六月第三週 火曜日 夜 失意の中

 俺は今、夏輝と二人で帰路についていた。その足取りは、重い。重すぎる。

 あれから俺は、教室で反論を声高々に叫んだ。叫ぶしか、なかった。

『藤井先輩が赤色がいいと言っているだけで、あの青色のコンドームが確実に藤井先輩のものではないという保証はないじゃないですか!』

『たまたま赤色のが切れてしまっただけで、青色のものを福良先輩が自分で買っていたかも知れないじゃないですか!』

『そもそも福良先輩以外の人と藤井先輩がラブホに居たことは確実! 藤井先輩が浮気をしていたのは紛れもない事実でしょう?』

 コンドームの色なんて当人達しか知らない情報を証明できるわけでもなく、またラブホの位置情報の件について明確な解決策を持っていない藤井先輩は、深く突っ込まれたくないのか今日は引き下がってくれた。

 が、状況は芳しくない。明日の放課後、藤井先輩はまた糾弾する場を設けるだろう。

『浮気をしていた』という明確な悪を糾弾する目的でまとまっていた『反藤井派』は、福良先輩も浮気していた、という事実の前に、それでも浮気していた藤井が悪いとする『福良派』と、藤井だけ批判して自分も浮気していたなんて福良最悪という『藤井派』という具合に完全に二分されてしまった。

 これで、数に物を言わせて話を進めることができなくなってしまった。

 藤井先輩がどんな手でこちらを攻撃してくるのか、俺は既に予測を立てている。

 責めてくるポイントとしては、俺と福良先輩が一緒にとった『桜の樹』の写真だ。

 あの写真を使って俺と福良先輩が四月から浮気をしていた、だから最近福良先輩が相手をしてくれなくて、という流れで自分の浮気を正当化してくるはずだ。

 もちろん、浮気をしたこと自体は謝罪するだろう。

 むしろ先に謝ることで、こちらは裁きを受ける用意がある、というスタンスを見せるわけだ。

 そうして、喧嘩両成敗という雰囲気を作り出す。

 自分は罪を認めたのだから、お前達も認めてもらいたい、と。

 ……冗談じゃない! ふざけるな! 俺は福良先輩とは浮気なんてしていのに!

 だから、自分が浮気をしていたなんて認めるはずがない。

 そう、俺は認めれない。藤井先輩は謝罪しているのに、俺は罪を認めないという構図が出来上がる。

 では、それを第三者側はどう見る? 相手は罪を認めて謝っているのに、何でお前は認めないのか? 何故謝らないのか? こうなるに違いない。

 しかもこっちは、福良先輩が青色のコンドームを所持していたことにより、周りの印象としては最悪。もう真っ黒なのだ。

 周りから見れば、俺と福良先輩が浮気をしていたというイメージが抜けない。藤井先輩に、今日印象付けられてしまった!

 にもかかわらず、俺と福良先輩は謝らない。もはや、悪あがきをしているようにしかとられない。逃げ道がふさがれてしまっている。

 この構図が出来上がってしまえば、もう『藤井派』はワンサイドゲームだ。『福良派』のメンバーも取り込んで、最終的に俺達を数の暴力でつぶしにくるだろう。まったくもって冗談ではない!

 今日、攻めきらなければならなかったのだ。あの時福良先輩が毅然とした態度で藤井先輩を攻めてさえいてくれれば、こんなことにはならなかったのに!

 ……まさかあのビッチ、マジで浮気していたとは! だったら屑は屑らしく、知らぬ存ぜぬ抵抗してくれればよかったじゃないか! そうすれば、俺が浮気相手だという誤解を与えなかったのにっ!

 今日中に何か手を打たなければ、もう負けが決まってしまう。してもいない浮気相手として認定されてしまう!

 時間制限がきつい。この状況で、俺は自分と、緑さんの身の潔白を証明しないといけない。

 そう。緑さんの件もあるというのに!

 緑さんの場合は、藤井先輩がいたラブホテルの時間帯のアリバイさえあれば何とかなる。緑さんが昨日どこにいたかということが明確になれば、緑さんの件は解決だ。

 その結果、緑さんが浮気相手だという事実が浮かび上がってくるかもしれないが、まず下宿先に帰ったら早退した緑さんに電話して状況の確認をする必要がある。

 ……だが、俺の場合は緑さんと同じ方法は使えない。

 緑さんの問題が点だとするなら、俺の問題は線になる。

 何せ、四月に撮った『桜の樹』の写真から俺と福良先輩の浮気を疑われているのだ。約三ヶ月前からさかのぼってアリバイを証明し続けていくなんて不可能だ。

 ……どうする? いっそ緑さんのアリバイを証明するためだけに時間の全てを使うべきか? これから大学生活、福良先輩の浮気相手という、ありもしないレッテルを貼られて生活していくか?

「和っち、大丈夫ッスか?」

 俺の顔を覗き込むようにして、夏輝が心配してくれる。

 夏輝は教室に残っていた『福良派』をしばらく見つめた後、教室を出た俺についてきてくれたのだ。もう俺が『エル』で信じられるのは、夏輝しかいない。

「あんまし、大丈夫じゃないかなぁ」

「まぁ、そうッスよねぇ」

 夏輝は苦笑いをした。俺を気遣ってくれる声も沈んでいる。

「合宿の時には、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかったッス」

「確かに」

「北斗さんの車に三人で乗って、馬鹿みたいに一緒にはしゃいで、合宿に参加したッス。なのに……」

 悔しそうな顔を浮かべた夏輝に、俺は思わずこう尋ねた。

「……お前、あの時の事どれぐらい覚えている?」

「全部ッス! 行きの車の中の話も、合宿中のことも、全部全部、覚えてるッス!」

 両腕を真上に伸ばし、夏輝は叫んだ。浮かべた表情は、複雑なものだった。

 噛んでいるガムの味は苦いのに、たまの一噛みに甘みを感じてしまったような、そんな表情だった。俺も、同じような表情をしているだろう。

「なんで、こんなことになっちゃったんッスかねぇ……」

「……ほんとにな」

 互いに言葉がなくなる。過去の栄光を思い出せば思い出すほど、虚しくなる。

 本当に、何でこんなことになってしまったんだろう……。

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