五月第二週 木曜日 放課後

「お疲れッス!」

「お、お疲れ様」

「お疲れ様!」

 夏輝、本西さん、緑さんが俺に別れを告げ、部室から出て行く。今日は合宿後初のサークル活動日だ。

 既に練習後の着替えも終わり、ほとんどのメンバーが帰路についていた。

 そんな中、俺は大学に提出するための書類の作成を手伝うため残って作業中だ。部室には今俺しかいない。

 ノートPCを持っているということで、俺はこういった書類作成などの雑務を合宿後から任されるようになっていた。今は先週の合宿のレポートをまとめている。

 ディスプレイに写っている内容はこうだ。

 合宿は予定していたタイムスケジュールで進行し、特に怪我人も病人も出ず、まったく問題なく終了した。サークル内の結束もより一層強まり、非常に有意義な合宿になりました、まる。

 あの日の、あの出来事を知っているのは、俺しかいない。

 あの後、俺は嘔吐がおさまると同時に服を着たまま海に飛び込み、ゲロを洗い流した。

 海の冷たさが俺を容赦なく攻め立てたが、俺が想いを捨てるときに感じた痛みに比べればなんてことはなかった。それから明け方になるまで待って、宿に戻った。

 午前四時ごろの明け方に、酔っ払いたちが起きているはずがない。起きていたとしても、どこかの部屋に一箇所になって騒いでいるはずだ。俺の部屋がそうなる可能性もあったが、そうなる可能性が低いことを俺は知っていた。俺の部屋は夏輝を始め、夜通し騒ぐような人はいない。

 部屋に帰る上で一番の問題は、俺の部屋が鍵がかかっているかだったが、それも杞憂に終わった。鍵が開いていたのだ。

 これ幸いと服を着替え終わった後、夏輝が部屋に戻ってきた。朝風呂に入っていたらしい。鍵が開いていた理由を聞くと、

『和春が帰ってくるのが遅かったんで、開けておいたんッスよ!』

 とのことだった。風呂上りで火照った頬が印象的だった。

 臭いがまだついていることを懸念し、俺は夏輝と入れ違いに風呂に入った。

 それから、緑さんもあの後無事宿に帰ってきていることを確認した。

 俺はその日から、大島さんを『緑さん』と呼ぶようになった。

 呼び方を急に変えたため、サークルのほかのメンバーから勘ぐられたり、からかわれたが、笑って受け流した。まったく照れなかった。そんな感情はもうない。

 俺が『緑さん』と呼んだ時の緑さん困惑顔を見た瞬間、何かを思い出しそうになったが、封殺した。もうなくなった、存在しないもののことを考えても、仕方がない。

 俺は作成したレポートの印刷を実行。それと同時に、三年前に部費で買ったという部室のプリンターが動いた。

 印刷を開始したインクジェットプリンターの前に移動し、印刷物を確認。よし。誤植もインクのにじみもない。このプリンターは中古で買ったらしいが、まだまだ現役でいけそうな感じだ。

「お疲れ様」

「おっす! お疲れ~!」

「お疲れ様です!」

 チェックが終わるのと同時に、部室に藤井先輩と小川先輩が現れた。ナイスタイミング!

「ちょうどよかった! 藤井先輩、合宿のレポートの印刷が完了したんでチェックしてもらえますか?」

「もう出来たのか?」

「はい!」

 大学に書類を提出するのは、主幹の藤井先輩の役目だった。

 驚いている藤井先輩に、先ほど印刷したばかりのレポートを手渡す。

 小川先輩がそれを見て褒めてくれた。

「仕事が早いね、和っち!」

「いえ、そんな」

「緑ちゃんと、仲良くなったからかな~♪」

「……別にそんなことないですよ。いや、そういうと、仲が悪いみたいになっちゃいますけど」

「あはは! わかってるって!」

「……最近、仲いいな」

「え?」

「あははは! 可愛がってた後輩がとられて嫉妬してるの? 東君!」

「ば、ちげーよ!」

「藤井先輩、可愛いですね!」

「うるせぇ!」

「あはははは!」

 俺が茶化して、藤井先輩が照れ隠しで怒鳴り、小川先輩が爆笑する。平和だった。

 大丈夫。何も問題ない。大丈夫。

 俺は、大丈夫だ。

「もう先に行くぞ!」

「あ、ちょっと待ってよ!」

 藤井先輩が部室を出て行く。その後を追って、小川先輩も慌てて部室を飛び出した。と思ったらすぐ戻ってきた。

「和っち! Tw○tterのアプリ、どんどんおっきくなってくね!」

「おっきくって、また斬新な表現ですね」

 合宿から帰ってきてから、俺は早速『Noisy myna』の機能拡張を進めていた。Tw○tter経由で、緑さんと追加してもらいたい機能の意見をもらったのだ。

 作る側ではなく、使う側の意見を聞けるのは俺にとっても非常に有意義だった。作る側の視点だと、どうしても実装のし易さ、作り易さが先立って視界が狭くなってしまう。その点使う側の緑さんからは、どう使いたいか、何がしたいか、といった視点で意見をもらえるのが嬉しかった。

 緑さんだけではなく、小川先輩もTw○tter上で意見をくれるので非常に助かっていた。

『私に協力してって言ったのに、GreenB0622さんに先に意見聞くなんてずるいよ!』とは小川先輩の談だ。

 ……協力要請なんてしていないのに、また適当なことを言って。

 実現が難しいことも言われたりするが、幸い合宿に行く前に協力者が現れたため、一人で開発していたときよりも負担は減っていた。

「このつぶやいた瞬間に自分の場所も一緒につぶやいてくれるの、いいよね! Tw○tterでも言ったけど超便利! 東君も絶賛だよ!」

「位置情報のやつですね。あれはちょっと苦労したんですよ」

 苦労とは、『Noisy myna』の開発に新しく力を貸してくれることになった協力者がどうしても付けたいと言った別の機能を追加した途端、位置情報が取得できないという不具合が発生したのだ。

 別につけなくてもいい機能、というか、絶対不要な機能なのだが、協力者は頑なに追加すると言って聞かなかった。

「そうなんだ。でも、あの数字がいっぱい出てくるやつ何なの?」

「ああ、デフォゲ表示させるやつですね……」

 ピンポイントで、その不要な機能の話しを小川先輩から振られてしまった。

 その不要な機能とは、『Noisy myna』でつぶやいた時、一緒にスマホのデフォルトゲートウェイも一緒につぶやくというものだった。

 デフォルトゲートウェイとは、ざっくり言うと通信するときに『とりあえず』ここと通信しとけばいいでしょ? という通信経路のことだ。

 IPアドレスが住所の代わりで、その住所宛に通信、小包を送ることで、インターネットなどにアクセスすることが出来る。

 では、その小包はどんな道を通って送りたいあて先まで届けられるのか? 現実世界で小包を送るときはどうする?

 そう、小包に送ってもらいたい相手の住所を記載して郵便ポストに、郵便局に持って行く。何故なら郵便局は、送りたい相手の住所までどうやって小包を送ればいいのか知っているはずだからだ。

 正確な位置を知らなくても、大阪か、東京か、ぐらいの小包をどこまで送ればいいのかの大まかな位置は知っている。

 そこまでわかるならとりあえず、例えば東京なら東京まで送り、そこから先は東京の支店に任せることが出来る。その支店で、練馬区なのか江東区なのかなど、もっと細かい粒度で小包を届けることが出来る。

 そう。デフォルトゲートウェイは郵便ポスト、あるいは郵便局なのだ。

 通信をしたい人は通信先のIPアドレス、住所しか知らない。

 だから郵便ポストに小包を『とりあえず』投函し、相手に無事届けられたら無事通信完了。届けられない場合は宛先不明で小包は帰ってきてしまい、通信不可となるわけだ。

 で、俺の協力者様は、スマホごとにどの郵便ポストを使って小包を届けようとしているのかにご興味をお持ちのようなのだ。マジで意味がわからない。

 当然理由をたずねたが、その答えは、

『……各通信キャリアの通信経路が気になるの』

 との事だった。SNSにつぶやきを投稿するために通る道筋、通信経路を最終的にはすべて調べたいらしい。

 渡部さんと初めて会った時に手元で作業をしていたのは、プログラミングだった。FPSも一緒にプレイするようになったし、合宿に行く前にだめもとでクライアント開発の協力を依頼したところ、以前から興味があったらしく快諾してくれた。

 快諾してくれたのはいいのだが、コミュロスの彼女は俺に一言も相談することなく『Noisy myna』を独自路線で機能拡張したのだ。

 勝手なことをするなと俺が強く言えればいいのだが、渡部さんは非常に優秀で、俺はなかなか口出しが出来ないでいた。iPh○ne版のクライアント機能の拡張はすべてやってくれるため、俺はAndr○id版のクライアント開発に注力でき、非常に助かっているからだ。

 ……というか、あいつはAndr○id版のクライアント開発を手伝う気なんてさらさらない。自分に興味のあることしかやらないのだ。

 このデフォゲ表示機能だって、俺がサークルの合宿に行っている間に、勝手に渡部さんがiPh○ne版に組み込んで、Appl○のアプリストアの承認もとって、公開してしまったのだ。

 そのため、俺は後追いでAndr○id版にこの無駄というか謎機能を組み込まざるを得なかった。

「……この数字意味わかんないし、キモイんだけど。消せないの?」

「ははは。善処してみます……」

 俺は乾いた笑いと引きつった笑顔で、小川先輩に応じる。

 ……デフォゲなんて、普通に生活する上で意識する人なんてほとんどいないからなぁ。

 合宿から帰ってきた後、この機能が組み込まれた事を知った俺はその瞬間からほぼ徹夜でAndr○id版の改修、機能追加を行った。

 いろいろあって疲弊していた中でそれである。よく実装できたものだ。また一つ限界を超えた気がする。自分で自分を褒めてやりたい。

 まぁその代償として、プログラミングしていたときの記憶がまったくない。とにかく速度重視でトライアンドエラーを続けたため、ソースコードのリビジョン管理もクソもなかった。

 何をどうしてどうやって実装できたのか自分でもわからない。今後の機能拡張に影響を与える可能性アリアリである。

 というか、既に実害はもう出ていた。コーディングがいまいちで、スマホ自体の位置情報を共有できる設定にしている場合、問答無用で『Noisy myna』を使った場合位置情報がつぶやかれる欠陥仕様、つまりバグが存在しているのだ。

 知らずに位置情報を共有する設定になっている人は、びっくりしているはずだ。

 このバグを知っているのはクライアントの作成者である俺と、協力者である渡部さん。

 そしてこの機能の発案者である緑さんだけだ。機能追加後Tw○tterで実装完了を、バグ報告は電話で伝えていた。

 幸いにして、今のところ苦情は入っていない。ほとんどの人が位置情報の共有なんてバッテリーを食うので設定切っているだろうし、そのおかげだろう。

 ただ、やはり要望があって追加した機能は早い段階でどうにか解決したい。

 いや、しなければならない。

「それより小川先輩。藤井先輩追いかけなくてもいいんですか?」

「あ、そうだった! ありがとう! それじゃ!」

 慌てて出て行く小川先輩を見送りつつ、俺は帰り支度をはじめた。

 部室を出るときに、何か引っかかって、部室を見渡し、プリンターの電源が入れっぱなしになっていることに気づいた。

 危ない危ない。使わないときはちゃんと電源切らないと。

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