二十一 餅つき大会

 山の秋はすぐに通り過ぎ、冬へと移っていった。毛布だけでなく、服も厚い素材に変わり、陶製の湯たんぽが配られた。


 他地域から来ていた代表者は帰り、神殿は以前通りの静けさを取り戻した。


 毒壺が埋められているところには仮の木札ではなくきちんとした石碑が立った。残り四個。頼まれたって二度と使いたくないと、ダイスケは通るたびに思っている。


 ダイスケは前のように、女官たちや、ときどき加わる手伝いたちと字を教えあっている。それによっておたがいの文化を知るためと、サイ子の自動翻訳がなくなった時の用心でもある。この世界の文字は表音文字で口語と文語がほぼ変わらないのでわかりやすかった。

 それに対してダイスケが先生役の日本語は評判が悪かった。文字数が多すぎ、表音と表意文字がまじり、表記と発音が一致しない場合がある。

「お、じ、い、さん、は、やま、へ、し、ば、か、り、に、お、ば、あ、さん、は……」

 『桃太郎』や『かぐや姫』を教材にしているが、サンバンが苦労して朗読している。しかし、どうしても『は』を『わ』、『へ』を『え』と発音できない。ほかのみんなも表記と発音が異なる助詞の読み書きに苦労していた。

 ダイスケは専門家ではない、どう教えれば効率がいいかなんてわからなかったので、とにかく丸覚えしてと言っていた。

「ダイスケ、これむずかしいよー」

「でも進歩してきたよ。意味は取れるようになったし。がんばれ」


 その間にも、世界は転がり続ける。

 神託による未来予知が不明瞭になるため、食糧や資源について各地域がより一層緊密に協力していく体制を作ろうとしていた。

 地域によって産業に得意不得意があるので、分業をこれまで以上にはっきりと行う。作物の栽培に有利な土地、漁獲が多い海辺の地域、牧畜に適した平原、有用な資源が豊富に産出する鉱山、優秀な職人が多い都市、それぞれが得意分野に特化する。

 ミドリ村とオオカゼ町は、それぞれ、農業、漁業をさらに発展させることとなった。

 さらに、それらを公平に分配し、輸送する仕組みを整える。海上輸送ではサイ子の天気予報が重視され、各都市は街道の整備を共同で行う。

 都市や各産業の代表と神殿の女官たちは頻繁に会議を開いた。専門職としての政治家が必要になりつつあった。その会議にはサイ子も映像で現れ、適切な助言と神託を与えている。これは女官たちの代表者会議の決定でもあった。サイ子も世界を運営する人々の一員となった。

 いまでは『預言の池』はサイ子を中心として各神殿を結ぶ遠隔会議を行うための道具にもなっている。長い旅をしなくても意思疎通ができるので大変便利になった。


 一方で、サイ子が人々と密接に協力するようになると、信仰を失っていた者たちの一部がまた信心するようになった。世界のために働く姿が多く目に触れることで、それまでと異なる形の信仰が現れたのだった。それはサイ子を神としつつも、従来とはちがい、もっと民衆に根差した、言ってみれば泥臭い宗教だった。

 かれらは少数派だったが、むずかしい教義や戒律を持たず、開放的でおだやかだったので、取り締まりは行われなかった。サイ子自身もそういう信心の仕方を黙認した。


 しかし、ロクバンは神を捨てたままだった。字の勉強には参加するが、それ以外は手伝いの仕事のみを行い、部屋に閉じこもっている。食事も手伝いたちととるようになり、食堂には顔を見せなくなった。

 そして、冬支度が済み、ダイスケも完全に健康を取り戻したある晴れた朝、ロクバンは「神殿を出る」とみんなに告げに来た。

「そんなに急がなくてもよいのですよ」

「そうだよ、年が明けて気候がよくなるまで待ちなよ」

 イチバンとサンバンが引き止め、ほかのみんなもうなずいた。ダイスケも言う。

「まだ勉強が残ってるよ」

「いいえ、いろいろ考えました。あたしは神と信仰を研究するために旅に出ます」

 ロクバンは神を信じるという行為を自分なりに考え、もっと深く掘り下げてみたいと言う。そのために、いま信仰を持っている人、捨てた人、新しい信仰を持つ人にたくさんきいて回って、自分なりの結論を出したくなったのだと説明した。

「それはりっぱだと思うけど、どうやって暮らしていくつもり?」

 ヨンバンが心配そうにきいた。

「行った先で事務とかやるよ。いまはそういう仕事できる人が不足してるし」

「それはそうですね。物を蓄えて運ぶ、その管理だけでもひと仕事ですから。それに、ロクバンがそこまで真剣に考えているならわたしは止めません」

 ゴバンが賛成した。ほかのみんなもさびしそうだったが、反対はしなかった。

「いつ?」

「もう準備はできた。明日山を下りる。街道をたどっていくよ」

 ロクバンはだれも気づかないうちに、荷車などに手紙を託して行く先々に手配をしていた。それが完了したと言う。

「なにもかも黙ってたんだ」

 サンバンはあきれたような、感心したような口調だった。気を遣われたり、泣かれたりするのがいやだったのだろう。ロクバンらしい。

「街道だったら山を下りるところまでは見送りましょう。それより、今夜はなにかお別れの食事にしたいですね」

 イチバンがなにかないかとダイスケを見た。

「餅をつこう」

「あ、そうか。あれこればたばたしてて忘れてた」

 大声を出すサンバンにみんな賛成した。

「じゃ、さっそく用意にかかろう。今夜じゃちょっと遅いかもしれないけど、サイ子に頼んでみようよ」


 たしかに、夜の餅つきをその日の朝から用意するというのは遅すぎる。幸いもち米やほかの食材は手元にあったが、もち米を水につけ、臼と杵にも水を張っておかなくてはならない。

 しかし、そこはダイスケの頼みで、サイ子が協力してくれた。神託はないのに調理だけに能力を使ってくれる(「特別だぞ、よそでは言うなよ」と釘を刺された)。

 もち米を浸水することと蒸すこと、餡やきな粉づくり、雑煮用の汁の調理を頼んだ。もち米はひとり一合の計算で二升蒸す。神殿にいる十人が食べ、サンバンあたりが大食してもあまるようにしたかった。

 あまった餅の乾燥とあられへの加工もサイ子にお願いする。こころよく引き受けてくれた。季節は違うが、雛あられのように甘くしてロクバンに持たせてやりたい。

 サイ子も条件を出してきた。その餅つきというのを見せてほしいという。もちろん了承した。また、それならということで、餅つき大会は急遽、『預言の池』で行う運びとなった。かなり冷えるが、かがり火を大きめに焚くのと、サイ子が調理ついでに気温を調節すると請け合ってくれた。

 蒸している間、みんなに餅つきや餅の丸め方を説明し、臼と杵の振り方や、返しの入れ方を練習してもらった。

「力でつくんじゃないからね。サンバン」

「わかったよ。ぺったんて音がすればいいんだな」

「そう、がつんだと餅じゃなくて臼をついた音だから」


 日が沈み、天井の穴から冬の星空が見え始めるころ、餅つきが始まった。最初にこねるのはダイスケが行った。


「よいしょ」「はい」「よいしょ」「はい」


 サイ子が興味津々で見守る中、全員交替で餅つき役と返し役をしてつきあがった。

「あたしもつきたいなぁ」

「こっちにくればいいのに」

 ダイスケと気軽な会話もした。

 熱さをこらえながら丸める。熱が取れる前に餅にしないといけない。今回は全部丸餅にした。雑煮用にそのまま、ほかは好みで餡を入れたり、きな粉をまぶしたり、海苔でくるんだりした。

 雑煮はどこの地方かわからないものに仕上がった。澄んだ汁に、そのままと焼いた丸餅が浮かんでおり、ほかには鶏肉と葉物野菜や根菜が入っている。

「落ち着いて食べて。のどに詰まらせないで」

 注意したのにゴバンがサンバンの背中をたたいている。

 予想外だったのはイチバンとロクバンだった。サンバンとおなじくらい食べた。

「このお餅というのはいくらでも入ります」

「ほんと。旅先で作ってもらうよ」

 手伝いたちにも好評で、ダイスケに細かいこつなどを確かめていた。町や村にもすぐに広まるだろう。

 最後に食べきれなかった分を雛あられにした。あまりが少なく、それほどたくさんはできなかったのに、お腹いっぱいのはずのみんながつまみ食いをしたので一袋分しか残らなかった。それをロクバンに渡すと、宝物のように受け取った。


「ありがとう。みんな」

 餅つき大会が終わり、後片付けをして『預言の池』から戻るとき、ロクバンがみんなに言った。サイ子は微笑んで消えた。ダイスケやほかの女官たちは順番に頭をなでた。手伝いたちはそっと目頭を押さえていた。

 空気は澄み、冬の夜空の星はくっきりと明るく光っていた。

 寒い、暖かな日だった。

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