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 イザベラが秘密基地にたどり着いた時、すでにそこにはウィルソンとビリーの二人がいた。追っ手のいなかったジョセフは特に見た目が変わっていないが、ウィルソンは体中に泥がついたりしている。いや、泥だけじゃない。離れていても分からされる程の異臭が彼の体から放たれていて、イザベラの鼻を強制的に通り全身をつっつくような刺激を与えてきた。


「ビリー、あなた……なんだか腐った魚のはらわたみたいな臭いがするわ」

「俺の勇気の証だ」


 誇らしげにそう言うが、その臭いのきつさは近くにいるジョセフがずっと顔をしかめている程である。

 ちゃんとした説明を求めるようにイザベラが睨む。するとウィルソンははきはきとした口調で語り始めた。


「あいつら、俺と同じくらいの足の速さだったんだけど、途中で俺を挟み撃ちにしようとした。だから俺はハリスさんの家の家畜小屋の柵を越えた。でも、まだ追ってきやがったから俺は肥溜こえだめの前まで来て瓶に汚物をすくってあいつらにぶっかけてやった。俺は浴びてないけど、その時の臭いが取れなくて。ま、あいつらに比べたらまだましだけどな。すごい転がりようだったぜ。目に直撃したからな」

「あなたって……すごいのか馬鹿なのか分からないわ」

「お前も服がすごく汚れてるぞ。一年間掃除していない煙突を通ったみたいにまっ黒々だ」

「久しぶりにあそこを使ったわよ。ほら、城壁と建物の間の」

「ああ! あそこかぁ。まだ通れたんだな。お前は全然成長してないもんな!」

「うるさいわね」


 そう言いはしたものの、自分がウィルソンと違って体つきが小さい事に感謝していた。そうでなければ、あそこをああも容易く通れてはいなかっただろうから。

 ウィルソンの顔は分かりやすく緩んでいた。それだけ大人相手に逃げ切れた事が嬉しいのだろう。しかもウィルソを追いかけていたのは二人だ。二人相手に逃げ切るなんて、大人だって難しい。


「ベル、スカートのすそがほつれているよ」


 ジョセフは、ようやく離れられる口実が出来たと言わんばかりにウィルソンからたっぷり距離をとってイザベラの方へと歩いてきた。その途中でイザベラのスカートを指差して指摘する。

 丈の長いチュニックのスカート部分はどこかに引っ掛けたのか破れが見える。何度も石壁にすりつけたために黒い汚れが所々目立つそれはイザベラのお気に入りの服の一つだったのだが、これからはその評価が下がる事になるだろうとイザベラは嘆息せざるを得なかった。


「こんなに苦労したんだから、ちゃんと目的は達成出来ているんでしょうね?」

「おう」


 ウィルソンは視線を広場に置いてある木椅子に向けた。上に例のあの袋が置かれてあって、それを見てイザベラはほっと安堵の息を吐いた。


「ちゃんと懐にしまっていたからな。馬のふんで汚したりしててないぜ。でも……まぁ臭いくらいは我慢してくれよな」

「……袋、洗って返さないと怒られそう」


 袋に近付いたイザベラはウィルソンから漂ってくる臭いと同じ物が袋から臭ってくる事を確認して、思わず顔をしかめて鼻を摘まむ。


「中身はなんだったの?」

「まだ見てないけど、なんか固い物が入ってるぞ」

「見ちゃう?」


 子ども達はお互いに視線をやってどうするかと目で聞いた。ヴィンスは駄目だと言った。でも子ども達の好奇心はそれで止まるような簡単なものではなかった。すぐに全員が頷いて、代表してウィルソンが袋に手を掛けた。

 固く結ばれた口を開き、中から何かを取り出す。


「なにこれ?」

「宝石? なんか立派な台もついてるね。下は銀かな」

「これって相当高価な物じゃないの?」

「多分……いや絶対だよ。これで大きな家が買えちゃうくらいには」


 ジョセフの言葉にウィルソンもイザベラも大きく息を飲んだ。


「落とさないでよ!」

「分かってるよ! 落とさねぇよ!」

「というかもうしまおうよ」


 ジョセフの言葉にウィルソンは頭をぶんぶんと振って了解し、袋に入れ直した。それから安堵したように息をする。


「凄い物だったな……もしかしたら大変な物を盗んじまったんじゃないか?」

「盗んだって言っても一時的なものだし」


 と言ってからイザベラは気付いた。ジョセフの作戦はこの後の事を言ってなかったと。


「そう言えばジョー、これどうやって返すの? またヴィンスを探す?」

「返すことまでは考えてなかったよ」

「ええ! どうするのよ、これ!」


 先の事まで考えているとばかり思っていたイザベラは信じられないものを見るような目でジョセフを見た。ジョセフは慌てて地面に目を逸らす。


「いや、だって。助けることばかり考えていたし、その事まで気が回らなかったんだよ」

「信じられない! 何も考えずにビリーに盗むように唆したの!」

「まぁまぁ、ヴィンスも俺達もあの場で殴られずに済んだ。それだけでも十分だろ」


 ウィルソンはそう言ってイザベラを宥める。盗んだ張本人が呑気にしているのが不思議であった。ウィルソンは衛兵になりたいと言っていたのに、これで前科がついてしまえばそれが遠くなるというのに。きっと考えていないのだろうけれど、イザベラはそれを口に出す事をしなかった。呆れて言えなかった。


「あの後ヴィンスがどうなったか、僕達は知らないけどね。まぁ三人とも追いかけてきたんだから、ヴィンスが逃げる時間は稼げたと思うよ」

「なるべく早く返した方が良さそうね」


 イザベラの言葉に二人が頷く。


「今から行くか?」

「待った待った。忘れてるかもしれないけど、ヴィンスを脅していた方もジャス教徒だよ」

「あぁ、クソッ。鉢合わせるかもしれないのか。その場で奪い返されたらヴィンスの頑張りも無意味になるし」


 ウィルソンは悪態をついてから舌打ちをする。ウィルソンの言葉にジョセフは異議を唱えた。


「もう奪い返されてもいいんじゃない? これ、誰かに届けるためのものなんでしょ。ヴィンスは渋っていたけど、もうあいつらに渡して届けてもらおうよ」

「いやいや、俺はあいつらが褒められる事に手を貸したくないね!」


 イザベラも同意見だった。ジョセフはとりあえずヴィンスを守れたことで満足したかもしれないが、このまま返すとあの男達は大きな顔をしたままだ。それにイザベラには一つの考えがあった。


「ねぇ……マルコムさんに一緒についてきてもらえないかな?」

「親父に?」


 ウィルソンが疑問符を浮かべる。その理由が分からないようなのでイザベラは説明する。


「そうよ。マルコムさんなら事情を話せば理解してくれるわ。私の両親は私達に味方してくれるか分からないし、ジョセフの両親は外から来た人だからジャス教と仲が良いのか分からない。でもマルコムさんは私達の行いをちゃんと受け止めてくれた上で話も通してくれると思うの。街に広く顔が利く人だし。大人に頼むんだったら適役なんじゃない?」

「親父かぁ……うーん」

「だめ?」

「だめじゃないけど、お前らさ、あの親父に終わった後一晩中怒られる覚悟はあるか?」


 ウィルソンの父親であるマルコムは、髭面ひげづら強面こわもて筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの男で、普段は寡黙かもくであるが故に一層凄みがまして見えるという、問題児であるウィルソンもこの親には逆らえないというくらいに畏怖いふの念を抱かせる人物だった。


 イザベラは幸いにしてまだマルコムに直接怒鳴られた経験はない。あの顔が目を見開き口を大きく広げて怒声を上げる場面を想像しすると、腰を抜かし涙を流してしまうかもしれない程に怖かった。

 ジョセフの方を見ると、彼も若干顔を青くしていた。


「まぁ、でもそうしかないか。そうするしか、ないか。結果的に人から物を盗んじまったんだし……やっべー、親父に間違いなく怒られる。うわー、そうだよな、盗みをしちまったんだよな」

「そう。私も、それが、ちょっとね。悪意はなかったけど、窃盗はいけないことだし。大人には言わないと」

「……二人ともごめん。僕が馬鹿な事言い出したから」

「謝んなよ。ジョーだけが悪いわけじゃない。俺達みんなで決めたことだろ。な?」


 ウィルソンがにかっと笑う。何か考えがあるわけでもないのに笑う事が出来るその精神を見て、二人は能天気だとお互い顔を見合わせて笑う。

 考えがない。本当に馬鹿だ。それでも少しだけ、しかし確実に、イザベラの心は彼の能天気さに救われた。何とかなりそうな気がした。

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