刑事殺し

 突然の訃報に統は愕然とした。

「では御当主様には、改めて御礼に伺わせていただきますとお伝え下さい」

 湯上がりのさっぱりとした表情は爽やかで、一番最初に感じた印象よりも変わりつつあった。

「わかりました。そのように申し伝えます」

 多分、親近感すら抱き出していた。

「気を付けてお帰り下さい」

「ありがとう、統君。また明日」

 笑顔で去って行ったのに。

「また明日、そう言ったじゃないですか……綾部さん」

 行き場のない怒りと未だ見えない犯人像。

 統は体が震え出すのを止められなかった。


 雪の元へと向かう支度をしていた樹の耳にも、その報せは届いた。

「刑事さんが?」

 自分に事情聴取をした二人の姿が、瞬時に脳裏に浮かぶ。

「若い方の刑事さんだったそうだよ」

 知は顔を曇らせた。

 まだ先のある若者が老いている者よりも先に逝ってしまう悲しみ。

 綾部にも、そして来栖にも面識が出来ていた老婆は心を痛めた。

 同様に少女の心にも暗い影を落とした。

 二人は知っていた。

 遺される悲しみを。


 来栖は変わった。

 以前は厳しい眼差しを持ちながらも飄々とした笑顔で隠し、温和な雰囲気を纏っていた。だが今は、剥き出しの鋭さが彼を包んでいた。

 刑事殺し。

 数ある犯罪を憎む来栖にとって、それは忌むべき行為の最たるものだった。

 犯罪に大きいも小さいもない。犯罪は犯罪だ。罪を犯した者は、その罪を償うべきだ。

 そう思っていた自分の中に、別の芽が産き出すのがわかる。

 それが復讐という負の感情だと気付くと、振り払うかのように頭を左右に振った。

「考えろ……考えろっ!」

 思考を巡らせると、手向けの花が視界に飛び込んでくる。

 誰もいない捜査本部の一角、白百合が儚く佇んでいる。

「お前は何に気付き、何を見たんだ?」

 その手元に握られていたのは無惨に壊れた携帯電話。

 もし、これが使えていたら助けを求められたのだろうか?

 しかし、あの場所は電波が届かなかった筈だと鑑識からも聞いていたし、実際に来栖の携帯も圏外になっていた。

 心が軋む。

 あんな淋しい場所で、たった一人ぼっちで……綾部は死を迎えていい筈などなかった。

 未来のある若者だった。警察官として、また刑事としてどんな風に成長するのか楽しみにしていた。

 子供がいなかった為、息子がいたらこんな感じだろうかと思った事もあった。

 自分を慕い、後を付いて来てくれた姿を思い出すだけで胸に何かが痞える。

 きちんと泣けないのは、まだその死を認めたくないからだ。

 自宅にも呼んだ事があり、手料理で綾部を持てなしてくれた妻に報せた時を思い出す。

 電話の向こうで泣いていた。自分の代わりに泣いてくれていた。


 時間厳守が徹底されている世界。綾部は常に五分前行動を心がけていた。

 だが、そんな青年が交代の時間になっても姿を現さなかった。

 連絡すらない。嫌な予感がした。

 携帯にかけてみると、切り替わった瞬間に流れたのは無機質な音声案内。

 電波が届かない? 電源が入っていない? すぐに赤井に報告をした。

 夜半を回っていたが、皇家に確認の電話をすると綾部は午後10時前には屋敷を後にしたという。

 仁に連絡をし、周辺を捜索してもらうと林道脇に車を発見したと無線が入った。

 来栖は思った。綾部は山に入ったのではないかと。

「大至急、山を捜索だ!」

 同じ考えに到った赤井の声に、全員が一斉に動き出す。

 駆け付けてくれた仁が進言した。

「待って下さい! 夜の山は危険です!」

 そんな事は百も承知だった。

 村に長年住み、ここにいる誰よりもその危険度を理解した上で訴えてくれているのもわかった。

 それでも無言で支度し続ける。流れを断とうと、再び仁が何かを言いかける。

 しかし、はっと息を呑むと小さく呟いた。

「御館様」

 視線の後を来栖は追う。

「失礼します」

 皇司が立っていた。威厳漂う姿に時間が停止する。

 その中を縫うように歩くと、赤井の手前で、ぴたりと立ち止まった。。

「案内役に我が村の自警団を御連れ下さい」

 的確な申し出に、仁が安堵の表情を浮かべる。

 自分よりも年下であるにも関わらず、司の放つ圧倒的な存在感は人を惹き付けるカリスマ性をも含んでいる。

 それと同じものを来栖は、ある一人の少年からも感じていた。

 彼の息子、皇統だ。

 まだ本人は自覚していないだろうが、いずれその魅力は開花するだろう。

 二人は似ている。親子なのだから当たり前なのだろうが、改めて気付かされた。

「来栖……来栖っ!」

 赤井に呼ばれ、はっと我に返る。

「あ……すみません」

 集中力に欠けている自分を恥じる間もなく、指示を受ける。

「お前は車を調べて来てくれ」

 捜査本部に在籍する刑事と自警団の少数精鋭で山に向かう。

 赤井他数名はこの場に残り、戻るかもしれない綾部を待つ。

 そして、一番重要な仕事。行方の鍵を握るかもしれない場に、誰よりも来栖が行くべきだとの賢明な判断だった。

「出ますっ!」

 扉近くに、かけてあった上着を剥ぎ取る。

「私も一度戻り、自警団を召集して参ります」

「御協力感謝致します」

 司に赤井が礼を告げる。

「橘を案内役に残しますので、山の入口でお待ち下さい」

「わかりました。我々もすぐに向かいますので、よろしくお願いします」

 主導権はこちらの手中だが、村の協力なくしては一歩も前に進めない事を重々承知していた赤井は頭を下げた。


「来栖さん」

 部屋を後にしかけた背中に、声がかかる。

「こちらに向かう途中、それらしき車を見ました。よろしければ御案内させて下さい」

 一瞬、躊躇したが赤井からの無言の後押しに頷く。

「では、お願いします」

 二人は連れ立ち、廊下を急ぐと村役場入口に停まっていた車に向かう。

 乗り込もうと扉に手をかける寸前、控えていた運転手が抜群のタイミングで開けてくれた。後部座席に座ると、あまりの心地好さに体が沈み込む。

 黒塗りの重厚な車、お抱えの運転手。右隣に座る司を観察すれば、上等な素材で仕立てられた着物を着ていると素人目にもわかる。

 かたや自分は、よれよれのジャケットにくたびれたワイシャツ、ネクタイすらしていない。

 だが今は、なりふりなど構ってはいられないのだ。

 来栖は祈るように窓の外を見た。

 皇家へと車は走る。

 その途中に続く林道に、綾部が乗っていた車は停まっている。

 スペアキーがあるので中の確認は出来る。何かを残しているかもしれない。

 来栖は綾部が何かを見て、単独行動に出たのではないかと思っていた。だが何処かで、何事もなかったみたいにひょっこりと、あの笑顔で戻って来るかもしれないとも思いたかった。

 それならばどんなにかいいだろう。しかし青年に何かがあった事を裏付ける要素が多すぎるのだ。

「大丈夫ですか?」

 そう問われ、自分が暫し思考の海に囚われていたと気付かされる。

「大丈夫です。御気遣いありがとうございます」

 薄暗い車内でも、静かに首を左右に振ってくれたと伝わってくる。その時、来栖は司に出会った時から思っていた事を口にしてしまった。

「統君ですが……」

「統、ですか?」

 声に不安が混ざる。

「ああ、いえ。驚かせてしまったなら申し訳ありません」

 来栖は慌てて弁明する。

「彼は皇さん、貴方に本当にそっくりですね」

 さっと射し込んだ儚い外灯の光が、穏やかな表情を一瞬だけ照らす。

「そうですね。私に一番似ているかもしれません」

 子を思い、無意識に笑顔になる。それが親というものなのだと思わされた。


 綾部が乗っていた車を認めると、来栖は停車した車から降りた。

「ありがとうございました」

 下げられた窓の向こうにいる司に礼を告げる。

「自警団を連れ、直ぐに戻ります。医者もいた方が何かの時、お役に立てるでしょう」

「お願いします」

 純粋に心配してくれていると伝わってくる。来栖は一礼する。

「雨も降りそうです。雨具もお持ちします」

「雨、ですか?」

 思わず夜空を仰いだ。

「ええ。雨の匂いがします」

 そう残すと司を乗せた車は去って行く。

 漆黒の闇に紛れ、消えて行くのを見送りながら、

「雨の……匂い」

 呟いた頬に、ぽつりと滴が触れる。

 やがてそれは増していき、針のような雨に包まれた。不安が来栖を覆う。

 上着のポケットからスペアキーを取り出すと、車のドアを開ける。

 瞬間、防犯ブザーが不愉快な機械音を奏で、心臓を跳ねさせた。

 軽い苛立ちを覚えながらもスイッチを切ると、運転席に体ごと滑り込む。

 ドアを閉めると同時に車内灯が消えてしまった為、天井にあるボタンを押す。

 ぱっと点いた、その淡い光すら眩しくて目を細めた。

 以前は雑然としていた車内は綾部の手により整理整され、快適な空間へと変貌している。そういう所にも両親に愛され、大切に育てられたのだと感じた。

 だが真っ直ぐな位に正義感が強く、頑固な面もあるので心配だった。

 慎重さから誰にも相談をせず、自ら何かを抱え込んだまま行動する。

 まるで昔の自分を見ていると感じる事があった。だから、余計に歯痒く思った。

 そんな事を思いながらも、来栖は素早く車内を調べる。

 だが、これと言って何も見つからない。

 だとしたら、突発的な事案だったのかもしれない。

 それすら出来ない状況だったのかもしれない。それとも……

「そこまで警戒をする必要がなかった?」

 頭の中で、目まぐるしく考えが浮かぶ。

 しかし今の自分に出来る事は、赤井に報告を入れる事だと思った。

 無線を入れ、ありのままを告げると指示が下りる。

「わかった。そのまま待機していてくれ」

「了解」

 車内灯を消すと、運転席からフロントガラスを見る。

 弾かれる雨粒が大きくなってきた気がする。

「綾部……無事でいろよ」

 無意識に呟いていた。

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