<5>




 その日の夜も強烈に冷え込んだ。


 冬が冷えると芋は甘くなるらしい。モニカやケンウッドがそう言っていた。かした温かな芋の味を想像して寒さを誤魔化しながら、一枚多く着込んだアレックスは〈赤の祭壇〉へ足を運ぶ。夜の街道には人影は見えない。暗闇の中を灯りを持たずに歩く人間など、アレックスのように疚しい事情を抱えている人間だけだが、そういった者達の気配も感じない。


 盗賊として集められた者の中にアレックスのように普段の仕事をしながら通う者はほとんどいない。ほとんどというか、皆無だった。少なくともアレックスが知っている中であそこに通っている人間は一人もいない。

 集められた人間の大半はコルムのような流れの者や盗賊で、この辺りに腰を落ち着けている者や定職についている者は少ない。そういった者達は旅籠はたごに泊まる金をケチって地下に広がる空間で寝泊まりしている。だから昼間に顔を合わせる事はない。外に出る事がないからだ。


 昼間何をしているのか。そう尋ねた事もあったが返ってきた答えは何とも馬鹿らしく、寝たり酒を飲んだり自堕落じだらくな生活をしているらしい。そういえばアレックスもこの仕事を請け負ってから、何一つ盗賊としてまともな仕事をしていない事に気が付く。これ以上モニカやケンウッド達を待たせるわけにはいかないアレックスにとっては早い所報酬をもらい、さっさと臨時の仕事を終わらせたかった。


 しかし今日までなんか大きな仕事をするような兆候はなかった。いつも外で見張り番を命じられてばかり。コルムではないが、いつ盗賊は遺跡の見張り番という職業に変わったのかと思ってしまう。勿論そんな金にもならない事のために集められたわけではないだろう。が、何のために自分達はここにいるのか、アレックスには検討もつかない。

 アレックスのように臨時で雇われた者達は数を増やし、全体の人数は百人を超えてしまっている。


 この数は最早軍隊だ。街の衛兵をおびやかすくらいの人数はそろえられている。アレックスは最初、この数をもってどこか村でも攻める気かとも思った。それこそジャシー要塞みたいな難攻不落の地を攻めようとしないのなら、この人数さえいれば楽な仕事になる。だというのに、こんなかび臭い場所に籠ったままというのはどういう事だろうか。時機を待っているというわけなのか。それとも誰かを待っているということなのか。


 何にせよ、もう時間がない。さっさともらう物もらってとんずらかまさせてもらいたい。出来ないのなら別の仕事をさっさと探したい。

 そんな風に今後の身の振り方に関して迷っている内に祭壇にたどり着いてしまった。しかしいつもならばこの時間だと立っているはずの見張りがいない。祭壇は虫の音一つしない静寂に包まれ、闇夜は不気味なまでに凍り付いている。月の光だけしか光源のないその場所は、しかし細い石の柱や石棚くらいしか身を隠す所がないために夜目でも人気がない事が分かる。


 一体全体、何があったのか。まだ五日所属しただけだが、見張りを置かない日は一度もなかったというのに。

 石棚をずらし、梯子を下りて中に入る。ずらされた石棚はそのまま放置しておいた。普段は見張りの人間が上から閉めてくれるのだがその人間がいないのだ、仕方がないだろう。


「やれやれ、サボリかよ」


 と、何の疑問も持たずに気楽な調子で中に入る。入口の扉を開けた。



 ヒュン、と風切り音。



 鈍く光る物体が自分の顔近くに集まる。アレックスがそれを鋭い刃だと理解するのに一瞬の時が必要だった。


 盗賊達はアレックスに向けて各々の武装を向けて立っていた。息遣いが荒く、目が血走った者や酷い顔をしている者もいる。その場の誰にも言えることはかなりの緊張と恐怖を抱いているだろうという事。


 アレックスは困惑していた。こんな状況に陥る理由が彼には全く身に覚えがなかった。しかし向こうもアレックスの姿を見て困惑しているようで、驚いたアレックスを見て全員顔を見合わせていた。

 何か誤解があるならそれを解かなければ。引き攣った笑顔でアレックスは挨拶をする。


「よ、よお。えっとぉ……これは何の冗談だ?」

「……誰だこいつ」

「この前ウチに入った奴だ。ホラ、昨日見張りの時に食い物と酒を持って行こうとしていた」

「ああ、そういやそうだな。見覚えがあらぁ」

「クソッ、なんだよ」


 盗賊達はそれぞれ緊張を解いて、構えていた武器を下した。向こうは納得したようだがアレックスには何がなんだか分からない。説明もされないままはい解放、では納得できない。三々五々に散らばっていく男達にアレックスは手を伸ばした。


「どういう事だよ。ちゃんと事情を――」

「来い」


 アレックスの手を誰かが引っ張る。見るとそれは昨日一緒に見張り番をした男、コルムだった。彼も室内だというのに革の胸当てと腰当と小手で防具を固めて完全に武装している。それが当たり前だと言うように。


 アレックスを連れて広間を抜け、通路をある程度進んだ所でコルムは手を離した。周囲には誰もおらず二人の姿を眺めているのは廊下を照らす松明の火だけ。

 人から離れたがっていると言う事はすでにアレックスは察していて黙って従っていたが、いきなり武器を突き付けられた時の恐怖を不満に変えてコルムにぶつけるように睨んだ。


「で、説明してくれるんだろうな」

「……昼の話だ。見張りが殺された」


 それなりに悪い事が起きたと予想はしていたが、不穏当ふおんとうな話題にアレックスは思いっきり眉を顰める。


「殺された? 誰に」

「分からん。ただ、見張りだけが殺されていた。死体も放置されたままだった」

「それでみんなあんなにピリピリしているのか」


 得心がいき、アレックスは一先ず怒りの矛先をコルムから下した。確かに、自分達を殺そうとしている者がいるならば身構えるに違いなかった。


「それで、どうするんだ? カシラはなんて?」

「それが、少し考えると言ったきりだ。指示なんてもんはない。カシラがそんなんだからもうみんな纏まりがない。見張りをたてても殺されるかもって事で見張りの仕事すらなくなったから、奥に引きこもったり、さっきみたいに入口を武装して固めたり……バラバラだよ」

「なんだよそれ」


 アレックスは呆れたように声を出した。コルムも溜め息を吐いている。いよいよ終焉を悟ってアレックスは焦り始めた。もう彼の頭にはどうやって綺麗に足を洗うか、それだけしかなかった。


「お前はどうする?」

「ん?」

「わざわざ来てもらった所悪いが、仕事なんてないぜ。他にやることもないし、早々に帰るか?」

「そうだなぁ」


 アレックスは悩む素振りを見せた。実際はすでに逃げるという一択に選択肢は絞られていたが、即決するのも印象が悪いかと思いわざと悩んで見せていた。その胸の奥では逃げた後ここを通報するかどうかの真っ黒な算段をつけながら。


「見張りだけが殺されたって事はあれか、まだここの存在は露呈していないって事か?」

「そうだな……そう思っている、いや思っていたい奴等が多い。じゃないと、俺達はもしかしたら衛兵に目を付けられているのかもしれないからな。最悪、戦争だぜ」

「……」


 その最悪は十分にあり得た。しかしその場にアレックスは絶対居合わせたくなかった。


「まあここはそう簡単にバレたりしないさ。なんせ、外から見ればただの祭壇、地下室があるなんて神様だって分かりゃしない」

「そうだな。あ、いや」


 アレックスは相槌を打った後に思い出す。自分がここに来た時の事を。


「そういや入る時にあの石棚をそのままにしているんだけどさ、あれどうすればよかったんだ?」

「は、はぁ?」


 と、コルムは少し上ずった{素っ頓狂すっとんきょうな声を上げる。信じられない物を見る目つきでアレックスを見た。


「まさかお前、ずらしたままにしてきたのか?」


 責めるようにコルムはアレックスをきつく睨んだ。弁解したいアレックスは慌てて手を振る。


「だって下からだと動かせないだろう?」

「なんのために降りた所にフックが置いてあると思っているんだ。穴に入ってすぐにある滑車を使えば下からでも男一人の力があれば石棚は動かせる。そのための引っかかりも祭壇にあっただろう!」


 知らなかった、と顔で表す。事実、アレックスは一度もその話を聞いていない。コルムはなんてこったと頭を掻きむしった。


「くそっ、誰かは知らないが説明さぼりやがったな。すぐに戻しに――」


 その時、広間の方が俄かに騒がしくなった。怒声や罵声までもが通路に響いてくる。何かがぶつかり合う音もその中に混じっている。


 アレックスとコルムは顔を見合わせる。それからまずコルムが駆け出し、慌ててアレックスはそれを追う。予想が違っていてくれ、ただの乱痴気らんちき騒ぎであってくれ、と願いながら。

 そんなアレックスの願い虚しく、たどり着いた頃には広間は戦場だった。すでに倒れている、おそらくはもう死体と化しているであろう人間は全て盗賊側。しかし物量差があるのか敵を入口付近の通路に押し込む事には成功していた。


 戦闘が始まってしまった。


 アレックスは参加すべきかと考える。荒事は決して得意ではない。しかし、苦手というわけでもない。彼が加われば一人増えるぐらいの戦力にはなるだろう。



 ――絶対に、危険な事じゃないって誓える?

 ――元の真っ当な仕事に戻れ。



「――っ」


 アレックスの足は動かなかった。

 こんな所で死ぬわけにはいかない。絶対に、死にたくない。そんな恐怖がアレックスの体をがんじがらめに支配した。それでいて頭は今までにないくらいに回転していた。モニカの元に戻らなければという想いが彼にここから逃げるための方法をいくつも提示させていた。


 まず決めるべきは、戦うか否かだ。そうする事で逃げられるかどうかだ。そうしなければいつまでたっても足は恐怖で痺れたままである。この戦闘を切り抜け、そのまま脱出する。アレックスの頭にそんな計画が浮かんだ時だった。


 ふと、奥の通路を見ると衛兵の姿をした男がちらりと見えた。戦っている相手は衛兵。それが分かった瞬間に彼の中の闘志がしぼんでいく。顔見知りがいるかもしれない。そんな相手と戦うのは嫌だった。

 そこに追い打ちをかけるように、アレックスの視界に一人の男が見えた。その場にいる誰よりも高い身長を持ち先頭に立って剣を振るっている衛兵。他の衛兵を率いているように見える男の顔は、アレックスに見覚えがった。


 その瞬間に彼の奥底でまだ光を放っていた勇気の火が、水底の暗い闇の中へと急速に沈んでいくのを感じた。アレックスを縛り付けて動かさなかった恐怖の鎖を、一瞬にして別の恐怖が引きちぎった。

 皆が衛兵の侵入に気を取られていて背後にいるアレックス達の事は誰も気が付いていないのを幸いにと、アレックスはコルムの手を引っ張った。コルムはすでに剣を抜いていて、今にも戦闘に加わりそうな雰囲気だったが、アレックスに手を掴まれて驚いて彼を見た。


「おい、どこへ――」

「いいから、来い!」


 コルムを強引に連れ出してもう一度通路へと隠れる。剣戟けんげきの大合唱が聞こえてくる中、アレックスは何か言おうとしているコルムに被せるように、そして有無を言わさないように早口でまくし立てた。


「いいか、あの衛兵とは戦ったらだめだ。絶対だぞ。俺達が生き残るためにはもう逃げるしかない」

「どういう事だ」

「やばい奴がいるんだよ、衛兵の中にな。あいつとは戦っちゃだめだ。それに衛兵は狭い通路にすぐに引っ込んで、俺達がいた場所からじゃ数もろくに分かりゃしない。もし後ろにもっと多い人数が控えていたらどうする。ここは無策で突っ込むべき場面じゃない」

「じゃあどうしろって言うんだ!」

「落ち着け!」

「この状況で落ち着いていられるか!」


 アレックスに怒鳴り返されて、コルムはむしろ冷静さを失っていくようだった。そしてアレックスは、コルムに怒鳴られた事で逆に冷静さを取り戻した。

 自分も恐怖に駆られて少し熱くなっていた事をアレックスは自覚し、アレックスは心の魔物を追い払うために深呼吸をした。その作業を殊更外に出してコルムにも見せつける。


 冷静になるようにという合図を、相棒はすぐに受け取った。彼は頷くと一先ず剣を収める。まだ戦闘音は止んでいない。


「いいか、広間にいた盗賊の仲間はざっと二十人。そしてこの地下施設は広くて、奥にはまだ八十人程が寝泊まりしている。もし俺達があの衛兵達に勝とうとするとしてもだ、まずはカシラに知らせて全員叩き起こし、全員揃ってから戦うべきだ。違うか?」

「……」

「ここで俺達まで出て言ったら誰がカシラに知らせる。俺達までやられたら、奥で休んでいる奴等が各個撃破されて死ぬかもしれない。いいな、戦うにしてもまずは報告だ。理解したか?」


 アレックスは人差し指を相手の胸に突き付ける。本当は戦いたくはなかったが、その口論をここでしているわけにはいかない。いつ戦いが終わり、こちらに敵の剣が迫ってくるのか分からない。まずは戦う事を前提で話した。


「……ああ、理解した。まずは報告だ」


 コルムはアレックスの言葉を繰り返して、それから頷いた。コルムの表情から強張りが薄れていく。完全には取れないが、ひとまず冷静でいられるだけの余裕を確保する事は出来たようだった。


「急ぐぞ」

「ああ」


 コルムを先頭に、アレックス達は広間とは逆の方向に駆け出す。すでに騒ぎを聞きつけた者達がどういう事態か分からないまま顔を見せ始めている。それら全員に簡潔に状況を説明しながら、アレックス達は奥へと走った。


 カシラのいる部屋の扉を開く。ノックはしなかった。

 禿頭をランプの火で光らせながらカシラは手紙を読んでいた。ここまでは戦いの音は聞こえてこない。何も知らないカシラは闖入者を不快に思う視線を向けながら、簡易な造りの椅子から立ち上がる。


 アレックスは視線だけ動かして部屋を見た。他よりは小奇麗な部屋で、机の上には明らかに自分達よりも質の良い食事が運ばれていた。他にも机にはこの地下施設内にあったのか高そうな宝玉が置かれてある。それに手紙が数枚。遠すぎて内容までは読めなかった。カシラの背後の壁には人の頭をかち割るには十分な大きさの戦斧が飾られてあった。


「勝手に入ってくるとはどういう事だ?」


 アレックスはカシラと机を挟んですぐの所にまで近寄る。カシラは身構えるが、アレックスはすぐにこう切り出した。


「侵入者だ、カシラ」


 その言葉を受けてカシラは更に顔を不快に歪ませた。


「侵入者だと? 相手は何者だ?」

「街の衛兵だ。数は不明、最初の広間で二十名程と交戦中。でも俺達が着いた時にはすでにこっちの者達が数名転がっていた。向こうに死者が出ていたようには見えなかったし、今頃はみんなやられている可能性が高いと思う」

「衛兵か。すでにここを嗅ぎ付けていたというわけか」


 アレックスは少し冷や汗を掻いた。自分が祭壇の隠し通路を開け放してきたせいで衛兵はそれに気付いた可能性が高い。それを隣の仲間に告げ口されたら、まずカシラが最初に飛ばす首は自分の物かもしれない。

 しかし、隣のコルムは黙したままアレックスの失敗をあえて口にしようとはしなかった。その事に頭の中で感謝の言葉を星の数だけ言っても良いと思った。


「武力行使をしてくるとは、な。粘り過ぎたか」

「はい?」

「何でもない。とにかく、全員に防衛に当たらせるぞ」


 カシラが後ろの壁に掛けてある大きな戦斧を手に取った。


「俺の部屋に数人呼べ。他は防衛に当たらせろ。お前達が伝令だ、行け」

「分かった」

「了解した」


 アレックスとコルムが部屋から退出する。扉を閉めて、それからコルムの方がアレックスに顔を向けた。


「さっきお前はカシラに言わなかったが、相手はまずい連中なんだろ」


 潜められた声に頷き返して、アレックスは歩き始める。コルムもそれに並んでついていく。


「ああ、部外者でもこの辺りで傭兵稼業していたんなら〈巨人〉のリーガスリーガス・ザ・ギガースって名前に名前くらい聞いたことないか?」

「……あぁ――チクショウ。その名前なら聞き覚えがあるぜ。熊のようなでかい図体をした化け物みたいな男が衛兵だったか。この辺りじゃいっとう有名な奴なんだろ。語られていた内容は、酔っ払いが吹く法螺ほら話と同じくらい馬鹿げた内容だったけどな」

「その話がどんなものかは知らないけど、あながち間違いじゃないだろうな」


 コルムがアレックスを見る。詳しく言えと目が頼んでいた。


「小さい頃の話だ。街で派手な喧嘩があった時、あいつが現れて片手に一人ずつ持ち上げて投げ飛ばしたた。その後、五人くらいに囲まれたがあいつは全員を素手で圧倒した。信じられるか? 相手も大人だったんだぜ。哨士の仕事をしていた時、あいつが他の衛兵と訓練している所を見た。たった一人で二十人程と連続で戦って勝ち抜いていた。もうありゃ人間じゃない。獣だ」

「……」


 傭兵をしていたコルムは絶句しているようだった。戦いの中に身を置いてきたからそれがどれだけすごいのか分かるのだろう。

 だがまだコルムは納得していないようだった。彼はまだ戦いたがっている。アレックスはそれを放っておくことも出来た。しかし、今のコルムはアレックスを見張っているといっても過言ではない。説得する必要がある。そうアレックスは判断し、口を開く。


「確かにあいつ一人で百人相手に出来るなんて思っちゃいないけど、背中を守ってくれる仲間もいる。それもこっちみたいに即席で集められた仲間じゃない。街の治安を維持する仕事を長年共にしている衛兵だ」

「それでも百人だぜ、百人。簡単に負けるとは思わない。みんなで囲んじまえば勝てるんじゃないか?」

「確かにな」


 それは認めつつ、アレックスは切り返す。


「だけどその時俺は、ここに積みあがるだろう死体の一つになっちまっているだろうな」


 その言葉にコルムは閉口する。それでも戦闘に加われ、と言えないらしい。アレックスはその隙を見逃さない。そこに突破口と見てつけこむ。


「お前はどうよ、相棒」

「どうって言われても」

「お前はこの戦いに命を賭ける覚悟はあるのか?」

「あ、ああ。あるさ。傭兵だからな」


 頷き返したものの、その声は震えている。アレックスは鼻で笑った。あえて相手の気に障るような表情をする。

 勿論コルムはこれに怒りを覚えたのか、あからさまに顔を顰めた。


「なあ、相棒」

「なんだよ」

「お前、今日までにいくら貰った?」

「……」

「当ててやろうか? ゼロだ。今日まで貰ったものといえば配給の飯だけ。金なんてもらっちゃいない」

「それがどうした。まだ働いていないんだ。当たり前だろ」


 コルムの反論に首を横に振って否定する。コルムはどういう事だと呟く。彼の頭から、衛兵が迫っているという現実が忘れかけられていた。それだけアレックスの話に引き込まれてしまっていた。


「傭兵なんて命のかけた仕事、前金が出るのが当たり前じゃないのか?」

「それは……確かにそういう場合もあるけどよ」

「ここに来てからの待遇はどうだい。金は貰えない、仕事もろくなのがない。ただぐーたらしている連中の仲間にならされて、いつ来るか分からない仕事を待つ。その結果が衛兵に見つかって、これだ。どう見てもこれはカシラの落ち度だろう」

「何が言いたいんだよ」

「お前はこの戦いに命を賭ける覚悟があるって言ったけどな、そんな奴のために自分の命を賭けるなんて、馬鹿げてるって言っているんだよ」


 アレックスの胸倉をコルムは掴みあげた。失敗したか、とアレックスは一瞬焦った。しかしコルムのそれ以上アレックスに何も出来なかった。その表情は明らかに揺れていて、掴みあげた手は震えていた。


「俺には帰るべき場所がある」


 声の調子を落とす。ゆっくりと、コルムの心にまで染みわたるようにアレックスは語る。


「まだこんな所で死ねないんだ」

「じゃあ、なんでこんな所にいるんだよ」

「言っただろ。金がいるってな。でも失敗だった。だけど、まだ取り返しがつかないわけじゃない」


 胸倉を掴んできているコルムの手を掴み返す。二人の視線がぶつかり合って火花を散らしている。が、すでにアレックスは勝利を確信していた。コルムの瞳の中に不安という魚が泳いでいるのをはっきりと見えてからだ。


「協力してくれ、相棒。俺はここから生きて出たい。もし俺の願いとアンタの願いが一緒なんだったら、俺達は協力すべきだ」


 しかしアレックスもまた必死だった。こんな所で死んだら、ケンウッドとの約束をたがえてしまう。そしてモニカ。恋人が死んだ、しかも盗賊の中に混じっていた。そんな事で彼女を悲しませるわけにはいかない。


 コルムは、ふうと溜め息を吐いた。胸を圧迫する力が緩められていくのを感じて、アレックスもまた手の力を緩めた。

 コルムは視線をアレックスから離すと通路の奥、衛兵達がいる方向を見る。アレックスも横目でそちらを見るが、松明の火が揺れている以外の動きはない。


「分かった、協力してやる。確かにここでの待遇は悪かった。飯も不味かったしな。こんな所でくたばってたまるか」

「同意見だ」

「でもどうやってここから脱出するんだ? 出口は一つ、たどり着くには衛兵達をやり過ごさないといけない。お前のその舌で連中を騙して通してもらうとでもいうのか?」

「いや、言葉なんて必要ないさ。勿論、剣もな」


 アレックスは自信ありげにそう言った。その顔は、コルムにとってすでに見慣れたものになりつつあるいつもの軽薄な笑みを浮かべていた。

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