秘密の隠れ家
見つけたのは啓だった。
「おーいっ! 来いよ~っ!」
連なる低木に覆われ、ともすれば見落としてしまいそうな場所。
そこを潜り抜け、啓が指し示す先を見れば、真っ黒な穴がぽっかりと山肌に口を開けていた。
「
まだ小学生だというのに冷静に理が呟き、統と雪は同時に吹き出してしまう。
学校からの帰り道、四人は日課となっていた探検をすべく、山に来ていた。
「行ってみようぜ」
先頭を切るのはいつも啓で、それに仕方ないなと付いていくのが残る三人。
覗き込めば、ひやり冷たい空気。
怖くなかったといえば嘘になる。でも、それに勝る好奇心に抗えなかった。
夜明けはまだ遠い。
だが薄暗い山道を一つの影は、まるで急き立てられるように走っていた。
足がもつれ、何度も転びそうになりながらも、その勢いは止まらない。
頭を
仁に支えられ、家路に着いたが居ても立ってもいられなくなり、気付けば部屋を飛び出していた。
朝が来れば、自分の所にも警察が来るだろう。
そうすれば自由に動けなくなる。今しかないと強く思った。
自分の軽はずみな言動が啓を惑わせ、理と争わせ、あの惨劇に繋がったのだとしたら……そして統を傷付けてしまったのだとしたら……!
「そんなの……耐えられない……!」
溢れそうになる涙で視界が歪む。
それでも駆け続ける事を止める訳にはいかない。
確証なんてない。でも、いるかもしれない。
あの秘密の隠れ家に。
夜の山に一人で入る。普段の雪なら到底出来なかった。
『強がるなよ。本当は怖いんだろう?』
差し伸べられた手。
いつもなら啓がいてくれた。いつもいつもいてくれた。
焦る心を嘲笑うかのように、制服の袖が枝に引っ掻かる。
よろめいた足に、ぬかるんだ泥が浴びせられる。
けれども、ひたすらにその場所を目指す。
『ここ、俺達四人だけの秘密の隠れ家にしようぜ』
きらきらと輝いていた瞳は、いつから冷めた眼差しになってしまったのだろう? 弾む息を整えようと手をついた木の感触に、昨日の口付けが思い出される。
好きだよ。好きだよ。
無言でも痛い程に伝わっていたのに、気付かない振りをした。
深い深い後悔が雪を突き動かす。
側にいてくれるのが当たり前だった。我儘を言っても笑って叶えてくれた。
だから、何をしても許されると思い込んでいた。
そのせいで本当の姿を隠させてしまっていたのに……!
『俺を惑わすな』
切ない瞳が心を締め付ける。
「もう逃げない」
遅すぎた決意は疲労にまみれた体に再び力を与える。
そして……目的の場所に着いた。
激しく波打つ鼓動は走り続けたせいだけではなかった。
思い違いだとしたらという不安と実際に会えたなら、どうすればよいのかという葛藤。それら全てが雪を緊張という糸で縛る。
あの頃は、やっと掻き分ける事が出来た枝が、今は容易く押し退けられる。
過ぎた年月を体感した途端、勢い余って大地に両手を付いてしまった。
極度の疲労に襲われる。それでも、ゆっくりと見上げた先に淡く零れる灯を認めると瞬時に心が軽くなる。
代わりに全身を震わす程の安堵が雫となって頬を伝った。
その時、確か統はいなかった。
「なぁに? それ」
洞穴の前で、雪は理の手元を覗き込む。
「ランタンだよ。捨てられてたから拾って来た」
「何か益々、隠れ家っぽくなってきたな」
はしゃぐ啓を余所に、雪は瞳をきらきらと輝かせる。
「点けてみたい!」
理は快く点灯方法を教えてくれたが、思い通りにいかない苛立ちを露に雪は頬を膨らませた。
「全然、駄目じゃない!」
「コツがあるんだよ、な?」
したり顔の啓が理に片目を瞑る。
理は頷き、次いで魔法をかけたみたいに鮮やかに火を灯した。
「わぁ……」
「すげぇ」
思わず歓声を上げると、淡い光の中で理が微笑んだ。
啓も嬉しそうに笑っていた。
「私も……あんなにも笑顔だったのに……」
雪は泣き続ける。
あの夏の思い出が胸を締め付けていく中、よろめきながらもどうにか立ち上がる。
意を決すると、一歩ずつ洞穴へと足を進めた。
やがて入口に差しかかると、そっと中を覗き込む。
その先に滲む影が見えた。小さく何度も揺れていた。
うずくまり、震える肩。嗚咽を含んだ泣き声。
「啓っ!」
叫びながら駆け寄り、その背にしがみついた。
「ゆ……き……」
驚きを含んだ小さな小さな呟き。夢の中をさ迷っていたみたいな虚ろな瞳。
「馬鹿……馬鹿っ! 心配したんだからっ!」
烈火のごとく泣きじゃくる姿を認識し、しなやかな髪の香りや溢れる涙の熱さに、啓の中で様々な感覚が急速に戻っていく。
「雪っ!」
衝動的に抱きしめられていた。
息が止まりそうな程、強く込められた力は痛みを伴ったが、それすらも雪は甘く感じる。
やっと通じ合えた。心の底から、そう思った。
「話して……くれるよね?」
背中から回された腕の中で、雪は尋ねる。
陶器のように滑らかな肩に口付けていた啓は、一瞬だけ呼吸を止めた。
そして何度も重ね合い、火照りを含んだ肌から躊躇いがちに離れる。
すぐ側にあった温もりに去られ、そして今から語られるであろう真実に雪は小さく身震いする。
洞穴の中は湿った匂いが満ち、夏とはいえ薄い毛布一枚では心許ない。
やがて淡い光が辺りを照らし、ある事に気付いた。
「啓もランタン、点けられるようになったんだね」
何気ない一言。影が微かに揺れる。
しかし雪は、そんな様子に全く気付かなかった。
「ごめん……思い出せないんだ」」
消え入りそうな呟き。
決して聞き漏らすまいと、雪は息を潜める。
「あの夜、俺は樹ちゃんを襲うつもりで彼女の所へ行った。だが理が現れ、彼女を逃がした。そして言い争いになった」
端正な横顔が苦痛で歪む。
「それから揉み合う形で争い、理が隠し持っていたナイフを振りかざした……でも、そこまでの記憶しかない」
「いいの……もういいっ!」
雪は
「私がいけなかったの! あんな事を言ってしまったから! だから啓は樹さんを傷付けようとしたのっ! それを理が止めてくれたのに……なのにっ! あんな事になるなんてっ!」
「あんな……事?」
啓は片手で顔を覆った。
真っ白だ。頭の中が
雪の言った、あんな事が何かすらもわからない。
美しい瞳が、すぐ側にあった。抗いがたい衝動が湧き、再び口付ける。
受け入れてもらえる至福に酔いしれた瞬間、弾かれたように体を離される。
腕の中から消えた雪の表情には、驚きの色が浮かんでいた。
「……違う」
「雪?」
目を見開いたまま、後退りする少女の行動に動揺を隠せず、啓は立ち竦む。
その時、雪は背後に何かの気配を感じた。
思わず振り向くと、予想もしなかった人物の存在を認める。
「……どうして……?」
震える声で問いかける。
「あなたが……ここにいるの?」
しかし答えは返らない。細い首に手が伸び、凄まじい力で絞め上げられる。
「……どう……し、て?」
抵抗しようにも自分に明確な殺意を向けている双の瞳に射抜かれ、涙を流す事しか出来ない。
酸素が途絶え、次第に意識が朦朧とする。
「止めろ……っ! 止めさせてくれーーーっ!」
悲痛な叫び。だが、雪の思考はそこで停止してしまう。
「雪……? 雪ぃぃぃっ!」
己を呼ぶ声にも反応出来ないまま、落ちて行く。
深い深い闇の奥底へと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます