十八 意地
サイ子が消え、水スクリーンが崩れると、炊きたてのご飯と焼き魚の香りがした。そのあたりの手を抜かないのは神らしい。
しかし、女官たちはその場から動かない。だれでもいいから泣くとか怒るとかしてくれるといいのだが、じっと立っている。みんな表情がない。
「まずは食堂に行こう。考えないといけないことが山ほどある」
ダイスケがそう話しかけてもだれもぴくりとも動かなかった。
「ぼくの元の世界では、『腹が減っては戦はできぬ』って言うんだ。みんながこれからどうするにせよ、正しい判断は空腹ではできない。わかるよね」
イチバンがかすかにうなずき、働き出した。それからほかのみんなもできあがった朝食をもって食堂へ移動した。
手伝いたちは茶などを運んだが、女官たちの表情を見てなにも言わずに引っ込んだ。彼女たちは、昨夜からここでなにが起きているのだろうと心配げにひそひそと話をしている。
全員がのろのろと箸を動かし、機械のように食事を口に運んでいる。ダイスケはそれを見てほっとした。やはり強い。この状況で食べられるのならなんとかなる。
しかし、ダイスケ自身はどうしても全部食べられなかった。声をかけた手前、作業だと思って飲み込んだが、鯵を半分ほど残してしまった。それをあたかも食べたかのように箸でつつきまわしてごまかした。
食後、後片付けを済ませ、茶を飲んでいてもだれも口を開かない。
「神託は下った。今後どうするか、ぼくらは腹をくくらなきゃならないな」
ダイスケが口火を切った。
「きのう、どんな神託が出ても従うってイチバンに約束したけど、ごめん」
ロクバンが謝った。
「わたしもです。自分の口から出た言葉をひるがえしてごめんなさい。謝罪します。でも、従えません」
ヨンバンも頭を下げた。
「謝罪は無用です。ロクバンも、ヨンバンも、みんなも。わたくし自身、サイ様の神託に素直に従うつもりはありませんでした」
「従おうが従うまいが、結果的にはサイ様の考えたような世界になっていく」
ニバンがつぶやいた。それはここの全員の理解を言葉にしただけだった。どうあがいても未来は変えられない。なにをするにも遅い。
かっこ悪い勇者だ。とダイスケは自嘲した。敵の親玉は、ゲームみたいにこちらが謎を解き明かして倒しに行くまで計画の進行を止めてじっと待っていてはくれなかった。こっちが敵の本拠に乗り込んだ時には計画はほぼ完了。いまのぼくの立場は、いればさらに計画が進んで便利だけど、いなくなってもそうは困らない程度のものだ。
死ぬの生きるのと大げさに覚悟を決めた自分はただの道化だった。
で、ここにいる女官たちもそうだ。信仰だの世界のあり方だのたいそうな話をしたが、サイ子の計画に毛筋ほどの影響も与えられなかった。
人間は神にかなわない。それを思い知らされたな。
「これからどうする、と言っても、目標もなにもありませんね」
ゴバンが重い口を開いた。
「サイ様のおっしゃったとおり、わたしたちは愚かだった」
サンバンが言った。
「ヨンバンと、ロクバンはこれからどうするの? こういう結果だし、サイ様はすべて許すとおっしゃったから、あえて信仰を捨てなくてもいいと思うけど」
ニバンが問いかけた。
ヨンバンは首を振った。
「いいえ、それには変わりありません。わたしたちは愚かで、なにもできませんでした。でも、サイ様が変えようとする未来の世界で、わたしは信仰を保ち続けられません」
ロクバンはヨンバンが口を閉じると、それに続けて言う。
「あたしもおなじ。もうなにも信じられない。この世を作った神はもうあたしの信じる神じゃない。あたしの神は死んだの」
イチバンがため息をつく。
「それでは、わたしたち全員引退ですね。次の女官が決まって派遣されて来たらお別れです。各自、急がなくていいので身の回りの整理を始めてください」
「引退したら、みんなどうするの?」
「それぞれです。わたしは故郷へ帰りますし、ミドリ村やオオカゼ町で暮らす者もいるでしょう。わたしたちの計算や事務処理の能力はつねに引く手あまたです。仕事には困りません」
「ダイスケは?」
サンバンがきく。
「わからない。字だってまだ満足に読み書きできないし、ここじゃただの役立たず。いや、それよりひどい。サイ子の計画がひろまったら恨む人も出てくるだろうな」
「それは筋がちがうよ」
「ちがっても、目の前にいる叩きやすい者を叩くだろうな。おまえが来てなけりゃって言われる」
茶を一口飲む。苦い。
「それはまあ予想がつくからいいとして、自分自身、生きている価値があるかどうかわからなくなった」
イチバンがちらりとダイスケを見、手を伸ばそうとしてやめる。
「それはみんなそう。信仰の意味が変わってしまった。信仰を持ち続ける者にとっても、捨てる者にとっても」
「世界が変わっていくのはもう止められないにしても、サイ子は一言謝ってほしいな。世界を自分の気に入るように修正します、住人は黙って従えって言われても納得できない」
ダイスケの言葉にみんな反応した。
「そうね。創造主だけど、謝るくらいできそうなもんだね」
初めて明るい口調でニバンが言った。サンバンも大声で言う。
「一言くらいあってもいいよな」
ヨンバンは大きくうなずいている。ゴバンが微笑む。
「でも、どうやって?」
ロクバンがもっともなことを言った。
(ほんと、どうやって?)
ダイスケはちょっとずるいかなという手を考えた。学校で悪さをされた子が先生に言いつける要領だ。
しかし、ミテルに会う方法がわからない。前は気を失った時に会えたが、つごうよく瀕死になれる方法なんか知らない。
いや、知ってるけど、やりたくないと言った方がいいか。その方法なら五回試せる。
「方法はないわけじゃない。ミテルに事情を話して助言か応援を得られないか試してみる。前に会った時のことから考えて、瀕死になれば世界と世界のすき間には行けると思う。そこで会うよ。あれを使おう。とにかく五回は試せる」
「反対です。そこまでやらなくてもいいでしょう。単に留飲を下げるためとしては危険すぎます」
「イチバン、必要なんだ。被造物である我々が創造主に謝罪させる。そうしないと神と人間の関係が変わらない」
「変えなくてもいい。わたしたちは僕です」
「いや、祈りの上では僕と言うけど、ほんとうに奴僕でいちゃいけない」
「わたしも反対です。危険な割に会える保証がない」
ニバンがイチバンに同意した。
「会って、なにを言うの? 放任主義の姉さんなんだろ。よその世界のもめごとでもあるし、放っとかれるんじゃないの」
サンバンが言った。
「もっともだと思う。でも、ミテルはサイ子を許してない。仕返しっていう言葉を使ってたし、そこを突いてみたい」
「反対です。解毒できると言っても、あんな恐ろしいようすは見たくありません」
思い出したのか、ヨンバンはわずかにふるえた。
「ニバンとヨンバンの言う通りです。危険に見合う成果があげられるでしょうか」
ゴバンはダイスケの顔を見て言った。ロクバンは平然としている。
「あたしの経験から言うと、そのすき間みたいなところには行けると思う。もやのかかった草原みたいなところでしょ。あたしも何回かそこでぼんやり座ってた。だれにも会わなかったけど」
「ロクバン、いまはそんな話はしないで」
イチバンが止めた。
「いや、ぼくはもう決心した。いまのロクバンの話のおかげで、世界のすき間に行けるのはわかった。ぼくが行けばサイ子かミテルが無反応でいられるはずはない。すぐ掘り出してくる」
「止めなさい!」
イチバンがどなった。
「いいかげんにして、ダイスケ」
まるで時間が止まったかのようだった。
「なにをそこまで意地になっているの。いまのままでいいじゃない。よく考えて。世界が変わると言ってもだれも困らない変わりかたでしょ」
肩で息をしている。
「みんなでここで静かに祈りながら暮らしましょう。ヨンバンもロクバンも信仰を捨てるなんて言わないで。ね。もう神に謝罪させるとか挑戦するとかはなし。敬虔な信仰の徒としておだやかになかよく生きていきましょう」
「イチバン。さっきロクバンが言ったよね、『あたしの神は死んだの』って。サイ子はそこまで思わせるほどの暴挙をしたんだよ」
ダイスケは自分をにらむイチバンをにらみ返した。
「でも、ぼくらは神の計画を止められない。なら、すくなくとも謝罪させてやる。被造物だからって奴隷じゃない。ましてや道具じゃない」
一度言葉を切った。
「ぼくは、そもそもの始めから、あいつに腹が立って仕方がないんだ」
ダイスケは椅子をけって食堂を出て行った。家畜小屋のそばの物置で穴掘り道具を取り、神殿そばの封印場所をひとりで掘り始めた。
穴を掘って埋めただけなので、土はまだ掘りやすかった。色もまわりと違う。
しばらくするとサンバンが手伝い始めた。かなり作業がはかどる。ロクバンも手を貸してくれた。
昼を過ぎたころ、イチバン以外のみんなが来た。
日が傾き、空が夕焼けの色に染まった時、石の蓋が見えた。土をどけ、蓋を開いて壺をひとつ取り出した。そっと布にくるんで革袋に入れる。蓋を戻して簡単に土をかけた。
穴掘りを手伝ってくれたみんなを引き連れて自分の部屋にもどり、これからの計画を説明した。
「まず横になって壺を割る。みんなはしばらくしたら用心して部屋に入ってきて後を頼む。解毒剤を使うのはぎりぎりまで待ってほしい。ロクバンでわかった通り、あそこまで進行しても完治するし、そうでなくともぼくは六時間寝られさえすればなんとかなるから」
確認するように見回す。
「わかった」
サンバンだけが声に出して返事をしてくれた。ほかの者はただうなずいている。
「イチバン、泣いてるよ」
ヨンバンが小さな声で言った。
「後で謝る。許してくれないかもしれないけど。じゃ、みんな出てって」
扉がきちんとしまったのを確認し、横になった。空腹だが、万が一吐くかもしれないと考えると胃になにもないほうがいいと思った。
サイドテーブルを枕元ぎりぎりによせ、壺を叩きつけて割った。ふきだすように膨らむ黒紫の煙を深呼吸して吸い込んだ。
後頭部を殴られたような衝撃を感じる。それから喉の奥で焼けたいがが転がっている。目を開くと黒紫の斑点が脈打つようにちらつく。体中が折り曲げられるように痛い。小さい箱にむりやり押し込められるようだ。
視界がぼやけ、意識を失いかけてはその痛みでまた引き戻され、引き戻されてはまたぼやける。その繰り返しだった。
しばらくしてみんなが用心して入室したのにも気づかなかった。ゆがんできこえる足音や話し声を女官たちと判断できない。なにかの音、苦痛を与える音だった。
ダイスケは、苦痛の暗闇に引きずり込まれていった。
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