五月第二週 金曜日 昼
俺は夏輝、本西さん、緑さんと一緒に昼食をとるために学食にいた。緑さんは今日はお弁当を持参しているらしく、昼食をとるための席を押さえてもらっている。
俺もたまにねーちゃんと一緒にお昼をとるときは弁当を持参するのだが、そのねーちゃんは昨日研究室に泊り込みで作業していたらしく、今は家で爆睡中だ。何でも論文の締め切りが近いのだとか。
うちの学食は食券を買うタイプではなく、自分で食べたいメニューを出してくれるカウンターまで取りに行き、その後料金を精算するシステムになっている。
俺は既に注文を済ませ、会計を済ますためにレジの列に並んでいた。俺の前の人の会計が終われば、次は俺の会計の番だ。
見れば俺の並んでいる列の右側隣に夏輝、左側隣に本西さんが並んでおり、丁度会計をしようと財布を取り出しているところだった。
本西さんの持っている財布は可愛らしいピンク色の二つ折りホック式の財布で、小銭入れは大き目のボックスタイプ。
カードが多めに収納できるようにカード入れが一枚追加されたデザインとなっており、そこには色とりどりのカードがびっしりと入っていた。
そういえば、小川先輩から本西さんが合宿から帰ってきてから、よく洋服や化粧品の相談をされるようになった、と言っていたのを思い出した。あのカードは、お店のポイントカードだろうか。
本西さんは小銭入れから硬貨をいくつか取り出し、会計を済ませた。
一方夏輝の取り出した財布はチェック柄の長財布で、色はネイビー。
財布の片側に用意されたカード入れには、少し窮屈そうにカードが収納されている。かぶせ側のカード入れも窮屈そうだ。
一箇所クレジットカードが三枚も挟まっており、真ん中の青色のカードが少し飛び出していた。
会計をしようと夏輝がファスナー式の小銭入れから硬貨をいくつか取り出すが、すぐに元に戻し紙幣入れから一〇〇〇円札を取り出した。小銭が足りなかったのだろう。お釣りを受け取った夏輝もトレーを持って先に進んでいく。
さて、俺が何で人様の財布を眺めつつ、二人が会計を済ませるところを見ていたのかというと、俺の会計の番が来ないからだ。
つまり、俺の前に並んだ人が、女の子が会計を済ませないのだ。
既に会計を先に済ませた夏輝と本西さんが、俺を待っている。待たせるのも悪いか……。
「すまん。すぐ行くから先に行っててくれ」
「わかったッス!」
「う、うん」
夏輝と本西さんに声をかけ、流石に一言言った方がいいか、と思いながら俺の前に並んでいる女の子に目線を移す。
と、その女の子と目が合った。
「……」
「え、渡部さん?」
レジの列の進行を阻んでいたのは、ピンクのフレームメガネをした、コミュロスの渡部さんだった。
「あら、あなたこの子の知り合いなの?」
「え、ええ。そうです、けど?」
突如レジのおばちゃんに声をかけられ、俺は歯切れの悪い返事を返してしまう。俺はそうだと思っているが、渡部さんからどう思われているかは分からない。
「その子、お財布忘れちゃったみたいなのよね」
「へ?」
言っている意味が、一瞬わからなかった。
「うちの学食、メニューを頼んだ後に精算するシステムでしょ? だからメニュー頼んだ後にお財布持っていないことに気が付く子、たまにいるのよねぇ」
「なるほど」
大学の講義でも、講義が始まる前にカバンで席を確保することがある。
カバンを席に置いて飲み物を買いに行ったりするのだが、学食でも同じように、昼食をとるための席をカバンで確保するのだ。
その際、渡部さんはカバンに財布を入れっぱなしにしてしまったのだろう。そしてそれに気が付かず、そのままメニューを頼んで今に至る、ということか。
おばちゃんから渡部さんに視線を戻す。
「……お財布、忘れちゃった」
「……うん。それはさっき聞いたから」
しかし、相当テンパっていたのだろう。俺を不安そうに見上げる渡部さんは、メガネがずれているのに気が付いていないのか、位置を直そうともしない。そのメガネの奥にある二つの瞳にはうっすら涙が浮かんでおり、それがいかに彼女が心細かったかを物語っていた。
「でも、財布ぐらい友達に頼んで持ってきてもらえばよかったんじゃないか?」
「おばちゃんも仲のいいお友達に電話したら、って言ったんだけど……」
「……そんなの、ない」
普段のコミュロスがこんなところで不利に働くとは……!
「ちょっと、早くしてくれない?」
「後ろ詰まってるんですけどー!」
少し長話してしまったか。俺の後ろから不満の声が聞こえてくる。俺もそろそろ夏輝たちと合流しなければ。
「じゃあ俺がここは立て替えるんで、まとめて精算しちゃってください」
「そうかい。助かるよ!」
ようやくレジが進むことにおばちゃんは安堵し、レジ打ちを開始する。
精算を済ませ、渡部さんと二人でレジを通り過ぎた。
「じゃ、四五〇円の貸しね」
「……あ、あの」
夏輝たちを探そうとした俺の袖を、渡部さんが引っ張った。
渡部さんは恥ずかしそうにうつむき、
「……ありがとう」
と言ってスタスタと歩き出した。
珍しくちゃんとお礼を言われた俺は、その後姿を呆然と見送る。
……そういえば、渡部さんはどこに向かうんだ?
普通に考えて自分が確保している席に向かっているのだろうが、多分、というか確実に渡部さんは一人でお昼を取るのだろう。
俺は渡部さんに声をかけようとして、
「な、何で君が隣にいるんだよ!」
「……それはこっちの台詞」
渡部さんが金田先輩と一緒に座るのを見て、声をかけるのをやめた。
俺の心が、軋んだ。
これは、ただの醜い独占欲と優越感だ。
知り合いが少ない渡部さんを助けてやれるのは、俺だけだというくだらない独占欲。
そして、そんな渡部さんは俺を頼るしかないのだという優越感。
それが金田先輩と仲よく話しているのを見て間違いだったと気づかされ、勝手に傷ついているのだ。
そして、そんな子供過ぎる自分の思考に嫌気が差しているのだ。自己嫌悪しているのだ。
……間抜けすぎる。そんなことだから合宿でも、いや、それは無かったんだ。そこから先は考える必要はない。
少しだけ痛んだ心を引きずりながら俺は夏輝たちを探し、手を振ってくれている夏輝の姿を発見した。
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