<6>
「お前の言う通りにしてきたぜ」
松明を手に持ったコルムに背後から話しかけられて、アレックスは前方から注意を逸らした。
前方からは激しい戦闘音と
「抜かりはないな」
「勿論。ガキでも楽に出来る仕事だしな」
「命がかかってんだから、真剣にやれよ」
「冗談だって。ちゃんと手抜かりなくやってきた」
「よし」
アレックスは頷くと、通路の壁にかけられていた松明を取り外して手に持った。それから二人は戦闘から遠ざかるように歩く。少し歩けばそこは三叉路だった。アレックス達は合図も交わさずに迷わず右へと曲がる。
「ホントに大丈夫なのか?」
「分からないさ。終わってみないと」
「おいおい、しっかりしてくれよ。俺はお前の作戦に命を賭けているんだぜ?」
「じゃあ最後まで信じてろよ。その方が気が楽だろ?」
ニヤリと、アレックスは笑う。終始彼は笑っていた。すぐそこまで戦闘が迫っている事に何も感じていないわけではないのに、どこか心に余裕を持っているようだ。勿論それはただの虚勢、はったりだろう。が、その笑みは何だか根拠もなく頼もしく思えるのだった。
通路の奥まで進む。道中の松明は全て外されていて、通路は前も後ろも闇に閉ざされていた。二人が持っている松明の火がゆらゆらと揺れて二人分の影を不気味に落としている。
やがて開けた部屋までたどり着いて二人は止まる。
「さあて」
そこは食糧庫、アレックスが松明を盗み、ついでに酒と食料をもらってきた場所だった。今は戦闘中ということで誰もいない。見張りも奥の部屋で待機しているか、今戦闘に加わっているか、はたまたすでに物言わぬ死体になってしまっているだろう。ここは戦闘になると想定されていないため、食材や食品が部屋中に転がったままだ。
「んじゃあ、手筈通りに」
「ああ」
アレックスは水の入った瓶を二つ取ると、片方をコルムに手渡す。二人は頷き合ってから、自分が持っている松明を石畳の上にそっと置いた。そしてその火に思いっきり水をかけた。じゅっと音がして、最初は苦しむかのように抗っていた火が水に呑まれて消える。ついに闇が完全に周囲を支配した。
アレックスはそのままその場に屈みこむ。炎の光に慣れていた目には最早何も映らない。隣にいたはずの男の姿さえも、この世界から消し去ってしまう。
急激に孤独感がアレックスの心を支配し始めた。それは隣の男も同じだったらしい。
「アレックス」
自分を呼ぶ声がどこからかした。それはすぐ近くから発せられたようで、随分と遠くから聞こえたような気もした。
「なんだ?」
応えながらもアレックスは通路の先から物音が聞こえてこないかと耳を澄ましている。既に戦闘音が聞こえなくなってしまっていて、二人の声以外に物音はしない。
「もしこっちに衛兵が来たらどうするんだ?」
「その時は、その時さ。戦うも逃げるも、投降するもお前の好きにしろ。俺も俺で、その時決めるさ」
「……分かった」
会話はそこで途切れる。非常事態だというのが嘘のように静かな空間で、息を潜ませる。
静寂がどのくらい続いたのか、時の流れを伝える物は闇の中に存在しないため分からない。アレックスの体感ではかなり長い時間待ったように思えた。その間聞こえるのは二人分の吐息だけ。それはやけに、息遣いが荒くてバレないだろうかなどと思えるくらいに耳に障った。
やがて、コルムが耐えきれなくなったのか、じゃりっと一際大きな音を立てて動いたのが分かった。アレックスも一度姿勢を変える。暗闇がここまで苦痛だったことはなかった。動きも音も、何も感じない事が不安で不安でしょうがなかった。
「おい」
「シッ!」
コルムが再び呼び掛けてくる声と、アレックスの注意の声はほとんど同時だった。アレックスは人生で一番かと思うくらいの小声で喋る。
「聞こえる」
端的な内容だったが、何を言わんとしているのかは伝わったようだった。コルムはそれ以上何も言わず、更には呼吸音も小さくした。
そうすると更にはっきり分かったのは、遠くからがしゃがしゃと、武器や防具の音を鳴らしながら歩く一団がこっちに近付いているという事だ。数はそうは多くない。もしかしたら盗賊の仲間かもしれない。
「……」
やがて足音が止む。会話をしているのか声も遠くから小さく響いてきた。しかし通路内で反響して伝わってくるそれはひどく不鮮明で内容までは聞き取れない。
三叉路だ。三叉路で止まったのだ。そうアレックスは直感した。だとしたら、その集団は衛兵だ。盗賊ならもっと大声で喚くに違いない。
こっちに来るな。
何度もそう祈った。神に祈るのは孤児院生活以来だった。
ただし、すべてを神に任せてしまう程、アレックスは神という存在を信頼していなかった。
緊張で固まってしまった頭に、少し前のコルムとの会話が走馬灯のように思い出される。
――衛兵達の前にもし、真っ暗な道と松明の火で明るい道の分かれ道が現れたら、どちらを選ぶだろうか。
――そりゃあ、暗闇に盗賊が潜んでいたら、相手にするのは大変だ。下手をしたら見えない中の同士討ちさえもある。だとしたら暗闇から外に出てきた時を狙った方が楽だ。
――だろう? だから衛兵達は明るい道を選ぶ。後ろに気を付けながらも、そのまま明るい道を進んでしまう。
――あ。
――そういう事だ。俺達は闇に潜んで、衛兵が通り過ぎるのを待つ。衛兵を挟撃しに行くんじゃなくて、そのまま逃げる。これが俺の作――
カツン。
「……っ!」
小石が壁にぶつかったような乾いた音がして、アレックスの思考が遮られた。
緊張からか現実から意識を逸らしていた所に突然の物音。それは目と鼻の先から聞こえた気がして、思わず悲鳴を漏らしそうになる。
目を最大限に見開きながらも喉まででかかった悲鳴をなんとかそこで押しとどめた。心臓が全力疾走をした時のように自己主張している。呼吸が更に荒くなっている事に気が付き慌てて手で口を塞いだ。
鼓動と押し殺した吐息だけが聞こえる短い時間は、先程まで待機していた時間と同等かそれ以上に思えた。
しかし、その後近付いてくる音はなかった。どころか、複数の足音はこちらから遠ざかっていき、やがて闇から消え去った。
それでもアレックスは動けなかった。やがて、安堵の溜め息のような音が聞こえたと思ったら、コルムの声がした。
「……助かった」
助かったのか。助かったんだ。
そして湧き上がってくる生の喜び。アレックスは思わず尻餅をついた。というより、腰を抜かして立てなかった。
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