第一〇章 異郷の決闘
1
内装も軍服も褐色という艦橋が、殺風景に思える。
ヨロメーグは五日ぶりにベーゼンドルクへ戻ってきて、これまでにない感覚に戸惑っていた。これが、感化というものだ。シリンの中でも感化はある。南極ドームの文化は、つねに北極の人々を魅了する。
「閣下、オルセー一隻に任せてよろしいのですか? バイロイト単艦でここを脱出できないのは分かりますが」
トシム士官は艦載機でも出したらどうかと言いたげだが、その戦術は無い。
「戦況がどうあれ、ルザンナ・クラウザーには加勢しない。南北統一まで、彼女は我々の存在を公にしたくないのだ。まあ、見ていろ。オルセーはなかなかの名艦だぞ」
「ガス帯脱出まであと一七分です。バイロイトはそろそろ抜ける頃ですが」
今度は、テラッジ将軍が運航の指示を仰いできた。確かに、タケオンとの連携を考えれば、そろそろ判断を下す時期だろう。手元のモニタに、ガス帯を抜けたバイロイトと敵艦隊の間で始まった砲撃戦が映し出された。
「向こうの敵が一隻、突出しました。紫のルーブルです。こっちへ向かって来ます。最大戦速……、いや、さらに加速中です」
トシムがえらく取り乱している。分からぬではない。ルーブルの艦尾リングは高機動ジャイロ、その内部に斥力リアクターという構成だと考えられてきた。それが大型スラスターだったとすれば、こちらの戦術にも狂いが生じる。
だが、エンジニアでもある彼にとっての衝撃は、全く違う点にあるのだろう。巡洋艦並の機動性は、予想の半分以下のリアクターとジャイロで実現されていたことになる。詳しくはないが、わがガズミクのビショップ級を数段上回る性能であることは疑う余地がない。ザロモンと名乗る地球圏の支配者が古代超科学を手中に収め、我々と対抗するためにそれを小出しにしているという噂は、真実なのかもしれない。ならば、手強い。
「ジャイロ併用とはいえ、強烈なGで艦内は混乱しているはずです。生身ではそう持たないでしょう。こちらから仕掛けましょう」
テラッジまで、いつになく好戦的だ。この不自由な宙域で艦を運用するプレッシャーから、普段より視野が狭まっているのだろう。エンチャー士官からも、艦載機の発進準備が完了したと報告があった。
そうだ。一年ほど前の火星域での戦闘に似ている。多数の友軍が痛い目に遭わされてきた、いわくつきの巨大戦艦との交戦である。エスハイネル士官によれば、グレイブルという名で体制軍ではルーブルに次ぐ火力だという。
ヨロメーグは、何度かあったグレイブルとの戦闘で生き残った者の証言を検索した。
「勝利目前であった」、「深追いしすぎた」、「ワープアウト直後に接触し、回避できなかった」等々……。将兵の判断ミスから偶然によるものまで原因に共通点は無さそうに思えるが、わが軍の思惑通りに進んだ戦闘が一つも無いのである。敗北ばかりとも限らない。善戦し、グレイブルに大きなダメージを負わせた戦闘も三度あった。それでも、こちらが多くの命を失っている。
紫のルーブルに関するデータは、一切無い。開発コード・サンピエトロという新造艦に間違いなさそうだが、確証は無い。
「エスハイネル士官を艦橋へ連れてくるように。ただし、監視を四人つけろ」
頼りたくない相手だが、手段を選べる状況ではない。わがベーゼンドルクは空母や巡洋艦数十隻に取り囲まれ、後方にはなお緑の薔薇が控えている。質量ではこちらの半分だが、体積ではこちらを上回る巨大空母だ。一気に艦載機を出されたら、護衛の無いこちらは窮地に陥りかねない。防御力の高い空母オリゲルドで来た方が有利だったが、ワープ能力の違いからその選択肢は元から無かった。
エスハイネルが、丸腰の下士官を四人引き連れ悠然と歩いてきた。事情を知らなければ、最高指揮官の登場と錯覚したろう。
「閣下。銃口を向けられていないと、私も集中できます」
「勘違いするな。暴発のリスクを避けただけだ」
恐縮するどころか、捕虜は余裕すら感じる笑みを浮かべて後方の席についた。
どう思おうが、同じ艦にいる限り我々は一蓮托生。協力するしかないだろう。ヤツも分かっているのか、早速コンソール操作を始めた。
「コールサイン解析に入ります。通信のヘッダ形式は非公開ですが、誰でも読めるように暗号化されていないのです。空母アントワープ、提督はアルマ・パイン准将。戦艦サンピエトロ、提督はフランツ・リライト・イワシュー准将」
イワシューの名に、艦橋がどよめいた。ヨロメーグとて、興味の無い名ではない。敵は有能であって欲しいものだ。無能な指揮官ほど無能な敵を好むものだが、その考えは理解に苦しむ。艦隊戦には双方万単位の命を賭している。味方を犠牲にしても勝とうという輩が相手では、ダメージは互いに甚大なものとなる。また、最小限の損害で敗北を認める勇気が無ければ、指揮官の器ではない。先日の赤い薔薇との戦闘で能力の一端を見たが、器の方は期待しない。提督は、ここで言っておかねばらないと感じた。
「気に入らないな。世あたり上手で昇進したタケオンの方が救いがある。天才を人工的に造りだそうとか、エリートは特別扱いで育てるとか、そういうのは嫌いだね」
メンバーズエリートの称号を得た将軍でさえも、わが国ではみなトルーパー(一兵卒)からの叩き上げである。一方、敵将の経歴はどうだ。ソウル東京大学理科四類工学部量子工学科を一二歳で修了。一七歳で高級士官学校を首席で卒業。少尉ではなく少佐に任官し、最初の二年間は戦闘の無い後衛艦隊へ配属。体制軍特有の提督府なる部署で、任務らしい任務も無く過ごしたという。それから六年、提督としてそれなりの戦果をあげ、現在は准将である。ぬるま湯に浸かっていた者が、このベーゼンドルクを前に何を出来ようか。
「閣下、緑の薔薇以外の艦隊が後退していきます」
トシムはよく戦況を把握してくれている。気流に押し流されたと見誤るところだった。サンピエトロは、障害物を退かして砲撃する作戦か。高速接近して一撃離脱でも、七二門の主砲を一発命中させれば目的は徹せられる。ルーブルと同スペックと仮定して、八〇〇キロメートル以内の近距離から撃たれたら、ベーゼンドルクとて大破を免れない。
「サンピエトロの距離、推定五万。総員、対ショック防御」
テラッジが、早速艦内の防衛体勢を整え始めた。
ガス帯離脱まで六分。離脱したら、緑の薔薇と艦隊がガス帯から抜ける前に、一気に叩く。サンピエトロは間に合うまい。
2
「振動波来ます! 回避不能!」
「敵艦まで、距離二万二〇〇〇キロ」
オペレータたちが声をあげた。
狙いもつかない距離から撃って、動揺を誘う作戦か? 噂の次元震動砲とやらを使えば、後方のウォルフライエ(青色巨星)ともども我らを消し去ることができるが、そういう局面ではないだろう。
射程距離まではまだあるが、今撃つことが出来たらこちらに分がある。しかし、ガス帯の中からでは威力が半減し、悪くすれば艦体も損傷する。そんなリスクに見合う行為ではない。敵はあくまで一撃離脱戦法で来るのか、こちらに張り付いている空母機動部隊と連携するのか、この間に見極めねばならない。
後方から緑の薔薇、上下左右から機動部隊に囲まれれば、わがベーゼンドルクはなぶり殺しにされる。では、艦載機を展開させればどうか? ガス濃度の低い宙域へ逃れてワープする際に、着艦処理がネックとなる。中型、大型の空母はともかく、緑の薔薇はこちらの三倍は素早く艦載機を着艦させられる。後手後手に回っては、敗北したも同然。
「苦戦してるかい? ヨロメーグ君」
メインパネルに、ニヤけた面が映った。
「タケオン。手を貸してくれるのか?」
「結果的にはね」
上官の意図は、それでだいたい解る。二隻のビショップ級で連携しようというのである。サンピエトロが離れたとはいえ、ガス帯から出た今、数十隻の機動部隊と対峙するにはバイロイトは火力不足。いずれシリン艦隊もやって来て、ワープ不能な宙域に封じ込まれる恐れもある。こちらを助けるより、助けてもらいたいのが本音か。こちらが落ちれば、敵の全戦力があちらへ向かうのだし。
「それでは、紫の巨艦の追撃をお願いします。プレッシャーはかけられるでしょう」
これで、サンピエトロも短期決戦を選択せざるを得なくなった。それでも、まだこちらの劣勢は変わりない。イワシュー准将なら心得ているだろう。細かい運動に長けていても、最高速度で劣れば何の役にも立たないことを。バイロイトの追撃も迫り来る第一波攻撃には何の効力もない。一時間後、二時間後の展開を左右する要素に過ぎないのである。
ノースシリンの大勢が地球圏との交わりを強めるのなら、白石美希はガズミク本国より太陽系で展開中のわが第一機甲師団へ連れていった方がいい。こんな邪魔さえ入らなければ、画策する機会もあったろう。残念ながら、ここではバイロイトを逃すことに専念するしかない。
その後で本艦が孤立するのなら、今のうちに緑の薔薇だけでも仕留めておかねばならない。ガス帯から抜けたいところだが、後退して薔薇に接近しよう。サンピエトロの砲撃を止めさせるにも、他に選択肢はない。恐らく、それを想定した罠が仕掛けられているだろうが……。
この戦闘は、宇宙空間にしては珍しく、パズルのような展開を見せるはずだ。敵将は理詰めで勝利を組み立てられるよう、リスクを最小に抑えた戦術を試みている。それが、手に取るように分かる。
「緑の薔薇、さらに後退していきます。これでは敵艦隊に包囲されてしまいます」
トシムが慌てだしたが、そんなことは把握している。
「不確定要素が二つある。白石美希がどちらの艦にいるかを敵が知っているか否か。そして、敵が彼女を捕らえる気か殺す気かということだ。彼女の所在がバレておらず、殺す気もないことを祈るのみだな」
我ながら弱気な発言だと思うが、事実は曲げられない。砲撃は止んだが、紫の巨艦はなおも加速を続けている。チャンスは、こちらへ最接近した時だ。等加速度エンジンによる運動エネルギーの上昇は、高機動ジャイロで相殺出来るものではない。巡洋艦並といわれる機動性は失われ、方向転換さえままならないはずだからだ。
「敵艦まで、距離一万五〇〇〇キロ」
「エンチャー士官。一万キロまで近づいたら出撃せよ。ガス帯の外へ出て、中の敵艦隊を攻撃するのだ」
ヨロメーグは、通信機を手にとって直接指示を出した。唐突ではあるが、後手後手ではない。早めに艦載機を出せば、サンピエトロが加速を止めてしまうかもしれないのだ。あとは迎撃と見せかけて、緑の薔薇を沈めるだけ。こちらはサンピエトロに対し丸腰となるが、イワシューはバイロイトの追撃を避けるため一撃離脱するはずだ。緑の薔薇から艦載機を誘い出せれば、その一撃さえ食らわずに済む。
「敵艦まで、距離一万キロ。艦載機隊、発進開始!」
テラッジがカタパルトのオープンを指示して数分、敵は動いた。
「敵の艦載機が出てきました。ガスの抵抗を警戒して、薔薇は開いていません」
トシムの報告を遮るように、エスハイネル士官が「違う」と叫んだ。
「この程度の気流なら、デルハーゲン・タイプは甲板を全開できます。こちらが攻撃できない状況で、全開にしないのは不可解です」
こちらの作戦が読まれているのか。周辺の空母が艦載機を出していないのも怪しい。緑の薔薇の行動の意図は? エスハイネルも知らないアルマ・パイン准将とは、いかなる人物なのか。
「よし、バイロイトにも艦載機を出してもらおう。行動についてはエスケス士官に一任する。それがいい」
ミラ・ソドムス下士官の部隊は、サンピエトロを追撃。マノン・リリエル下士官の部隊は、ベーゼンドルクを包囲する機動艦隊の攻撃。エスケス士官は、バイロイトを後方から追ってくる敵艦隊の掃討。いい分担だ。三人とも、白石美希の一件でベーゼンドルクについて少なからず知識を得ている。
3
渦陽星の主星も伴星も、遥か遠い。不気味な渦巻きの景観も無い。それを造り出している巨大なガスの流れの中を、我々は押し流されているのだ。
「敵艦まで、距離七五〇〇キロ。敵の射程範囲に入りましたが、砲撃ありません。ガス帯の中へ直進してきます!」
オペレータは動揺しているが、これも想定の一つである。戦場を混沌とさせるつもりなのだ。火力が半減し狙いもつかない。艦載機の操縦もままならない。となると、敵の目的はバイロイト。白石美希の所在もバレていたわけだ。かといって、今バイロイトを脱出させたら、こちらは沈められる。その後で、ワープ可能宙域に達する前に、バイロイトも同じ運命を辿るだろう。
エンチャー士官の部隊も、緑の薔薇に数発当てるにとどまり、戦果といえるものは無い。ソドムス下士官の部隊はサンピエトロに追いつくどころか、距離が開く一方。リリエル下士官の部隊もまだ到着しない。
「敵艦、なおも接近中。距離三〇〇〇キロ」
バイロイトも、後方からこのガス帯へ追い込まれている。敵艦隊は距離の取り方がうまく、一撃も与えることが出来ない。このままだと、バイロイトはガス帯に突入し攻撃力を失ってしまう。二隻とも敵艦隊に囲まれ、サンピエトロと緑の薔薇だけが外へ出る形となると脅威である。
ビショップ級二隻と白石美希を葬れるなら、一〇〇隻程度の艦隊を犠牲にしても安いだろう。イワシューなる若者は的確な判断ができるか、それとも情に流されて好機を逃すか? 今は、前者と仮定する必要がある。
「敵艦まで、距離一五〇〇キロ。減速しています。ただ、状況は好転しません」
オペレータが、主観を交えている。通常なら許されないが、彼の悔しさは艦橋にいる二九人全員の共有するところである。減速されても、ソドムスとリリエルは間に合わない。
「バイロイト、ガス帯へ侵入。サンピエトロの進路が変わりました。緑の薔薇との間に挟まれます」
ヨロメーグは、空母オリゲルドでエスハイネル士官を回収した時のことを思い出した。紫の巨艦がルーブルと同じなら、巨大格納庫を持っているはず。緑の薔薇から発進した数百機の艦載機にバイロイトを爆撃させ、そのまま回収して立ち去る手もある。
「薔薇が開いていきます。二〇〇機以上が発艦体勢です!」
「全艦載機は、可能な限りバイロイトとサンピエトロの間へ向かえ!」
明確な指示にも関わらず、数名から「は?」という声が上がった。理解できないことをとがめはしないが、指揮系統の混乱はいただけない。
「エスハイネル士官。緑の薔薇を落とせるかね? この戦局を乗り切ることができたら、君を将軍に推挙しよう。亡命を画策した件も不問にする」
ヨロメーグにとっては、裏切り者の部下に頼るというより恩を売る意味合いが強かった。彼にしか出来ない任務であり、他の部下も不満はあるまい。エスハイネル将軍をガズミク本国に配置すれば、こちらの情報網も広がる。
人事とは、人間の利用価値で決めるべきものだ。優秀かどうか、忠実かどうかは関係ない。能力では士官並のタケオンが、人当たりの良さと巧みな交渉術を武器に、シリンくんだりまで派遣されてくるのも同じである。彼が一士官でなく、メンバーズエリートという巨大な権力を持っているからこそ、シリンも次期指導者を任せる気になる。
「悪くない取引です。バイロイトの協力があれば十分可能です」
いずれ味方となる部下は、自信ありげである。ヨロメーグは、彼を取り囲んでいた警備兵を退室させることにした。
薔薇を散らすには、僚艦について知らなければならない。敵が、ルーブル建造にあたってビショップ級を意識したのは明かだ。単艦行動を前提とし、一隻で艦隊に対抗しうる大火力、無補給で長期任務に耐える自給システム、敵地での損傷に対処する自動修復システム、攻撃・迎撃・揚陸を行う多彩な艦載機等の装備が共通している。
それらを踏まえた上で、エスハイネルは熱弁を振るう。
「ただ、大きく異なる点が一つだけ。ルーブルには、単艦行動の万能艦と艦隊旗艦という二つの顔があるのです。ワープ通信を利用して、全く異なる宙域の艦隊を同時にいくつも指揮し、時には別の艦の全機能を遠隔操作することも……」
有能な参謀へ変身を遂げた男が、振り向いて笑みを浮かべた。
緑の薔薇は、紫の巨艦から遠隔操作されているというのか? 二ヶ所の艦橋やリアクターの位置、乗員数から格納庫の広さまで、我々は薔薇についてすべて把握している。そのことは敵も承知の上。だが、それは遠隔操作の機能についても同じことだ。リスクを考えれば、知られた上でも遠隔操作を使っている確率は高いが……。
「私に出来るのはここまでです。申し上げたはずですよ。私は事務屋ですと」
「確かに、部外者に指揮を任せるわけにはいかないな」
ヨロメーグは、部下たちが異論を挟む前に素早く場をおさめた。
「よし。紫の巨艦に揺さぶりをかけよう。重要な局面で振動を与えるか、加速度エンジンで乗員にGをかけざるを得ない状況をつくるか」
予測のつかない混戦が始まるまで、あと二〇分。
4
「左舷からサンピエトロ接近中。三〇秒後に距離五〇キロ以内を通過します」
「誘導ミサイル、DからGまで全弾発射。電磁シールド出力最大一五秒間!」
報告と指示に続いて、艦橋内にジワジワと振動が走る。ベーゼンドルクとサンピエトロ。二隻の巨艦の電磁シールドが干渉し始めたのだ。数秒遅れてミサイルの応酬。互いのシールドに阻まれ塵と化すが、これは挨拶ではない。ガス帯の流れを乱し、間合いを変える効果を期待しているのだ。しかし、思惑は双方とも外れた。
操舵士が巧みな操艦でサンピエトロをやり過ごす。敵は加速があだになった。急旋回しても次の接触までに三〇分はある。
ベーゼンドルクは、緑の薔薇へ向け悠然と直進を開始した。ピンチの後にチャンスありという古い諺がある。挟み撃ちを免れた今、今度はわが艦と到着しつつあるバイロイトで緑の薔薇を挟み撃ちにする。百隻以上の敵艦隊も、激しいガスの流れと混乱した戦況の中では手を出せまい。
エンチャー士官はわが艦の進路の前に、ソドムス下士官は緑の薔薇の裏側に、リリエル下士官は艦隊威嚇に散開、さらにエスケス士官はバイロイトの周囲を守る。こちらの不利は、完全に解消されたといっていい。
敵艦隊は次々撃破され、ガス帯の外へと敗走し始めた。戦いは、双方の艦載機による緑の薔薇の攻防戦へ移行したといえる。半径二〇〇〇キロの狭い宙域に、七〇〇機余りの艦載機が飛び交っているのだ。
電磁シールドで包まれながらも緑の薔薇は数百発被弾し、エスハイネルの指示通り二ヶ所の艦橋と半数のリアクターを破壊するに至った。機能はほぼ停止したはずである。
緑の艦体のあちこちから、無数のカプセルが射出された。
「敵空母アントワープより降伏の申し入れが。閣下、どういたします?」
トシム士官は、答えを予測したかのように不満そうだった。
「クリーヴランド条約は無視できまい。攻撃中止だ。脱出カプセルに当たったら、厄介なことになる。エスハイネル士官。カプセルの個数と収容人数、それから艦載機の最大乗員数は?」
「なるほど。カプセルは無人のダミーで、乗員は艦載機に分乗して脱出したんですね」
その勢いのまま攻撃再開の指示を出しかけたトシムだが、かつての体制軍大佐に止められた。
「待て。数が合わない。艦に残ったカプセルで残り全員を脱出させるのは不可能だ。少なくとも、何割かのカプセルは有人と考えるのが合理的だろう」
「遠隔操作を想定して、予め乗員を減らしたということは?」
同型艦の元艦長として、エスハイネルは断言できる。
「あり得ない。万一、サンピエトロに不都合があった場合、アントワープが運航不能に陥る。体制軍はそういうバカをやらないよ」
手強い敵だ。本日限りの名参謀がいなければ、判断を誤った局面が何度かあった。だが、この先どうする、フランツ・リライト・イワシューよ。白石美希を奪取あるいは殺害する作戦があるか?
「敵戦艦サンピエトロが、停戦を要求しています。艦隊ともどもカプセルと艦載機の収容をしたいとのことです。しかし、このガスの中では、いったい何時間かかるか」
トシム士官の欲求不満は爆発寸前のようだが、ここは思案のしどころである。
「よろしい。ただし、一つ条件をつけよう。敵将との会談だ。私が、紫の巨艦へ乗り込むのだよ。案内役もいることだしな」
ヨロメーグの視線を受け止め、エスハイネル士官は体をこわばらせた。彼がいなければ、ニセモノのイワシューを出されかねない。
このガス帯の中であれば、秘密は守られる。ルザンナ、エミアールどちらの陣営に気づかれたとしても、ワープアウト可能宙域は遥か遠い。そこから通常空間を進んでここまで来るには、シリン艦の性能なら数時間は要する。シリン人には、蚊帳の外にいてもらおう。
「心配は無用だ。戦力は圧倒的にこちらが有利だからな。むしろ、戦利品を期待してくれたまえ」
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