真実~12年前

 ああ、やっと会えた。ずっとずっと会いたかった。

 あなたを忘れられない自分が嫌だった。

 でも、こんな形でも。

 もう一度、あなたに抱きしめてもらえたなら……私は幸せ。


 電話が鳴る。

 一人、家で皆の帰りを待っていた知は受話器を取った。

 崇からの報せに打ちひしがれながらも、急ぎ守秘回線の番号を回す。

 責められるだろう。失望させるだろう。

 それでも全てを伝えなければならなかった。

 これこそが自分に託された使命だと強く思わなければ、すぐにでも崩れてしまいそうだった。

『はい』

 緊張を含んだ声に、知は堰を切ったように告げる。

 行方知れずだった芽が秘かに戻っていた事。

 それはストーカー被害から逃れる為だったという事。

 管理を任されている空き家に、一時的に避難させていた事。

 定期連絡がなかった為、崇が様子を見に行った事。

 そして、見付けた時には事故に遇っていた事を。


 降りしきる激しい雨の中、車を走らせていた。

 焦る気持ちから苛立ちが募る。

 ある人物から緊急の連絡が入った。

 その内容は俄には信じられないものだったが、司は急ぎ屋敷を後にした。

 頭の中で耳にした内容を反芻してみる。

 恐らく事実なのだろう。何故ならば、その人物がこの件に関してのみならず、笑えない冗談や見え透いた嘘をつく筈などないと知っていたからだ。

 そして何よりも電話の向こう側から伝わる緊迫した空気が、司自身を駆り立てたからだ。


 目的地の手前に着くと、助手席にあるレインコートを身に纏う。頭からすっぽりとフードを被ると、躊躇う事なくドアを開けた。

 耳を刺激する雨音と時折響く雷鳴が、焦りを増させる。鍵をかけると意を決し、山の中へと入った。

 慣れ親しんだ道。まとわりつく感覚。目を閉じていても、そこに辿り着けると思える。それ程に鮮明だった。皇の血がそうさせた。


 山の中腹、ここを知り尽くした者でないと気付かないような場所に小さな洞穴がある。今、その場を知っているのは司の知る限り、数える程しかいない。

 息を整えながら目を凝らすと、風が流れ込む度に揺れる灯りの先に影が滲む。ある人物の姿を認めると、ゆっくりと近付いた。

「……御館様」

 いつもなら優しさに溢れている声が、悲壮感に支配されている。

「電話の件、事実ですか?」

 尋ねた瞳に映ったのは知だった。話は聞きたかった。しかし視線の先に、ずっと求めていた存在があった。考えるよりも早く体が動いていた。

「芽……芽っ!」

 駆け寄り、膝を折ると昔よりも大人びた幼なじみを見つめる。その体には無数の傷があり、応急処置を施された顔は、巻かれていた包帯よりも白かった。

 その側では崇が小さな女の子を抱きかかえている。

 落ち着いて辺りを見渡せば、芽の隣に幼い少年の姿も見えた。二人からは自分の子供達と年が近い印象を受け、司の心を更に痛めた。

「この子達は?」

 聞かなくても本当はわかっていた。

 芽が村を出た理由。それが瞬時に理解出来た。

 どうして気付けなかったのかと、激しい自責の念に襲われる。

「私達の孫です」

 崇の震える声に知は瞳を伏せる。

「どうして……どうして教えてくれなかったんですかっ!」

 怒りをぶつけても何も解決などしないのに、司は感情を制御出来なかった。

 嘆き悲しむ青年に報せなかった事を崇は悔やむ。だが、芽に懇願されたのだ。

『お願い……お父さん。司ちゃんには私達の事、話さないでっ!』

 しつこく付きまとう男に見つかる危険よりも、村の者達に戻って来た事が知れてしまう可能性を酷く恐れていた。

 だからこそ以前から抱いていた疑念を確かめる勇気を持てず、その希望を叶えてやる事しか出来なかった。

 ほんの少し前に目にした様々な事を思い出し、樹を抱きしめる手に力が入る。

 そのまま、崇は項垂れるしかなかった。


 芽と槙に適切な処置を施すと、司は樹の状態を見る。

 無機質なガラス玉の瞳は何も映していない。外的なショックよりも内面が傷付いているのは明らかだった。

 幼い少女の痛ましい姿に肩を落とす。崇や知が悪い訳ではないと、頭ではわかっている。だが戻っていると報せてくれていれば、何らかの救いの手を差し伸べる事が出来ていたかもしれない。

 たらればの堂々巡りだ。今となっては結果論だった。

「お願いしますっ! 二人を助けて下さいっ!」

 悲痛な叫びが胸を貫く。芽と槙に一刻の猶予も残っていない事は、最初に見た時からわかっていた。そして崇と知が自分に助けを求めた理由が、医者として以外にある事も。

 だが成す術がない。儀式には器がなければ。

 その時、背後に気配を感じ、司は振り返る。

 そこにいたのは、予想もしない存在だった。

「私が全てを、お話しました」

 突然の告白に崇は驚いて知を見る。

 しかし司の目は、現れた人物の腕の中に抱かれている幼子に注がれていた。


「忠……」

 椿忠は当主として村を支える一人であり、司の親友でもあった。そして芽の親友、環を妻に迎えている。

 四人は幼なじみにあたり、今の統達と重なる部分が多々あった。同時に椿夫妻には、生まれつき病を患っている息子がいる事も思い出した。

「御館様への連絡を終え、合流すべく家を出ようとした時です」

 再び電話が鳴った。そして知は訃報を知った。

 芽と仲の良かった環は芽がいない間も杠家を度々訪れ、崇と知を励ましてくれていた。いつしか知は環に娘を重ね、環は知に亡き母を重ねていた。

 その後、忠と結ばれた環は男の子を出産したが、その子は体が弱く、病院にずっと入院していた。

 環が雪を授かった時には、知が代わりに病院に付き添った事もあった。

 泣きながら我が子の死を悼む環に、知は芽について打ち明けた。


「この子は……」

 泣き腫らした瞳のまま、真っ直ぐに忠は三人を見る。

「先程……息を引き取りました」

 司の顔が苦痛に歪む。

「例え魂は失われたとしても、芽の子供と共に生きていけます……それは環の願いでもあるんですっ!」

 目を閉じれば、脳裏に蘇る。

 仲睦まじく美しく、芽と環が並んで歩いている。村の華として讃えられていた、在りし日の二人の姿がそこにあった。

「……あつ……し、くん……」

 うっすらと意識を取り戻した芽が、震える手を空に伸ばす。動けずにいる忠の腕から幼子を受け継ぐと、側に行くように促した。

 司には芽がいなくなった理由がわかってしまった。

「どうして? どうして俺の前から、いなくなった?」

 その手を握り締めながら問いかける忠に、芽は悲し気に笑む。

「だって……環も、好き……だったから」

 大切な親友。なのに私は裏切って……あなたと結ばれた。

 あなたにだけは、槙の事を知られたくなかった。でも、抱きしめてあげて。

「この子は……あなたの……」

「……芽? 芽っ!」

 腕の中で項垂れ、意識を失った芽に忠は叫ぶ。真実を悟った知は口元を両手で押さえながら、涙を流した。

「このままでは本当に手遅れになってしまいますっ!」

 普段、声を荒げる事などない崇が叫んだ時、既に司の心は決まっていた。

『司ちゃんは、私の大切なお兄ちゃんだから』

 司には許嫁がいる。親同士が決めた相手とはいえ、司は彼女を心から愛していた。成人した暁には、迎えに行くと約束していた。芽もその女性を、実の姉のように慕ってくれていた。

『二人が結婚したら、私にはお姉ちゃんが出来る。だから絶対に幸せになってね』

 そんな嬉しい言葉を笑顔で、いつも伝えてくれた大切な妹。

 芽を……必ず救う……!


「儀式を」

 それは背徳行為だと呼ばれるのだろう。

 しかし、この村の存在意義は、正にそこにあった。

 器である体が死しても、魂は残せる方法。儀式が間に合わず、死んでしまう者もいた。また、自ら命永らえる事を断つ者もいた。

 何年も何十年も……いや、何百年も。そうやって山を護り続ける為だけにある村。

 その意志を継ぐ為だけに繰り返されて来た儀式。


 こうして椿夫妻の長男だった幼子に槙の魂は引き継がれた。

 芽の魂は村に住む夫婦の間に生まれたものの、急死してしまった赤子に引き継がれた。


 そして、樹だけが残った。

 樹だけが……そのままだった。

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