第一三章 第二の失策

   1


 第一艦橋のサブでは、新指揮系統切り替えから五時間経っても、操艦がままならない状態が続いていた。実質、自動操縦であり、戦況の変化にどこまで追従できるか誰にも分からなかった。

 前の方の席から、マンスースが振り返って手を振っている。イワシューは「なんなんだ」と言いかけて、コンソールの入電アラートに気づいた。部下の不慣れを叱咤できたものではない。このコンソールはいつものと大幅に違っている。

 モニタを切り替えると、表情をこわばらせたジェイス・エイメルス中将が現れた。黒々した長い髭が、あの時とは別人の力強さを象徴するようである。

「アジュワイト大将は即刻にと言うが、君には恩義があるのでな。二四時間の猶予をやろう。アルマ・パイン准将の艦隊をイグラレーロへ帰してもらいたい。こちらには、空母が無いのでな」

 空母を帰せというなら、代わりにスパルビエロを出せ。と言いたいところだが、言っても効果はゼロであろう。

「アントワープ以下一一隻が動けない状態です。護衛と作業修復のために、一部残留の許可をお願いします」

「いいだろう。今は北極からのバックアップも期待できないからな」

 残存艦隊は、大型空母/二、中型空母/一五、大型戦艦/二、中型戦艦/九、巡洋艦/八一、駆逐艦/一二九(ワープ不能な中・大破除く)。と、ダメージは比較的軽微である。残すのは中型空母一隻、巡洋艦二隻、駆逐艦五隻というところか。

 シュラン・テーツ大将が騎士道精神の持ち主かどうかは知らない。戦艦同士の一騎打ちがシリン流とも思えないが、何らかの事情で助かってきた。だが、友軍艦隊が去り、別の友軍艦隊が来るという事態を、北極はどう見るのか?

 潤いの大地付近へワープアウトさせ、南極に我々の存在をアピールするというのはあまりにハイリスク。シリン政策をぶち壊しては、コムザーク元帥とアジュワイト大将どちらにも背くことになる。

 いっそバカになれれば、話は簡単だ。艦載機で四方六方から攻撃をかける手もある。重力シールド最大出力で急接近し主砲斉射という手もある。次元震動砲だって方向転換中に四連射すればイヤでも当たる。敵を撃破する可能性が九九パーセントであっても、こちらが重大なダメージを被る可能性が一〇パーセントもあれば、それは避けたい。一〇万トン級の通常戦艦なら二〇〇人で済むが、サンピエトロでは一万人の命を危険にさらす。

 もう一つ重要なのが、シリンにはクリーヴランド条約は通用しないことだ。投降が許されるかどうかは相手次第。捕虜の扱いにも公式には規定が無い。逆に言えば、こちらもBRガスで殺戮を行うことができるのだ。この戦闘は危うい。

 ともかく、第三艦橋のサブへ伝えよう。

「ベールマン少佐。艦隊の出航準備をしておけ。スケジュールはデータシートに書いてある。北極を刺激しないように、ムーク少将の到着後速やかにワープさせる」

「提督。レキシコンのボンとキャロがサンピエトロの操舵シミュレーションを続けていますが、総攻撃になってもこれ以上のコンソールは提供できませんよ」

 ニキの指示か。彼女はシスティーナ・ハーネイにでもなったつもりか? あれは、素顔騒ぎを抑えるための措置だ。他の乗員に口出しさせないことは意図したが、それで自分が提督府の一員になったと錯覚してもらっては困る。コムザーク元帥直属の特殊部隊のリーダーという以上の特権は、決して認めない。

 とはいえ、この巨艦を汎用コンソールから自在に動かすことは、八人の常任操舵士の誰も成し得なかった。

「分かった。ワープ完了まではそちらの使用権を保証しよう。六〇分後に第一、第二操舵をボンとキャロに渡す」

 ムークが来れば戦力的には心強いが、情勢が変化するかもしれない。その前にもう一度決戦に臨もうではないか。だいいち、ムークの指揮下に入っては自由が利かない。

 不意に、アルマ・パイン准将の顔がコンソールの画面に現れた。空母アントワープの格納庫の一角に閉じこめられていたらしい。こんな小さな画面では、彼女の細い目から読み取れるものは無い。健康状態も不明だが、負傷は免れたようだ。

「戦術は成功とは言えなかったけど、ビショップ級二隻を相手に善戦したと思うわ。取り込み中悪いけど、こちらはラインラントを旗艦としてイグラレーロへ戻るから」

「了解しました。それがいいでしょう」

 ラインラントは三〇万トン級の大型戦艦だ。戦闘になってもアントワープより安全だろう。カプセル回収も終了し、敵機も一掃した。これで心配事が一つ片づいた。

 ワープ準備は出来ている。短距離ワープでエルミタージュから距離を取り、一気に撃破する。しかし、しくじってももうワープで離脱することはできない。このまま総攻撃をかけ、失敗したらワープで離脱するという手もあるが、相手の機動性と操艦技術からその選択は賢明ではない。

 ボンとキャロの操艦技術は未知数だが、イチかバチかの賭けではなく確実に活かしたい。マニュアルに切り替えた時、フェイクをかけよう。次元震動砲の発射準備と艦載機の発進準備だ。

 次元震動砲の砲身中腹には、艦外へ大きく露出した四基のパワージェネレータがある。全長を抑えるための苦肉の策で、艦首両舷に張り出したカタパルトや四基の後部エンジンも同様である。ルーブル・タイプの特徴は大きいことではなく、性能のわりに小さいことなのだ。重力、電磁力、化学の三重の防御ゆえに成立した形状だが、シリン相手では心許ない防御力である。

 次元震動砲へのパワーチャージ中にジェネレータへ被弾したら、爆発で艦の前半分は消し飛んでしまう。安全装置が働いて、爆発寸前にジェネレータが切り離され一〇〇キロ先まで飛んでいった場合でもだ。だから、今はジェネレータから放熱し、チャージを偽装する。そして、彼らの標的にさせるのである。

「右舷前方二二万キロにオルセー発見! ターミネーション・ショックを警戒したのか、遠方にワープアウトして徐々に接近してきたものと思われます」

 あまりに近くからの報告に、イワシューはドキッとなった。普段なら一〇メートル以上離れた下のフロアにいるはずのオペレータの声だった。

 その少し前からマンスースが立ち上がり、こっちへ歩いてきていた。

「提督。艦内各所で不穏な噂が……。ミシェル・サイ少佐がグレイブルのリモートの件で何らかの超能力をですね」

 小声で何を言うかと思えば、こんな時に。ヨロメーグの言いがかりを真に受けたか?

「ならば、その力でエルミタージュをですね」

「サイキック・ソルジャーが実在するなら、今頃こっちが殺られている」

 待てよ。あの時はベリーズ大佐を信じてしまったが、大規模なコンソールのブルーアウトはターミネーション・ショックのせいではなく超能力による攻撃?

「分かった。ミシェル・サイを呼べ。それから、動けるようならソーケツも来させろ」

 サンピエトロがオルセーの射程距離に入るまで、推定二〇分。二人の到着を待たずに、作戦開始である。

 二隻の大戦艦が軸線上に並ぶ位置に短距離ワープし、次元震動砲の一撃で仕留めるか。いや、二隻ともバリオンビームの砲身をその方向へ向けている。外側だけにでなく、互いに友軍の艦へもだ。無能な指揮官なら二隻が対立を偽装していると見誤るところである。実際は、本艦が二隻の中間点へワープしてくることへの警戒なのだ。


   2


「チャンスだと思ったら、ピンチだった」とは、イワシューの祖父トッド・リライト国連軍元帥の言葉である。戦況が変わる時は、どれほどの好転でも細心の注意が必要だという意味だ。当人は判断ミスを詫びただけなのに、いつの間にかそんな勝手な解釈が加えられた。事実誤認と知ったのは最近だが、イワシューはその後も座右の銘としている。

「操艦切り替え二〇秒前、航路確認!」

「二番主砲塔被弾! 隔壁閉鎖!」

 狭いサブの室内を、無秩序に声が飛び交う。巨艦の雄大さはすでに無く、追いつめられた駆逐艦か何かのようだ。テーツ大将やモトローとやらがそこまで見通せるはずもないが、乗員たちの萎縮は悪い結果をもたらす。

「オルセーより入電。提督のコンソールへ切り替えます」

「ノースシリン第四席参謀、ピョートル・イヴァイチ・モトローです」

 若さに驚きはしないが、戦場に不似合いな爽やかさにはイワシューもドキリとなった。サラサラの金髪に屈託の無い表情。高級士官学校の入学当時、こういう輩をよく見かけたものだ。早ければ訓練を半年ほど続けた頃、遅くても任官してひと月も経てば、そういう甘さは消えている。それが、どうだ。小さな画面越しでも、人など殺すようには見えない。ヨロメーグとは別の意味で気味の悪さを感じる。

「イワシュー殿。単刀直入に申します。降伏願いたい。白石美希がラリベラの民に拉致された今、ルザンナ・クラウザー率いる反乱勢はよりどころを失いました。一枚岩になった北極には、南北統一のために地球圏の力を借りる必要が無くなったのです」

 策士ではないだと? 策士以下のペテン師ではないか。突然現れたガズミクを丸め込み、今度は我々の戦力の中枢を奪おうという。こちらは戦力の九五パーセントを温存している。なのに、なぜ撤退ではなく降伏を要求するのか?

 アジュワイト大将がシリンから手を引くわけがない。だから、我々にも撤退は無い。それを知った上で、ノースシリン陣営へ寝返れと誘うのか?

 イワシューは、手元のキーから作戦続行の指示を出した。ボンとキャロが操舵を始めて数秒経ったが、この通信の結果次第と思ってマンスースが総攻撃を止めていたのだ。

「ルザンナ・クラウザーさんと直接話してみなければ、回答できかねます」

 というより、作戦続行が爽やかな青年への回答である。本艦が提督の独断で動いていないことを察してくれることを祈る。

「あいにく本艦には乗艦しておりません。かといって、会談の機会を設けるわけにも参りません。私は降伏を要求しているのですから」

 サブモニタに、着々と戦況報告が上がってきている。第一艦橋に被弾。一四番主砲塔大破。第一エンジンに被弾。後部第二リアクター、機能停止。次元震動砲第一ジェネレータ中破……。恐ろしいほどのダメージだが、艦体の各モジュールの接合部分にはショック・アブソーバーがあり、遠方からの衝撃はほとんど伝わってこない。

 エルミタージュのパワーキャノンは四基がもう発射不能で、右舷には二〇〇メートル以上の大きな亀裂が走っている。右舷艦尾で大きな爆発。数千トンに及ぶ物体が四散した。これは、死闘だ。

「モトロー殿。悪いが通信は切らせてもらう。降伏しようにも、我々は勝利してしまった」

「提督。エルミタージュ沈黙しました。電磁シールド、完全に解除された模様です」

 イワシューの決めゼリフにではなく、無名オペレータの報告に名参謀は蒼白になった。そこに、別の通信が割り込んできた。シュラン・テーツ大将は、意外なほど整然とした艦橋で仁王立ちしていた。

「一時停戦を! オルセーにも攻撃はさせない!」

「停戦だと? 君の艦は機能停止したのではないかね?」

 武人だと思ったが、この偽装には失望だ。いや、それは考えが浅かった。

「連絡艇を出す。乗っているのはルザンナ・クラウザー中佐だ」

「分かった。連絡艇回収まで、停戦を受け入れよう」

 事情は後からでいい。今は、回収に全力を尽くそう。

 ミシェルとニキが入室してきた。イワシューが通信を切って彼女たちを手招きしたとき、オペレータが隣席の上官へ気がかりな報告をした。

「第六〇七基点が、一〇〇分ほど前に軌道から約一万キロ移動しました」

 部屋が狭いお陰で、提督は聞き逃さなかった。ワープ通信を円滑に行うため、安定軌道上の浮遊要塞には基点設備がある。六〇七といえばイグラレーロ。

「プロファイルを確認しろ。予備の基点に切り替わった恐れがある。イグラレーロへ連絡して所在を……、いや、ランディ・ムーク少将を呼び出してくれ。ヤツに確かめてもらおう」

 イグラレーロがワープ可能か否かは知らないが、軌道から大きく外れていったのは確かである。シリン艦隊が攻撃に訪れたとしても、姿をくらました後だ。となると、ジェイス・エイメルス中将の護衛艦隊も必要ない。艦隊全体の航続力はともかく、スパルビエロ単艦なら、通常艦の三倍のスピードでここまで来られる。ひょっとすると、あとワープ一回の距離まで来ているやもしれない。

 アルマ・パイン准将の艦隊も、損傷した艦を一旦戦場に残すことになっている。言い換えれば、帰投するのは無傷の艦隊だ。

 ニキが右脚を引きずりながら、早足でやってきた。

「すみません。脚だけではないんです。これでは任務を果たせません」

 彼女が差し出した両手は、腱を痛めたか黄色い医療用手袋に包まれており、とうぶん指を動かせる状態ではなかった。

「操舵は部下の二人で足りている。コムザーク元帥へのホットラインを開いて欲しいのだ」

 ルーブルと同じように、指紋や網膜ではなく外見、言動、行動を総合的に見てニキ本人かどうかを認証する。コンソールの前に立って、命じるだけでいい。

 モニタにムークが出た。

「お前の推理通りだ。イグラレーロは別の宙域へ退避した。アジュワイト大将は、ガズミクが次の手を打ってくる前に北極を陥落させる気だろう」

 ワープ航続力が強化されたエルミタージュさえ沈めれば、体制軍はシリンの足を封じたも同然だ。ノースシリンの大戦艦はあとオルセーのみ。大昔の移民船と工作船を武装した都市戦艦は小回りが利かないし、パッサカリア、カレリア、リブシェといった通常艦艇は体制軍の一〇分の一も無い。

 サウスシリンには数隻の大戦艦があるというが、ノースシリンがザロモン体制下に入れば、いつまでも抵抗を続けられるものではない。

「エルミタージュの中央右舷の甲板が開きます。連絡艇確認しました」

 いよいよ、ルザンナ・クラウザーと対面か。イワシューは、コンソールから第三艦橋のサブへの回線を開いた。

「中央格納庫へ収容する。ベールマン少佐、作業の指揮を取れ。何が起こるか分からない。注意しろ」

「右舷後方八五〇〇キロにワープアウト反応! 超大型艦。国籍不明です」

 サウスシリンの大戦艦か? ガズミク本国からのビショップ級か?

「解析完了。モニタの四番に出します!」

 提督府の数名が、コンソールから表示を切り替えた。イワシューには全体を管理する責務があるのだが、自分で確認せずにはいられない。

 ザイドリッツ? 麾下の艦隊のワープ準備を待たずに、単艦で現れたのか? 似ているが、砲塔の配置が違う。あれはグレイブルだ。オルフェウス上空で粉々になったはずの……。

 その砲塔群が一点を目指して旋回し、全砲門が開かれた。エルミタージュは真ん中から前後に割れるように大爆発を起こし、甲板から発進したばかりの連絡艇も見えなくなった。

 イワシューは一瞬呆然となった後、衝撃で体を揺さぶられた。ニキは後ろへ転倒し「ウッ」っと声をあげた。ミシェルも少し離れた場所で転んでいた。

「オルセーから一斉射撃! 断続的に被弾しています。グレイブルも被弾している模様!」

 すべては三〇秒ほどの出来事であった。テーツ大将もルザンナも、恐らく即死だろう。乗っていたとすればエミアールも死んだに違いない。

「ムーク! コルサコワ中将! 何がどうなっている!」

 提督は、言い間違いはしたが、取り乱してはいなかった。大声で叫び、コンソールの通信スイッチを乱暴に叩いてはいたが、冷静すぎるほどの平常心を保っていた。こちらは二隻、あちらは一隻。形勢が逆転し、この艦が沈む可能性はもうほとんど無くなった。

 モトローを死なせてしまうのは惜しいが、戦闘を回避する手段は無いだろう。


   3


 涼しげな顔の貴婦人が、イワシューの手元のモニタに現れた。ナスターシャ・ニジンスカヤ=コルサコワ中将。彼女は生きていた!

「ソーケツ。そこにいたのですか」

 ニキという本名で呼びかけない気遣いはできても、仮面の下の顔を知っていたことが憶測を呼ぶとまでは頭が回らないらしい。娘に対してそれほど無関心なのだろう。娘の方はかえって不自然に見えるほど驚きを隠し、事務的な口調で返した。

「ニジンスカヤ=コルサコワ中将、ご無事でしたか。グレイブルはオルフェウス上空で撃破されたと、こちらでは認識しているのですが」

「ああ。あれは無人の偽装艦です。ラインラントに細菌兵器を満載して、オルフェウスの首都へ激突させる作戦でした。BRガス弾の直撃以降、艦の動きに異常をきたして失敗でしたが……。絶対にリモートをかけられないように改造してあったので、ああなると外から復旧させる手段も無い」

 後半、貴婦人が不敵な笑みを浮かべて見えた。つまり、ミシェル・サイの超能力でグレイブル(に偽装したラインラント)にリモートがかかった確率は、一〇〇パーセント。外部の人間には知られたくない話である。

 アジュワイト大将はムークやエイメルスの艦隊を使って、密かにノースシリン占拠を進めていた。その上官たるコムザーク元帥もまた、グレイブルを秘密裏にシリンへ遠征させ、同じことを企んだというわけだ。元帥へのホットラインで直訴する前に気づいて良かった。ヨロメーグに言った時は当てずっぽうだったが、元帥には本当に企みがあったのである。

「オルセー消滅! どこかへワープしました」

 うっかりしていた。ターミネーション・ショックがシステムに大した影響を与えないのだとしたら、オルセーが遠くへワープアウトしてきて通常空間を何時間もかけて進んできた理由は一つ。次回ワープのためのチャージを行ってから、戦場に入ってきたということだ。人類はまだ、ワープした物体のワープアウト先を知る術を持たない。これで良いのだ。

 気は進まぬが、エド・ジェグナン大将を頼ろう。図らずも、細菌兵器がオルフェウスにばら蒔かれるのを阻止したのは、我々だ。彼はオルフェウス計画には反対だったし、養女のシスティーナ・ハーネイの意志を尊重したいはずだ。

 いや、穏健派という評判をそのまま彼の人格と錯覚するほど、二六歳の提督は青くない。かといって、部下たちの前で恥をかかされた私怨で動くと人間だと見くびっているのでもない。中央議会のシリン政策を尊重する堅物と思っているわけでもない。とどのつまり、ほかに手が見つからないだけなのだ。

 自動修復も効かない甚大な損傷を負ってもなお、このサンピエトロ一隻で、迫り来る友軍艦隊と互角以上の戦いはできる。ランディ・ムークとアルフレッド・ドロッターの知恵は、本艦の提督府に勝るだろう。が、圧倒的な火力差の前には何の意味もない。

「イワシュー准将。救助が必要なら出しましょう」

 コンソールからの声で、貴婦人との回線が生きていたことに気づいた提督である。

「それには及びません。七〇光年ほどワープして修理に入ります」

「シリンには追って来れない距離ね。噂どおり用心深いこと」

 エルミタージュの破片が、漆黒のグレイブルの手前で発光しては消えていくのが見える。無数の破片が亜光速で飛散しているのだ。こちらへも、先ほどからひっきりなしに飛んできている。一〇〇〇万トン級の巨艦が目の前で粉々になったのだと、嫌でも実感させられる。

「忠告しておくわ。ラムダ因子は存在しない。ルーブルのシグマ因子は、確かに存在した。だから、ラムダ因子という作り話にも怯えてしまう」

「准将の階級では、サンピエトロは手に余るのですよ。血を欲する妖艦であろうと、単なるマシンであろうと、関係ありません」

 貴婦人は目を閉じて首を横に振った。彼女の暮らす文化圏によって、仕草の意味は違ってくるだろう。若造の言い訳に呆れたとでも受け取っておこう。

「我々は、このまま潤いの大地まで進みます。北極への最後通告は三〇時間後。作戦は追って知らせます」

 通信は切られた。ワープするにもゴミの山が邪魔になる。まずは一〇〇万キロほど離れよう。

「微速前進! ワープまで二〇分。各セクション、点検急げ」

 マンスースが、手際よく各所へ指示を送った。

 上下左右の鐘楼はすべて被弾しており、集中的に狙われた第一艦橋は完全に欠落していた。指揮系統をサブに移し、艦の外縁部から乗員を退避させたのは正解である。死傷者続出で戦闘続行不能となるところであった。

 ニキは継母の生存に何ら感情を動かされた様子もなく、指揮の邪魔にならないように後ろの補助席に着いた。先に座っていたミシェルと会話を交わしたようだが、声は喧噪でかき消された。

 ミシェルとて、帰還後はタダでは済まないだろう。先ほどワープアウトしてきたグレイブルに、損傷が無かったことでも明らかだ。サンピエトロの修復記録から、シリンのサイキック・ソルジャーの存在が体制軍内に轟く。オルフェウス上空での奇跡についても、しかるべき検証がなされるだろう。彼女にとっては、受難の始まりである。

「デブリ濃度、基準値の八五パーセントまで低下。全セクションの損傷、ワープ可能範囲です」

「後方一二〇万キロにワープアウト反応、三五確認。シリンの艦隊です!」

 大戦艦は含まれていないが、大型、中型の戦艦が次々にグレイブルに向けてパワーキャノンを見舞い、素早く去っていった。一部の艦はグレイブルの射程範囲内にかかっていたが、反撃を食らうことなく任務を終えた。

「反転一八〇度!」

 イワシューは叫びながら、助けられないことを悟った。この距離では主砲は届かない。離脱したシリン艦隊はグレイブルの陰になっているので、次元震動砲も撃てない。短距離ワープで裏側へ出るか? ダメだ。みるみる艦隊が散開していく。一隻や二隻沈めたところで無意味だ。次のワープへのチャージまで、本艦が攻撃されるだけである。

 漆黒の巨艦は一瞬オレンジ色に輝き、砕け散った。

「シリン艦隊、こちらを包囲してきます! 敵射程範囲まで推定八分」

「今は修復が優先だ。ワープで離脱する」

 苦渋の決断だと、振り返った艦橋乗務員たちは一様に顔を曇らせた。提督としては、マニュアル通りの判断でいいケース。弔い合戦といって消耗戦に陥るような無能な指揮官は、まずいない。

 オルフェウス討伐とノースシリン討伐、これらは今年最大の失策であろう。

「コンソールをお借りします。コムザーク元帥へのホットラインを……」

 ニキは歩いてきて言葉を詰まらせた。ニジンスカヤ=コルサコワ中将と一〇〇〇人の部下の死は、直接報告せねばなるまい。特殊部隊レキシコンのリーダーとしての任務なのだ。

「ワープまであと九〇秒だ。手短にな」


   4


 サンピエトロは、ザイドリッツを旗艦とするランディ・ムーク少将の艦隊と合流した。修復作業は半分で済み、その間の安全も確保できるだろう。艦隊の半数は待機させたままであり、命令があればすぐさまシリンへワープ可能だ。こちらへ来た艦艇は次のワープへのチャージに時間を取られるが、修復が完了するまで動く必要は無かろう。

 第一艦橋のサブに、アルフレッド・ドロッター大佐が軽快な足取りで現れた。

「提督も、えらいことに巻き込まれましたな。取り敢えず戦闘配置を解いて、乗員を休ませましょう。この部屋も半分でいい」

 ライトグレー以下の士官たちは冷ややかでも、ダークグレーたちにとっては格別の再会であった。立ち上がって迎えたイワシューは、背伸びをした小太りの男に頭の包帯をなでられた。

「パイン准将は一旦退いて、エイメルス中将の艦隊とともにシリンへ侵攻します。輸送艦が何隻も来てましたからね。パイン艦隊の艦載機は総入れ換えでしょう」

「シリンの格闘機は小型で俊敏らしい。ならばインバルガスか。それとも、爆撃用にアジュッサムか」

 いつもの作戦会議に戻ったようで、イワシューは頭脳の滑らかな回転を自覚した。ラインラント並の火力を持つ高速戦艦が量産体制に入るとか、対シリン政策の否応無き転換は恐ろしくもありエキサイティングでもあった。

 シリンに対しては、サンピエトロやグレイブルより、圧倒的航続力のスパルビエロが適任だ。このサンピエトロは、ガズミクのビショップ級を意識するあまり、汎用性が犠牲になったきらいがある。にしても、中途半端な修復で前線に戻るのはリスキーだ。

 イグラレーロへ戻れば四基の鐘楼も修復可能だが、指揮系統はサブで十分機能する。それに、オルセーとの戦いになれば再び鐘楼を失いかねない。と、アジュワイト大将からの回答である。

 いやいや、イグラレーロより、母港のある太陽系のプロセルピーナまで戻った方が、むしろ早い。そうなったら呼び戻すのが難しいとの読みから、ここでの応急処置にこだわるのだろう。

 ミシェル・サイがタイミングを見計らって、ドロッターの方へ歩いていった。透き通った声以外さしたる特徴もないが、その顔を見た途端、彼は目を見開いた。ミシェルが右手の人差し指に中指を絡めて見せるや、彼はその手を覆い隠すように下ろさせた。

 それがフィンガーステッチを示すものだとは、イワシューも知っていた。この部屋の乗員の大半も、たぶん承知している。彼女がザロモンから送り込まれたのだとすれば、彼女の身より我々が危険だ。

 それから数時間が過ぎ、修復作業の八割が終了した時だった。緊急連絡と称してコンソールの画面が突然切り替わった。

 ヨロメーグによる宣言とともに、編集された四人の映像が流された。

「地球標準時、西暦二三〇一年三月三〇日〇時より、ザーラ星系高濃度ガス帯をガズミク、シリン、地球圏の中立領域とすることを宣言する。ガズミク皇帝ダニエル、ノースシリン元首白石美希、サウスシリン代表ジャック・バーメンウィッヒ公爵、地球圏リッカルド・グラッセ中央議会議長」

 少なくとも、白石美希とリッカルド・グラッセは本人のようだ。続いて、コムザーク元帥から、ポール・アジュワイト大将を中立領域の司令官に任命するとのメッセージが入った。これなら、アジュワイトもシリンから艦隊を撤退させざるを得ない。

 ザーラ星系とはどこか? 星図によれば、牧陽星(ガズミク)、渦陽星(シリン)、太陽系のほぼ中間点にある赤紫の星雲の中だ。正確には、恒星ザーラとその第一番惑星セストルとのラグランジュ点L5に浮遊要塞が築かれるらしい。暫定的にセストル・ザーラへ簡単な基地が設置され、条約の調印が行われる。

 高濃度ガス帯は、そこからワープすることも、その中へワープアウトすることも出来ない不便な宙域だ。逆にいえば奇襲される危険がなく、中立領域には相応しい。高濃度ガス帯はバルト語(南北シリン第一公用語)でラバード、いや気流がそれほど強くないならガストロが適当だ。中立領域の名は「ガストロ・ザーラ」。現代英語の発音なら「ガスタロ・ザーラ」になる。

「ヨロメーグの知恵か、タケオンとやらの策略か、シリンはともかく我々まで乗る話ではないな」

 イワシューは呆れて、修復作業の指示を放り出したい気分であった。

「ガズミクは提督より一枚上手ですな。ガスタロ・ザーラが出来れば、我らにとっても反ザロモンの拠点となる」

 反ザロモンとは、結構な話ではないか。長い支配体制の中で、我々は肝心の目標を忘れつつあるようだ。


   5


 交代時刻から一時間遅れで、イワシューはオロールド中佐に指揮をまかせて席を立った。それを待っていたのだろう、ミシェル・サイが近づいてきた。提督の方にも彼女に話があったので、ちょうどいい。近くの会議室に入ることにした。

 彼女は、最初に右手の人差し指に中指を絡めて見せた。しかし、言葉は想像と違っていた。

「ニジンスカヤ=コルサコワ中将は、フィンガーステッチでした。つまり、ザロモンの手足だったのです」

「では、ひょっとするとコムザーク元帥も?」

 そこへニキも入ってきたが、ミシェルは気にした様子もない。

「いいえ。彼女は、元帥に暗殺されたも同然です。オルフェウス上空での件も、本来はグレイブルでの攻撃のはずでした。その陰謀は逃れたものの、先ほどの戦闘までは避けることが出来ませんでした」

「重圧で枯れてしまったというのでしょう。輝いている頃に出会いたかったものです」

 ニキは、悪態をつくと部屋の奥へ歩き出した。むしろ、イワシューの方がショックを受けたくらいである。

「信じられない。君ではなく、中将がフィンガーステッチだったなんて」

「何を今さら? フィンガーステッチのあなたから、そんな言葉が出ようとは……」

 ツヤのある明瞭な声が、艦内で最も聞き取りやすいであろう声が、この時はよく聞き取れなかった。提督は、信じたくないからではなく、そんな単純な理由から聞き返した。

「ご存じなかったのですか? あなたは八年前にザロモンの末端で働くことを決めたはずです。もし記憶に無いのなら、サイキック・ソルジャーの仕業でしょう」

「す、すぐに脳内スキャンを受けなければ」

 イワシューはポケットからハンディコンソールを取り出し、艦内の医療設備の稼働状態をチェックした。

「過去のデータと照合するなんて、無意味なことを。これは洗脳とは違います。彼らは人間の記憶もコンピュータの記録も、同じように変えられますから」

 ミシェルは、床から拾ったものを差し出してきた。ポケットから落ちたのだろう、銀色の髪留めだった。捨てるに捨てられない厄介なものだ。いっそのこと、今紛失してしまった方が楽になれた。

 イワシューのハンディが鳴った。オロールド中佐に全権を委ねたといっても、提督が決断しなければならないことは多い。今度は、アジュワイト大将からの直通であった。紳士は戦場とは無縁の涼しげな顔で、ザーラ星系での調印の後すぐにイグラレーロへ戻ると言う。

「我々にはシビリアンコントロールという建前がある。軍人が中立領域の責任者では困るのだよ。体制政府のしかるべき人物が任に就くが、その時は君にガスタロ・ザーラ駐留艦隊を指揮してもらう。ガズミクとノースシリンへのパイプ役としては、君ほどの適任はいないだろう。イワシュー少将」

 二日後に控えた昇進だが、今は皮肉としか取れない。このひと月余りで色々なことがあった。片づいた問題は忘れればいいが、自分が忌むべきフィンガーステッチだっとまで知らされ、どうしていいか分からない状態である。今考えれば、コムザーク元帥から繰り返し受けたプレッシャーは、貴婦人へのそれと同じものだったのかもしれない。

 そんなことはお構いなしに、厄介な任務がまた始まるのだ。

「確かめなければならない。ミシェル・サイ少佐。他にフィンガーステッチはいるのか?」

「彼女の母上と、あなたしか存じません。孤立して途方に暮れているのは、私の方です」

 すると、ニキが足を止めて笑った。

「私は母の他にもう一人知っています。万一の時にはその人を頼るようにと」

「早速、連絡をとってくれ!」

 イワシューは、ミシェルから落とし物を受け取るのも忘れ、部屋の奥へ走った。

「もう無理です。その人は、マルオ・モリノ大佐……」

 なんということだ! いくらシリンの場所が漏れたとはいえ、たかがスパイ一人のことでプロセルピーナ全域が警戒態勢になったのは異常であった。ザロモンの情報が、ガズミクへ伝わってしまったというのか……。

 再び、ハンディが鳴った。オロールド中佐は、慌てた様子だ。

「エミアール・クラウザー元帥より入電。大戦艦オルセーでの会談を要求してきています。宣言に白石美希が登場したことで、ガスタロ・ザーラからの実質的なノースシリン外しが行われると警戒しているようです」

「よし。ランディ・ムーク少将の指示を仰ごう」

 エミアールは生きていたか。停戦はあくまでガスタロ・ザーラ限定の話。太陽系でもここでも、戦争は続いているのだ。会談で血が流れるやもしれない。

 イワシューは観念し、ミシェルから髪留めを受け取ってハンディとともに無造作にポケットへ放り込んだ。

 その日、中央議会はローベルエツ星系を不可侵領域と定め、一切の侵入を禁じた。これでオルフェウス計画も終わるだろう。せめてもの救いである。

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