<7>




 暗い、しかしほんのりと月明かりが明るい。二人は石の上ではなく草の上を走っていた。外気は変わらず春の夜の寒さを知らせてくるにも関わらず、興奮状態である二人にはそれは程よい涼しさに感じられた。


 頬が緩み切っているアレックスと、今にも高笑いをしそうなコルムは全力で街へと走っていた。

 それを見ているのは月と星、それに野生生物だけ。来る時と違っているのは、隣にいる人間だけ。



 アレックスの提案した、戦わずにやり過ごすという簡潔明瞭な作戦がこうも上手くいくとは実際アレックス自身ですらも思っていなかった。それはコルムだって同じだった事だろう。ただしアレックスは、勝算という程でもないが一つの仮説を立てていた。


 最初の広間で戦闘を見て、盗賊達の死体が多く転がっていたにも関わらず戦闘自体は通路で行われていたという事実から、衛兵達の数が少なかったのではないのかと考えたのだ。味方の数が少なかったから撃退しつつ、相手が大勢でも相手出来る狭い道まで下がった。それはアレックスが若いころ、路地裏での喧嘩の時に使っていた戦法でもあった。

 それは勝算というには稚拙過ぎて、最早願望に近かった。そう、衛兵が出口に残っている場合もある。しかしそれへの対処法など二人には思いつかなかった。


 終わってみないと分からない。結局は、神に祈ってしまった。その祈りが届いたのか、外に出るまで出会った生きている人間の数は、零だった。



「ふ――ははははっ!」


 街道を走りながらコルムは笑い出した。アレックスも、汗を飛ばしながら笑った。こんなに愉快な気持ちになったのはなかった。何故愉快なのか、それだけは謎だったがそれはどうでもいい事だった。


「ははははははは!」

「ははははははは!」


 笑い声が月夜の闇に消えていく。ひとしきり笑った後、十分な距離を走った二人は街道の真ん中で止まった。息も絶え絶え、汗で服がぐっしょりと濡れていた。


 そこはすでにギャシー要塞の目と鼻の先であり、これ以上先に進んだ所で大声を出せば見張りに気付かれるかもしれないくらいの場所だった。


「で、上手くいったが、この後はどうするんだ?」

「街の門は間違いなく閉まっている。旅籠に泊まろう。街道の先にある。主人とは顔見知りだし、もし部屋がなくても厩の藁くらいになら寝泊まりさせてもらえるぜ」

「そりゃ豪華な部屋だ」


 コルムが笑う。生きて脱出出来ただけで満足だと言うような良い顔だった。

 二人は来た道を振り返る。〈赤の祭壇〉は何事も起きていないかのように変わらずそこにある。


「お前がいなかったら、俺は今頃あそこで死んでいたかもな」

「さぁな、もしかしたら衛兵が全員やられていたかもしれないぜ。ま、その時は街の衛兵から追加の人員が投入されるだけと思うけどな。その時まだあの場に残っていたら、今度こそ終わりだ」

「だな。俺みたいな下っ端はボロ雑巾よりも簡単に捨てられるだろうさ。あそこを飛び出してきて正解だ。簡単に稼げるからと言って、楽をするもんじゃないな」

「俺も最近、というか今日の昼にそれを言われた」


 アレックスがそう言って苦笑すると、コルムはあーあと今度は大きな溜め息を漏らした。


「結局は数日食事が浮いただけか。ほとんど金も持っていないし、どうするか」

「……」


 そこでアレックスは数秒沈黙を築いた。それは彼の中で打算的な部分が計算をしていた時間でもあったし、善の心と悪の心が戦った時間でもあった。

 モニカとケンウッドの事を思い出す。ここで何もしない自分が、果たしてモニカの夫として胸を張っていられるだろうか。ケンウッドの弟として彼の誇りに成り得るだろうか。


 善か悪かという事だけで戦っていればアレックスの心では悪が勝っていただろう。それだけ彼の中では正義という言葉は脆い。しかし、この二人の存在がアレックスに違った道を示した。彼は胸を張って誇りたいのだった。モニカの妻に相応しい男だという事を。ケンウッドの義弟であるという事を。


「その事は、心配するな」

「なんだ、また何か見せてくれるのか、魔法使い? 次は金貨の山でも出してくれるとありがたい」

「山は無理だけど、数日分の路銀なら」

 アレックスの言葉にコルムは儚く笑う。冗談か何かだと思っているようだった。

「恵んでくれるのか? そりゃお優しいことだ。だがお前の財布にそれが入っているっていうのか?」

「冗談では、ないんだぜ」


 コルムがアレックスの顔を見ると、いつにもなく真剣な表情を浮かべている。何かがあると悟りコルムも笑顔を引っ込めた。


「実は、カシラの部屋に行った時に金になりそうなものを一つ、くすねてきた」


 アレックスが着こんでいる外套の下から取り出した物は、それは見事な宝玉だった。綺麗に磨かれ金細工で周りを装飾されていて、思わずコルムも見入って深い溜め息を漏らした。


「お前、いつの間にそんな事を? まったく気が付かなかったぜ」

「カシラが戦斧を取るために後ろ向いた隙に」

「お前、やっぱ盗賊向いているんじゃないか?」

「よせよ、あんな化け物に命を狙われる経験はもうこりごりだ。これからは出来るだけ真面目に生きたいね」

「なんだかまた悪事を働きそうな前触れに聞こえるぜ、それじゃ」

「かもな」


 軽口を叩き合うくらいには雰囲気は軽い。しかし二人の表情は真剣なままだった。


「俺はそれを売って金にする。商人に知り合いがいるんだ。きっと高値で買い取ってくれる」

「そりゃいいな。それを俺に分けてくれるってのか?」

「ああ」

「……一体どういう風の吹き回しだ? 少なくとも、お前と俺は昨日今日の出会いだろ。金をくれるような間柄じゃあない」


 訝しむようにコルムはアレックスの目を見る。彼も汚い世界を生きてきた傭兵だ。美味い話には裏があると疑ってかかるのは当然だとアレックスは思った。


「アンタは無自覚かもしれないけど、俺はアンタに助けられている。最初は広間で俺を連れ出してくれた時、俺を戦闘に巻き込まずに済ませてくれた」

「そりゃ偶然ってやつだぜ」

「次に俺に冷静さを取り戻させてくれた。多分、アンタがいなきゃ俺はあんな作戦思いつかなかった」

「それも俺が意図してない。助けたっていうには程遠い」

「カシラに俺の失態を告げ口しなかった」

「それは……」


 コルムの台詞はそこで途切れた。何か言おうとするように唇は動くのだが、しかし言葉を忘れてしまったかのように出てこない。アレックスはコルムの肩を労うように叩いた。


「アンタと知り合えていなかったら、俺は多分死んでいた。俺もアンタも善人とは言えない、子悪党さ。でも、子悪党にもそれなりに通すべき筋ってものは、あるんじゃないのか?」

「だけどそれは、お前に必要な金なんだろ?」


 その通りだった。アレックスにとっては大事な女性のための金、そのための売り物だ。それを分けていいのかとコルムは尋ねる。しかしアレックスは躊躇いなく頷いた。


「なぁ相棒。俺はな、好きな女のためなら盗賊にだってなる。だけど好きな女が悲しむような男にはなりたくはない。いや、少し前の俺だったら平気な顔で黙っていたかもしれない。でも今は違う。受け取ってくれ。俺のためにも」


 善の心が勝った。アレックスにとっては珍しい事に。

 彼一人で成し得た勝利ではない。少しの時間でも苦楽を共にし危機に手を取り合って乗り越えた仲間に対する敬意、そしてなによりも好きな相手とその兄がアレックスに注いだ愛情がアレックスを突き動かした。


 その行為には打算的な部分が一切ないとは言い切れない。それでも損は大きい。

 まずアレックスにとって一番心配なのが、コルムがアレックスから宝玉を奪い去るというリスクがある。彼が腰にある剣をアレックスに向ければアレックスは宝を渡さざるをえない。

 そしてコルムがそうしなくても、得られる金は減る。更には金の出どころを知る人物が増えることで、露呈する危険性も増した。


 将来を考えると不利な展開だ。黙っていた方が何倍得だっただろうか。

 それにも関わらず言い切った彼の心は雪解け水のようにすっきりと澄んでいた。その水を一口含んだ時のような清涼感に全身が満たされていた。


 コルムは少し悩む素振りを見せた。何を考えているのか、アレックスに知る由もない事だ。

 ただ、コルムはすぐに手を差し出してきた。握手を求める事がどういう事なのか、アレックスにはちゃんと分かった。すぐにその手を握り返す。


「いいんだな?」

「もとより俺には断る選択肢なんてなかった。生きるためには」

「違いない」

「お前の善意はありがたく受け取る。が――」

「が?」


 唐突にコルムは、握手をしている手ではない方でアレックスの肩をドンと押した。


「取り分が少なくなったからって後で文句を言うなよ。最低でも次のでかい街に行けるだけの金額は、お前からふんだくってやるからな」


 いきなり握手していたアレックスの手を振り払い、茶化すような剽軽なポーズを取る。一瞬アレックスはぽかんと口を開いた。その後すぐに吹き出し、豪快な笑い声を夜空に響かせた。

 今までで一番長く笑い続け、そして息切れを起こして何度か酸素を肺に供給したあと、ぽつりと呟く。


「――なんて悪党だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る