<4>




 アレックスはスペンス家を出た。


 周囲に見える農園は、全てスペンス家の財産である。この時期に畑を彩っているのは芋やかぶだろうか。従業員として雇われた者達はせっせと畑に水を撒いたり、余計な雑草を取り除いたりしている。


 ここの野菜や穀物が街の食糧事情の決して少なくない割合を支えている事はアレックスも知っている。故にスペンス家はそれなりに裕福だ。普段一家は仕事の関係上街の外にあるこの家に住んでいるが、当然街の市民権も取得していて城壁の内側に大きな家も持っている。


 アレックスがそんな家の娘を狙っていると聞いた者達は口を揃えて、泥棒がスペンス家の財布を掠め取りに来たと陰口を叩いた。

 アレックスはいつもこれを否定する。しかしその言葉は何の力も持っていなかった。


「これは一体どういう事?」


 アレックスは声に振り返る。後を追ってきたモニカがそこにいた。彼女は今出てきた扉を閉めると、アレックスへと歩み寄り早口でまくしたてた。


「ちゃんと説明してくれるのよね。さっきの話がどういう事なのか」

「どういう事って言うと?」

「とぼける気? あなたが大金を稼いでいるなんて話聞いていないわよ。それは本当? それとも嘘なの?」

「さぁね」


 アレックスは言葉に怒気を含ませるモニカを受け流すように笑った。飄々ひょうひょうとした態度はモニカの気に障ったのか、あからさまに嫌な顔をする。アレックスを見る目が冷たくなった。


「……私を騙そうって言うの?」

「ごめん、冗談だって」


 アレックスはモニカの後ろに目をやった。家の扉は閉まったままだ。しかしそこにはジョンが聞き耳を立てているかもしれない。

 アレックスはモニカの手を引っ張る。驚く彼女を無視して、街道に繋がっている私道の真ん中まで早足であるいた。ここなら周囲に隠れられるような場所はない。誰かに聞かれていたらすぐに分かる。


「なあ、モニカ。確かに俺はすぐに嘘を吐く男だ。でも君は知っているだろ、俺は君だけは本気で手に入れたいと思っている。いつもの冗談や軽い気持ちなんかじゃない、本気だ」


 アレックスはモニカの手を掴んだまま引き寄せる。二人の顔はキスする直前に見えるまで近付いた。更に驚いている彼女を逆の手で肩を掴んで逃がさない。まつ毛一本一本を数えられる程近付くと、そこで一旦止まる。


「大金の話も嘘じゃない。俺は自分が皆にどう言われているか分からない程の馬鹿じゃない。君を財産目的で手に入れようなんて思われたくないんだ。だから自分でとついだ金で君を養う。そのためには皆を納得させられるだけの貯蓄が必要だ。それくらい君だって分かっているだろ?」

「でもどうやってそれを稼いだって言うの?」

「実はいうと、まだ手に入るかどうかは分かってない。今その仕事をやっている途中なんだ。でも、本当はまだ手に入るか分かりませんなんて言えないだろ。空手形からてがたでもいいからあそこで君のお父さんを納得させなければ、結婚は絶対に認めてもらえない」

「それは……そうだけど」


 それしかないんだ、とアレックスは言って、それからモニカに短い口づけを交わした。彼は自分の愛を伝えるにはこれが一番だと知っていた。


「絶対に、危険な事じゃないって誓える?」

「勿論さ」


 嘘だ。本当は危ない橋を渡っている。だが盗賊に一時的にとはいえ身をやつしているなんて口が裂けても言えなかった。アレックス自身、盗賊になってしまったことには何の後悔もない。他の方法があったかもしれないが、しかし手っ取り早く彼女との結婚資金を貯めるためならば盗みくらいなんとも思わない。


 元々良い身分などではなかったし、神に祈る生活を嫌って飛び出してきた過去もある。悪い事をするのにも躊躇いなどほとんど覚えなかった。

 ただそれを彼女に知られるのは絶対に嫌だった。彼女は怒るだろう。嘆くだろう。もしかしたらアレックスの事を嫌いになるかもしれないし、最終的に彼を許してしまうかもしれない。だけどそのために彼女が傷付かなくていい。


 モニカを守るためならば彼女自身ですら、いや神ですら騙して見せよう。アレックスの決意は固く、その瞳は一切の揺らぎを見せなかった。


 アレックスはもう一度口付けを交わす。その決意を伝えるかのように。


「それじゃあ」

「うん」


 アレックスはモニカから離れる。モニカは名残惜しそうに緩められた手を放した。

 モニカはアレックスを農園の外の道まで見送ってくれた。アレックスはこちらを見送るモニカの姿が見えなくなるまで、道中何度も振り返った。


 やがてモニカの姿は隠れてしまう。街の入り口まではそう遠くない。アレックスは足取り軽くそこに向かおうとした。しかし後ろから微かに声が聞こえ、それが自分の名前を呼ぶ声だと気が付くと振り返った。


「アレックス!」


 一人の若い男が汗を飛ばしながら駆けてくる。腕を振って気付かせようとしながら。

 アレックスは歩みを止めると男が来るのを待つ。男は軽快な走りでアレックスの所まで走ってくると、ほとんど疲れた様子も見せず白い歯を見せた。


「良かった、追いついた」

「ケンウッドさん」


 ケンウッドは明るい男だ。ジャンの長子でスペンス農園の跡取り息子。すでに既婚きこんであり、一年前に赤子も一人儲けている。玉のようなというにはアレックスは赤子を美しいとは思わなかったが、しかしアレックスによく似て元気な男の子だった。


 そしてなによりアレックスにとって大事なのは、彼がモニカとの婚姻こんいんに対する一番の理解者だという事だ。


「どうしたんだい、そんなに慌てて。農園の仕事は?」


 ケンウッドは笑いながら土で汚れた手をアレックスの胸に軽く突き付ける。固い拳がアレックスの胸をノックした。


「お前がここに来たのに俺に挨拶もなしに帰っているって妹に聞いて、仕事を放りだして駆けてきたんだ」


 ケンウッドは実直な男だった。アレックスが知る中でこれほどまでに実直な男は知らない。


 ジャンの元に直談判じかだんぱんしに行った最初の日のうちにアレックスはケンウッドに密かに呼び出された。

 密会というにはそれは荒々しかった。ケンウッドはアレックスに対して言葉で取りつくろったり駆け引きをしかけたりすることはせず、ただ真っ直ぐ訊いた。アレックスの腹の内を訊いた。


 ジョンのような嫌味もなく、また軽薄な男と悪い噂が立っているアレックスを見下してもいない。ひたすらに妹の幸せを願う兄の姿がそこにはあった。


 アレックスはケンウッドに対して真っ直ぐに答えを返した。嘘や冗談を交えるよりもそちらの方が効果的だと直感したからだった。それ以来、ケンウッドは二人の関係を後押ししてくれるようになった。

 ケンウッドがアレックスを認めたように、アレックスもケンウッドには一目置いていた。彼は愛という言葉の意味を知っていた。


「なに、親父とまた喧嘩したって? 親父もあの歳で元気なもんだ。これで何回目だ、ええ? おい」

「さぁ。もう数えるのが飽きてくるくらいかな。なに、俺の歳の数よりちょっと多いくらいさ」


 ケンウッドは大きな声で笑いながらアレックスの肩を叩いた。小気味のいい痛さを何度か感じてから、アレックスは再び尋ねる。


「で、どうしたんだい? まだ婚姻は決定してないし、仕事をさぼってまで飛び出して来る程の事はないと思うけれど?」

「何言ってんだ、俺とお前の仲だろ? ははっ」


 ケンウッドは笑う。しかし彼にしては暗い、口ごもった笑いだった。声の響きが明らかに低くなっている。それを鋭敏えいびんに察知したアレックスは何事かと身構えてしまう。


「まぁ、妹から話は聞いた。ちょっと俺も聞きたいことがあるんだが」


 ケンウッドは少し声を潜めた。先程アレックスがそうしたように、周囲に人がいないか確かめる風に周囲を見回してから口を開いた。


「これはまだ誰にも言っていないし、俺の周りにはこれ以上広げないよう口止めしてあるんだが」


 一旦そこで言葉は区切られた。そこから本題だ。雰囲気がそう語っていた。


「お前、最近哨士の仕事休んでいるんだってな。お仲間が愚痴ぐちっていたそうだぞ」

「……」

「本当か?」


 ケンウッドは実直な男だ。しかもこの歳で父親から農園を一つ丸々任される程の裁量を持つ程の頭脳もある優秀な男だ。

 アレックスへの不信感で目が曇っているジョンや、愛という熱烈な感情故にアレックスに対しての注意が緩くなっているモニカを言いくるめるように簡単にはいかない。言葉の切れ端からも感じさせる。簡単に誤魔化せると思うなよ、そんな言葉を。


「……それは、事実だ」

「どういう事だ? まさか、このまま辞めるっていうんじゃないだろうな。それは止めざるをえんぞ、アレックス。いや、お前がそんないい加減な奴なら、改めてモニカに婚姻を諦めるように説得する。いいのか?」

「待てよ、早合点はやがてんはよくない。俺はちょっと休暇をもらって休んでいるだけだって」

「それはあれか、例の大金をもらえる仕事ってやつか?」

「当たりだ」


 アレックスは雰囲気が悪くならないようにずっと道化師のように笑い茶化すように軽い口調で話しているが、ケンウッドは視線を緩めない。視線が力をもっているようで、アレックスは後ろに下がりたくなる謎の圧迫感を覚えていた。


「なぁ、俺はただの農家だがそれなりに人生ってやつを経験してきた。そんで世の中にはそうそう美味い話が転がっていないってことくらいは知っている。お前、どんな仕事に首を突っ込んでいるんだ?」


 来た、とアレックスは身構えた。ただし、それを外部へは一切出さないように必死で笑顔を作った。

 仕事内容に関して尋ねられる場合はあると思っていた。モニカはキスで誤魔化せたがこの兄は違う。きっと内容を聞くまで納得しないだろう。


 だからアレックスはあらかじめ尋ねられた場合の嘘を用意していた。それを途中で嘘だとばれないようにしなければならない。整合性せいごうせいが取れた話を、よどみなくすらすらと言う。そうすれば妹の将来をうれえている兄の疑念も晴らす事が出来るだろう。


「――モニカには内緒だぜ?」


 アレックスはケンウッドよりも声を潜ませて、それが内緒話である事を主張させる。ケンウッドが頷き返してくる。アレックスはその間に頭を必死に動かして最良と思える答えをはじき出した。


「これは過去の話だ。物品を街の広場で売りたいって商人がいてな、そいつが街の中に入れないって泣いていたからその手伝いをちょいとしてやったんだ。何、俺も知り合いの伝手を使ってちょっとしたお偉いさんに引き合わせただけだ。執政官しっせいかんとは知り合いじゃないけど、そのくらい出来る奴とは顔見知りだからな」

「おいおい。その過去話だけで十分悪事なんだが」

「堅い事言うなって。このくらい、他の奴だってやっている」

「だからと言って」

「哨士の仲間は――」


 アレックスはケンウッドの台詞を無理矢理に遮った。いきなり声を大きくしたものだからケンウッドは思わず口を閉じてしまう。


「――猟師達が領主に認められている場所や数を越えた狩猟をしている事を黙認している。あの頑固で真面目と知られている肉屋の親父だってそれを知って黙っている。何故だ? それは誰かに迷惑をかけるわけでもない上にみんな助かっているからだ。だろ? 鹿の十頭や二十頭多く殺した所で、この辺りの山から鹿がいなくなるわけじゃない。領主のでかい財布に入る金が少し減るだけだ。その分市民が新鮮な肉を食べられる。貧乏な奴だって肉が手に入りやすくなる」

「……」

「俺の仕事だってそうさ。商人が中に入って物を売るだけ。街はうるおうし商人はもうける。ここいらでは手に入りにくい物が流通すればみんなが助かる。違うかい?」

「……その先はどうなんだ?」


 ふぅ、とアレックスは小さく安堵の息を吐く。ケンウッドが悪は絶対に許さないという性質なのかどうかは、実のところアレックスは知らなかった。


 真面目に働いているケンウッドが悪事を働いているようには見えない。が、少しのズルくらいは寛容に見逃してくれるだろうとアレックスは賭けた。

 アレックスは然程分の悪い賭けだとは思わなかった。何故なら自分のような人物が妹と愛し合っている事を喜べる人物だからだ。悪を絶対に許さないと思える人間が、軽薄な男が愛する妹とつがいになろうとしている事に喜べるとは思えなかった。


「その商人にこの前会ったんだが……」


 そして商人の話は全て本当だった。アレックスは実際に街の役人と酒場で知り合いになっていて、彼の袖の下に金をするりと滑り込ませ門を開けさせたのだった。話に真実味を持たせるという意味でこの話はこれ以上ない素材である。なにせ、本当に真実なのだから。


 もしケンウッドではなくジョンが同じような内容を、つまりは哨士の仕事を休んでいる事を訊ねてきた場合には、アレックスは何もかも隠していたかもしれない。ジョンはアレックスの汚い一面を見つけたら、鬼の首を取ったように得意げにそこを責めたてるだろう。アレックスはその話をするわけにはいかないために嘘を吐く。その間、顔が引きつらないように絶え間ない努力を強いられる羽目になる。


 それと同じ事を、このアレックスの前で貫き通すだけの自信がなかった。彼はまるでアレックスがどの手の指を動かしたのかさえも見逃すまいとしているかに思えた。


「そいつが助けてくれっていうんだ。今回は正規の手続きで街に入ったらしいけど、その後街の商人とちょいとばかし揉めたらしい。利権の関係で。これからも街で仕事がしたいから禍根かこんを残したくはない、でもお相手さんはかんかんだ。まるで沸騰して沸き立っている水のようだとさ。当然和解金として高い金を要求してきたわけだけど……」

「商人としてはそれを払いたくない、と」

「そういう事」


 アレックスは肩を竦める。ケンウッドも思わず苦笑いを浮かべていた。


「まぁ、気持ちは分からないでもないんだけどね。それを払えば今回稼いだ売り上げ全てを持っていかれる上に損まで出る。更に交渉で簡単に相手に屈したとなったら商人としての面目めんぼくは丸つぶれだ。これからの商売がやりにくくなる」

「でもその商人がミスをしたのは確かなんだろう? タダで助かろうってのは虫が良すぎやしないか?」

「流石に少しの出費は覚悟してるらしいよ。ただ、面子めんつを保つ上でも最初の提示額を出来る限り値切りたい。値切れば値切る分だけ、商人としての顔は立つ。そこで俺の出番だ」

「おいおい、 お前が仲介ちゅうかい役なのか? 街の役人に任せりゃいいじゃないか」

「言っただろ、昔その商人はお偉いさんに口利きしてもらって街に入ったって過去がある。あんまり事を大きくしてみろ、掘り返されたくない所まで掘り返されてしまうかもしれない。それを嫌がる連中がいるのさ。俺も然り、そのお偉いさんも然り、書類を偽造した奴も然り。そして、通した門番も然り、だ。そいつらにしてみたら、厄介の種が勝手に不始末を起こして、こっちまで巻き込むかもしれないって状況だ。ここいらで難癖なんくせつけてでも叩きだしてしまって、二度と街に入れなくした方が安全。そう考えてもおかしくはないよな」


 複雑そうな顔をしてケンウッドは腕を組む。

 アレックスはケンウッドの言葉を待った。これについては嘘だった。商人はまだ街の中にすら入っていない。もしめたらこうなるかもしれない。その時は頼む、と酒場で会った時に言われただけだ。

 笑い話として聞き流していた。それがこんな所で利用する事になろうとはその時のアレックスはつゆ程も思ってなかった。


「……呆れて怒りも湧いてこないぞ」


 やがて、ケンウッドは腕を解く。


「お前、やっぱりけっこう危ない事をしているじゃないか」


 その口調は呆れてはいたものの、アレックスを責めているようなものではなかった。アレックスは少し乾いた笑みをしつつ、そうだな、と頷いた。


「でも、そうしないと美味い話は簡単には転がってこない。だろ? 俺だって面倒な仕事を受ける気はなかった。でも、俺は金が必要、そしてあちらさんは口が上手くて裏事情も知っていて、そして色々な場所に顔が利く人間が必要だった。おかげで報酬ほうしゅうはたんまりだ。俺に払う分には面目とか気にする必要がないから……いや、それ以上に俺と仲良くしてた方がいいと判断したのか、多少損になっても糸目をつけずに報酬を支払うそうだ。ちょっとした財産だ。勿論、スペンス家の財産には及びようがないが」


 アレックスは冗談を一つ挟みつつ、場の流れを良い方向に持って行こうとした。しかしケンウッドはそこにはにこりとも笑わなかった。せき払いをして、話を戻す。


「それに別にこれ以上悪い事をしようってわけじゃない。ただつまらない争いを一つ丸く収めようってだけだろ?」


 アレックスの言葉にケンウッドは首を横に振る。否定に見えそれは、しかしそうではないようでケンウッドはアレックスに向けてこう言うのだった。。


「なぁ……俺はお前がモニカを幸せにするって言葉を信じたんだぞ。それを裏切るような行為はするべきじゃない。そうは思わないか? お前の行動は確かに容認されるべきかもしれない。でもな、モニカもそれに同意してくれるとお前は思っているのか?」

「それは……」

「お前はモニカと一緒になりたいと願っているんだろ。お前はこれから不正行為を行おうとしているんだ。成功したとしてもその結果は一生お前に付きまとう。その危ない橋にモニカも生涯付き合わせるつもりか?」


 その言葉はまるでアレックスの胸を短剣で抉ったかのような痛みを憶えさせて、アレックスは笑みを消した。モニカを悲しませたくはない。それにその家族も。

 悪か正義を問われるよりもよほど重々しく、その問いはアレックスにのしかかった。だがアレックスは踏みとどまった。ケンウッドの言葉は正しい。しかし、正しいだけではアレックスに勝ちの目は降りてこない。


「分かっているさ、でもこうしないと金は稼げない。俺が真面目に働いて稼ごうとしたら時間がかかる。その間にジョンさんはモニカに別の男を、もっと身なりがよくてそして金を持っている男を紹介するに違いない」

「モニカがお前を捨てるわけがないだろう」

「だけど父親が強制的に選んだ相手をモニカは、そう断れない。ケンウッドさんも父親の紹介で結婚したんだろう。あんたは喜んでそれを受けたそうだけど、もし相手が嫌な人物だった時、断れたかい?」

「それは、断ったさ。そんな血を入れても家のためにならない」

「じゃあ変えよう」


 アレックスは手を広げた。自身という人間をケンウッドに見せつけるように。


「あんたに好きな人が出来た。そいつは孤児で、街でも軽い女だと言われている。でも実際はいい女だ。しかし父親はそいつを蛇蝎だかつの如く嫌い、そいつよりも金持ちで身分がしっかりしていて、そしてそれなりに性格もいい女を薦めてきた。その方が家のためになると父親は言っている。確かに結婚しても外れではないだろう。さてケンウッドさん、アンタならどっちを取る? 愛か、家か」

「……」


 ケンウッドは黙した。アレックスの話が誰を例えているのかは容易に分かった。しかし彼の誠実さは嘘を吐いてでもアレックスを慰めようという偽善を許さなかったらしい。


 アレックスの小さな悪に関しては見逃す度量はあるくせに、己に対しては本当に厳しい。アレックスはケンウッドに対する評価を更に上げていた。その真面目さこそがケンウッドで、アレックスには到底とうてい真似出来ないからこそ尊敬できる部分だった。


「そういうものだよ。いくら互いに愛し合っていても、いくつもの障害がそれを簡単に断ち切る。だけど今はまだモニカの前には俺しかいない。モニカの愛は俺に向いている。俺はその間に、彼女と結ばれたい。愛が勝つ所を見せてやりたい。ケンウッドさん、そのためなら俺は危険をおかす事を躊躇わない。それが例えモニカに危険を背負わせる事になったとしても、俺がモニカの分まで背負ってやる。絶対に彼女を不幸せにしたりするもんか」


 アレックスは力強く言い切った。最期の方は感情的になり、思わず熱弁してしまっていた。その事に喋り終えてから気付いて、我に返り赤面する。

 ケンウッドは顔を下に向けて長い溜め息を吐いていた。顔を再び上げた時、麦穂ばくすいのように黄金に輝く笑みがそこにはあった。


「分かった分かった。降参だ。口の上手さではお前に勝てるわけがなかったな。忘れていたよ」


 両手を挙げて降参のポーズを取りながらケンウッドは言う。重苦しい雰囲気が一気に霧消むしょうしていき、場の空気を今度こそ明るくした。


「だけど、やばくなったらそこで降りるんだぞ。だめだったら俺も手を貸す。だけど、いいな、モニカを悲しませたら俺が許さないからな」

「分かってるって。アンタは、妹を愛し過ぎだぜ」

「妹だけじゃない。お前の事も心配なんだ」


 ケンウッドの瞳がアレックスを撫でる。


「馬鹿なことばっかりして、そのうちどこかで野垂れ死んでしまわないかとな。分かったか? 勝手に死んだら許さんと言っているんだぞ。俺はお前を、ちゃんと認めているんだからな。そりゃあ良い奴とは言い難いし、噂通りに軽薄だって一面もあるさ。でも性根しょうねが腐った奴じゃない。それは俺が保証する」

「……」

「お前なら妹を幸せに出来る。だから、ちゃんと帰って来いよ」

「ああ――ありがとう」


 最後にケンウッドはアレックスの背中を強く叩いた。青空の下に響き渡る程にその音は大きく、衝撃は痛快さを伴ってアレックスの全身を駆け巡った。


「行って来い馬鹿野郎。早く終わらせてモニカを迎えに来てやれ。そんでもって、元の真っ当な仕事に戻れ」

「いてて……強く叩きすぎだってケンウッドさん」


 言葉とは裏腹に、アレックスの顔は作った表情では出せないような自然な笑みで顔が綻んでいた。それを見てアレックスもまた、土で汚れた手に相応しく豪快ごうかいに笑うのだった。

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