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「ならん!」


 その怒鳴り声は農園中に響き渡ったのではないかと思える程に大きかった。机に叩きつけられた拳のおかげでカップが音を立てて倒れ、中の水が机の上を滑り床に滝のように流れ落ちた。


 アレックスはしばし現実逃避するかのようにその水を眺めていた。怒鳴り声はその間も止む事はなくアレックスの鼓膜こまくを震わした。


「何故このような浮浪者ふろうしゃをうちの家に迎えなければならないのだ!」

「お父様! アレックスは浮浪者じゃないわ。立派な哨士よ!」

「哨士? ただの見回り、街の使い走りだろう。しかもまだ二年足らずしか続けていない。他の職も馴染なじむ前に辞めていると聞くじゃないか。こいつが真面目でない証拠だ! ウチの資産を食いつぶすためにモニカを利用しようという魂胆こんたんだろう!」

「馬鹿言わないで! 地位や前評判だけでしか人を測れないの?」


 ジョン・スペンスとモニカ・スペンスは怒鳴り合って喧嘩けんかしている。ジョンの言葉にアレックスの怒りは、忍耐という蓋を打ち負かして体という器から吹きこぼれそうになっていた。


 出来ることならこの頑固で差別主義の親父に指を突き付け、がつんと一言いってやりたかった。自分がろくな人間でない事などアレックス自身がよく知っている。しかし、ここまで歯に衣を着せずにはっきりと言葉に出して馬鹿されると、反論の一つや二つは返したくなる。


 モニカの父親でなければ反論どころか、怒りに任せて相手を小馬鹿にする話の一つでも言っていたかもしれない。アレックスは演技を得意としているが、それは特別我慢強いという事ではない。彼の舌は時には彼の制御を超えて回り始める事だってある。


 それでもアレックスは、ここで怒鳴り返したい気持ちをぐっと堪えた。喉元までこみ上げてきた怒気を腹の底へと押し戻して、いつものような軽薄な笑みではなく真面目な顔を努めて作る。


 そしてまだ言い争いを続けている二人に向かってアレックスは、徐に口を開いた。


「スペンスさん」

「あ?」


 アレックスに呼ばれてジョンは振り向く。顔から何かを感じたのか、ジョンはアレックスを見ると一旦口を閉じた。アレックスはここぞとばかりに真剣な口調で切り込む。


「俺は冗談でもなく企みも持たず、ただ愛を示すためにモニカを嫁に迎えたいんだ」

「嫁に迎える? ろくな資産も持っていないお前がよくもそのような言葉を簡単に言えるものだな!」


 正論を叩きつけて何も言えまい。ジョンのいやらしい笑みはそう語っていた。


 嫌われたものだな、とアレックスは心で溜め息を吐く。


「なら、資産があればいいんだな?」

「アレックス?」

「確かに俺は、色んな仕事場で世話になって、そんですぐにそこを飛び出してきた。それは認める。でもおかげでほとんどの人が経験したことないだろう事をたくさんしてきた。それなりに成長している。それにもらっていたのは技量だけじゃない。金だってちゃんと稼いでいた」

「稼いでいた? ふん、貧乏人が稼げる額などたかが知れている」

「馬鹿に出来る額じゃなかったら?」


 アレックスの言葉に、ジョンはいぶかし気にアレックスを見た。まだ若く、そして身なりは街の住民としては普通の恰好。どう見ても目の前の男が大金を持っているようには見えない。


「モニカを好きな気持ちは気まぐれなんかじゃない。彼女を幸せにするためなら俺はなんだってする。二年前に出会ってから彼女がちゃんと俺の所に来られるように金もちゃんと貯めてきた。いや、それ以前の蓄えだってある」

「……馬鹿を言うな。数年稼いだ所で、家一つまともに買えないくらいだろう」

「俺は一時期旅籠はたごで馬番をして、旅の商人とたくさん話していた。酒場で働いていた時は、流れの者から街のお偉いさんまで、色んな人に酒を運んだこともある。だから儲け話に関わる機会は少なくなかった。今だって、そういう話の一つを進めているんだ」


 モニカまでもがアレックスの事を怪しんだ目で見ていた。


 モニカの疑念は尤もだ。しかしこの場では彼女には黙っていてもらいたい。アレックスはモニカを一瞬だけ鋭い視線を向け、何も言うなと言葉ではないもので語る。それからまたジョンに視線を戻した。


「とにかく、お金さえあればいいんだよな。待っていてくださいよ。すぐにここに持って来るから。それで俺を断る理由の一つが片付く。俺という人間に関しては、まぁ今度酒でもみ交わしながらゆっくりと見定めてくれ」


 絶対にモニカをめとってみせる、と勝利を確信しているかのような余裕の笑みにジョンは反対する言葉を思わず忘れさせられていた。

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