第9話 犬神の儀

龍の隣にいる男は、言葉は出さずとも雄弁な外見だった。


顔はマスクで包んでいる。KKK風というか、目の部分だけ穴が空いた不気味なマスクだ。しかし、それ以上に異様なのは毛むくじゃらの胸板。オイルを塗っているのか妙にテカっている。そして、巨大な斧を持っている。



「次郎さん。これは命令ではありませんし、忠告というか、良い知らせです。私と契約を結びませんか?次郎さんには、帝国の執権となって頂きたいと思います。執権、ご存じですか?鎌倉時代に北条氏が代々継いできた事実上の最高権力者ポストの事ですよ。」


「分かった分かった。何でもする。もういい加減にしてくれ。どうせ、嫌だと言ったら、殺す気だろ」


「人聞きは悪いですが、ものわかりが良いですね。殺しはしませんよ。このまま、我々は立ち去り、二度と現れないだけです。さ、契約書をご確認ください」


龍は、次郎に近づき、契約書をかざした。しかし頭が朦朧として、契約書など頭に入ってこない。


「よく読んでください。内容は次郎さんにとって破格の良い条件ばかりですから、そんなに怖がらなくて結構です。義務の条項はほとんど無く、あるのは権利ばかり。むしろ喜んでもらいたい」


このまま殺されるぐらいなら、取り敢えず、内容はどうだろうが契約して、隙を見て警察に行くしか無い。もうこうなったら、おどおどするのは損だ。開き直ってやる。そうだ、ダンスの舞台でだけは、どれだけ注目されようが、堂々とできたじゃないか。次郎は自分に言い聞かせた。死が現実的となって、何かが変わった。


「内容は分かりました。お受けしましょう。」突然、今までには無い毅然きぜんさで次郎は言った。


「おお!そうですか!!よし。それではまず契約書に署名が必要です!」


次郎が、すでに癖となったように、水滴を舐めようと、舌を付き出した瞬間、目に見えない動きで龍が舞った・・ように見えた。


龍の舌から血が吹き出す。


「ウゲー!」


居合いあい抜きだった。次郎が叫んでいる頃には龍の日本刀は鞘に収まり、静かに、吹き出す血を準備よく用意されていた小皿に受けた。


「よし。縄を解いて下さい」


龍が命ずると、マスクの男は、次郎に近寄り縄を解き始めた。


「痛くないですか?大丈夫ですか?心配しないでくださいね。もう少しですから」


見た目の異様さとはギャップが大きすぎるぐらいの気さくな感じで拍子ぬけた。


3日ぶりに、縄を解かれると、そのまま次郎はフラフラと龍の前にへたり込んでしまった。龍は、お構いなしにテキパキと準備を始めている。


「さあ、この筆で、次郎さんの血を染み込ませて署名をするんです。」


次郎は、力を振り絞って、もうやけくそで契約書2部に対して署名をした。


「さ、それでは契約書に則って、犬神の儀を始めます。また会いましょう。執権次郎様」龍は嬉しそうに言い、契約書を一部手に取り、もう一部は次郎に渡した。


「犬神?」


龍は質問には答えず、暗がりに消え、マスクの男が1人残った。


マスクの男は、犬に近づいた。ほぼ衰弱している。確かにこの犬は自分よりも更に前から餌を与えられず、身動きもできなかったのだ。


「ワンワン!!」


突然犬が生気を取り戻したように鳴き出した。


マスクの男の背があり、見えないが餌でも与えたのだろうか、いや、まさか・・・。


次郎の嫌な予感は的中した。


署名するには十分すぎる、丼一杯の血だと思ったら・・・犬にやってやがる。


犬は餓死寸前から血を飲み、生気を取り戻し食欲が増したのか、また生首に向かって興味を持った。


力を集中させ、最後の振り絞って、生首目掛けて首を思いっきり伸ばした瞬間、マスクの男は斧で犬の首を切断した。


犬の首は、生首に食らいつきたい執念で、首だけで生首に向かっていき、かじりつこうとした。その瞬間、マスクの男は首を持ち上げた。犬の生首はなんと、持ち上げた首に向かって大口を開けて宙に浮いてまで首を追った。マスクの男はもう片方の手で犬を掴み、龍が準備していった、かまどのようなものに放り込んだ。


「ゴゲグバラべヨ−」


犬の声とは思えない狂気な叫びが響き、静寂となった。


マスクの男は何も喋らなかった。

次郎もあまりの出来事に放心して言葉も無く火を見つめた。


1時間は経った頃、マスクの男がかまどから頭を取り出した。


まだ、肉がへばり付いているが、それをマスクの男はこそぎ落とした。


「綺麗にできました」


マスクの男はお骨をナベのようなものにしまい、料理番組の手際さで、

予め掘ってあった穴に収め、穴を土で埋めた。


「さ、次郎様、準備できました。とことん踏みつけて下さい。」

マスクの男が言った。


「へ?」


「契約書に記載された、犬神の儀に則った行いでございます。ご神体を憎しみを込めて踏みつけるのでございます」


「やらないとどうなる?」


「不本意ではありますが、契約書に則って次郎様は即刻処分されます」


「・・・・ああ、分かった分かった。大丈夫だ。やるやる」次郎は、とにかく中途半端は良くないと念じ、生き延びる事だけに集中する決意をし、言われたとおり憎しみを込めて踏みつけた。


(こんちくしょう!どいつもこいつも俺をなめやがって!)

心で叫びながら、憂さ晴らしのように、何度も何度も踏みつけた。


「素晴らしい。ここまでやって頂けたら、ご利益りやくも甚大な事でしょう」


マスクの男は嬉しそうに、土に埋まったお骨を取り出した。


「おお!素晴らしい。ご神体が怒りで赤く灼熱している。私もここまでの怨念は初めて・・・」


確かに、さっきまですすけていた骨が、不気味な赤銅色に輝いている。マスクの男は、また料理教室のような手際さで準備されていたゴツいミキサーのようなものに、骨を慎重に入れて、スイッチを入れた。骨が粉砕され、粉になった。


マスクの男は、土器のような大げさなツボに、粉を入れ、日本酒らしきものをドボドボと注ぐ。


「さ、お神酒みきです」


「へ?」


「一気に全部飲み干して下さい。」


「一気?こんな沢山?一気じゃなきゃダメなの?」


「その際は契約書に則って・・・」


「ああ、分かった分かった。分かったよ。喜んで飲ましていただきやす!」


もうやけくそで次郎は一気飲みした。


日本酒の酔いだけではない、なんとも言えない気分の悪さで、そのまま倒れ、気を失った。







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