第32話 異常な博士

白水博士が狸御殿に訪れたのは、後から考えてみると中々に複雑な皮肉だった。ある日、面田紋次の使いのものを通して、「四国の本山で余生を送って下さい。必要な事は全部そろえます」という通達が届いたのだった。


えらい素っ気ないな


と少しは思ったが、そんな事はどうでもいい。白水博士にとってはようやくここまで辿り着いたと言える。


面田会にとって、白水博士の存在はあまり知られておらず、ごく一部の幹部のみが知るぐらいのものだが、面田会の発展と躍進の裏には、常に白水博士の裏の働きがあったと言える。


基本的には、白水は無害な爺さん、という感じで通っていた。面田会の大半の信者にとっては、昔からいる謎の爺さんという感じだ。着ている服も、どこで買っているのか検討もつかない、ダサいTシャツや、丈の合わないパンツをはいていた。必ず、ナップサックを背負っていた。中を見た、という人の話では、関数電卓とドライバーと糸ノコギリ、電圧計、リトマス試験紙のようなものと、薬品類、英語では無い、アルファベットで書かれた雑誌、それにお菓子のビスコがはいっていたらしい。


本当かどうかは分からないが、皆がその話を聞いて納得するような人ではある。


しかし、いくつかもはや都市伝説と化したエピソードがあり、幹部たちの間では、触らぬ神に祟りなし、という存在であった。



昨今、組織の発展自体が目的には成り得ないぐらいに巨大化してしまったし、面田紋次は偉い人になり過ぎて、身を隠して生きざる得なくなり、すっかりと表に出ることは無くなってしまった。


老いても貪欲に資金を集め、信者を増やし、また資金を集めるという延々と続くルーチーンを回し続けて死ぬのだろうと白水は見ていたが、さすがにこんな状況では面白くもなんともないだろうと、多少は同情さえしていた時であった。


それに引き換え、金銭欲、性欲、食欲などは極度に低い代わりに、異常なほどに強く年老いても衰えない自分の知的好奇心を満たすことが全てである白水博士は、散々組織に利益を与えてきた引き換えに、いつか自分が好きなようにできる時間と場所と権力を与えて欲しいと思うようになり、それを求める権利もあると考えていた。長く面田紋次に求めた条件付きの隠居を求めていたが、白水も忘れてしまった頃に、あっけなく許可がおりた、という事になる。


条件付き隠居の条件というのが、白水の人を全て表しているとも言える。「あらゆる法を持ち込ませない状況で研究を継続できる環境を与えて下さい」


というものだった。


そして、その「法を持ち込ませない」という言葉の大半が意味する所が、危ない臭いを持つ事を面田紋次は分かっていた。が、積極的黙認をしたとも言える。


そうして、白水は四国での生活を始めた。想像以上に気に入ってしまった。日本の自然に触れた経験は思えばあまり無い。見るもの、触れるもの、まだまだ自分の知らない事があったし、澄んだ空気が持病の蓄膿症を劇的に改善させてくれたのも大きい。


地元の人間には狸御殿と言われた施設には、今や50名を超える人間と狸達が生活していた。年に1度、面田会の重鎮が集まり、儀式をするぐらいの名ばかり聖地ではあったが、そこに白水が目をつけて、面田紋次の能力を研究する研究所として活用していたのだ。


大半は、半ば騙されて来たというか、騙されている事すら気づいていない信者だった。他には家庭内暴力がひどくて家から逃げてきた女、事業に失敗した零細企業の社長、FXで一夜にして多額の負債を背負い、自己破産さえできずに逃げてきた若者など、信者とは言えないようなものに対しても駆け込み寺的に機能していた。


信者を使い、要は色々な人体実験をしていた。そういう意味では、既に法はとっくに超えているとも言えるので、白水が改めて法を持ち込ませない、と切り出したのはある種凄みのある事であった。

















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