ゴールデンウィーク 合宿 初日 夜 ビーチにて 線香花火
俺はドヤ顔した三秒後、黒歴史に変わった先ほどの場面について脳内で絶叫していることをおくびにも出さず、出していないと信じて、大島さんの誘いを快諾し、海岸沿いの防波堤を下り砂浜を歩いている。
街灯の光があまり入らないため、大島さんが持ってきていた懐中電灯の電源を入れた。
今となっては勘違いと判明しているが、大島さんが右手しか見せなかったのも、そもそもずっと俺の先頭を歩いていたのも、持っていた線香花火と懐中電灯を隠すためだったのだ。
何が『隠していた何か』だよ。線香花火と懐中電灯じゃねーか。ふざけんな俺。
「ごめんね、無理につき合わせちゃって」
俺の自業自得な自己嫌悪など知りもしない大島さんは、ここまで俺を連れ出したことに対して謝罪した。うへ、余計に恥ずかしい。
「いや、気にしないで。俺も線香花火好きだし。あ! ちょっと待ってて。水汲んでくるから」
「私も一緒に行く。懐中電灯がないと、危ないでしょ?」
「波も穏やかだし、海に潜ろうとしてるわけじゃないから大丈夫だよ。俺の進む進行方向だけ照らしてて」
「うん」
大島さんが照らす先に向かって一直線に歩きながら、俺はバケツの中から二重にしたビニール袋を取り出した。ビニール袋の中には、先ほど役割を終え、消火された花火の残骸が入っている。中のゴミが外に出ないように、穴が開いていないか再度確認。
……よし、穴は空いてないな。
確認が終わり顔を上げると、俺はもう五歩進めば足が海につかるところまで歩いてきていた。俺はビニール袋を右手に、バケツを左手に持ちバケツで水をすくう。すくった時に足にじゃれ付いてきた波が冷たくて気持ちいい。
バケツとビニール袋を持って方向転換。今度は大島さんが照らしてくれる光に向かって、俺は歩いていく。
「ただいま」
「おかえりなさい」
出迎えの言葉と共に、俺に向けられた笑顔がまぶしかった。
「さ、線香花火しよう!」
バケツを置いて、二人で肩を並べて座る。
俺の右側に大島さん、俺と大島さんの間に水を入れたバケツ、そして俺の左側にビニール袋を、中のゴミが飛び出さないようにそっと置いた。
「じゃ火、つけるね」
大島さんが懐中電灯で、俺の手元を照らしてくれる。
俺はライターを点火し、大島さん、そして俺の順に線香花火を点火させた。
線香花火の先端がゆっくりと燃え上がり、そしてその中から真っ赤な太陽が現れる。街灯のかすかな光と懐中電灯だけでしか照らされていなかった浜辺に、淡い光が灯った。
「先に落としたほうが、罰ゲームね」
懐中電灯を自分の足元に置いて、大島さんがそう言った。
「これ、ゲームだったの?」
突然の提案に、俺は驚いた。
いたずらが見つかった少女のような笑顔で、大島さんが微笑む。
「そうだよ」
「でも、なんで?」
「……ダメ?」
「……ダメ、じゃないけど」
……そんな風に言われたら、断れないでしょ!
「よかった!」
にっこり笑って、大島さんは自分の線香花火に視線を向けた。
俺も、大島さんから自分の線香花火に目を向ける。が、どうしても気になってしまい隣に座っている大島さんを盗み見た。
大島さんは夕食前にシャワーを浴びた後、上はピンク色のTシャツに、下はハーフパンツに着替えていた。髪は後ろでまとめたポニーテールで、覗くうなじがまぶしい。
大島さんは俺の視線に気づかず、彼女は自分の線香花火に夢中だ。大島さんの視線の先にある太陽は、先ほどよりも少し大きくなっていた。その太陽は小さな破裂音と共に自分の欠片をばら撒きながら、自分の体をゆっくり、ゆっくりと大きくしている。
その時、俺は潮風以外にほのかに香る匂いに気がついた。匂いの元は一つしかない。大島さんだ。
……一度意識すると、急に緊張してきた! よし。ここは今の状況を整理して落ち着こう。
まず、俺と大島さんはサークルの皆とやった花火の帰り道に、二人で抜け出してきたわけだ。まぁ俺が告白されるのかと馬鹿な勘違いをしてしまったが、今は二人仲良く肩を並べて線香花火をやっているわけで、って完全にいい雰囲気じゃねーかこれ!
え? 何これ。花火の帰り道に二人だけで抜け出して線香花火やってるって、完全にこれデートじゃん!
そもそも、大島さんは何で俺を連れてきたんだ?
線香花火をやりたかった、というのはまぁいいとして、何で俺を選んだ? ライターを持っていたからか? では、罰ゲームの意味は?
ただ線香花火をやりたかったのなら、もう既にその願いは叶っている。わざわざゲームにする必要がない。俺に、何か罰ゲームをさせようとしていたって事か? 何をさせたいんだ? というか、罰ゲームと言うからには、もし大島さんが負けた場合、俺が大島さんにその罰ゲームを執行できるってことだよな?
この罰ゲーム、どこまでの範囲で指定できるんだ?
と、そこまで考えたところで、俺は大島さんと目が合った。俺の視線に気がついたんだ!
大島さんと目が合って慌てた俺は、必要以上に体をのけぞらせてしまった。
普段なら、まぁそれでいい。格好悪いけど。
だが、今はまずい。俺たちは今、罰ゲームをかけた線香花火をしているからだ。
「あ」
「え?」
大島さんの視線を追う。俺は、自分の線香花火の玉が落ちたていることに気がついた。体をのけぞらせた時の反動で落ちてしまったのだ。
長生きさせてやることがきなかったな。すまん、俺の太陽。
「あー、落ちちゃった」
それから少したって、大島さんの太陽も終焉を迎えた。
一度線香花火を水に付け、その後ビニール袋にしまう。
「うふふ。私の勝ちだね」
「……罰ゲームって、何するの?」
「負けた方が、勝った方の言うことを何でも聞くんだよ?」
大島さんはうれしそうにはしゃいだ。それを見て、俺も顔をほころばせる。この笑顔が見れたんだから、罰ゲームを受けるのなんてなんてことない。
って、そう! 罰ゲーム!
俺の鼓動が早くなる。さっきまで考えていた疑問が、また頭をもたげた。それと同時に、ある予測も。
いや、これは間違いないだろ! 二人で密かに抜け出し、線香花火をする。さらにその線香花火は罰ゲームつきで、負けた方が勝った方の言うことを何でも聞くときた!
告白だ。
絶対告白だ。間違いない!
線香花火は言い訳で、罰ゲームは勇気を出して告白できない自分を、あるいは俺を後押しするためのアイテムなのだ! 負けたほうが勝った方と付き合わなくてはならない、とっ!
そうだ。そうに違いない。そうに決まっている!
くっそー、なんて可愛いんだ大島さん。自分で一歩を踏み出す勇気がないから、線香花火が先に落ちたらという運要素の高いゲームに持っていくしかなかったのだ!
いや、もし負けた場合も勝った方が何でも言うことを聞くと言うのなら、大島さんは俺のどんな命令も聞かなければならないはず! つまり、俺が負けた場合は大島さんが自分で、俺が勝ったら俺の方から告白してくれ、ということだ!
まぁ、俺から告白することはありえないんだけど、その懸念は大島さんが勝った今なら関係ない。何故なら大島さんから告白してくれるのだからだ!
「……いいよ。俺に出来ることなら何でも言って」
生唾を飲み込み、俺は大島さんに罰ゲームの内容を促した。
さぁ来い! バッチ来い! 告白来いっ!
頬を赤らめながら、それでも勇気を出して搾り出すように、大島さんは言葉をつむいでいく。
「うん。あのね……」
……そこでタメるのかっ!
でもいい! そこがいいよ! いじらしいよ大島さん!
だが落ち着け、俺。さっきは盛大に勘違いしたじゃないか。
万に一つもありえないが、告白じゃない可能性もゼロじゃない。
いや、もうゼロって言って――
「プログラミングを教えてもらいたいの!」
セーフ! セーフ! 全然セーフ! 今告白じゃない可能性考えてたからセーフ!
あっぶねー。俺じゃなかったら危なかったわー。今の危うく殺られるところだったわー。何に対してかはわからないけど危なかったわー。
……。
……。
……。
……はぁ。なんかもっのすごい喪失感。やっぱ人生、そう簡単にいかないよなぁ。
というか、勘違いしすぎだろ、俺……。
「あの、中嶋くん。もしかして、ダメ、だったかな?」
不安そうに、大島さんが俺を呼ぶ。俺が黙り込んでしまったため、自分の申し出が俺の気を悪くしたと思ったのだろう。
アホか俺は。勝手に期待して勝手に予想が外れたからといって、大島さんを不安にしていいわけないだろうが。俺は慌ててフォローする。
「いや、そんなことないよ! 急なお願いだったから、ちょっと戸惑っちゃって! でも、何でプログラミング?」
「うん。あのね。サークルのお花見の時に、中嶋くんの『Noisy myna』を見て思ったんだよね。すごいなー、って」
線香花火が消えた今、俺たちを照らしてくれるのは、わずかばかりの街灯と懐中電灯の光だけ。
その懐中電灯が照らす海を見つめながら、大島さんの話は続く。
「高校の時にスマートフォンのアプリを使ったときに思ってたんだ。魔法みたいだ、って」
「……魔法?」
「うん。魔法。指先一つで、何でもできちゃうじゃない! だから、ずっと思ってたんだ。私も魔法を使いたい、って。それで、高校の友達に言ってみたんだ」
「……なんて?」
「一緒にスマホのアプリ作ろう! って」
なるほど。俺を呼び出して、二人っきりになった理由がわかった。
「それで断られた、と……」
「……うん」
自分が好きなものを否定されるのは、辛いものだ。そして、その否定されるところを誰かに見られるのも。
先ほどまで少し興奮しながら話していた大島さんの声のトーンが落ち、伏せ目がちになる。
「……みんな、あんまり興味がないみたいで。やりたいなら理系行けば? とも言われて。あの時は受験もあったし、今の大学に、絶対入りたかったから。そんなもんかな、って。やっぱりあんな魔法みたいなこと、頭のいい人じゃないとできないんじゃないか、って。あきらめようと、思ってた。だから、中嶋くんは凄いよ。尊敬する」
「……そんな。そこまでたいした事じゃないよ」
俺がプログラムをやり始めたのは、単に現実逃避をしていただけだ。尊敬されるようなことは何もしてはいない。
だが――
「たいした事だよ!」
顔を勢いよく上げ、大島さんは俺をまっすぐ見つめている。
「私、ほんとに凄いと思ったの! あきらめようと思ってたって言ったけど、私、全然あきらめ切れなかった。だからいろいろ自分でネットのサイトとか見てたけど、それに満足して、いつかはやろうと思ってて、それでも実際に行動できなかった。ただ遠くから眺めてるだけだった! 私もいつかはTw○tterのクライアントとか作れたらって、それでもそんなのできるわけないって、自分で否定してたっ!」
途切れ途切れになりながらも、大島さんの熱弁は続いていく。
大島さんの目には、うっすら涙が浮かんでいた。
「だからね。大学入ったら、始めてみようって思ってたの。でもサークル入って、もうダメだって思って、ちょっと自暴自棄にもなってた。でも、でも花見の時、中嶋くんが自分のTw○tterクライアント作ったって知って、中嶋くんが、私の魔法使いさんなんだって思って!」
「ちょ、近い! 近いよ大島さん!」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、大丈夫だから! でも、大島さんって、アレだよね」
「え?」
「『魔法使いさん』って。大島さんってなかなかメルヘンチックな事、言うんだね」
次の瞬間、大島さんの顔が真っ赤に染まる。
「へっ! いや、あの、その、あれは例え話で」
「あはははは!」
「も、もう! 中嶋くんちゃんと聞いてよ!」
「あはははは!」
笑い過ぎて涙が出てきた。俺は涙をふきながら大島さんに答えた。
「いいよ」
「え?」
「プログラム。教えるよ」
大島さんは一瞬、俺が何をいっているのか理解できないという顔をした後、
「本当!」
本当にうれしそうに、笑ってくれた。
「ああ。俺もプログラミングを趣味でやっている身としては、プログラムに興味を持ってもらうのは純粋にうれしいしね」
「よかったぁ……」
「なら、ちょっと簡単なプログラム組んでみる?」
「今? ここで!」
仰天する大島さんをよそに、俺は自分のスマホを取り出しコマンドプロンプト画面を呼び出す。背景が黒で、文字が白色の一般的な画面が表示された。
「何? これ? 画面真っ暗だよ?」
「あー、確かに夜だと見づらいね。ちょっと懐中電灯で照らしてもらえる?」
大島さんが、懐中電灯の光を俺のスマホに当てる。
俺はコマンドプロンプトの背景を、明るめの青色に変更した。黒よりは見やすいだろう。
「うわ! 青色に変更したよ、中嶋くん!」
……反応が初々しくて可愛いなぁ、大島さん。
「スマホで、スマホのアプリが作れるの?」
「いや、まぁ作れないことはないけど、今日は時間も時間だし、この画面に文字を出力するだけの簡単なプログラムにしよう」
「画面に出力? プログラムがしゃべるってこと?」
「音声じゃないけどね」
俺は画面を操作し、ファイルを編集モードで開く。予め作成してある、プログラムのデバッグ用に文字を出力するプログラムがあったため、今回はこれを流用することにした。
「はい。じゃあここに表示させたい文字を入力して」
俺のスマホを、大島さんに手渡す。
「それだけでいいの? 他にもいろいろと書いてあるけど」
「それは今は気にしないで。プログラムを実行するための『おまじない』だから」
「なんだか中嶋くん、本当に魔法使いさんみたいだね」
くすっ、と笑って、大島さんは俺のスマホに文字を入力、しなかった。
「……なに? どうしたの?」
「いや、その、なんというか。何を入力したらいいのかわからなくって……。ねぇ。普通は何て文字を入れるの?」
「普通? 普通ねぇ……」
文字を出力するだけだから、本当になんだってよかった。
AAAでも、自分の名前でも、プログラムは自分の作ったとおりの動作を必ず実行する。
プログラムが間違った動作をしているのなら、それは作った人が間違ったプログラミングをしたから間違った動作をするのだ。
でも、プログラミングを始めたばかりの人が一番初めに出力する文字といえば……。
「『Hello World』、かな」
『Hello World』
どんな言語であれ、ほとんどのプログラミングの入門書の一番初めの例題、つまり一番簡単な文字の出力に、この『Hello World』という文字の出力が出題される。
理由は、はっきりとしてはいない。
「『Hello World』?」
大島さんは、首をかしげた。
まぁそれはそうだろう。何でここで『Hello World』? と思うのが普通だ。
でも、プログラミングをしたことがある人なら、ほとんどの人が出力させたことのある文字だ。大島さんの、人生初のプログラミングで出力させるに相応し文字だと思う。
何故、一番最初にプログラミングで出力させるのか理由がわからない『Hello World』。
その文字を出力させる理由は、確かにわからない。
でも俺は『Hello World』に、ある二つの意味が込められているのではないかと、勝手に思っている。
それは――
「すごいね!」
「……へ?」
大島さんからかけられた声に、俺は間抜けな返事をした。声と共に差し出された俺のスマホを、俺はやはり間抜けな顔をして受け取る。
……大島さんの前では、俺はこんな顔しかしていない気がする。
「入力したよ!」
「あ、ああ。ちょっと待って」
俺は自分のスマホの画面に、書かれている内容にミスがないか再度確認。
画面をタップすれば『Hello World』を表示できるようにした。
「……はい。後は画面をタップするだけだよ」
「わ! わ! 凄い!」
「……さっきから思ってたけど、大島さんキャラだいぶ変わってるよね?」
「ね? 押していい? 押していい!」
「……どうぞ」
俺の返事を聞いて、大島さんは緊張しながら、画面に、指を、押した。
「……えい!」
『Hello World』
大島さんが画面をタップしたのと、文字が表示されたのはほぼ同時。
まぁ文字を出力するだけなので、ほとんど処理時間のタイムラグもないから当然といえば当然だ。見慣れてしまった人には当たり前の動作過ぎて、あくびが出てしまうような結果。
だが、大島さんは見慣れていない。
だから――
「……」
無言で、無表情で、感動するのだ。
その様子を見ながら、俺はプログラミングを初めてした時の事を思い出していた。
そもそもプログラムをする前段階。環境設定やらなにやらまったくわからず、右も左もわからないまま、見よう見まねでネットの情報を頼りに試行錯誤をし続けた、あの頃。
これで正しいのかわからないままおっかなびっくりで進めていき、ようやくプログラミングができるような環境を整えられたのが、午前二時。それでも環境が正しく設定できている確証が持てず、不安だった。翌日学校があるので、もう寝たほうがいいのはわかっていた。
わかっていたが、ここでやめることなど俺にはできなかった。
ようやくプログラミングを作成するために表示されたエディタが、今PCの電源を切ってしまったら二度と立ち上がらなくなるのではないかと思って、不安で不安でしょうがなかった。
だから、行くしかなかった。書く以外の選択肢など、俺には存在しなかった。
そんな中、手探りでようやく書き終えたプログラム。それを実行した時に出るエラー文を見たとき、まずエラー文が何を示しているのかがわからず発狂しそうになった。その時点で午前四時。外はそろそろお日様が昇り始め、鳥たちのさえずりが聞こえてきた。
それでも続けた。続けたかった。もうこの時は、意地しか残っていなかった。そして午前六時。
ついに――
『Hello World』
実行、できた。
「やったー!」
過去の俺と、今の大島さんの歓声が重なる。
「おめでとう!」
「ありがとう!」
大島さんの人生初のプログラミングを、俺と大島さんはハイタッチで祝福した。
それでも興奮が収まらないのか、大島さんはハイテンションでしゃべり続けた。
「私、創ったんだ! 生んだんだよ! 私の作ったプログラム、ちゃんと生まれたことがわかるんだね! 世界に向かって生まれてすぐに、こんにちは、なんて中々言えないよ! 凄いっ!」
……衝撃、だった。
我が意を得たりとは、きっとこの時のための言葉なのだろう。
俺が勝手に思っている『Hello World』に込められた二つの意味。
そのうちの一つが、『創造』だ。
俺は、俺たちはたった今、『生んだ』のだ。
たった半角一〇文字、スペース入れて一一文字の文字を出力するプログラムでしかないが、確かに生むことが、何かを創り出すことが、『創造』する事ができたのだ。
そして生まれたプログラムは、ちゃんとこう言うのだ。
こんにちは世界、と。
この感覚を、プログラミングをたった今、この瞬間までした事がない大島さんが感じてくれているなんて……!
「何でもっと早くプログラミングのこと言ってくれなかったんだよ! 言ってくれれば、すぐに教えたのにっ!」
自分と同じ気持ちの人にめぐり合えたということで、今度は俺のテンションが上がる。
「え! そうだったの?」
「否定する必要がないでしょ!」
「……じゃあ、さっきの罰ゲームもう一回やり直させて?」
「いいよいいよOKOK全然OK、って、え?」
上がりきっていた俺のテンションは、急行落下した。
「え、それって何でも言うこと聞く、っていう、アレ」
「そう。ソレ」
「いや、でもそれは、」
「もともと普通にお願いしても受け入れてくれるお願いだったのなら、ムコーです!」
そういいながら、大島さんは両手を交差させ×を作る。
「……大島さん、それは酷くないですか?」
「大丈夫大丈夫! 簡単なことだから」
「……本当に?」
「本当に本当だって!」
「……やっぱり大島さん、キャラ変わってるよね?」
「いい? 一回しか言わないよ?」
「……どうぞ」
「うん。あのね……」
どんな無茶を言われるのかと思っていると、
「……名前で、呼んで欲しいんだ」
「名前?」
「……『大島』じゃなくて、『緑』でいいよ、ってこと」
大島さんは、恥ずかしそうにそう言った。
……。
……。
……。
……いやいや。
いやいやいやいやいや!
勘違いするな俺! ただ名前で呼んでくれ、って話ジャン? でも俺そんなこと初めて言われたわけジャン? ドキッ、てしちゃうのも無理ないジャン?
大島さん、何でそんなこと今言いますかね? 今日俺をどれだけ勘違いさせれば気がすむんデスカ? つーか別に今のままでもいいんじゃないか?
というか、変に名前で呼ぶとか意識しすぎて、絶対また勘違いしちゃうから!
このまま行けば、告白してもらえるんじゃないかって勘違いしちゃうからっ!
「いや、でも、何で急に、そんな――」
「……ダメ?」
「ダメ、ってことは、ないけど……」
上目遣い反則過ぎるだろ、この人……!
「本当?」
しどろもどろになりながら答える俺に向かって、大島さんはうれしそうに微笑みかけてくれる。
……この浜辺に着てから挙動不審すぎるな、俺。これ以上ここに留まると、不審者として通報されるかもしれない。それに夜もふけてきたし、そろそろ宿に帰ろう。
砂を払いながら立ち上がり、俺は大島さんに話を切り出した。
「じゃ、じゃあ緑、さん? の真の目的だったプログラミングもできたことだし、そろそろ帰りますか」
名前で呼ぶことを了承した手前、大島さんの名前を呼ばないわけにはいかないだろう。
一瞬『ちゃん』付けでもいいかな? と思ったが、流石にそれは馴れ馴れしすぎる。ここは、『さん』付けが正解だ!
「え? 普通に呼び捨てでいいよ。『緑』で」
だから三回目は! 勘違い三回目はダメだって……!
「じゃ、じゃあ帰ろうか。……緑」
「うん。帰ろう、和春くん!」
そっちは『くん』付けなんですね! その衝撃がでか過ぎて、緑から名前で呼ばれたことへの動揺はまったくなかった。
……うそ。今来た。意識した瞬間に来たっ!
うっわ、顔熱い! 心臓バクバクしてる! 何これ? 何なのこれ? 超恥ずかしい!
「あ、和春くんのスマホ返すね!」
「あ、うん」
緑から自分のスマホを返してもらい、ズボンのポケットにしまいこむ。
……何が『あ、うん』だ。もう少し、何かあるだろう俺!
しかし、俺はその後気の利いたことをすぐには思いつかず、ゴミ袋とバケツを持って緑の後を追った。緑は懐中電灯を防波堤に向け、歩みを進めている。
「私、名前で呼ばれる方が好きなんだぁ。あ、私の名前、お母さんが付けてくれたの。私がお母さんのお腹の中にいたころ、お母さん風水にはまってたんだって」
防波堤に向かって歩きながら、緑は自分の名前の由来を話し始めた。
「風水的には、子供部屋を東側に作ると健康で元気いっぱいの子に育つらしいの。それで初めは、東って名前にしよう! って話になったんだって。それで、ちょっと運命かも、って思ってたときもあったんだけど……」
防波堤に到達した。緑は一度振り向き、俺がついてきていることを確認すると、また前を向き今度は階段を懐中電灯で照らし、上っていく。何か、引っかかった。
「まぁ流石に東はないよね、ってことになって。じゃあ何にしよう? ってなったときに東を守護する聖獣が青龍って話になってさ。……お母さんにも、何でここでいきなり四神が出てきたのかはわからない、その時のテンションだ! って言ってたけど」
だが、俺はその違和感を無視。
緑の話も、正直あまり聞いていない。まったく別のことを、今俺は考えている。
防波堤の階段を上りきったあたりで、俺はポケットにしまったスマホに手を伸ばした。
それに気づいた様子もなく、緑は自分の名前がいかにして付けられたかについて、とうとうと語る。
「自分の子供の名前を、テンションに任せて付けるな! って感じだよね! でも、この話聞いたとき私うれしかったなぁ。わけわかんなくなっちゃうぐらい真剣にわたしの名前考えてくれたんだ、って思ってさ」
緑は、既に懐中電灯の電源を落としていた。防波堤を上りきったため、街灯の明かりが俺たちを照らしてくれるからだ。少し薄暗いが、懐中電灯を使うほどではない。
緑は元来た道を迷いなく進んでいく。話もまだ止まらない。まだ青龍からどうやって緑になったのかの話に落ちがついていないのだから、当然といえば当然だ。
一方俺は、緑との距離を少しずつ空けはじめていた。
「青龍をそのまま付けるのは、東よりもない! って当然の結論になったのね。じゃあ青龍つながりで何かないかなー、って考えた時に青龍に関連する何かにしよう! ってなって、それで色が候補に上がったらしいの」
なるほど、大体落ちが見えてきた。緑は俺の予想を裏付をとるように、その先を続ける。
……俺も、先ほどから考えていることについて、結論を出そうとしていた。
「それなら『青』が付く名前とかになりそうなものだけど、四神には四色っていうのがあって、青龍は『青』の他にも『緑』の色もあることがわかったの。それを知ったお母さんが、『あら、だったら緑でいいじゃない。青よりもそっちのほうが可愛いわ。それに、緑色は青色と黄色を掛け合わせた色だから二つの意味があってお得よ!』だって! もともと方角の話をしていたはずなのに、結局色の話になっちゃって。しかも最終的な決め手は『可愛い』からと『お得』だから『緑』にしようって何よそれ! って感じ!」
「……でも、好きなんでしょ? 『緑』って名前」
「へ? あ、う、うん。そうなの。お母さん。私の名前を緑にして良かった、って言ってくれるし」
こちらを振り向いた緑の表情は少し照れていて、それでいながら誇らしげだった。自分の名前を、母親が一生懸命考えてくれたという事実がそうさせるのだろう。
だがその顔も、今は俺と緑との距離が離れていることに気が付いたことで、驚きに変わった。
「……和春くん?」
緑の表情に、心配の成分が混入される。先ほどまで一緒にプログラミングをして、はしゃいでいた相手が急に歩いていた距離をとったのだ。当然の反応だろう。
それを見た俺はうつむき、立ち止まった。
止まった場所は、切れかけの街灯の下。ちょうど緑、あの時はまだ大島さんと呼んでいたっけ、から線香花火をしようと打ち明けられた場所だ。
一時間ほど前の出来事になるが、今は街灯下でうつむいているのが俺、それを見つめる緑と、役割が変わっている。
うつむきながら、俺はその一時間前のことに思いを馳せていた。
街灯下にうつむいていた緑と、それを見つめていた俺。
俺は、緑から告白されるものだと勘違いしていた。
あのときの俺は、こんな可愛い子に告白されるんだ、うひょー! ラッキー! ぐらいにしか思っていなかった。
俺が大学に来た目的が達成できるのだと、女の子から告白してもらえるのだと、単純にそう思っていたし、俺もそれでいいと思っていた。
だから俺の勘違いだと気づいたときは落胆もあったが、どこかそれで納得していた自分もいた。
元々緑に告白してもらえることがラッキーだと、運なんだと思っていたのだ。それが外れたなら、それはそれでしょうがない。
コインを投げて、表が出るか裏が出るかをただ予想するゲームをしていたとする。
自分の予想が外れたら、確かに悔しい。残念だ。だが、それだけだ。
ただ、予想するだけ。当たっていたとしても、ヤッター! 当たったー! と思うぐらいだ。
だから、罰ゲームをかけた線香花火での二回目の勘違いも、期待はあったが予想が外れたときはそんな気持ちだった。
まぁ仕方ないよね。悔しいけれど、残念だけど、仕方ないよね。諦めることが、できた。
でも今は、できない。
焼きついているのだ。
俺がプログラミングをしようと言ったときの、驚いた表情。
コマンドプロンプトの色を変更しただけで、喜んでくれた。
なんて文字を表示させるか決められず、困惑していた。
文字を入力し終え、スマホのボタンを押すのに緊張していた。
押した瞬間、自分の期待通りの結果が表示されたとき、何が起こったのかわからず反応できなかった。
それでも、次の瞬間には自分のプログラムが動いたんだと、分かった。
自分の入力した文字が、きちんと表示されたんだと、理解した。
歓声を上げた。
その瞬間を、分かち合った。
そんな彼女の、緑の一挙手一投足が、あまりにも脳裏に鮮明に焼きついていて。焼きつきすぎていて。
でも、それでもよくて! 逆に残したくて!
忘れたくなくて! 彼女の言葉も、声も、耳に残っていて……!
俺にとっての『Hello World』の意味。生まれて初めて、自分と同じ考え方をした人に出会えたんだ。自分の好きなものを、分かり合える人だと思えたんだ。
信じれたんだ! もうきっと、この人以外にめぐり合えないと。こんな考え方ができる人とは、もう二度と出会えないと!
この人がいいと、本気で思ったんだ! この子に。
大島緑に告白してもらいたいと、そう強く思った。
明確に、鮮明に、あまりにも突然に、俺は彼女への恋心を、自覚した。
いや、思えばサークルの説明会の時から、俺は緑のことを意識していた。
それどころか、もっと前の入学式。あの日緑を一目見たときから、俺は……!
「どうしたの?」
黙ったままの俺を心配し、緑が声をかけてくれる。
……本当に。
本当に、俺はどうしてしまったのだろう。どうにかなってしまったんだろう。
だから。
だから俺は、今なら出来るんじゃないのか? と思ってしまったのだ。
緑の後ろを歩きながら、考えていたのだ。
大島緑から告白をしてもらうのではなく、『自分から告白出るんじゃないか?』と。
焦りは、あったんだと思う。もうこの瞬間を、今を逃せばチャンスはないのではないか? と。
今しかないのだと。三回目の勘違いは、残念だったねで終わらせたくない。
彼女の想いを、俺に向けたい! と。
どうしようもないほどに、思った。
想って、しまった。
だから!
「緑!」
「は、はい!」
俺は突然顔を上げ、緑を呼んだ。自分の名前を呼ばれた緑に緊張が走った。俺もスマホに伸ばした手に力を入れる。
と同時に、俺のスマホの着信音が鳴った。
「ご、ごめん!」
俺は慌ててスマホを取り出し、画面をタップ。着信音を消し、スマホを右耳に当てる。
「もしも、え、母さん? 何? うん。うん。って、それなら直接ねーちゃんに、あ~もう!」
俺は耳からスマホを離し、緑に呼びかける。
「緑!」
「何?」
「『Noisy myna』の開発! 手伝ってくれないか?」
「え、いいの? 私が手伝えることなんてないと思うけど……」
「まずはアドバイザーとして手伝ってくれればいいんだ! 『Noisy myna』に欲しいと思う機能を俺に言ってくれ! 緑が欲しいものなら、開発する俺のやる気も上がるし!」
「う、うん!」
「じゃあ、ごめん! 電話長引きそうだから先に宿に帰ってて!」
「わかった!」
俺は元来た道を、全力で戻る。
……うん。うん。わかってる。わかってる。言いたいことはわかってるから。
ヘタレだって言うのだろ? いくら電話がかかってきたからって、そこは電話を切ってでも告白すべきだったって。
甲斐性なしって言うんだろ? 女の子を夜道一人で帰すなんて、そこは電話しながらでも送っていけよって。
いやいや、それはできないんだって。電話を途中で切るなんてできっこない。そもそも電話なんてかかってきていないのだ。だから切れない。
緑を呼んだときに、いやその前から、俺は自分のスマホを操作してスマホから音を出したのだ。ちょうど、花見のとき絡まれていた緑を助けたときのように。
つまり、俺は告白しようとして、できなかったのだ。逃げ出したのだ。
ヘタレ、甲斐性なし、くず、などなど、もっとひどい罵詈雑言を、俺は浴びせられるべきだろう。俺も甘んじてそれは受けよう。
だが、どうしようもなかったのだ。そう。しょうがない。この状況では、しょうがないのだ。むしろ俺は今回よくやった方だ。あのまま告白なんて、続けれるわけがない。
何故なら、俺はもう我慢できなくなってしまったのだから。
あー、くっそっ! できれば線香花火をしていた浜辺まで行きたかったのだが、我慢できずしてしまった。
え? 俺が何を我慢できなくなったかって?
壊れて光を二度とともすことのなくなった街灯の下で。
俺は無様に道路の溝にうずくまり、嘔吐していた。
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