来栖と綾部

 皇邸の居間。そこに統と樹はいた。

 目の前には来栖と綾部が座っている。

 使用人が紅茶を各々の前に置き、部屋を退出すると徐に来栖が口を開いた。

「では、杠さん。お辛いでしょうが、事件の経緯を御説明いただいてよろしいですか?」

 樹は不安そうに統を見る。そんな少女の手を強く握ると、統は頷いた。

「……あの夜」

 慎重に言葉を選びながら、来栖と綾部に話し出す。

 樹の横顔を見つめながら、統は再度事実を受け止めていた。

「では榊啓に襲われた所に柾理さんが現れ、助けてくれたという訳ですね」

 綾部の問いに、樹は頷く。

 榊啓、柾理さん……この時点で既に括られている気がした。被疑者と被害者に。

「その前に同居されている杠知さんは外出されていますね? 家を出られた時間は何時だったか教えていただけますか?」

 その質問は来栖の口から優しく告げられた。

 襲われた時間などと言えば、今にも泣き出してしまいそうな樹が本当に泣いてしまうと配慮してくれたのだろう。

「夜の9時頃でした。皇の御屋敷にいつもなら8時に集まるのですが、昨夜は急遽、時間変更があったので。祖母には戸締まりをして、先に休んでいていいと言われました」

 知からは既に話を聞いていたらしく、来栖は綾部と目だけで会話をする。

「しかし、実際には完全に戸締まりをしなかった」

「……はい」

 来栖に比べると綾部の質問は、ストレートだ。若さゆえだろうか?

「その為、榊啓が侵入出来てしまったという事になりますね?」

「確かに玄関だけ施錠を怠りました……無用心だったと反省しています」

 辛そうに樹は瞳を伏せ、短い沈黙が走る。

「毎週金曜日の夜は村の方達が、こちらのお宅に集まられるのですか?」

 綾部は開いている手帳の前のページをめくりながら、体だけ統の方に向き直る。

「はい。村に住む家長達が父の元に集まります」

 統は簡潔に答える。

「今回は毎年お盆に行う夏祭りについて、最終の打ち合わせをする予定だった筈です」

 しかし、こんな状態では中止になるだろう。

 それに今年の夏祭りの中心にいたのは理だった。

 その理が事件に巻き込まれている可能性が高いのだ。

 瓶の中にあるガラス玉が転がる音が、耳の奥で聞こえた気がした。

 二人で飲んだラムネの味が、余りにも遠かった。

「統君」

 来栖に見つめられる。

「非常に申し上げにくいのですが、今回の事件を我々は事件として捜査する方針です。そして榊啓を重要参考人として捜索する事になりました。ですので彼の写真をお持ちでしたら、御協力いただきたいのですが……」

 覚悟していた筈だ。

 しかし他人の口から聞かされてしまうと衝撃が強すぎて、無意識に歯を食いしばった。

「わかりました」

 握り締めていた樹の手をそっと離すと、立ち上がる。

「樹さん」

 今度は樹を来栖は見つめる。

「気が張り詰めてしまい、お疲れでしょう。また改めて伺わせていただく事になるかと思いますが、一旦お休み下さい」

 労りの言葉によって極度の緊張から解放された樹は、心の底から安堵した表情を浮かべた。

「兄貴の所に行くといい。樹に会いたがっていたよ」

 それでも瞳は不安に怯えたままで、統を見上げる。

「写真を渡したら、俺も直ぐに行くから」

 安心させるように優しく告げると、小さく頷き立ち上がろうとした。

 しかし、ふらりとよろめくとテーブルに手をつく。

 その衝撃で冷え切った紅茶のカップが耳障りな音を立てた。

「樹っ!」

「ごめんなさい……大丈夫だから……」

 とっさに支えるも、そう返してくれた顔色は真っ青だった。

「綾部」

 来栖が名を呼ぶと、若い刑事は素早く行動する。

「歩けますか?」

 問われ、弱々しく頷く。綾部が付き添う形で、二人は居間から退出した。

 樹の事は心配だったが、捜査に協力をしなくてはと思い直す。

 断りを入れ、統は自分の部屋へと向かうと、一冊のアルバムを手に居間へと戻った。

 先程座っていたソファに腰を下ろすと、思い出のつまったアルバムを開く。そして、そのままの状態で向きだけを変えると、来栖の前に置いた。

「左に写っているのが啓。右が理です」

 そこには肩を組みながら、ピースサインをしている二人の笑顔があった。統が撮った何気ない日々の一枚だった。

 沈痛な面持ちで写真を抜く姿は、来栖の心に強く焼き付く。

「では、お預かりします」

 そう告げると、丁重に写真を手帳にしまった。

「村の皆さんから、あなた方はとても仲が良かったと聞いています。お辛いでしょう」

 こんな時に言葉など無意味な事を来栖は知っていた。

 それでも、かけずにはいられない。

 何も返せない統は、アルバムに視線を落とす。

「所で参考までにお聞きしますが、昨夜の21時頃はどちらにいらっしゃいましたか?」

 一瞬で統は雪を思い浮かべた。

 自分を見失い、雪に対して何もしてやれなかった事が悔やまれる。

 今頃、雪は自らを責めているのだろうか?

「椿雪さんと一緒でした」

 開かれたままのアルバムの中にある、一枚の写真を指さす。そこには啓と雪が並んで微笑んでいた。

『統』

 啓が小声で囁く。

『後で焼き増しして』

 そして、照れくさそうに笑った。

 クールを装っていたのは、自分を隠す為だ。

 本当は誰よりも優しくて、真っ直ぐだった。そんな啓が統は大好きだった。

「そうですか」

 来栖が手帳を閉じたので、統もアルバムを閉じる。

「では、御協力ありがとうございました。今日はこれで失礼させていただきます」

 その時、綾部も戻る。

「樹は?」

 尋ねると離れまで送る途中で静に会い、後を託したと返って来た。

「我々はこれで」

 来栖と綾部が帰って行く。二人を玄関で見送ると、統は離れへと向かった。


「綾部」

 車へと向かいながら、来栖は次の指示を出した。

「椿雪にも話を聞きたい」

 あの夜、仁が介抱していた少女を綾部は思い出す。

「もう一人の幼なじみですね? 署に戻り次第、コンタクトを取ってみます」

「彼女も相当なショックを受けている筈だ。慎重に頼む」

 綾部と統を待つ車内。そこから見えた光景。

 号泣していた少女は先程、統が指し示した写真に写っていた椿雪だった。


 車の助手席、来栖は統から預かった写真を見ていた。

 村人の誰に聞いても、仲の良い幼なじみだった榊啓と柾理。二人の間に一体何があったのだろうか?

 状況的に見て、榊啓が柾理殺害に関わった可能性は高い。だが、何故死体を損壊する必要があったのだろうか? 腑に落ちない点が多々あった。

 ふとフロントガラスを見れば、綾部が缶コーヒーを手に自動販売機から戻って来る姿を認める。

「来栖さん、ブラックで良かったですよね?」

 このまだ若い相棒は、念願叶って今春、強行犯係に配属された。キャリア組として地方の県警で経験を積み、いずれは警視庁に行きたいと頑張っている。

「ああ。ありがとう」

 礼を言いながら、缶コーヒーを受け取る。いつの間にか何も言わなくても自分の好みを把握してくれている、綾部の心遣いが嬉しかった。

 お気に入りのカフェオレをカップホルダーに差し込み、シートベルトを締めると綾部は車を発進させる。

 これから署に戻り、再度検証する予定だ。

 警察の捜索隊と村の自警団には、いずれ行うであろう山狩りの為に待機してもらっている。

 土地勘のある榊啓が逃げ込むとしたら、幼い頃から遊び慣れた山、若しくは村を抜け、町へと逃亡したか。

 まだ未成年者という事もあり、捜査本部は慎重になっていた。

 つまり来栖の裏付け次第で、ゴーサインが出るかどうかが決まるのだ。

 だから来栖は綾部に今回の事情聴取を任せ、自らはこの事件の関係者の動向を見定める事に徹した。

 村を抜け、町に着くと車は一路、警察署へと向かう。

 一般人にとっては余り近寄りたくない所でも、来栖と綾部にとっては通い慣れた場所だ。

 年季を重ねた建物の手前にある駐車場へと入ると、緩やかに停車する。

 署内にある強行犯係のある部屋へ向かおうと、来栖は車を降りた。

「来栖さん」

「どうした?」

 共に歩き出した相棒の呟きに、隣を見る。

「あの村……何だか不思議な感じがしました」

 戸惑いを含んだ発言に次を待つ。

「いや、不思議というよりも……不気味でした」

 上手く説明出来ないでいるもどかしさが感じられる。

「不気味、か」

 来栖は苦笑する。

「地方の小さな村だ。閉鎖的な空間にもなる。仕方ないさ」

 そう。確かに変わっていた。

 村の出身で今は駐在所勤務をしている橘から話を聞いた事があり、憶えている。

『古い仕来たりがあるんです』

 例えがたい表情だった。

『それに囚われている人が多すぎるんです』

 そう言うと橘は笑った。その笑みは何処か寂しげだった。


 署内に設けられた対策本部に、綾部の緊張した声が響く。

「当日の事件に到る迄をまとめました。また、皇統さんからお借りした写真とも併せて、榊啓の確認をお願いします」

 紙のめくられる音、ざわめく声が次第に落ち着くと、綾部の傍らにあるホワイトボードへと注目が集まる。

 そこには昨夜起こった事件について簡潔にまとめられた相関図が書かれ、写真が貼られていた。

 来栖は後方で腕組みをしながら、綾部の言葉に耳を傾けている。

 そうしながらも手元の資料の確認に怠りはなかった。


【被害者?】

 柾理(18歳)

 ○月○日 20時15分~

 ○○村 杠知宅にて杠樹を榊啓より救出→逃がす

 その後、頭部がない死体が同宅で発見される。

 所持品、身体的特徴から柾理の可能性が高い。

 現在、検死結果待ち。


【重要参考人?】

 榊啓(18歳)

 杠樹の証言より一部推察

 ○月○日 20時10分頃 杠知宅に侵入

 ※この時、玄関の引き戸は施錠されていなかった。

 杠樹を襲おうとするが、駆け付けた柾理により阻止される。

 争った形跡から、二人の間で何らかのトラブルか?

 榊啓→柾理を殺害?


【被害者】

 杠樹(16歳)

 ○月○日 20時15分~

 自宅にて榊啓に襲われた所を柾理に救出される。

 この証言から、遺体の死亡推定時刻を20時30分~21時30分と推測

 検死結果と再度照合

 榊啓、柾理とは皇統を通じての友人関係


【第一発見者】

 皇統(18歳)

 ○月○日 21時30分~

 助けを求めた杠樹と共に杠知宅にて遺体を発見

 榊啓、柾理とは幼馴染み

 事件当夜は同じく幼なじみである椿雪といたと申告

 椿雪には後日確認予定


「問題は何故、頭部を持ち去ったのか」

 来栖は唸る。

 現状から死体が柾理である事は、ほぼ間違いない。

 しかし何らかのトラブルがあったとはいえ、幼なじみを殺めた上に亡骸を傷付け、一部を持ち去るなどという行為が出来るのであろうか?

 それとも何か他の理由があったのだろうか?

「では午後から、捜索を始める事にする」

 今回の指揮を取る赤井謙あかい ゆずるの言葉に、全員が返事をする。

 そして各々身支度を整える為、部屋を後にした。

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