四月第一週 土曜日 花見

 絶好の花見日和。

 俺が駅から出た時に、一番初めに思い浮かべた言葉がこれだった。

 駅へ向かう電車の中からも満開の桜を一望できたので期待していたが、間近で見上げる桜の美しさもまた一入だ。風に乗って桜の花びらが顔にまとわり付くが、不思議と嫌な感じはしない。空も晴れており、快晴。だが、適度に風が吹いているため、適度な涼しさとなっていた。まさに、絶好の花火日和と言えるだろう。

 今日はサークルの花見の日。駅の改札を出たすぐそばにある公園が今日の花見の会場で、その公園の入り口で俺は夏輝と待ち合わせをしている。

 スマホを取り出して時間を確認する。ふむ。少し早く着いてしまったようだ。夏輝からのメールもない。夏輝とはあれから何度も会っており、アドレスも交換済みだ。

 今週、新入生は受講する講義登録の仕方などのガイダンスがメインで、ほとんどが午前中で終わるスケジュールとなっていた。全日程午後から暇な新入生を勧誘するサークルがほとんどで、『エル』も午後はサークルの説明会を行っており、俺も夏輝も毎日サークルの説明会へ顔を出していたのだ。毎日顔をあわせていれば話をする機会も増え、互いに新入生ということもあり自然と仲良くなった。俺の大学生で出来た友達第一号である。

「和っち、お待たせッス!」

 改札から、夏輝がこちらに手を振りながら歩いてくる。和春だから和っちなのだそうだ。

 ……高校では和春と名前で呼ばれていたので、あだ名で呼ばれると何というか、その、はずい。

「時間ピッタリだな、夏輝」

「あ、和っち! 自分のことは夏っちって呼んで欲しいって言ったッス!」

「女子か!」

 俺は再度自分のスマホの時間を確認する。待ち合わせ時間の一〇時を、少し過ぎていた。

「そういえば夏輝。この時間に集合って言ったたけど本当に大丈夫なのか?」

「何がッスか?」

「いや、ほら、この人だろ?」

 俺が指差した公園の中は、散った桜の花びらの数に負けないのではないかと思えるほど人がいる。この公園は絶好の花見ポイントとして知られているらしく、毎年この時期は県内の大学生やら社会人が集まり、賑わうらしい。うちの大学のほとんどの部活・サークルも参加しているそうだ。

 公園には池があり、毎年何人かが飛び込むのだと、ねーちゃんが呆れながら話していた。花見客相手に屋台も出ており、一種のお祭りの様な雰囲気となっている。朝見てきたニュースでは日曜日は雨の予報となっていたため、この絶景を見るチャンスは今日しかない。それもあって、いつも以上に混んでいるのだろう。

「そうッスね。すごい人ッス」

「いや、すごい人ッス、じゃなくてさ。夏輝に言われてとりあえず公園まで来たけど、その後のこと何も俺聞いてねーぞ? 先輩たちと合流できるのか?」

「大丈夫ッス! 誰か先輩が、プラカード持って会場まで案内してくれることになってるッス!」

「え、そうなのか? もらったチラシには会場の最寄り駅に集合としか書かれてないけど」

「和っちダメッスよ! 自分たち、もう大学生になったッスよ? 何でもかんでも自分の知りたいことを、一から十まで親切に教えてもらえるわけないッス! 必要な情報は、自分で調べないとダメッス!」

「な、なるほど。確かにそうだな」

 夏輝は外見こそ、ザ・大学デビューみたいな奴だが、真面目な性格をしている。サークルの説明会が終わったあとも、先輩たちに混じって自分から進んで片づけを手伝っており、俺は夏輝のそういう所を、ちょっと尊敬していた。

「おや? 君たちだけかな?」

 人の波をかき分けて、プラカードを掲げた高橋先輩がやってきた。

「お疲れ様ッス! 高橋先輩!」

「お疲れ様です」

「お疲れ。んー、和春君。今時間何時かわかるかな?」

「時間ですか? 一〇時一〇分ですけど」

「そうか。ありがとう。夏輝君、南さんから遅れるとか、何か聞いてるかな?」

 高橋先輩が、夏輝に確認を取る。毎日のように入り浸っていたので、俺も夏輝も先輩たちからは名前で呼ばれるようになっていた。

 ……あれ、でも何で福良先輩の話が出てくるんだ?

「何も聞いてないッス。メールもないッス」

「そうか。だったら、またあの人遅刻かなぁ?」

 どうやら福良先輩は遅刻の常習犯らしい。

 ……って、待て。今、夏輝は何て言った?

 俺は、自分の動揺を悟られないように、夏輝に質問する。

「あれ、夏輝。福良先輩のアドレス知ってたんだ」

「高橋先輩と福良先輩に、花見のことを聞いた時に一緒に聞いたッス!」

「連絡先を知っていた方が、便利だろ?」

 まぁなんという子でしょう! 自分だけ女子のアドレス聞くなんて! 暇だから毎日説明会に顔を出してるって言ってたけど、それが目的だったのね! 女の子に告白してもらうためにサークルに入った、俺が言うなって話だけどっ!

 いや、別にアドレス交換するのは普通だろ。あれだけサークルに通ってて、女の子のアドレス一つも交換しない方がおかしい。何してたんだよって話だ。

 え、俺? おかしい人ですけど? 何してたって、小川先輩の代わりに受け付けやってたんですけど?

 ……別に、小川先輩に頼まれたからずっと受付をやっていたわけではない。いや、それもあるが、大島さんのことが気になっていたのだ。受付にいれば、説明会の教室に入ってきた人に、一番最初に気がつくことができる。

 あの日以来、大島さんは一度もサークルに顔を出していない。大島さんと一緒にいた、本西さんもだ。

 あれから、大島さんのことばかり考えている。俺は、大島さんの事が気になって仕方がないのだ。せっかく新入生の女の子と仲良くなれるチャンスがあった受付をしていたのに、ずっと上の空だった。今日は来るって言ってたけど……。

「ごめんなさい。遅れてしまったわ」

 ゆったりとした動作で、福良先輩が改札をくぐり出てきた。遅れてると思っているならもう少し急いでもよさそうなものだが、相変わらずの妖艶さを振りまきながらこちらに歩いてくる。

 ……時間を確認すると、一〇時二〇分? 流石に二〇分は遅れすぎだろ。でも大学生になったら、これぐらい普通なもんなのか?

「大丈夫ッス! 自分たち今着いたとこッス!」

「あら、そうだったの。よかった」

「いやいや、そんなわけないでしょう南さん。二〇分は流石に遅れすぎですよ?」

 高橋先輩が、福良先輩をやんわりたしなめる。やっぱり、二〇分は遅れすぎだよな。

「そうね。ごめんなさい……」

 一転しなをつくって謝る福良先輩。伏せた眉の間からはうっすら涙が見え、春の陽気が先輩の頬を染める。先輩は自分の体を抱きしめ、豊満な胸を、より強調した。

「い、いいッスいいッス! もういいッスから! ほら、高橋先輩も早く行くッス!」

 顔を真っ赤にしながら、夏輝は公園に向かって走っていった。

 見かけに反して、真面目で初心って。お前が女の子だったらポイント高かったぞ、夏輝。

「あんまり新入生をイジメないでくださいよ南さん! おい夏輝君! 君は東さんが取った場所、知らないんじゃないかな?」

 高橋先輩は、慌てて夏輝を追うために走り出した。

「って、高橋先輩俺たち置いていく気ですか? 福良先輩もほら! 急いでください!」

 先行した夏輝をどうにか捕まえた高橋先輩を、俺は何とか見つけることが出来た。花見客が多すぎて、夏輝は思うように進めなかったようだ。

「まったく、もう。急に走り出さないでよ」

 あなたの所為でしょうが! と福良先輩に叫びたい衝動に駆られたが、すんでのところで思いとどまった。急に走り出したからだろう。福良先輩は息も絶え絶えにこちらにやってくる。滲んだ汗を拭う姿が、また……じゃなくて!

 この一週間、夏輝はサークルに顔を出していたのだ。俺はともかく、後片付けの手伝いまでしていた夏輝をわざと恥ずかしがらせればどうなるかぐらい、福良先輩にも想像できただろう。ひょっとして、わざとやっているのか……?

「和っち和っち! 見て欲しいッス!」

 考え事を中断し、夏輝が指差した方に視線を送る。

「……うわぁ」

 思わず、声が出てしまった。夏輝が俺に見せようとしていたのは、アーチだった。

 道の両脇に植えられた桜の枝を絡ませて作った、桜の枝でできたアーチ。その中をくぐる俺たちに、桜の花びらが優しく舞い降りた。

「すごいッス! 綺麗ッス!」

「本当にここは、いつ来ても綺麗ね」

「毎年ここで花見をしてるんですか?」

「ええ、そうよ。うふふ。東と出会ったのも、ここなの」

 恥ずかしそうにはにかんだ先輩の頬に、間違いなく照れによる赤みがさした。

 ……この人、こんな顔も出来るんだな。

 初対面の印象が強烈で、俺は福良先輩に対して苦手意識があった。でも俺の目の前にいるのは、思い人に恋焦がれる可愛らしい一人の女の子だ。これに藤井先輩もクラッと来たのかなぁ。大島さんのことを思うと、少し複雑な気分だった。

 アーチを抜ける。少し進んだあたりに噴水が見えた。

 フランクフルト、わたあめ、五平餅、串かつの順で屋台も出ており、それに並んでいるのは、他の大学の学生だろうか? どの屋台もそれなりに繁盛しているようだ。

「あ! あそこが会場ッスか?」

 噴水を通り過ぎ、しばらく歩いたところで、夏輝がビニールシートが並ぶの一角を指差した。あそこがサークルの押さえた場所なのだろう。既に『エル』の先輩が何人か集まっていた。

 その中に、大島さんの姿はない。

 ……今日は、来ないかもしれないな。ってなに落ち込んでるんだよ、俺! ちょっと大島さんのこと気にしすぎだぞっ! 俺だって、女の子から告白してもらうという目標があるんだ。人の心配ばかりしていられない。

「おはようございます!」

「おう、おはよう! 元気がいいな和春」

 藤井先輩に挨拶をしながら、俺たちはシートに座る。

 俺たちの目の前には、立派な桜の樹がそびえ立っていた。

「いい席じゃないですか、藤井先輩!」

「そうだろ!」

 俺の賞賛に、藤井先輩がさわやかに笑う。実際なかなかいい席だと思う。

 これは本心だ。

 だが――

「……トイレのそばなのね」

 そう。桜の木も近いが、同時にトイレのまん前というロケーションなのだ。

 しかし、それは言わないのがお約束というものだろ?

「アァ? 何か気にいらないところでもあるのか、南」

 福良先輩の不平に藤井先輩が声を荒げる。雲行きが急に怪しくなってきた。

 明らかに藤井先輩の様子がおかしい。説明会でもこんなところは見たことがない。

 ……説明会では、猫を被っていたのか? 顔も赤くなってるし、まるで酒でも飲んだような、ってビールの空き缶転がってるし!

 キャラが変わりすぎだと思ったが、この人場所取りした後に一杯やったようだ。藤井先輩は絡み酒か。覚えておいた方がよさそうだ。自衛のために。

「何だお前。人が早起きして取った場所にけちつけようって言うのかァ? そもそもお前はあの時だって!」

「ちょっと! それは今関係ないでしょ!」

「ほらほら東さん、南さん抑えて抑えてぇ。新入生君たちも見てるんじゃないかな?」

「北斗、お前ッ!」

「ほぉら東さん買出し部隊戻ってきましたよ! 寿司も買ってくるように言っておいたんで。ね?」

「でもっ!」

「南さんも、ほら! あれは後発の新入生送迎部隊じゃないかな? 女の子も居るみたいなんで、緊張しないように声かけてきてもらえませんかね?」

 一触即発だった雰囲気を、高橋先輩が割って入ることで無理やり元に戻した。流石自称今後『エル・レボルティーホ』を引っ張る男だ。

 藤井先輩も福良先輩も何か言いたげだったが、新入生の目の前で言い争っていたことにようやく気づいたのだろう。続きは、別の場所へと持ち越しになったようだ。

 活躍した高橋先輩や、互いにしこりを残した藤井先輩と福良先輩たちには悪いが、今はそんなことはどうだってよかった。正直なところ、俺はそれどころではなくなっていた。

 後発でやってきたメンバーの中に、『彼女』に隠れるようにして現れた本西さんの姿を、俺は見つけてしまったのだ。

 大島さんは俺が見ていることに気づくと、手を振って微笑んでくれた。

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