六月第三週 火曜日 夜 日没
「それで、こんなところに呼び出してどうしようってんのよヤリチン野郎」
集められた『エル』のメンバーの中、福良先輩がまず口火を切った。
いや、もう『エル』とはいえないのかもしれない。今やメンバーのほとんどが福良先輩率いる『反藤井派』と化している。
「おいおい、ツレナイことを言うなよ南」
「そうだよ南ぃ。もうこんなことやめようよぅ。危ないよぅ」
教室の後方に『反藤井派』。藤井先輩に真っ向から向き合っている福良先輩を、小川先輩が半泣きになって治めようとしている。
教室前方、黒板の前の教壇上に藤井先輩、北斗さん、夏輝。
俺はその中間のあたりの席に座っている。俺の前に藤井先輩が、後ろに福良先輩がいた。
俺の頭越しにやり取りされる罵声の応酬は気にも留めず、俺はただ藤井先輩だけを見つめていた。藤井先輩は、一体どんな風に今回の件を切り抜けるつもりなのだろうか。
教壇の上に立っている藤井先輩は、もう何度も説明している数学の定理を証明しようとしている講師の顔。今から説明する内容に間違いなんてあるはずないと、その表情からは絶対の自信が読み取れる。
北斗さんはその藤井先輩の、俺から見て左奥に控えており、参謀役といったポジションだ。
一方夏輝といえば、見ているこっちが心配したくなるほど狼狽していた。
この教室に来る前、夏輝は電話越しにこう言っていた。北斗さんがTw○tterのつぶやきのキャプチャを撮りまくっていた、と。
渡部さんから『Noisy myna』にヒントがあるはずだと言われたが、この二人は何か見つけたのか?
「東、ここに皆を集めるときに何て言ったか覚えてる?」
「何をだ?」
福良先輩の言葉を、藤井先輩は軽々いなしている。今日部室であった修羅場の時には考えられない態度だ。
そんな態度をとられたら、当然福良先輩はブチ切れる。
「ふざけんじゃないわよ!」
俺の頭の上を通過し、黒板に何かが強くぶつかった音がした。
背後を振り返ると、竹刀を方に担いだ福良先輩を先頭に『反藤井派』の面々が所狭しと並んでおり、夏輝がデモ隊といったのも頷ける。
だが、そんなものをゆっくりと見ているつもりは俺にはない。
一刻も早く藤井先輩が呼び出した用件を聞きたかった。
「もういいんじゃないですか? さっさと用件を話してください」
「そうだな。それじゃあ話させてもらおう。おい、北斗! 映せ」
ここに来るまでに、傷つく覚悟はしていた。
例え、緑さんに裏切られていたという結果になろうとも、それで構わないんだと。
でも一方で、俺はこうも考えていた。
この浮気騒動は、藤井先輩と福良先輩と緑さんと、そして藤井先輩の浮気相手によるものだ。
俺は完全にその騒動を外から見ている脇役で、聴衆で、勝手に想って、勝手に傷つくんだと。
二次元には行けない。二次元の美少女に、その想いが届かないと分かってしまったあの日と同じなんだと。すべてがディスプレイの前の出来事で、俺の想いは一方通行なんだと。
ただ想いをぶつけるだけの自慰行為。でもそれは、ある意味では絶対的な安全圏内。
叶わないとわかっていれば、傷つくとわかっていれば、ダメだと諦めていれば、心構えはできる。
覚悟が、できる。
だから、部室での騒動から勘違いをしていたのだ。
俺は、忘れてしまっていたのだ。
ここは三次元で。現実で。
だから当然、脇役にも台詞があるということに。
「今から見せるのは、南と和春が浮気をしていたという証拠だ」
だから、あっという間に渦中に飲み込まれた。
足元が、立っていた地面が崩れ去った。俺の立っていた安全圏内すらも、砂上の楼閣だったのだ。蹂躙されていく。俺の、俺の信じていたものが、壊れていく。全て。
でも止まっている場合じゃない。
……緑さんが黙っている間に、福良先輩が緑さんに何をしたのか思い出せ! 黙っていればいいように言われるだけだ! 悪と断罪されるだけだぞっ! 止まれないんだっ!
「ちょっと待ってください! 言いがかりです!」
「だからその証拠を見せるんじゃない。ね?」
俺の叫びに人の悪い笑みを浮かべた北斗さんが応えた。ふざけるな!
俺が再度怒号を上げる前に教室のプロジェクターがある映像を映し出す。
何だこれは? 俺と、福良先輩のTw○tterのつぶやきか?
「さて、今皆に見てもらっているのは、南と和春のTw○tter上のつぶやきだ」
藤井先輩は壇上から降りてくる。講義を続けながら、居眠りをしている学生がいないか確認するために教室を見回る講師のようだ。そして、講義は続いていく。
「これは先月、実際に南と和春がつぶやいた内容だ。ここで注目してもらいたいのが、これだ」
藤井先輩の言葉に、北斗さんが颯爽とプロジェクターにつながっているPCを操作する。
なるほど。当事者となった今なら、緑さんが何故反論を続けないのか理解できる。
中途半端な状態で相手の話をさえぎると、かえって周りに『自分の都合の悪いことを話すのをやめさせようとしている』ように見えるのだ。だから俺は、藤井先輩と北斗さんが話し始めた見当違いな推理を無理やり止めることができない。
俺は、藤井先輩達の話をすべて聞き終えた後に身の潔白を証明し、福良先輩と共に『反藤井派』のメンバーの数で押し切るのが得策だと考えた。
北斗さんの操作により、プロジェクターからの映像にある変化が起こる。
俺と福良先輩の『ある』つぶやきが黄色い楕円に囲まれ、ハイライトされた。
「……桜の写真?」
誰かがつぶやいたように、あれは花見のときに福良先輩と俺が撮った桜の樹の写真だ。
「日付と写真の投稿時間を見てもらいたい」
俺は、脊髄に液体窒素をぶちまけられたような悪寒に身を震わせた。
まさか、藤井先輩たちは、いや間違いない。これは……!
「見てくれ。南と和春が『同じ』桜の樹の写真をアップロードした時間。まったく『同じ時間』だろ?」
「茶番だ!」
俺は黙っていられず、声を荒げる。
「確かに俺と福良先輩は『同じ』桜の樹の写真をアップしました。でも同じ写真をアップしたからって、俺達が浮気をしていた証拠にはならないでしょ!」
「おいおい、俺のときはそれで散々浮気浮気と言われたんだぞ。自分が言われてそれはナシだよ、とはならないでしょ」
「藤井先輩のときはバッチリラブホの位置情報つぶやいてたじゃないですか! それに、俺達の写真は『食べ物』の写真じゃない!」
「別に『食べ物』以外にも、付き合っているやつらは『同じ写真』を『同じ時間』にアップしてんだろ。それに、何で今頃四月に撮った桜の写真なんてアップしたんだ? 何か? 俺へのあてつけか?」
……ラブホの位置情報の件は無視かよ!
藤井先輩は、自分の都合のいいように話を持っていこうとしている。させるか!
「ラブホの位置情報の件はどうなったんですか! それに『桜の樹』の写真をアップしたのは、サークルの活動記録を作るためだって、福良先輩に頼まれて、」
「はいダウト。ちょっと詰めが甘かったんじゃないかな?」
北斗さんが急に話に割り込んできた。何なんだよ、一体!
「南がサークルの活動記録を作ってただって? そんなわけあるか」
それに同調して失笑する藤井先輩。
……何だ? 何かがおかしい。
ラブホの位置情報の説明ができない以上、藤井先輩は浮気をしていたことを否定できない。
この事実は、俺にとって最強の手札。ジョーカーのはずだ。これを握っている限り、俺の優位は揺るがない。なのに。
なのになんだ! もう詰んでしまっているような、このどうしようもなく終わってしまっている感覚は!
大富豪でぶっちぎりの一位なのにもかかわらず、ジョーカーを最後の一枚に残してしまったよな、この絶望感は!
「サークルの活動記録を作っていたのは、俺と北斗、それからお前だけなんだよ。和春」
「嘘だ!」
藤井先輩の言葉に、俺は脊髄反射で否定する。福良先輩が、活動記録を作っていないだって?
……それじゃあ、何で俺に写真をアップさせたんだ?
「嘘なものか。現にお前は俺に先月合宿のレポートをまとめてくれたじゃないか」
「そっちじゃない! 花見の、年間通しての活動記録の方です! 俺と福良先輩が桜の樹の写真をアップしたとき、他にも写真をアップしていた人がいたはずです!」
「そうだな。そしてその写真を上げていたメンバーのほとんどは付き合っていて、『同じ』被写体の写真をアップしている」
……まずい。まずいまずいまずい!
「それは福良先輩に言われたからです! 他のメンバーに聞いてもらえればわかるはずです!」
「だからそれは、お前がそういうように南に頼んだんだろ? 大方先輩達には頼み辛い、ってさ」
北斗さんの情報収集力と、藤井先輩の悪知恵の連携が凶悪するぎる。まさか、ここまで藤井先輩が話を進めるのがうまいとは思わなかった。
藤井先輩の浮気騒動から一日も経っていないのに、よくもまぁ短時間で、こんなデタラメが次々と!
「しかし、四月から『同じ写真』を撮っていたとはね。その頃から、もうお前達の浮気はスタートしていたのかな? だとしたらショックだよ」
藤井先輩の表情が翳る。後ろからざわめきの声が大きくなっている。特に女性陣の。
確かに、翳のある顔でもも藤井先輩はイケメンだ。だけど今はその顔を、色を合わせすぎて、最終的に黒色に行き着いてしまった、絵の具のように変色させてやりたい!
しかし、これはかなりヤバイ状況だ。
『反藤井派』は元々藤井先輩の『浮気』という明確な悪を糾弾するために成り立っている集まりだ。ここで福良先輩も『浮気』をしていたなんて話になったら、『反藤井派』は瓦解する。
それどころか、今度は『藤井派』が誕生する。
藤井先輩は、さっきの発言で確定していないにもかかわらず四月から自分は浮気をされていた、という情報をこの場にいるメンバーにインプットした。
自分は浮気をされた被害者だと、ここにいる全員に印象付けるためだ。
藤井先輩は、俺にだけ見えるように極悪人の笑みを見せ付けた。一瞬の出来事だったが、俺の予想が正しいと暗に認める笑みだった。それと同時に確実に俺を挑発していた。
……コイツは考えうる以上の害悪だ! ふざけやがって! どれだけ最悪なんだアンタはっ!
「それで。後輩にばっかり言い分けさせてないで、お前は何か言ったらどうなんだ南」
そうだ。ここには俺以外にもう一人藤井先輩を責めれる存在がいるじゃないか!
福良先輩なら明確な、浮気されたという事実があり、それと持ち前の激情で藤井先輩を押し込めれる。その熱は瓦解しきった『反藤井派』の、特に女子層を巻き込める!
……さぁ福良先輩! 部室でしたように、傷つきながらも、浮気をした彼氏を責める悲劇のヒロインのスタンスを取るんだっ!
そんな期待を込めた俺の眼差しを受けた福良先輩は――
「いや、その……」
この教室に足を踏み入れたときの威勢はなく、それどころか絵に描いたような狼狽っぷりだった。夏輝とどっこいどっこいだろう。
でも、え? はぁ? ちょ、もしかして、福良先輩、コイツ、まさか……!
「福良先輩、本当に浮気してるんですか……?」
俺のつぶやきを聞いて、福良先輩は即効で顔をそらした。
それを見て、俺は何で福良先輩が俺に『桜の樹』を上げるように言ったのかがわかった。
俺に『桜の樹』をTw○tterで同時に上げさせたときには、既に浮気していたんだ。
その浮気相手から目をそらせるために、俺をスケープゴートにするつもりだったんだ!
本当は一ヶ月前に藤井先輩にこのことを気づかせ、ひと悶着起こす予定だったのだろう。もちろんその時は、完璧なアリバイを用意して、言われなき罪を問われた悲劇のヒロインを演じ、藤井先輩とうまく別れる手はずだったに違いない。
いや、そもそも『桜の樹』の写真を俺と一緒に撮った花見の時には、既に藤井先輩と別れる算段をしていたんだ。それが不運にも今気づかれたのだ!
……俺は、一ヶ月前からはめられたんだ!
「ってふざけるな! お前、お前の所為で、俺は濡れ衣を着せられようとしているんだぞ!」
「おいおい、見苦しすぎるぞ和春」
「ば、かな。こんな馬鹿なことがあっていいはずがない! 福良先輩、せめて俺の無実だけでも証言してくださいよ! 俺はあの写真を、先輩の指示に従って上げただけだってっ!」
「……」
「フフフ、アハハハハハッ」
一発逆転。華麗なる逆転勝利。
これだ。これこそが主人公の、主役の特性だ。
俺にはなくて、藤井先輩が持っているものだ。
もうこの教室の中で、俺と福良先輩が浮気をしているのは事実として定着している。してしまっている!
……ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな!
俺は福良先輩と浮気なんてしていない!
それどころか、女の子とまともに付き合ったことがないのに!
こんな絶望な状況でも、それでも俺は足掻くしかない。
脇役にできる範囲で醜く足掻くしか……!
「その証拠は不十分だ!」
「は?」
「藤井先輩と北斗さんの提示したのは状況証拠だけだ! 実際、たまたま同じ写真を上げただけだ!」
「おいおい、お前さっき南に頼まれたって言っただろ?」
「だからって、それが俺と福良先輩が浮気をしていたという物的証拠にならない!」
推理マンガなら、もうこの時点で犯人は積みだ。だが、ここはマンガの世界じゃない。
二次元じゃない。
現実だ。
俺が傷ついても生きると誓った、三次元だ!
「……ッチ」
藤井先輩は舌打ちをする。俺が言ったことは、一理あるのだ。
福良先輩は挙動不審で、確かに怪しい。写真をアップした時間も同じ。だが、それだけだ。
それ以上のものが出てこなければ、これ以上は責められない。
あくまで、藤井先輩の推測の範囲でしかない!
「じゃ、持ち物検査やろうか」
藤井先輩は、突然そんなことを言い出した。
「何もやましいことがなければ、持ち物全部見せられるだろ?」
「……構いませんよ」
藤井先輩も、攻め手を欠いている。
だからとりあえず、今あるものを全部調べる力技にでたのだ。
当然、俺はやましいものなど持ち合わせてはいない。
……勝てる! この場は俺の勝ちだ!
だというのに。
「……どうした、南」
「……え、いや、へ?」
……おいおいマジかよこのビッチ。ふざけるな。
福良先輩は、コイツは、この女は、この野郎は!
持っていやがる! 絶対に何か、浮気につながる決定的な何かを!
「見せろ、南」
「いや、やめて……」
獲物に舌なめずりする野獣の顔で、藤井先輩は福良先輩のハンドバックに手を伸ばす。
激しくもみ合う二人を、俺は呆然と見ていた。間に入ることなどできない。
入った瞬間、俺が藤井先輩を、福良先輩が持つ浮気の決定的な証拠から遠ざけようとしていると判断される。
「いいから見せろ!」
「やめて!」
福良先輩のハンドバックが投げ出され、その中から手鏡や財布などが出てきて、おいおいマジかよ……。
俺はハンドバックから飛び出した『ある物』を見つけ、絶望に浸った。
「……なぁ和春。俺は赤色が好きなんだよ。俺は赤だって絶対決めてるんだ」
そんな情報なんて要らない。
福良先輩は、真っ青な顔で口を押さえていた。それを、俺は自分の目が凍っているんじゃないかと思うぐらい冷たい眼で見ていた。
……福良先輩。あんた、マジもんのビッチじゃないですか。
「これは何なんだろうなぁ、か・ず・は・る・くぅん?」
欲しかった玩具を、念願叶って買ってもらえた子供のように嬉しそうに笑う藤井先輩。
その欲しかった玩具は、今の福良先輩の顔よりも青くて、ビニール製で、四角くて、中にワッカを密封していて。
つまりそれは、コンドームだった。
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