十九 神殺し

 気が付くと、もやのかかった草原に寝転がっていた。苦痛は感じない。起き上がってあぐらをかく。どちらを向いてもおなじ風景が続いている。音は聞こえてこないが、音のない時の耳鳴りのような音もしない。反響もないので広さの見当がつかない。


「また来たのね」

 うしろから声がした。ミテルだ。

 そちらに向き直ると、前と変わらないピンクのジャージが立っていた。やはり前回同様、ぎりぎり手の届かないあたりに腰を下ろす。

「あんたの妹の件で話がしたい」

「あんたじゃないでしょ」

「ミテルちゃんの妹、ちょっとやりすぎじゃないかな」

「どういう意味で?」

「世界を思うままにしすぎ。そこで暮らす人々の未来とかなにも考えてない。世界に問題があって修正するなら一言謝ってもいいだろう」

「あんた、神を政治家かなんかと勘違いしてない? 創造主が被造物になにしようが遠慮はいらないのよ」

「サイ子はべつ。神託で人々に干渉し、神がなんでもしてくれるような世界観を植え付けておきながら、今度はおれをつかって確率論的世界にした。今後は自分で考えろって」

「それはあんたもそうしようとしてただろ? 悩んだり苦しんだり、『なぜ?』と問い続ける人間の社会にしたかったんじゃないの」

「そうだよ。時間をかけて、人々が自分からそうなるようにしたかった。でもサイ子は急ぎすぎるし、選択の余地なしに舵を切ろうとしてる。しかもそのためにおれを乱数の種にした」

 ミテルは鼻で笑う。

「あんた、小賢しいよ。たいそうな理屈つけてるけど、要は自分を道具あつかいされたのが気に入らないんだろ」

 ミテルをにらみつける。小ばかにした表情は変わらない。

「サイ子が愚かで、世界の舵取りすらまともにできないのは認める。でも、謝れっていうのは……。おまえ、作られたくせに生意気」

「こんな風に作ったのはおまえらだ。とくにおれは魂はおまえ、体はサイ子製だ」

「おまえじゃないってのに。わかんない子だね」

「作ったの作られたの、そういう話は抜きにして、いまこんな風におなじ空間で話をしてるんだから、上下関係抜きでいかないか」

 ミテルはうなずきもせず、先を続けろと身振りでうながした。

「おれは、死んでからサイ子にされたことすべてに腹を立ててる。それと、世界を好き勝手にしてるのにもむかつく。創造主だから好きにしていいって言われたらそうかもしれないし、神に人間はかなわないってのも事実だけど、まじめに信仰してきた人々に頭を下げてもいいだろう」

 ミテルは首をかしげる。考えているようすだった。すこししてまとまったらしく、おもむろに口を開いた。


「おまえの望みが分かった。神殺しだ」


「神殺し? いや、謝罪だ。求めているのは謝罪だ」

「いや、おまえの怒りは謝罪ではおさまらない。仮にサイ子が謝っても、謝り方が悪いのなんのと次の理屈を考えてべつの要求を突き付けるだろう。それは神が滅びるまで続く」

「変な言い分だな。そうなるかもしれないから謝らせないと言うのか」

「いや。確かめてみただけだ。おまえたちの愚かさは底なしだから」

「なんども言うが、作ったのはおまえらだ。たぶん、おまえらを反映したんだ」

「もういい。サイ子の前に連れて行ってやる。好きなようにしろ」


 軽いめまいがして、ふわりと体が浮かんだかと思ったが、すぐに足が草原についた。

 目の前にはあのちびが高校の制服を着て立っている。ダイスケを見ず、うしろのミテルに向かって怒った。

「姉さん、なんでこんなやつを連れてきたの」

「あんたの不始末だよ。あたしのところに尻を持ち込んできたから、当事者同士で解決しなってこと」

「そりゃ、こいつを引き抜いたのはよくなかったけど、必要だったのよ」

「サイ子。もうそろそろ決着をつけな。逃げはなし」


「おい、おれをはさんでごちゃごちゃ話すな。サイ子、もうわかってるはずだ。おれを道具にしたこと、世界の運営に失敗したこと、その結果、大幅な方針変更をすること、全部謝れ」


 サイ子はダイスケの一歩前まで来た。下から見上げているのに、見下ろされているような威圧感がある。

「えらそうに。あの世界のものは量子ひとつにいたるまですべてあたしが作ったあたしのもの。どう操作しようと謝るつもりはない」

「なら、なぜ人々に意志を与えた。なんで考える頭脳を与えた。どうして創造主として姿を現し、神託を与えて信仰を集めたんだ」

 サイ子は黙っている。

「答えろ。そのせいで、人々は信仰を失う者、それでもお前を信じる者、どちらにせよみんな苦しんでるぞ。さあどうした」

「おまえも知っているだろう。何回も言った。基礎部分は姉の世界をコピーしたからだ」


 サイ子がうしろに倒れた。顔を覆っている。

 ダイスケは殴った自分に驚いていた。


「あ、説明忘れてた。いまサイ子の肉体はふつうの人間の女だよ。殴ったら当たるし、殺せる。お前しだいだ。ダイスケ」


「おまえ、姉さんだろ、いいのか」

「姉妹って言ってるけど、それは人間に分かりやすいようにその概念をつかってるだけ。あたしとしてはそいつが消滅してもかまわない」

「消滅したらどうなる? こいつの作った世界は」

「もちろん一緒に消える。創造主と世界は一体だから」

 サイ子は顔を覆った手をおろし、倒れた姿勢からすこし起き直った。唇から赤いものが垂れ、ぬるりと光っている。

 右手の甲にもおなじ赤がついていた。


「なにぼさっと突っ立ってるの。復讐のチャンスあげたのに。ああ、世界まで消えるのが気にかかってるのか。なら特別ボーナスをやろう」

 ミテルはダイスケの斜め前に回り込み、右手を振って地球の立体映像を出した。光点がひとつ近づいている。


「サイ子を殺したら、おまえを元の世界の地球に帰してやる。しかも時間を戻して、あの微小惑星は当たらないようにそらす」

 そう言って光点を指ではじく。それは映像の範囲外に飛び出て消えた。

「つまり、おまえは死なない。ずぶぬれになって帰宅するところからやり直し。ついでに記憶もそこまで巻き戻してやるから、ここでやったことに対して良心の呵責は抱かずに済む」

 立体映像は拡大し、ダイスケの家族を映し始めた。仕事をしたり、家事をしたり、遊んだりしている。

「あたしがここまで世界に干渉するのは本当に特別なんだぞ。ありがたくこのボーナスを受けな。さあ殺せ」


 両手に力がこもる。あの細い首を絞めればなにもかも元通りになる。あの雷雨の日に、ここでの記憶は持たずに戻れる。家に帰れるんだ。

 映像の家族とサイ子を見比べた。


「おれの望みは謝罪だ。復讐じゃない」

「どう違うの?」

「ぜんぜん違うだろ。それに、時間を戻したり、記憶を消したりするのは気に入らない。ここでの経験もおれだ。勝手にいじるな」

「このボーナスはいまだけだよ。断ったらもう二度と家族には会えない。あたしの世界でのおまえの死は動かせないものになるよ」

 ミテルはジャージのポケットに手を入れて足踏みしている。

 ダイスケはその顔をじっと見て首を振った。手の甲を服にこすりつける。


「サイ子、観念しな。こいつ、あんたの消滅も許さないってさ」


「すみ……ません……でし……た」

「聞こえない。もっと大きい声で。それと、なにに対して謝るのかはっきり言いな」


「わたしは、世界の運営に失敗しました。ごめんなさい。これからいっしょに修正しましょう。それと、フルヤダイスケを実験のため、それから世界を変えるための道具にしました。これはもう取り返しがつきませんが、今後サイコロは振りません。本当に申し訳ありませんでした」


 ミテルはサイ子からダイスケに視線を移した。眉をあげる。

 ダイスケはうなずいた。


 その瞬間、予想していた通り、落下を感じ、周囲が真っ暗になって意識を失った。

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