二章 小悪党アレックス

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 春だと言っても流石に夜明け頃はまだ寒い。この辺りは寒波が厳しい土地ではないが、チュニックと毛皮の外套がいとうだけでは物足りない。手先足先が徐々に凍り付いていくのを体験している気分になる。それなのに温める手段を持ち合わせていない。アレックスはそんな現状に苛立っていた。


「やってられない。やってられるか、ボケ」


 口の中で小さく呟くとアレックスは足元に転がる石を思いっきり蹴っ飛ばす。気持ちを込めた蹴りであり、しかしこれは一つの演出でもあった。


 いらついていることを殊更ことさらに示すように何度かその場をぐるぐると回り、近くの石の祭壇さいだんに乱暴に腰掛ける。そうしたアレックスの一連の行動を、相棒はちらりと見るだけで興味を示す事ない様子だった。それを横目で確認したアレックスは一度相棒への注意を切って周囲を眺める。


 そこは背の低い草しか生えていない殺風景さっぷうけいな丘の上だった。狭義的きょうぎてきな意味での祭壇となる石棚と、その周囲を囲むいくつかの石の柱、加えて地面に敷き詰められた石畳いしだたみ。これら全てを指して〈赤の祭壇〉と呼んだ。祭壇や石柱には歴史的価値のありそうな見事な彫刻ちょうこくが施されているが、しかしそれらは寒さを凌ぐのにほとんど役に立っていない。

 それらを一通り見終えてから、もうそろそろいいか、とアレックスは立ち上がる。


「なぁ、おい」


 そして相棒である男に向かって努めて明るく声を掛けた。だが男は震えているだけで返事をしなかった。

 風はまるで嘲笑うかのように、少しでも足掻こうと柱の影に入ったり熱を逃がさないように丸まったりしている男を強烈に攻撃している。彼は歯を鳴らしながらそれに耐えていた。


「なあってばコルム。聞いているか?」

「なんだよ」

「寒くないか?」

「知ってるさ。それを口にしたところでどうなるってんだ」


 一緒に見張り番を任された相方はぶっきらぼうな口調でそう答えた。彼は基本的な衣服の上に革の胸当て等の軽防具を着込み、更に毛が抜けて薄くなってきている外套を羽織っていた。それでも体の震えを止めるには足りなかった。


 アレックスはその返答を望んでいたかのように密かにほくそ笑んだ。


 実は今日初めて会ったコルムについて、名前や外見的特徴以外の素性をアレックスは知らなかった。恐らく一夜限りの相棒になるこの男が、もし無駄口を好まないような堅物であったら。その可能性を考慮しないわけにはいかなかった。


 だがコルムは寒がっている。それに苛立っている。勿論この地獄のような寒さにコルム自信も嫌気が差しているのだろうが、アレックスがわざとコルムの目の前で忙しなく動いたのは、そうした寒さを強調してみせたり、鬱陶しさを感じさせて苛立いらだちを加速させたりするためだった。

 そしてコルムはアレックスにこう返事をした。自分も現状に不満がある、と。それさえ聞ければもうそこから先はアレックスの得意とする舞台。アレックスはコルムに向けてこう言葉を言い放った。



「ならよ、ちょっとズルをしてみないか?」

「はあ?」

「俺の懐には火打石ひうちいしがある。鋼の短剣もある。あとはよく燃える物さえあれば俺達は暖かい火に当たることが出来るんだぜ? 俺は今から下に行ってそれをこっそり取ってくる。たくさんある松明のうちの一つだ。一つ消えた所で誰が怪しむよ」

「おいおい、灯りはつけるなと言われているぞ。暗闇でそんなものを点けて見ろ、地平線からだって見えちまう」

「なに、ちょっとこの氷みたいに冷たくなった手を暖めるだけだって。この寒さを知れば誰だって火の温もりが恋しくなるだろ、なぁ相棒。それに誰がこの時間にこんな何もないような土地を見張ってるって言うんだ? ん?」


 アレックスがコルムに近付いて、まるで旧来きゅうらいの親友であるかのように肩に腕を回す。知り合ってまだ一日目という相手を相棒呼ばわり出来るのはアレックスの性格だった。彼が持つ気さくで人懐っこいという一面は処世術しょせいじゅつとして身に着けたものではあるが、今ではすっかり彼の中に完全に染みついてしていしまっている。最早これがアレックスだった。


「……すぐに戻れよ」


 現状に嫌気が差しているのはコルムも同じだったらしい。彼は少し間を置いてからそう言った。

 二人が今就いている仕事は盗賊のアジトの見張り番。規則なんて堅苦しいものを順守するような人間ならば、そもそもこんな仕事を選んだりしない。アレックスもコルムも、真面目さとは程遠い場所にいる人間だった。アレックスは回した手でコルムの背中を軽く叩く。


「あいよ。待っていな、お前が寂しさを覚えるよりも早く戻ってきてやる。まだ涙はしまっとけよな」

「さっさと行け。だめだった時に俺も巻き込むなよ。お前が一人でやったことにしろ」


 ぺらぺらと回る口に呆れたように、そして鬱陶うっとうしそうに回された手を振りほどく。


 アレックスはコルムから離れると丘の上に建つ広い石畳の上を歩き、祭壇の供物を捧げる石棚の前に立った。それの下に指を入れて下から持ち上げようとする。

 見た目よりずっと軽い、とは言っても大の大人一人分以上の重量はある長方形の石は、アレックスの全力の半分程度で地面から少し浮きあがった。そのまま押し込むようにして少しずらすと、石棚があった場所に人一人が通れるくらいの穴が出現する。その穴には木の梯子はしごがかかっていて、下へと続いていた。


 穴の深さはそれほどないことが分かる。穴は完全な暗闇ではなく、穴の底に延びている横穴から光が漏れてきていて、その通路全体を仄かに照らしていた。おかげで梯子ははっきりと見えている死、底にたると何に使うのか分からないかぎのついた紐がある事さえも見える。頭から落ちれば危険な高さではあるが、気を付けていけば気を付けていけば踏み間違える事などない。

 アレックスは梯子に足を掛けた。穴に少し入った瞬間、底の方から漏れ出した暖かな空気がアレックスの全身を駆け抜けていく。


「ったく、中の奴らがうらやましいぜ」


 愚痴を零しながらアレックスは梯子をどんどん下っていく。ギシギシと音をたてる木の梯子はここを通るたびにアレックスの心を不安にさせる。こればかりはアレックスの注意だけではどうしようもなかった。幸い、梯子が音を立てて壊れるような事はなく、アレックスは何事もなく確かな地面へと足を付けた。


「ありゃ?」


 奥へと続く通路の入り口となる扉を見て、アレックスは首を傾げた。何故か見張っている奴の姿がない。ここにも常時二人は見張りとしているはずだったのに。

 深く考えるまでもない、サボリだろう。誰だってこんな寒い夜に一人、外よりは暖かいといっても隙間風が吹き込む暗い洞窟どうくつに立っていたいなどと思わない。


「あーあ、俺もサボりてぇよ」


 いっそ自分もこのまま仕事を放棄してしまおうかなどと考えてしまう。それは馬鹿げた考えだった。外の見張りまでいなくなってしまったら有事の際誰がそれを知らせるのか。そして、もし有事にならなかったとしても誰も見張りがいない事態を盗賊のカシラが知れば――外で火を焚こうとしていることもそうなのだが――顔を熟れた林檎りんごの如く真っ赤にさせて怒るだろう。ブランディ果樹園の林檎は果汁たっぷりで甘くて美味しいが、カシラを赤くしてもきっと苦い思いしか待っていない。


 まだ金ももらっていないのに追い出されてはたまったものではない。いや、追い出されるだけなら御の字だ。相手は盗賊だ。カシラの持っている武器は人間の血をそれはたくさん吸っている事だろう。頭が首から離れても軽口を叩ける程にアレックスも自分がしぶといなどとは思っていない。


 一瞬震えが全身に走ったのは、寒さのせいだとアレックスは思い込むことにした。

 今から行おうとしているズルに関しては、外が寒いからだと自分に言い訳をする。サボリは怠惰たいだの証拠であって言い訳など出来ないが、火は自己防衛のためだ。誰だってあの寒さを感じれば生命の危険すら感じるだろう。春先だというのに雪が降っていないのが不思議だとさえ感じる寒さだった。


 アレックスが通路を抜けて扉を開くと、そこは大きな広間だった。豊穣と力を象った巨人の神の像や石の柱があちこちに立っている。そして、そこは盗賊達のねぐらでもあった。毛皮の寝袋に入って睡眠の恩恵を受けている者、酒を食らっている者、カードを興じている者、色々な人間がいる中で少なくない視線がアレックスを貫いた。


「あ、もう夜明けか?」

「そんなに経ったか? まだ三十もゲームしてないぜ」


 木のカードを手に持った男達が仲間とそんな会話をしている。それはアレックスの耳にも届いた。アレックスは彼らに向かって答える。


「いんやまだ外は真っ暗闇。明けるにゃ早いな」

「ならなんでお前が降りてきているんだ? サボリっていうならカシラが黙っちゃいないぞ」

「俺達もな。大人しく上に戻れ。そんで交代時間まで頑張って仕事をしろ」


 他の盗賊達は興味が失せたとばかりにそれぞれの休憩に戻った。取り付く島もない。アレックスは心外だと言うように手を広げて柔らかい笑みを浮かべる。


「ちょっと待ってくれよ。俺ぁただ……そう、夜食をちょいとばかしもらいに来たんだ」

「夜食だぁ?」

「そう、夜食。食い物に関しちゃ、俺達だって受け取る権利はあるぜ? な?」

「晩飯の配給はもう済んだだろ」

「じゃああちらさんが飲んでいるソレや横にあるチーズは晩飯の残りかい? 俺の晩飯にゃなかったけどな」


 最初から我関せずを貫いて酒を飲んでいる連中が指を差される。彼らはアレックスへと視線をもう一度向ける。その顔に思いっきり不快感をあらわにさせて。


「おい、お前。俺達が酒飲んでいちゃ悪いっていうのかよ」

「待て待て、そうつっけんどんになるなよ。誰もあんたが悪いだなんて言ってない……その酒、奥に行けばもらえるのか? 俺と外にいる相棒は外の退屈さにはうんざりしててな、ちょいとばかし分けてもらえないか交渉してくる。そのくらいいいだろ?」

「仕事をサボろうっていうんじゃないだろうな」

「仕事に関しちゃ真面目にやるさ。だけど、ちゃんと仕事してるのに配給が不平等な事に不満を感じるのはごく自然だろ? あんた達は俺を食糧庫まで通してくれればいい。それだけで話は丸く収まる」


 アレックスと最初に問答した男は他の男達と相談するように周囲を見回した。しかし誰も複雑そうな顔をするだけで何も言わなかった。


「……けっ」


 そして男は悪態をついた。ただそれだけだった。


「行きな。ただしすぐに仕事に戻れよ」


 要求を断れば、アレックスはきっと酒を飲んでいる連中に因縁をつけて回ると思ったのだろう。ここで他のグループも巻き込んでごたごた揉めるよりも、アレックスにいくらかの食い物と飲み物を素直に渡した方が得だと計算したのだ。合理的な判断だった。そしてアレックスの思惑通りだった。


「分かっているって。固いパンとチーズの切れ端、それに安物のワインがもらえりゃ俺も文句は言わない。あんがとさん」


 するりするりと人の間を縫ってアレックスは奥へと歩く。広間からまた細い通路に入り、いくつかの分かれ道を一切迷うことなく進む。祭壇の下にある地下洞窟は大きな施設となっており、以前はここで神をまつったり人が住んでいたりしていただろう形跡が残っていた。しかし今ではただの盗賊のねぐらと化していた。

 アレックスは通路を通ったのはたったの四回だ。しかし道は完璧に覚えていた。元々そういった事が得意であったし、こんな通路は街の複雑な裏通りと比べると単純も単純、分かりやすかった。

 とある分かれ道を右に曲がる。その先の部屋は食糧庫だった。ローストビーフやパンが置かれ、チーズや野菜が入ったわら袋が見える。そして食糧管理を任された料理番の男が一人、そこで酒を飲んでいた。


「なんだぁ? お前も酒をもらいに来たのか?」

「そんな所だ。俺は外の見張り番なんだがよ、美味しそうな臭いが地面から染み出して俺達を刺激してくるから、このままじゃ腹空いて倒れてしまいそうなんだ」

「けっ、無駄飯ばかりくらいやがって。仕事もろくにしないくせに」

「向こうでカードをしている奴よりはマシ、じゃないか?」


 アレックスがそう言うと、料理番の男は言葉に詰まった。見張りとして働いているアレックスと、遊んでいる男達。一緒にするなと言うようにアレックスはポーズを取った。男は、確かにそうだと頷いて指差した。


「……ほら、持ってけ。ただし夕飯で使ったチーズの残り――そこのだ。それと、そこに転がっているパンだけだぞ」

「ワインもつけてくれよ。一本でいいからさ。酒はみんなの友達じゃないか。なあ兄弟」

「くそったれが。そこの棚のワインを一本持っていけ。一本だけだからな」

「恩に着るぜ」


 お礼を言いつつ、アレックスは密かにある一角に目を向けた。ここが食糧庫以外にも物品の保管に使われているのは知っている。松明の予備がたくさんあるということも。そしてそれがどこにあるのかも。

 パンやチーズを取りながら大きな動作をわざと繰り返してそちらへ近寄ると、アレックスはこれまたわざとらしく声を上げた。


「ああっと、そういえばこれらをしまう袋がない。外の見張りだから梯子を通らなきゃな。でも抱えたままじゃ登れない。なぁ、そこにある袋を一つもらってもいいかな?」


 その袋は地面に落ちていた。今は何も入ってないように見える。アレックスは袋に視線を向けるように目をやって、しかしその実袋の近くにある棚、予備の松明がぞんざいに保管されている棚に目を向けていた。


「好きにしろ」


 すでにアレックスから飲んでいた酒へと興味を移していた料理番はろくにアレックスの方を見ていない。しめしめとアレックスは一旦手に持った食べ物達を机の上に戻し、それから地面に落ちていた葦の袋を手に取る。


 アレックスは、昔盗みで食い扶持を稼いでいた時の感覚を思い出した。


 緊張は一瞬、料理番の男からは手に取った袋で見えないように隠しながら松明を一本手に取った。素早くそれを外套の下のベルトに挟んで隠す。防寒のために着込んでいる外套の丈は腰を十分に覆い隠してくれるくらいには長い。これなら直接体を触って調べられない限り分からないだろう。


「それじゃ、仕事に戻るんで。アンタも食糧の見張り頑張ってな」


 それからパンとチーズを袋に入れ、ワインボトルを指で挟む。塞がった両手を道化師のようにゆらゆらと揺らしながら、料理番に軽く挨拶してアレックスは元来た道を戻る。


「へっ、楽勝」


 勝利を確信して緩く絞められたワインの栓を抜いた。袋を片手の指で引っ掛けワインボトルも同時に持ち、そして開いた手で摘まむと栓は簡単に抜けるのだった。

 中身を一口飲む。少々酸味が利きすぎている気がしたが、飲めない程ではない。どうせ味が変化していなかったところで安物のワインだ。求めた所でたかが知れている、そう考えながら再びワインに栓をした。


 通路を抜けて広間に出るとまた人の視線がアレックスに集中した。しかし彼の顔を見たほとんどの男達はすぐに興味が失せたように顔を背けた。へらへらとした笑みを浮かべながら人の間を通り抜ける。


「おい、待て」


 しかし、外に出る通路に入る前に男に呼び止められた。びくり、とアレックスの肩が跳ね上がる。


 ――クソッタレ、バレたか?


 息を吸い一瞬にして全身を硬直させた動悸どうきを抑えつつ、平静を装いながら振り返る。その際、松明が外から見えないようになっているかさりげなく再確認した。大丈夫、見えていない。そう心で呟いた。


 酒を飲んでいたとある一団がアレックスへと歩み寄っていた。言葉だけならば近寄る必要はない。アレックスの緊張が一層高まる。


「なんだよ。今更俺達にゃチーズ一切れもくれてやらねぇって言うんじゃないだろう?」


 一人の髭面の男が、射抜くような目でアレックスを見たままゆっくりと手を伸ばした。ごくり、とアレックスは生唾を飲む。男がゆっくりと手をアレックスの腰付近に伸ばし、




「やっぱり酒は置いて行け。酔っていちゃ見張りは出来ねえ」


 アレックスの手から、ワインボトルを奪い取る。後ろの男達がそうだそうだと言って笑った。

 内心ほっとしながらアレックスは、しかし少し不満そうな顔の演技をした。


「そりゃねーぜ、ワイン一本くらいなら仕事に支障は出ないだろ」

「文句を言うようならカシラに告げ口をするぜ、新人」

「あー、はいはい、分かりましたよ……仕事すりゃいいんだろ、仕事」


 仕方がない、というように肩を竦める。男はしたり顔でひったくったワインの栓を空けるとを皆に回し始めた。


 チラリと横目で他の者達の様子を窺うと、誰もこのやりとりを変に思っていないようだ。いちいち文句を言って返したのがちゃんと自然に見えたらしい。アレックスは広間に背を向けると、そのまま歩き出した。


「……ふはぁ!」


 扉をくぐり外に繋がる通路に出た所で、アレックスは大きく安堵の息を吐いた。一気に緊張が解け、通路に漂っている冷たい春の夜の空気が気持ちよいくらいに体が火照ほてっていた事に気付く。

 腰の辺りを手で触って確かめると確かに松明が挟まっている。ワインは奪われたが、そんな事は些細ささいな事だった。無事目的の品を持って来られた事に達成感を感じつつ、アレックスは梯子の元へ急いだ。


 肩に袋をかけるようにして持ち、梯子に手を掛ける。上に通じる穴は開け放たれたままで、アレックスは月灯りで薄く広がる外の世界へと登って行った。


「お」


 外はまだ暗いが、しかし月のおかげでかなり明るい。震えるようにしてコルムが待ちくたびれた風に入口付近で立っている姿をはっきりと見える程に。


 アレックスの頭を見つけたコルムは破顔して近寄ってきた。先程までのぶっきらぼうな男と同一人物とは思えない程の笑みにアレックスは少々面食らった。

 男はアレックスに手を貸す。二人は一緒になって動かしていた石棚を元の場所へと戻した。


「戻ってこないかと思って、中に怒鳴り込みに行くところだった」

「気が早すぎるぜ相棒。俺がそんなに信用ならないかい?」

「金貸しと軽薄な男は信用するなとオフクロはよく言っていたな」

「そうだな、アンタの母親が正しい。軽薄な俺が言うんだから間違いない」


 そう笑って、肩に担いだ袋の口を開いて中にあったパンを投げる。薄暗いにも関わらずコルムはそれを片手で受け取った。


「チーズもあるぜ。贅沢ぜいたくだろ」

「……お前は何をしに降りたのか、自分で忘れてしまったんだな?」

「馬鹿いうな、ちゃんと松明も持ってきた」


 腰のベルトに引っ掛けている松明を手に取って、手品師のように器用に手で回して遊んで見せた。


「それはまぁ、臨時収入ってやつさ。感謝してもいいんだぜ」

「ふん、お前はどうやら盗賊に向いているようだな」

「ありがとよ」


 松明を石畳の上に一旦置いた。腰に巻いてあるベルトに装着している麻のポーチから、一本の木材を取り出した。

 短剣を抜き、その木材の表面をいくらか削り落とした後、表面を薄くスライスする。先程のように完全に削り落とすのではなく、下の方までスライスすると刃を止める。そうすると削られた表面が丸まりながら集まる。それが鳥の羽のようにたくさんになるまで木材を回転させながら繰り返す。


「よし」


 十分だと思ったら、同じくポーチから火打石を木片に持っていき、短剣でこすり合わせるようにして打ち付けた。ギャリ、ギャリ、と摩擦で鉄辺が飛び散る音が響く。一瞬大量の火花が暗闇に浮かんで、そして消えていく。それを何度か繰り返していると、ついに木片が燻りだした。アレックスは焦らずに火が見えるまで何度も何度も同じ作業を繰り返す。

 やがて木片に小さな火が点った。燃え広がっていき火種が生まれる。


「ふー」


 松明をその火種にかざして火を点ける。脂がよく染みた古い布に火は燃え移ると、松明は勢いよく燃え出した。アレックスは松明の柄を石畳の隙間に差して立たせる。それから使用した道具をポーチにしまい直して、空いた両手を火にかざした。コルムもその火の恩恵を受けようと近寄ってきた。


「随分手馴れているようだが、元は旅人か?」


 アレックスは松明の火に照らされて橙色に染まった隣の男の顔を見た。その後、少しの間だけ考え、それから口を開いた。


「ここだけの話だぜ、相棒。俺は、実はな、哨士しょうしなんだ」

「哨士?」

「そう。街の使い走りの衛兵の、そのまた使い走りみたいなものだ。とはいえ公的な職なんだけどな。哨所しょうしょ勤めの見回りさ。衛兵と一緒に哨所で街道を見張ったり、山の見回りをしたりして危険があったら報告する。危険ってのは勿論、大猪おおいのししや熊だけじゃないぜ。ただ、衛兵とは違って軍隊じゃあない。身軽な仕事さ」


 アレックスはそんな風に軽い調子で己の事を喋った。それを聞いたコルムは驚きで目を大きく見開く。


「お前、ということはあの要塞に住んでいるのか?」


 コルムはとある方角に目をやる。暗闇の中でその一角だけはいくつもの灯りが点されていて、その影をぼんやりと浮かび上がらせている。


 大きな城壁に囲まれた街。要塞都市であるジャシーという街はこの辺りで一番大きな街であると同時に、この辺りを取り仕切る領主がいる街でもある。城壁という土地を区切る存在のおかげで、街に住む事はおろか入ることさえも許可が必要となってくる。

 それをコルムは知っていた。勿論、アレックスも。


「まぁな。と言っても、元は孤児だ。親が死んで身寄りもなく、街にある教会で育てられたけど、神様に祈る毎日が肌に合わなくて飛び出しちまった。色々と職を転々として、今は哨士ってわけだ。この仕事もいつまで続けるのか分からないけどな」

「衛兵と一緒に治安を守る哨士が、こんな所で盗賊の一味だなんて。冗談だろ?」

「金が入用なのさ。そんな時に丁度酒場で知り合いに、やけに報酬ほうしゅうがいい仕事があるって持ち掛けられたもんだから、一も二もなく飛びついた。それがたまたま盗賊の仕事だったってわけよ。ま、俺は報酬がもらえるなら別にいいし」

「神様が聞いたらおったまげて転げそうな話だな」

「そうだな。今度会ったら話してみろよ。酒のさかなにはなるかもな」


 会話の最中に手が温め終えたアレックスは、話している間にまたポーチから短剣を取り出すとパンに切れ込みを入れていた。その中にチーズを滑らせると、松明の火に近付けてとろみがつくまで炙る。

 話が終わったと同時にアレックスはパンを火から離してそれを口にまで運ぶと、勢いよくかぶりついた。程よく熱を持ったパンとチーズが口の中で溶けていく。


 至福の瞬間をアレックスは惜しむように何度も咀嚼し、そして飲み込み終えると今度はコルムに尋ね返した。


「アンタはどうなんだ? 盗賊団っつっても俺みたいに臨時で雇われた奴が多いって聞いたぜ。アンタもその口か?」

「俺は流れの傭兵だ。旅商人の護衛をしたりどっかのいざこざで雇われたりで日銭を稼いでいた。お前と同じように、そこの旅籠の酒場でやけに給金のいい話があるからって来てみりゃ、盗賊が何故かこの地方の神様の祭壇を占拠し、その地下室をアジトにしてやがる。仕事も毎日誰もいなくなった廃墟の見張りをしているだけ。いつから盗賊って仕事は信者の代わりに神様のお守りをする職業になったんだ? まぁもらえるもんがもらえりゃ文句はないけどな」


 コルムは喋った後チーズを乗せて松明の火で熱していたパンを口に入れた。美味しそうに咀嚼そしゃくしてから、全て飲みこんだ後にアレックスに詰め寄る。


「それより、なんで金が入用なんだ? 街の中に住んで、それに哨士の仕事ももらっている。公的な職なら安定した収入があるだろう。見た所独り身のようだし、自分が食う分には困らないんじゃないのか?」

「そうでもないさ。外の人間がどれだけあの街に憧れを抱いているかは知らないけど、そんないいところってわけでもない。税金は高いし治安もとびきりいいってわけでもない」


 アレックスは残ったパンを全て口に放り込むとろくに噛みもせずに嚥下えんげした。先程まで美味しそうに食べていたその顔は、一転して薄味のスープを飲んだ時のように苦々しいものに変わっていた。


「それに、今はまとまった額の金が必要なんだ……それも、出来る限り早くに」

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