山狩り

 ××県△△地方にある○○は、背後に山を望む小さな村だ。

 一番近い町へ行くにも交通手段に乏しい。

 しかし高校はそこにしかない為、統達は自転車で通学している。

 小・中学校だけは分校という形で村にあるが、今は数人しか在籍していない。

 過疎化が進み、後継者不足に喘ぐ村の存続は正に統達が担っていると言っても過言ではなかった。


 村の入口に程近い場所に、その駐在所はあった。

 橘仁は昨夜この村で起こった前代未聞の事件で、一睡も出来なかった。

 おまけに県警の御偉方が来るとあっては、気を抜く事も出来ない。

 細々とした手配や煩わしい手続きに奔走し、午後から山へと向かう前にやっと戻って来れた所だった。

「雪ちゃん……大丈夫かな」

 ふと深夜に自宅まで送り届けた雪の事が気にかかる。

「あ~っ! 他の人の事、考えてる~っ!」

 すると、背後から可愛らしい声が責め立てた。続いて体全体に軽い衝撃を感じる。

 視線を落とすと少女が仁を見上げながら、にこにこと笑っていた。

ゆいちゃん」

 名を呼ぶと、同じ目線になる為に膝を屈める。

「学校は?」

「今日は午後からお休み」

 結は元気よく答える。

 あんな事件の起こった翌日だ。子供達の安全の為、午後の授業を休校にしたのだろうと仁は思った。

 それに大多数の大人達は山狩りに駆り出されようとしている。それもあっての事だろうと考えていると、突然、結は仁の頬を摘みながら真横に引っ張った。

「仁、ふに~っ!」

「ゆ……ゆいひゃ……ん」

「仁~、笑顔~」

 無抵抗を宣言すべく小さく両手を上げてみせても、屈託なく笑うだけ。

「ひゃい。わかひまひた」

 敬礼を見せると、やっと納得してくれたのか手を離してくれる。

「仁は笑ってないと駄目! でないと結、お嫁さんになってあげないよ」

 来年中学生になるという少女に逆プロポーズされ、思わず笑みが浮かぶ。

「結ちゃんが村一番の美人さんになるのは楽しみだけど、その頃には俺、オジサンになってると思うよ」

 ぽんぽんと頭を撫でてやると唇を尖らせ、拗ねたように呟いた。

「難しい話……結、わかんないもん」

 買い物袋を手にした結の母、楠純くすのき じゅんがやって来る。

「結、お待たせ。さぁ帰りましょう」

 目が合うと控え目な会釈をされたので、仁も返した。

「ほら、お母さんが呼んでるよ。気を付けてお帰り」

 仁の言葉に結は頷くと、駐在所を飛び出す。

「浮気しちゃ駄目だからね! バイバ~イ」

「浮気って……どこで覚えたんだ」

 体よりも大きく見える赤いランドセルが、走る度に揺れている。

 その姿を仁は、穏やかな眼差しで見送った。


「では各班に別れ、榊啓の捜索を行う」

 捜査本部長としても辣腕を奮う赤井の説明が始まる中、来栖は自分の思考の海に身を沈めていた。

 村の中央にある広場に集まったのは警察・村の自警団、合わせて50人。

 その片隅には祭に向けて用意された提灯等があり、やぐら用に組まれる予定であっただろう材木が積み重ねられている。

 蝉の声が一際大きく響く。

 夏の午後の陽射しは容赦なく体に照り付け、流れる汗を更に促進させた。

「一班はAルート、二班はBルート、三班は……」

 手元にある地図を見ながら、更に続く指示に耳を傾ける。

 だが来栖は、自身の内側で何かが引っかかっている気がしてならなかった。

 説明が終わりを迎えると各々指示された班に固まり、ルート毎に散って行く。

 昨夜の事件から既に15時間以上が経過している。40代後半に差しかかろうとしている体に鞭打ち、来栖は足を進めた。同じ班には綾部もいる。

「お前は残って聴き込みしていても良かったんだぞ」

「いえ、自分は来栖さんの下で色々学びたいですから」

 綾部だけに聞こえる声量で告げると臆面もなく、こちらが恥ずかしくなってしまいそうな事を真顔で言う。

 若さゆえというか、真っ直ぐすぎるというか……嬉しくなると同時に心配になる事も多かった。

「相変わらず熱いなぁ」

「橘」

 からかうでもなく呆れるでもなく、心から感心している声音に視線を向けた綾部の表情が、一瞬だけ明るくなる。しかし、すぐに戒めるように沈む。

「久しぶり」

 来栖は二人が同期であると最近になって知った。

 警察学校時代に共に学び、卒業してからは疎遠になっていたが、今回の件で再会を果たしたという。

 事件絡みでは複雑な思いであろう事は、その互いの面持ちから汲み取れた。

 次いで、仁は来栖に一礼する。

「御無沙汰しています」

「ああ。元気だったか?」

 来栖は仁の亡くなった父、橘誠たちばな せいと同期にあたる。

 県警に配属され、誠と再会を果たした時の仁は中学生だったというのに、すっかり大人になっていた。

「はい。お陰様で」

 そう答えた仁の顔に幼き日の面影を見る。

 改めて時の経つ早さを実感し、自分も年を重ねる筈だと痛感した。

 やがて目標地点に辿り着くと、捜索にあたる50人を五つに別け、一班10名体制で行動する。更にその中で二人一組、五つの組を作る。

 来栖は綾部と共に定められたルートに従い、くまなく捜索を始める。

 木々が生い茂り、似た光景ばかりが続いているせいか、しばしば方向感覚を失いそうになる。

 目眩を起こした状態に近くなり、自分を中心にぐるぐると回る感覚に、綾部は思わず固く目を閉じた。

「大丈夫か?」

 はっと顔を上げると、来栖が心配そうに見ている。

「はっ、はい。すみません」

 綾部は青白い顔のまま、照れくさそうに報告する。

「ちょっと……自然に酔ってしまったみたいです」

 自然に酔う。面白い表現を使うものだと素直に思った。

 確かにこの山は静かで……静かすぎて、何故だか言い知れぬ不安に襲われそうになる。

 しかし、その一方で村の人々から愛され、敬られているのだ。子供達は山で遊び、大人達は山から恩恵を受けた。

 まさしく共存しているのだ。

「きっと彼らも昔、ここで遊んでいたんでしょうね」

 力なく呟くと、青年は辺りを見渡す。その視線の先に幼い統達が、日が暮れるのも忘れて遊んでいた姿が見えそうな気がした。

「俺もよく遊んだよ」

 いつの間にか傍らに来ていた仁が呟く。仁と組んでいる村の自警団の青年も同様に頷いている。

 そんな仁を見つめた来栖は思う。何て遠い目をしているのだろうと。

「そういえば……」

 何かを思い出したのか、仁は村の青年に向き直る。

「啓が小学生の時、洞穴を見つけて秘密基地にしたって言ってなかったか?」

 眉根を寄せながら必死に記憶を辿っている姿に、村の青年も腕を組みながら思案顔を浮かべる。

「場所は教えてくれなかったけど、確かにそんな事を言ってた気がする」

 その場にいた全ての者の考えが、リンクして行く。

「榊啓は……」

 綾部の言葉に来栖は頷き、力強く告げた。

「そこにいる可能性が高い」


 赤井に報告をすると、提供された情報が瞬く間に各班に伝達される。洞穴を見かけたら中まで探索するよう、改めて指示が出される。

「来栖さん」

 暗い表情のまま、仁が歩み出る。

「どうした?」

 無線を切ると、来栖は仁を見つめた。

「一ヶ所……気になる場所があるんです」

 綾部を含め、その場にいた全員が一斉に仁に注目する。

「案内してくれるか?」

 来栖の言葉に頷くと仁は先頭に立ち、歩き出した。


 当初のルートから更に南下して行く。すると突然視界が開け、薄暗かった木陰の涼から、眩しさをはらませた熱気に放り出された。


「ここは……」

 目を細めながら、来栖は思わず呟く。

 そこは村も、そして遥か彼方に見える町も一望出来る、自然が作り上げた展望台だった。

「こっちです」

 仁の声に視線を向けると、低木が繁っている。まるで何かを守っているみたいだと感じた。

 そう思っただけで、そこに意思など存在する筈がないとわかっている。だが、そんな当たり前の事を理解するのを躊躇してしまう雰囲気があった。

 手を伸ばすと、仁は枝ごと押し除ける。葉の擦れ合う音が響き、その先に一歩踏み出す。

 しかし次の瞬間、その背中から何かが伝わる。後に続こうとしたと綾部と村の青年は立ち止まる。

 固まっている仁の傍らをすり抜けると、来栖は目的の場所に躍り出た。

 視界に飛び込んできたのは、ぽっかりと空いた真っ暗な穴。

 そこから見える……真っ白な細い手。

「……っ! 雪ちゃんっ!」

 叫びながら、弾かれたように仁は駆け寄る。

 そして、その手の持ち主を抱き上げた。

 だらりと垂れた頭の下、細い首筋には絞められた痕が見える。

「綾部っ! 救急車手配っ!」

「はいっ!」

 的確に指示を出しながら、来栖も二人に近付く。

「生きてますっ!」

 今にも泣き出してしまいそうな顔をした仁が、雪の微かな呼吸に気付く。

「……じゃ……ない……」

 その時、唇が僅かに動いた。来栖だけは見逃さなかった。

 周りの音を全て遮断し、耳にだけ意識を集中させ、少女の口元を凝視する。

「……きら……ない…」

 それだけを紡ぐと完全に動かなくなる。

 雪を抱え上げ、下山していく仁を見送りながら、来栖は立ち尽くした。

「来栖さん」

 綾部に声をかけられる。

「現場の捜査を進めるようにと、本部からの通達です」

 神妙な面持ちのまま、無言の頷きで返す。

 椿雪の言葉。それから予測出来るのは榊啓は既にこの場にいないという事と……事件の新たな糸口だった。

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