースアカウントがそのツイートをしていたのを俺は昨晩思い出し、ログをあさっていたのだ。

「それで、どっちが南の浮気相手なんだ?」

「実は、分からないんです」

 ……正確には、ほぼ絞り込めている。だが、決定打が足りないのだ。

 藤井先輩の件はラブホテルの滞在時間が藤井先輩のつぶやきで絞り込めたため、洗い直すつぶやきの量もそこまで多くならなかった。

 だが、福良先輩の件は先輩がいつ浮気をしていたのか正確な時間がわからない。そのため『Noisy myna』にデフォゲ表示機能を追加した日から福良先輩のTw○tterのつぶやき全てを見直さなければならず、俺は福良先輩の浮気相手を絞り込めずにいた。

 だから、『例のもの』をこの場で抑える必要があるのだ。

「ハァ! わからねぇだと!」

 俺の台詞に、藤井先輩が盛大に食いつく。いいぞ。

 ノートPCをプロジェクターにセットするために、俺は教壇の近くまで移動していた。

 先ほどから移動しているが、『例のもの』に手が届くまで、もう少し時間がかかる。

「それじゃあ、もう残りは二人に無理やり聞くしかねぇみてぇだなァ! オイ!」

「その必要はありませんよ。藤井先輩」

 藤井先輩に恫喝され、夏輝だけじゃなく北斗さんも怯んでいた。

「夏輝と北斗さんのモバイルルータを貸してもらえませんか? 二人の今ルータに設定されている今のデフォゲを調べたいんです」

「いいッスけど……」

「でも、何でそんなことを?」

 よし、二人のカバンがある机まであと少しだ!

 俺は北斗さんに視線を送る。北斗さんはまだ壇上だ。この距離ならどう頑張っても俺に追いつくことは出来ない。北斗さんが『例のもの』を持っていた場合、これで確保できる。

「北斗さんは、モバイルルータの電源つけっぱなしにするタイプですか?」

「いや、使わないときは電源を切るけど。それがどうかしたのかな?」

「いえ。実はこのモバイルルータ、もう一つ不具合がありまして。再起動するとデフォゲのIPが変わってしまうんですよ。逆に電源を入れっぱなしにすれば、デフォゲの値は変わりません。そういえば、福良先輩のデフォゲは、ほぼ同じIPでした。つまり、福良先輩の浮気相手はモバイルルータの電源をほとんど切らない人、ということになります」

 そこまで話して、俺は夏輝に視線を送る。

 

「夏輝。お前花見の時、モバイルルータ切ったことないって言ってたよな? 今も、そうなのか?」

 

「ぅ……ぁ……」

 自分のモバイルルータの使用方法のことで、頭が真っ白になっているのだろう。顔面蒼白となった夏輝は、うまくしゃべることができないでいた。

 それは自分の罪を認めているからか、それとも身の潔白を証明するための反論を自分の中で思いつけないことへの焦りなのか。

「ともかく、二人のデフォゲを調べましょう。直近の福良先輩のつぶやきのデフォゲと、モバイルルータに設定されているデフォゲが一致していた方が――」

 夏輝との距離を確認し、自分の勝利を確信していた俺の脇を、ある人物が通り抜ける。

 ……福良先輩だ。しまった!

 俺も急いで福良先輩の後を追うが、先輩の方が先に北斗さんと夏輝のカバンが置いてある机にたどり着く。福良先輩は集められたカバンの中から、あるカバンに飛びついた。

 その拍子にカバンから財布やスマホが零れ落ちる。が、先輩は気にした様子はない。お目当てのものは、既に福良先輩がカバンから取り出している。

 先輩が取り出したのは、モバイルルータだ!

 福良先輩は狂喜の笑みを浮かべ、モバイルルータの電源を、落とした。

「フ、フハハッ、アハハハハハァ! これでデフォゲは変わったわ! 変わったのよ!」

 絶対的な勝利をつかんだ福良先輩は、モバイルルータを右手に抱え、勝利の咆哮をあげる。

 福良先輩がつかんでいたのは、夏輝のものだった。やっぱり、お前だったのか……。

「みぃぃなぁぁみぃぃぃぃいいいい!」

 藤井先輩がさらに壊れ、絶叫する。

 その様子を見ながら、俺は夏輝のカバンから零れ落ちたものを拾いに行く。

「何よ東! 何を言っても、もう無駄よ! 私は夏輝と浮気していないわ! だって証拠がないものぉお!」

 この状況では、もう福良先輩と夏輝が浮気をしていたのは明白だ。が、確かに証拠がない。

 夏輝のモバイルルータの電源が落ちる前のデフォゲがわからなければ、福良先輩と夏輝が浮気していたという証拠にならない。

 

「ちょっと、いいですか? 藤井先輩」

 

 と、この教室に居る誰もが思っているだろう。

「なァんだ和春! 今俺がしゃべってんでしょぅがァ! すっこんでろ!」

 俺はしゃがんで、『例のもの』を拾い上げた。

「『福良先輩の持っていた青色のコンドームが誰のものかを当てれば、俺の潔白は証明される』。そういう話でしたよね?」

 俺がこれから何をするのか理解したのは、当事者である夏輝と福良先輩。夏輝の顔は絶望にとらわれ土色に、福良先輩は自分の失策に気が付いた策士の表情。

 俺は夏輝の『財布』を拾い上げ、中身を確認する。あった! これで、俺の勝ちだ!

 

 俺は夏輝の財布の中から、カードとカードの間に挟まれた『青色のコンドーム』を抜き出た。

 

 昨日の帰り道、夏輝は合宿で行きの車の中話していたことは全て覚えていると言っていた。

 だから、あの車の中で話した北斗さんのくだらないコンドーム談義も覚えていたのだろう。

 財布の中にあったコンドームは、カードとカードの間に挟まれていた。

 以前俺が学食で見た夏輝の財布。その中に一枚だけ入っていた青いカードは、カードではなくコンドームだったのだ!

 小川先輩がしたように知らぬ存ぜぬを押し通されたら、俺はここまで福良先輩を追い詰めれなかっただろう。そうならなかったのは、藤井先輩と小川先輩の浮気を暴いた時の、カードを切る順番だ。

 小川先輩が藤井先輩の浮気相手だということは、昨日の時点で既に分かっていた。それでも位置情報ではなく先にデフォゲの話をしたのは、デフォゲから小川先輩が藤井先輩の浮気相手を調査したと錯覚させるため、じらしてボロを出しやすくさせるためだ。

 俺がじらしていたのは、藤井先輩と小川先輩ではなく、福良先輩の方だ。

 夏輝が浮気相手だというのなら、福良先輩との浮気がスタートしたのは合宿の初日の夜からだろう。

 あの日、夏輝は俺の帰りを待って鍵を閉めなかったと言っていたがが、嘘だ。

 自分が福良先輩と逢引をするために部屋を出る必要があり、自分が戻るときのために鍵をかけなかったのだ。風呂上りだったのもそのためだ。俺がゲロを吐いている間によろしくやっていたのだ。

 そう考えると、福良先輩の行動も読めてくる。俺をはめてアリバイ工作をしようとした人が、昨日藤井先輩を責めれば自分に有利にことを進めれるのがわからないはずない。

 それをしなかったのは、福良先輩の浮気相手が、夏輝が同じコンドームを持っているからだ。あの場で全員持ち物検査をされていたら、一発で夏輝が浮気相手であることがばれていただろう。さらに自分に疑いの目を向けさせることで、俺が浮気相手であるという状況を維持した。

 当初の予定とは違うが、福良先輩は俺を利用することにしたのだ。

 藤井先輩と福良先輩が口論しているのが聞こえる。それにつられ、その取り巻きも騒ぎ始めた。その喧騒は、次第に俺へと向き先を変えはじめた。

「和春がアプリに変な機能をつけたから!」

「サークルなくなったらどうするんだよっ!」

「就活で困るじゃない!」

「どうしてくれんだ!」

「責任とってよっ!」

 口火を切ったのは一体誰だったのか。もうそれは俺にはわからないし、分かりたくなかった。

 エゴの固まりだ。ここに、かつて俺が見出したつながりなんて存在しない。もう嫌だ。こんな気持ち悪いやつらと一秒たりとも同じ空間にいたくないっ!

 だから俺は屑どもを無視してノートPCを片付けて教室を――

「お前が遊びでこんなクソアプリを作らなければ、お前が自己満足でこんなもん作んなきゃ、こんなことにはならなかったんだっ!」

 出ることができなかった。俺にその言葉をぶつけたのは、よりにもよって藤井先輩だった。

 昨日部室でも同じようなことを言われた。あの時は気が動転していて何も言い返せなかったが、今は違う。

 ……俺の、俺と渡部さんの『Noisy myna』をけなされて、黙っていられるか!

「お前、緑に惚れてたんだろ?」

 怒鳴り返そうとした。だが、先に放たれた藤井先輩の言葉に、俺は凍りつく。自分が愛した人が、他人に取られたときの嫉妬と憎悪が、俺を襲った。

 それがわかったのだろう。藤井先輩は他人の、俺の欲しかったものを手に入れた、簒奪者の優越感に酔っていた。そうしないと浮気をばらされたことと、自分の彼女を後輩に、夏輝に寝取られていたことによるショックから、自分のプライドを保てないのだ。

「図星かッ! 昨日部室から無様に逃げ出したときにもしやとは思ったが。いやァ緑は高校から可愛くてなァ。あ、知ってる? あいつ俺に惚れてたんだよォ。高校のときから丸分かり!まぁそこもまた可愛かったんだけどさァ」

 藤井先輩の言葉(ナイフ)が、俺の心に突き刺さる。

「大学まで追いかけてきてくれてさぁ。いや、うれしかったなぁ。さらに可愛くなってたし!」

 突き刺さるが、俺の視界に入った緑さんの表情の方が、深く、そしてゆっくりと、俺の心に大きな傷を作った。

「それで和春くん。緑にほの字だったかァずはるくゥん! どんな気持ちだったのかなァ? 緑が俺に惚れてるって知って、どう思ったよ! フラれた女のために体張って、ヒーロー気取って、クソアプリのバグを嬉々として話した、今の気分はどんな気分だよォ!」

 ……コイツは、知らないのだ。俺にとってプログラミングがどんなものなのかを。

 俺がプログラムをするようになったのは、二次元に行けないと分かったからだ。

 二次元に行けないと分かったときから、二次元から美少女を連れてくることが出来ないと諦めたその日から、その事実を受け入れることが出来ず、俺はプログラミングに逃避した。逃げ込んだ!

 三次元の恋愛が出来ないから二次元という希望にすがりついて、それが叶わないという現実を突きつけられて、本気で絶望した。

 本気で絶望したから、何かをやらないと、逃げないと生きていけなかった。

 それが一時しのぎだとわかっていたにもかかわらず、そこに逃げ込まないと今度は二次元ですら『告白』を連想するものを見たときに吐いてしまうんじゃないかと、大好きだったものを、嫌いになってしまうと脅えた。

 例え二次元が俺の心因性嘔吐症を完全に治してくれなかったとしても、今こうして俺が大学に通えているのは二次元があったからだ。

 どんなに誰かから気持ち悪いといわれたって、俺は二次元を嫌いになりたくなかった!

 俺がこの先一生誰かに好きになってもらえなかったとしても、自分が自分の好きなものを嫌いになってしまうことの方が怖かったっ!

 自分の想いは決して外に出せないけれども、だからこそ胸の内に宿った感情は大切にしたかったんだ!

 だからこそそうならないためにも、二次元を、好きなものを嫌いにならないためにも、全力で逃げ込んだんだっ!

 全力で、全力でプログラミング取り組んだんだ! そして出会ったんだっ!

『Hello World』

 俺が勝手に思っている『Hello World』の二つの意味。

 一つ目は、新たに物を、プログラムを世界に生み出せたと実感できる、『創造』だ。

 そして二つ目は、『許し』だ。

 プログラミングに逃げ込んだ俺が、俺はここにいるのだと、俺の気持ちはこうなんだと、こんな俺ですら世界に向けて挨拶できるんだと。

『こんにちは世界』と!

『Hello World』と言っていいんだと!

 俺の内側を世界にぶつけられる、自分の想いをぶちまけれると、俺は誰かに想いを伝えていいと、俺はこの言葉に出会ったときに、誰かとつながってもいいと、『許された』と思ったんだ!

 たった一言。好きだと。

 それを伝えれないことに、俺がどれだけ苦しんだか。俺がどれだけ劣等感を持っていたか。

 だから『Noisy myna』でバグに気が付いたとき、俺は真っ先に緑さんに電話した。

 バグが発生してしまったから。緑さんの想いに、応えられなかったと思ったから。

 結局それは小川先輩の望んだものだったけど、まだバグは残っているけれども、ちゃんと最後には直すからって。

 最後はあなたの想いに応えて見せるからって、プログラミングするからって、伝えたかった。

 それが、俺にとってのプログラムだ! アプリ開発だっ!

『告白』できない俺の『告白』の代償行為。

 俺の『告白』なんだよ、プログラミングはっ!

 ……それを今、俺は何て言われた? 遊びで作った? こんなもん? クソアプリ?

 何なんだよ、お前は。

 本当に何なんだ! 何様だっ! イケメン様か?

 なら仕方がねぇ。お前は俺みたいな屑が、どんな惨めな思いをしながらプログラミングをしてたなんて知らねぇだろう。そりゃそうだ! 言ってねーもんなぁっ!

 だから分かってくれなんて言わねぇよ。こんな虫けらみたいな屑の気持ちなんて、理解する必要はない。

 お前には、お前にだけは、理解してもらいたくない。

 俺の想いに、共感してもらいたくない。

 だから、これは逆キレだ。持ってるお前に対する、持ってない屑の僻みだよ。

 いやぁホント、情けないねぇ俺。屑だなぁ俺。

 でもお前に、緑さんを傷つけて、俺と渡部さんの『Noisy myna』をけなしたお前なんかにこの想いを踏みにじられるのだけは。

 絶対に、絶対に許せねぇんだよ!

「……おいヤリチン。少し黙れ」

 つぶやいた声は、俺が今までの人生で口にした言葉の中で、一番底冷えしたものだった。

 その冷たさ当てられたのか、教室の騒音も、凍る。

「俺がアプリを作らなければこんなことにはならなかった? いやいや、浮気したのはアンタだろ。アンタたちだろ! それに自己満足? 上等じゃねぇか自己満足。自分の想いを貫けない、自分を満足させれるものを作れないプログラマーが、それを使ってくれる人を満足させられれるとでも思ってんのかっ! それから、フラれた女のために体張ってどんな気持ちだったかって?」

 俺が突撃兵を選ぶのは、自分の中身をぶちまけながら進むのは、こういう時だ。

「最高ですよ。最高に決まってるだろ!」

 そう。最高に決まっているんだ。自己満足。自分が満足するために行動すること。

 俺は今、自分が満足するために行動している。俺がしたいことをしている。

 好きだった人の、緑さんのために行動している。

 これが最高じゃないなら、一体なんと呼べばいい?

 でもこの最高の行為は、あくまで俺自身のためのもので、相手の、好きな人を想っての行為じゃない。

 相手が俺をどう想っているなんて、考えていない。

「アンタの言う通りです。ええ、好きでしたよ、緑さんに惚れてましたよ」

 だからあの時、惚れた相手に好きな人がいるなんて、考えなかった。

 そんなこと微塵も考えずに、恋して、しまった。

「そして、失恋しました」

 だから恋した瞬間に、恋愛した瞬間に、失恋した。

「だからこそ」

 恋愛して、失恋した。

 でも。

「俺が恋した人がお前みたいな蛆虫に躓いて、愛した女がお前ごときに傷つけられて、前に進めなくなっちまうのが許せないんだ!」

 でも恋は失っても、愛は失っていないから。

「俺の惚れた女は、こんなところで、こんな下らない騒動に巻き込まれて立ち止まってちゃいけねぇんだよっ!」

 だから俺は、愛をぶちまける。

 これが、俺の自己満足。

 こんな方法でしか、自分の意思を示せない。

 これしか、方法がわからないから。

 だから俺は、これでいい。

 もう俺の恋は失ってしまったから。

 フラれてしまったから。

 終わってしまった想いだから。

 だから俺は、愛をぶちまけるのだ。

 例え愛した相手の迷惑になろうとも、それがその人のためになると信じて、全力でその人のためになると思ったことをするんだ。

 これは、終えなければならない想いだから。だから俺の中に残ってしまった愛を、こびりついた想いを最後の一欠けらまで、ぶちまける。

 これが俺の『恋愛』だ。これが俺の愛し方だ。

 こんな自慰行為、世界は『恋愛』と、恋とは呼ばないだろう。

 だから俺は、『世界』に向かってこう言おう。

 Hello World。

 それでも俺は、恋をした。

「……俺は帰るんで、後は好き勝手やってください。あ、そうそう。俺は今日限りで『エル』を抜けさせてもらいます。部費、払ってれば抜けるのは自由なんでしたよね?」

 俺の剣幕に押され、俺以外誰も口を開くことが出来ないでいた。

 俺はプロジェクターにつないだノートPCを回収。自分の荷物をまとめ――

「あと、この人ももらっていきます」

 入部した手の頃には、俺は『エル』を去ることなど微塵も考えていなかったけど。

「緑さん、行こう。ここは君がいるべき場所じゃない」

「え?」

「それじゃ、さようなら」

 俺は緑さんの手をとり、教室の外に出た。

 こうして俺は、自分がこの大学に進学した意味があると思えたサークルを、辞めた。

 

「ま、待って! 和春くん!」

 教室から出て、緑さんの手を引いたまま大学の正門まで一直線で歩いていた俺を、緑さんが呼び止めた。振り向いた俺の顔を、緑さんはほうけたように見つめている。

「なに? 緑さん」

「あ! え、えぇっと」

 俺は一向に話し始めない緑さんに問いかけた。問いかけられた緑さんは、顔を真っ赤にして狼狽する。

「……教室、戻ってもいい、かな?」

 緑さんのその言葉に、俺の心は軋む。

「やっぱり、迷惑、だったかな。急にあんなことして」

 緑さんがどう思っているか考えず、俺は緑さんが『エル』から離れるべきだと思い、そう行動した。俺の判断は、間違っていないと思う。

 でも、それは俺の勝手、自己満足に過ぎない。

 緑さんはまだあそこに残りたかったんじゃないか?

 ……まだ、緑さんは藤井先輩のことを。

「あ、ち、違うの! そうじゃなくて!」

 緑さんは全力でそれを否定し、恥ずかしそうに、こういった。

「……カバン」

「カバン?」

「和春くん、カバンを教室の真ん中に集めるようにいったでしょ? それで、その……」

 そう言われて、俺も気が付いた。

「……カバン、教室においてきちゃったの」

 ……しまった! 緑さんを連れ出すのに夢中で、緑さんのカバンのことをすっかり忘れていたっ!

「それで、その……」

「……うん。戻ろうか」

 俺は緑さんと一緒に、またあの教室にすごすごと引き返したのだった。

 恥ずかしすぎる……。

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