大学生活二日目 昼 サークル説明会

 フットサルサークルの説明会会場は、四〇〇人ほどが座れる大教室だった。

 俺は教室に入って早々サークルに先輩に声をかけられ、サークルの成り立ちなどについて早めのプチ説明会をしてもらっていた。

「というのがアタシたちのフットサルサークル『エル・レボルティーホ』、略して『エル』の説明だよ!」

「なるほど」

 俺は隣に座っている女性に向かって頷いた。俺に声をかけてくれたこの女性の先輩は小川 葵(おがわ あおい)。カジュアルなベージュのアウターにTシャツ、パンツ姿の小川先輩は笑ったときに口角がくっきり出る、笑顔が印象的な人だ。年上なのにもかかわらず、サイドアップにした髪が小川先輩を幼く見せている。

 そんな小川先輩に教室に入って早々、先輩が座っている二人がけのテーブルの上に置かれた入室名簿に、自分の名前、学生番号、携帯電話の番号、メールアドレスを書くように求められた。

 ……個人情報じゃん、と思いつつも週末に『エル』の花見が開かれ、その招待メールを送るのに必要だと言われた俺は、一にも二にもなく自分の個人情報をさらしたのだ。

 個人情報を記入した後勧められるまま俺は小川先輩の隣に座り、後から来た新入生に名簿の記入をお願いしつつ、先輩から『エル』についての説明を受けていた。

 ……って、俺小川先輩の仕事普通に押し付けられてるし!

 でも隣で機嫌良さそうに、にっこり微笑む小柄な先輩に俺は文句が全く言えない。あなたの笑顔はまぶしすぎる。

 俺は小川先輩と雑談しながら、教室に入ってきた人には手当たり次第声をかけていった。新入生と上級生の差が全く分からないので、手当たり次第声をかけるしかないのだ。

 俺が新入生と話している間、小川先輩はAndr○idのスマホをいじっていたが、先輩の仕事を請け負った替わりに同じ新入生、特に女の子と話す機会が出来たので俺は満足していた。でも、全員俺に対して敬語なのは何故? ひょっとして先輩と思われてるのか?

 たまに、勧誘のために外に出ていた先輩に名簿記入を求めて喜ばれる。

「まだ新入生として通用するわ!」「一〇代、一〇代!」と特に女性の先輩方が喜んでいるが、ごめんなさい。単に見分けが付かないだけです。

 ……おっ、また一人教室に入ってきたぞ。

「あ、すみません。新入生の方はこちらの名簿に記入をお願いします」

「はい?」

 教室に入ってきた女の子が、顔を上げた。

「……え?」

 俺は間抜けな声をあげてしまった。きっと間抜け面にもなっているだろう。だが、二重に間抜けなこの俺を、一体誰が攻めることができるというんだ?

「入室名簿ですか? これに名前を書けばいいんですね」

 そう言って新入生総代の彼女は、自分の名前を名簿に記載し始めた。

「これでよし、っと。これでいいですか? 先輩」

「……」

「……あの、先輩?」

「あっ! えっと、後、学生番号と携帯の番号とアドレスをお願いします」

 しばらく彼女、大島 緑(おおしま みどり)を見つめながらフリーズしていた俺がなんとか反応できたのは、小川先輩の代わりに新入生へ全く同じ台詞を繰り返していたからに他ならない。俺が一番初めに対応した新入生が大島さんだったら、もっとキョドってテンパっていただろう。

 ちなみに、フリーズしていた俺が大島さんのフルネームを知っていたのは、彼女が今記入している名簿をガン見したからである。

 大島さんの携帯の番号とアドレスの全容も、今彼女の手によって明かされようとしていたが、流石にそれを見るのはマナー違反だと思い、俺は視線をはずした。

「はい、書きました。明日翔ちゃんも、ほら」

「う、うん」

 大島さんに呼ばれた女の子は緊張しているのか、おどおどとした様子で大島さんの後ろから姿を現した。

 俺は大島さんを意識しすぎて、大島さんと一緒にいたセミロングの女の子にまったく気が付かなかった。

「はい。これに名前と学生番号と携帯番号とアドレスを書くんだって」

「う、うん」

 大島さんに言われるがまま彼女が書いた名前は、本西 明日翔(もとにし あすか)。少したれ目な顔立ちで、泣きぼくろが可愛らしい女の子だった。

「うん。大丈夫そうだね」

「う、うん」

 大島さんと本西さんの会話を聞いていると、本西さんがおどおどしているのは緊張しているからではなく、元々気の弱い性格をしているんじゃないのか? と思えてきた。

 ……さっきから「う、うん」としか言っていないし。この子、借金の連帯保証人の書類にサインを求めたら「う、うん」っと言って押印しかねないぞ。

「あ、あの、先輩。こ、これでいいでしょうか?」

 あ、よかった。普通に話せるんだ。隣の小川先輩に話しかけてるし、思ったより気弱な性格じゃないのかも。

「……」

「あ、あの……」

「先輩?」

「え? 俺?」

 大島さんに顔を覗き込まれて、初めて俺が呼ばれていることに気がついた。

 ……あ、先輩って、俺のこと? 小川先輩を呼んでいたんじゃなかったのか!

「ぷっ! 中嶋君キョドりすぎ!」

 スマホから顔を上げた先輩が、入室名簿を覗き込みながら会話に入ってきた。

「えっと、大島さんと本西さんか。よろしくね! あと、中嶋君は君たちと同じ新入生だから!」

「え! そうだったんですか? てっきり先輩だとばかり」

「ご、ごめんなさい」

「いや、こちらこそ、ごめん。ちょっと言い出すタイミングがなかなかなくって」

「っていうか、何で中嶋君先輩だと思われてるの?」

「ここで受付やってたからじゃないですか?」

「何で受付やってるの?」

「先輩がそれ言うんですか!」

「あはははははっ! ごめんごめん。でも中嶋君ノリいいね! そういうのいいと思うなアタシ! 中嶋君モテるっしょ?」

「モ、モテないですよ! 何言ってるんですか先輩!」

 元気良く笑う小川先輩に、照れながら返事をする。

「お二人とも、仲がよろしいんですね。元々お知り合いだったんですか?」

 大島さんが微笑む。だが俺は、その笑顔を真正面から見ることができない。

 ……動悸が激しい。落ち着けっ! 一旦深呼吸だ。大島さんに声をかけられてから周りが全然見えていないじゃないかっ!

 深呼吸して、俺は大島さんと本西さんを改めて見つめなおした。

 大島さんはライトカーキのショートモッズに、チェックのシャツとフリルデニムスカートで大学生! といった格好をしている。昨日の入学式で大島さんを見た時はスーツ姿だったので、ギャップがすごい。

 でも、入学式の時に見せていた、戦いに望むときのような緊張した表情より、今浮かべているやさしい笑顔の方が大島さんには似合っていた。

 その大島さんの影に隠れている本西さんは、ウェストを絞ったグレーのジャケットに白のカーゴパンツ姿。こちらもスレンダーな本西さんによく似合っていた。

 ……いかん。二人とも可愛すぎる。全然落ち着かない。

 そんな俺をよそに、美女三人の会話は続いていく。

「いんや、違うよ! 今日初めて会ったばっかり!」

「え! そうなんですか? 仲がよろしかったので、私はてっきり」

「わ、私もそう思いました」

「あの、申し訳ありませんが、先輩のお名前を教えていただけませんでしょうか?」

「おっと、これは失礼! アタシの名前は小川葵! よろしくね!」

「わかりました。小川先輩ですね」

「よ、よろしくお願いします」

「それで、小川先輩。お聞きしたいことがあるんですが――」

「あれ、ひょっとして緑か?」

 こちらの様子を、遠巻きにして見ていたうちの一人が大島さんに声をかけた。

 ……って遠巻き!

 気がつけば大島さんたちはかなり注目を、主に男性陣から集めていた。まぁこんな可愛い子達が居るのに、そっぽを向いている男なんていないだろう。

 そんな中こちらに声をかけてきたのは、男の先輩だった。

 顔は、はっきり言ってイケメン。整った顔立ちに薄く入れたメッシュの髪が似合いすぎている。こんなにイケメンなら、さぞかし人生イージーモードに違いない。

「あ、東先輩!」

「やっぱり緑か! 懐かしいなぁ高校以来か。元気だったか?」

「あれ、藤井君。大島さんと知り合いなの?」

 先輩の名前は藤井 東(ふじい あずま)というらしい。大島さんと藤井先輩は同じ高校出身で、藤井先輩はサッカー部のエース。大島さんはマネージャーだったそうだ。二人とも互いに下の名前で呼び合っており、ずいぶん仲が良さそうだった。藤井先輩と話す大島さんの頬は微かに赤くなっており、心なしかそわそわししているように見える。

「そ、それで、あの東先輩、」

「あれ、東何してるの?」

 大島さんが藤井先輩に話しかけようとしたタイミングで教室に入ってきたのは、『女』だった。

 そう、『女』である。

 小川先輩も大島さんも、もちろん本西さんも確かに可愛い。

 だけど妖艶さで言えば、この女性がダントツだった。

 胸元が大きく開いたブラウスに、ホットパンツという露出度の高い姿は、確かに刺激的だ。だが、それをあえてコーラルのトレンチコートで隠す格好は、男の野生的で暴力的な、その服の下を暴きたいという欲求を刺激する。

 丁寧にパーマを当てた髪を、気だるげにかきあげながら教室に入ってきたのは、そんな『女』だった。

「ああ、南。こっちにおいで」

「あれ、もしかしてこの中に東の言ってた『可愛い後輩』ちゃんがいるの? 紹介してよ」

 そう言って南と呼ばれた女性は、恋人がするように藤井先輩の腕に自分の腕をまとわりつかせた。

 そんな二人を見て、大島さんの顔が凍る。

「……え?」

「紹介するよ。彼女が俺の高校時代の『可愛い後輩』の大島緑だ」

「はじめまして」

「は、はじめまして……」

「それでこっちが俺の『彼女』の福良 南(ふくら みなみ)だ。タメで、同じ三年生」

「よろしくね。緑ちゃん」

「よ、よろしくお願いします。福良先輩……」

「やだ、緊張しちゃってるの? 南でいいわよ。これからよろしくね。緑ちゃん」

 勝手に話を進める藤井先輩に返事ができた大島さんを、俺は心の中で賞賛した。

 ……いや、だってこの状況普通わかるだろ?

 大島さんはきっと、藤井先輩に憧れを、いや、恋心を抱いていたのだろう。そんな憧れの先輩に、彼女ができていたのだ。それを見て、ショックを受けたに違いない。

 真っ青な顔をした大島さんをよそに、この二人は「私、新入生に声をかけて連れてきたのよ?」「偉いなぁ南は」「うふふ」と見せ付けるようにイチャイチャし始めた。

 気遣うように本西さんが大島さんに寄り添った。

「だ、大丈夫?」

「う、うん。平気」

 平気なわけがない。

 小川先輩は、藤井先輩と福良先輩を見つめて「相変わらずラブラブだね」と言いながらも目が全く笑っていない。今の小川先輩と目を合わせたら、きっと心が凍りつくことだろう。それにしても、怒り方が尋常ではない。

「あのぉ。空気読めてないの分かってンッスけど、そろそろ自分の紹介して欲しいッス!」

 本当に空気が読めないタイミングで、教室に染めたての金髪の男の子が入ってきた。はい! 自分大学デビューしました! というテンプレみたいなやつだ。

 そういえば、福良先輩が新入生を連れてきたと言っていたが、彼のことのようだ。

「自分! 鈴木 夏輝(すずき なつき)って言うッス! よろしくお願いしまッス!」

「あ、だったらこの名簿に名前、学生番号、携帯の番号、メールアドレスを記入して」

 俺は何度も新入生に繰り返してきた台詞を言って、鈴木君に名簿の記入を求めた。この憂鬱な状況を打破できる、チャンスだと思えたからだ。

「了解ッス! 先輩!」

「いや、俺先輩じゃないから。鈴木君と同じ新入生だから」

「えぇ! そうなんッスか? 何か雰囲気あったんで、間違えちゃったッス! って、だったら敬語必要なかったッスね!」

「雰囲気って……。俺そんなに老けて見えますかね? 小川先輩。あと鈴木君。語尾に『ッス』を付けても敬語にはならないからな!」

「えぇ! そうなんッスか?」

「そうなんだよっ!」

「んー、さっきの中嶋君の質問に答えるなら老けてる、かな?」

「えー! マジっすか?」

「中嶋君も『ッス』って使ってるッスよ! あ、中嶋君でいいんッスよね?」

「……クス」

「あぁ何で笑うんッスか? え、えーと、どちら様ッスか?」

「「あははははっ!」」

 馬鹿な話で、場も和んだ。とりあえず、今は何とかなりそうだ。

 俺は大島さんを盗み見た。ぎこちないながらも何とか笑えている。大島さんの藤井先輩への気持ちは、彼女が自分でケリをつけるだろう。

『あ、あぁああああ。テステスマイクテス。うっしいい感じ! プロジェクターもOKね?  じゃ! そろそろ人も集まってきたみたいだし、説明会、開始しちゃおうか?』

 教室の壇上で喋る茶髪の先輩は高橋 北斗(たかはし ほくと)と名乗った。大学二年生で、今後『エル・レボルティーホ』を引っ張るのは自分だと、自己紹介でそう話していた。

 分かりやすいく、簡潔にまとめられたスライドにそってスラスラとサークルの説明をする高橋先輩の話は、確かに聞きやすかった。だが、ここまでの説明は既に小川先輩に聞いていたため、俺は正直暇だった。追加で知った情報は、サークルを辞めるときは部費さえ払っていれば好きに退部してもいい、ということぐらいだ。このサークルで彼女をつくって、ウハウハになる予定の俺には関係のない話だった。

『はいはい。じゃ次のスライド、いっちゃおうか?』

 高橋先輩の声にあわせて別のスライドが表示される。

 そこに表示されたスライドの内容は、かなり分かりやすかった。

『週末土曜日、花見開催します☆ 新入生タダ! タダ食いタダ飲み歓迎☆☆』

 ……新入生に向かって飲みとか言っていいのか?

 俺以外にも同じ疑問を持った新入生も居たのだろう。ちょっと教室がざついた。

『はい。飲み、って書いてあっても別にお酒とは一言も言ってないじゃないかな? ジュースだってコーラだって飲みは飲みだぜ? それにストレートに大学に進学できずに浪人した人だっているんだし、自分が二〇歳未満だからって他の人も自分と同じだと思ったら、いけないんじゃないかな?』

 なるほど。確かに何を飲むとは書いていないし、浪人して今年大学に入学した人なら、二〇歳以上の人がいてもおかしくない。高橋先輩の言うとおりだ。少し視野が狭まっていたのかもしれない。大学生なのだ。もっと視野を広げて、常にいろんな可能性を考えるべきだ。それが大学生に、大人に近付いたということなのだ。

『あ、最後に一言付け加えておくけどm○xiとかFaceb○○kとかTw○tterとか、自分が二〇歳未満ってSNSで公開している人は、飲んだことを書き込むのは、まずいからね?』

 ……思いっきり酒のことじゃねーか!

『もう質問は、ないみたいだね? それじゃあ今日はこんなところで、解散しちゃおうかな?』

 ぞろぞろと新入生が教室の外に出て行く。まだ質問のある新入生は、高橋先輩や他の先輩を囲んで何か質問をしていた。プロジェクターの電源を落としたり、机を元の位置に戻すように指示を出す藤井先輩の姿も見える。教室の撤収作業をしているのだろう。

 その様子を横目に、俺はある人を探していた。

「中嶋君、何してるッスか?」

 声をかけられ、鈴木君の方に振り向く。

「ああ、大島さんを探してるんだけど」

「大島さん? ああ、さっき話してた女の子のことッスね!」

「そうそう」

 藤井先輩の件で、少し大島さんが心配だったのだ。

「あ、いたッスよ! おーい!」

 鈴木君が手を振るほうに目を向けると、確かに大島さんと本西さんの姿があった。二人ともこちらに気づき、手を振ってくれる。大島さんの笑顔がぎこちなく、俺の『どこか』がズキズキ痛んだ。

 痛んだ理由は、わからない。

「もう帰ろうと思ってたんだけど、どうしたの?」

「ああ、週末の花見の事なんだけど、」

「行くわ」

 週末土曜日の花見には、確実に藤井先輩も参加する。お節介だとは思ったが、せめて少し時間を空けた方がいいと言うつもりだった。自分を傷つけた相手と、一緒に居る必要はない。

 なのに、大島さんは――

「行くわ」

 俺の目を見てもう一度、はっきりとそう言った。

 本西さんと鈴木君が、驚いたのが分かった。俺も驚いた。

 昨日の入学式。俺は大島さんのことを戦乙女に例えた。あの時、彼女には戦場に赴く戦士の凛々しさがあった。

 それは、今も変わらなかった。

 後頭部がチカチカして熱い。その熱さに合わせるように、俺の『どこか』も痛んだ。

「……行く、の?」

「だって、大学生になってはじめての花見だもの!」

「そうッスか! 自分も行こうと思ってたッス! 中嶋君はどうするッス?」

「あ、ああ。俺も行こうと思ってたよ」

 鈴木君に返事をしながら、俺は、こんなもんなんだろうか? 大島さんはスッパリと割り切れたのだろうか? と考えていた。

 そんな俺の勝手な心配をよそに――

「行かないと損するわ。ね、明日翔ちゃんもそう思うでしょ?」

「う、うん」

 彼女は本西さんに、微笑みかけた。

 自分の心臓が、脈を打っているのがわかる。

 どくん、どくんと脈を打つ度、痛んだ『どこか』が、疼いた。

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