二十 人間と神
目を開くと開け放った窓が見えた。体中が痛み、意識せずにうめき声が出る。しかし、のどの焼けるようないがは無くなっていた。
窓の外は暗い。いつかの時のように、夜明け前か日没後かは判断できない。たぶん、反対側に首をまわせばだれかいるだろうが、それができなかった。
黒紫の斑点が脈打つように現れ、視界が暗くなった。
また眼を開くと天井が見えた。明るい。日の光が差し込んでいるのか。痛みはだいぶましになった。すくなくとも手足があるのがわかるし、小箱に押し込められているような感覚は無くなった。やわらかい毛布の感触がする。
なにか響くような音がするが、なんの音かわからない。毛布以外のなにかが体に触れている。意識がちぎれ、くっつき、またちぎれる。そのうち吸い込まれるように真っ暗になった。
鶏が時を作っている。首を動かせるようになった。窓の外は明るい。空気の冷たさもわかった。
反対側にはだれかが座っているひざが見えた。白い手を行儀よく重ねている。見覚えのある手だ。前見た時はどうしただろう。そうだ、声を出したんだった。いまも出せるだろうか。
うめき声でない声が出た。「イチバン」と言ったつもりだったが、そう発音できたかはわからない。でも、そのひざと白い手は前とおなじようにすぐ視界から消えた。
まわりが急に薄暗くなった。ざわざわ音がする。人が周り中に立っているらしい。目を大きく開いた。
いつものみんながいた。うしろのほうには見慣れない人々がいる。よく見まわすと部屋中に人がぎっしり詰まっている。ほとんど女性だった。
「あぶない」
窓のそばの見知らぬ女性がよろけたのを見て注意した。なぜかみんな歓声を上げる。泣いている人もいた。
見知らぬ人々が部屋から出て行った後、イチバンとみんなに謝った。それぞれが手を握ってくれた。
助けなしに自分で歩けるようになるまでそれから十日かかった。毒を吸ってから五日目で解毒し、意識が戻るまでさらに五日かかったので、あの日から二十日が過ぎていた。
サイ子はもうサイコロを振っていないので、激しく衰弱した体が元に戻るにはさらに時間がかかりそうだった。ひさしぶりに風呂に入って水に顔を映すと頬や首筋はスプーンでこそげとったようになっていた。
それ以外に体に変化はなく、身長は変わらなかった。あの作用はロクバンだけだったようだ。
ミテルやサイ子とのやり取りは、すべての神殿で神託として表示された。その結果、ここに来れる範囲の神殿は代表者を送ってきていた。これからの世界について、どうやってサイ様と協力していくか、なんども会議が開かれたようだ。神殿はそういう滞在者と、世話をするための、ミドリ村やオオカゼ町からの応援でごった返している。
どの女官も、ダイスケにはていねいに礼儀正しく接した。こっちは知らないのに向こうはこっちをよく知っていると言う居心地悪さを感じる。
ヨンバンとロクバンはまだ神殿にいた。
ヨンバンはダイスケの行動とサイ子の謝罪を見て信仰を取りもどし、そのまま神殿にのこると決めた。
だが、ロクバンはやはり神を捨てると言った。それでもダイスケが意識を取りもどして元気になるまでここにいたいと希望し、ほかの女官たちはもちろんそれを認めた。いまの立場は臨時の手伝い扱いだ。
それから、会議の結果、女官に欠員が生じても全員引退とはならないと決まった。現状では多少人員が減っても神殿の仕事はじゅうぶんまわしていけると言う判断がされた。また、信仰を失った人々から、神託を受けても神殿には上がらないという拒否の声明が出ていたからだった。いままで通り補充ができるとは限らなくなった。この神殿も五名で仕事を行っていく。
サイ子に対する信仰は大きく揺らいだ。ミドリ村とオオカゼ町では一割弱の人々が信仰を捨てた。神殿に来た代表者によると、他地域でもほぼ同様だと言う。
それらの人々は神殿に対する物品や労働力の提供に対しても対価を要求している。いまのところは信仰を保った人たちによる村会や町会が立て替えて支払っているが、後々問題となってきそうだった。
朝夕がめっきり冷えるようになり、厚い毛布が追加された。夜、ダイスケはひさしぶりにクリップボードを取り出し、以前のメモを見直している。あの日以来一文字も記していない。
ノックの音がした。なぜかイチバンだとわかった。
「どうぞ」
静かになめらかに入ってくる。イチバンらしい。
「寒くないのですか」
「うん、風が気持ちよかったから」
そう言いながら覆いを閉じた。
「よろしいですか」
「もちろん」
イチバンは椅子に腰かけ、ダイスケはベッドの縁に座った。こうすると頭の高さがそろうな、と思った。
「体はどうですか。痛みは取れましたか」
「完全に大丈夫。あとはもうすこし体重を取りもどすだけ」
「ゆっくり養生してください」
ダイスケはイチバンがいつものようにまっすぐ座り、じっとこちらを見ているのを居心地悪く感じていた。静かに怒っているようにも見える。あの時謝ったけれど、あらためて謝ったほうがいいだろうか。
「あの、心配かけた。ごめんなさい」
「それはもう謝っていただきました」
「でも、自分のしでかしたことや、イチバンがどう思ったか考えると、また謝んなくちゃいけないかなって」
「そう思うのですか」
ダイスケは緊張した。サイ子とやりあっている時とはまた違う種類の緊張だ。
「世界は変わります。ダイスケのせいです。サイ様は信仰の対象ではなく、協力していく仲間になるでしょう」
「あなたがそれを言うんですか」
「ええ、信じていたからこそ見えます。ダイスケは神を殴り倒し、人間と神の関係を変えた勇者です。でも、変えた後は? なんの計画もなかったでしょう」
「うん。具体的な計画はなかった」
「それは無責任と言うものです」
「認めるよ。いまになって考えれば、ぼくの行動は個人的な怒りが原動力だった」
イチバンは静かにうなずいた。
「ほんとうにしようのない方ですね」
「怒ってるの?」
「ええ、あなたに、あなたのしたことに怒っています」
「腰の短剣、いま使えばいい」
頬を打たれた。イチバンは打った手をまたひざに戻す。それから泣き出した。血と泣く女性は苦手だ。ダイスケは手を伸ばし、ふるえる肩をなでた。
「ずっとここにいてください。わたくしの……。いえ、わたくしたちのところに」
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