十三 「なぜ?」(体力四、知性九、運五、魅力十一)

 前の世界であれば、朝起きても、天井を眺めながら布団の中でしばらくだらだらしていた。でも、こっちではすぐに起きられる。それからさっと身支度して神殿に向かう。

 それでも女官たちよりは遅い。ロクバンがいちばん遅くまで寝ているそうだが、ダイスケはもっと遅い。窓覆いのすき間から日が差しこんでから起きる。そのころには女官や手伝いたちはとっくに起きて朝のお祈りを済ませている。

 水スクリーンは、ダイスケが見るか、だれかが写すまではステータスを表示し続けている。


 今日は『体力四、知性九、運五、魅力十一』だった。


 ここで魅力が高くてもなんの役にも立たないが、知性も高いのはいい。

 『預言の池』のまわりに集まったダイスケと女官たちは、水スクリーンが崩れるのを見てから神殿の一階に上がった。

「みんな早いね」

「ダイスケ様が遅いんだよ」

 ロクバンが言い、サンバンが笑う。

「おまえより遅起きの人ができたな」

 みんな笑ったが、ロクバンだけ頬をふくらせた。

「朝食後、また会議室に集まってください」

 イチバンが言い、皆がうなずく。


 朝食は、いつものように元の世界とまったく変わらない献立だった。食事の時だけは、ここは本当に異世界なのかと不思議になる。味噌や豆腐と言ったものは作るのも流通させるのも手間がかかるはずだし、鮮度をどう維持しているのだろう。当たり前すぎて気づかなかったが、豆腐や、ちゃんこ鍋をやった時の白身の魚、あれはどうやって新鮮なままここまで持ってきたのだろう。

 ダイスケは味噌汁の豆腐をつまんできいた。

「ねえ、こういう豆腐や生魚はどうやって保存してるの? 傷みやすいのに」

 それにはニバンが答えてくれた。大小二つの素焼きの甕を用意し、小さいほうを大きいほうのなかに入れる。すき間に細かい砂を詰めて湿らせ、濡らした布で口を覆う。それだけで小さいほうの甕のなかはかなり冷えるので、そこに食料を入れて運んだり保存したりすればほとんど傷まず、豆腐も冷たい山の水を入れ替えておけば二日目の朝くらいまではなんとかなると言う。


「なるほど。そういうの、だれが考えついたの?」

 だいたい予想はつくが、あえてきいてみる。

「いいえ、サイ様の教えです。味噌や豆腐など加工食品の作り方もです」

(そうだろうな)

 ゴバンが興味を引かれたらしく、ダイスケに質問する。

「ダイスケ様の元の世界ではどうしてらっしゃるのですか」


 答えようとしてぐっと詰まってしまった。冷蔵技術、保存料などの食品添加物、高度に発達した流通。そういった諸々の要素をどうやって言葉にしたらいいだろう。考えてみると、とてつもなく複雑な社会に暮らしていたんだなと思う。

 それでも考え考え、言葉に迷いながら説明したが、どうやらあまり理解してくれなかったようだった。ダイスケは、自分自身よく理解していないことはうまく説明できないと実感した。


「ダイスケ様の元の世界はなんだか混み入っていたんですね」

 首をかしげながらヨンバンが言った。

「うん。神様の助言がまったくないから。社会の仕組みを作ったり、維持するのも全部自分たちでやらなきゃならないし」

「百三十億年かかったんですものね」

「いや、最初から人間がいたんじゃないから」

 みんなの顔にまた疑問符が付く。ダイスケは、これの説明はもっと大変だぞと冷や汗をかいた。理科と社会と歴史の知識の箱を全部ひっくり返さなくちゃならない。そもそも、中身そんなに詰まってたか。

 宇宙の始まりから太陽系の誕生、生命の進化、有史以前と以後、近代史。

 超特急で語り終えたが、さっきより理解されなかった。みんなお茶をすすってぽかんとしている。


「さて、そろそろ会議室に行きましょうか」

 イチバンがさらりと言い、みんなわれに返ったように後片付けをして食堂を出た。

「ぼくの話、下手だった?」

 神殿に行く途中でヨンバンに聞いてみた。

「そのようなことはございません。でも、ちょっと、あれこれと散らかっていたかもしれません。百三十億年ですから」

「サイ様の姉上がどのように世界を作ったかはわかりました」

 ゴバンはほかの女官よりは理解したようだった。ミテルの話を知っているからかもしれない。創造したままでいっさい干渉しない神の世界のありようを自分なりに考えている。

「あたしはぜんぜんわからなかった」

 元気よくロクバンが言った。たぶん、それがみんなの心を代弁しているのだろう。


 神殿外壁のサイ子の浮彫のうちひとつがこっちを見ている。あれが住居棟のほうを見ているので虫が来ないと言う。たしかに虫よけにはよさそうな顔だ。


 全員が入ると会議室もせまく感じる。文科系の部活みたいだ。イチバンは会議にダイスケを加えたがり、ほかの者も異議を唱えない。いつのまにか一員になっていた。

 大した議題はない。今日も、臼と杵の図面の承認が主な議題だった。ダイスケの話にしたがって餅つきをするが、どうしても臼と杵に代わる道具がなかったので新たに作ることになった。その図面が仕上がってきたので製作にかかるかどうか決めなければならない。

 臼ひとつと杵一本。木工職人と相談して、ぎりぎり二升つける程度の小さい臼にしてもらうことになった。これで一升半ほどつけばいくらサンバンが大食いでもいけるだろう。

 ということでダイスケは承認し、その図面で発注することになった。海苔、餡、きな粉などは直前に用意すればいい。

「では、次の荷が来た時に依頼しましょう」

「あたしがやっとく」

 イチバンがまとめ、サンバンが手をあげた。

 それから『預言の池』まわりの掃除の予定や、本格的に暑くなってきたので体調に気をつけましょうといった注意をイチバンとニバンが行った。ほとんど小学校の「終わりの会」じみてきた。

 話が切れる。ダイスケはいま話そうと手をあげた。

「すみません。いいですか」

「はい、ダイスケ様、どうかしたのですか」

 イチバンが当てる。先生のようだ。

「もう決めておくことがないのなら、話しておきたいことがあります。ゴバンさんには先に言ったのですが、みんなにも」

「ええ、どういった話でしょう?」

「サイ子の姉について。ぼくの元の世界の創造主についてです。ゴバンさん、まだ話してないよね」

 ゴバンはうなずいた。イチバンはみんなに聞く。

「もちろんです。みなさんもいいですか。急ぎの仕事はないですか」

 みんな興味津々で、「いいよー」とか「なーい」と返事をした。


 みんなの注目を集め、ダイスケはミテルに会った話をした。子供を助けて気を失っていた時に会った創造神だ。サイ子の姉にあたり、ダイスケの元の世界を作った。しかし、サイ子と異なり、最初に自然の法則を設計した以外は、放任して勝手に秩序が作られるのを見ているだけという神だった。

 死後のダイスケの魂をさらって自分の世界の点検につかっているサイ子に腹を立てているが、直接仕返しをするつもりはなく、ダイスケにその話をするのが仕返しと言う。意図が分からない点ではサイ子とおなじだった。


「ゴバンは先に聞いてたの?」

 ニバンが言い、ダイスケが答える。ゴバンは考え事をしているのか、下を向いている。

「ロクバンさんの事件の時に、夜中に時間があったんで話をした。ほんとはその日の夕食の後にでも話すつもりだったんだけど、ばたばたしたから」

「姉妹喧嘩よね。これ」

 ロクバンがつぶやいた。なかなかするどい。ダイスケも事の本質はそれ以外ないだろうと考えていた。

「あたしたちの信仰や行動に関係するかしら」

 みんなに向かってニバンがきいた。

「たしかに重大な事実ではあるけれど、直接の影響はなさそうね」

 イチバンが言うとニバンはうなずいた。サンバンが伸びをして言う。

「そうだよね。俗な言い方をすれば、喧嘩を仕掛けたのはサイ様になるけど、そのミテルって姉さんは殴りこんでくるつもりはないんだね」

「サンバン、たとえが低俗すぎます」

 イチバンがたしなめるが、ヨンバンとロクバンはよくわかったらしく、なるほどとうなずいている。


「本当になんの影響もないかしら」

 下を向いたままゴバンが言う。イチバンがきく。

「どういう意味ですか。ゴバン」

「サイ様の姉上の件だけではありません。ダイスケ様が来て以来の出来事、とくにロクバンの事件はわたしたちの信仰のあり方、サイ様との関係を考え直さないといけないと示している気がします」

「気をつけて発言しなさい。わたしたち女官の任務を忘れてはいけませんよ」

「イチバン。やはり毒の件ははっきりさせないといけないのではないでしょうか」

 顔をあげてはっきり言う。ほかの女官たちはふたりの顔を見比べている。ゴバンがニバンのほうを向いて言う。

「ニバンはどう思ってるの? 真相を究明したいって言ってたのはニバンよね」

「わたしは単なる好奇心で言ったのです。ゴバンの言うようなサイ様への信仰や関係を考え直すつもりはありませんでした」

 ニバンが小さな声で答えた。イチバンが冷たく全員に言う。

「みなさん、この話はもう終わっています。それとも、ゴバンとおなじく、いまの信仰のあり方を考え直さないといけないという人はほかにいますか」

 みんな黙っている。イチバンはすこし待った。それから口を開こうとした時、ヨンバンがふるえる声で言った。

「わたしは、信仰に疑問を抱いているのではありません。しかし、毒の件はどうしても納得がいかないのです。それを伺うくらい、なぜいけないのでしょう?」

「そんなことをいまさら言うのですか。サイ様は質問に答えをくれる便利な道具ではありません。神です。創造主です」

「では、なぜあたしにあんな苦しい体験をさせたのでしょうか」

 ロクバンが静かに言う。

「それは……。ロクバンはひどい体験をしました。理不尽な仕打ちに思えるかもしれません。でも、その理由を問い詰めるような真似はしてはいけません。ちょうど、馬にはさまれたあの子とおなじです。神に対して、なぜ、は無用な言葉です」

 それだけ言って、イチバンはみんなを見回し、こんどは感情を隠さず話した。

「みなさんは、サイ様への信仰が揺らいでいるのですか。これは試練です。ダイスケ様は試練の子なのです。疑念を抱いてはいけません。出来事のひとつひとつがわたくしたちの信仰を試しているのです」

 それからダイスケのほうを向く。

「あなたは、なぜこんなにもわたくしたちを試し、苦しめるのですか。異世界からきた方。サイ様はおつくりになった世界を点検するためにあなたを遣わしたと言いますが、わたくしたちはサイ様の世界でじゅうぶん幸せに暮らしております。この世界におかしなところなどございません」

 ダイスケはイチバンの目を正面からのぞきこんだ。濁りのない目。澄んだ目をしていた。

「お願いです。苦しめないでください」

 どう答えればいいのだろう。いや、どう答えるかなど考えずに、自分の思いをそのまま言おう。


「ぼくは、みなさんをもっと苦しめるでしょう。ぼくの生まれ育った世界には神はいません。一部にまじめに信仰している人々はいますが、もはや主流ではありません。ミテルみたいな創造神がいることはこうなって初めて知りました。ぼくの元の世界では、なんでも疑って問い、答えを探します。答えが見つかったと思っても、たいていそれは次の問いの発端にすぎません」

 みんな真剣にダイスケの言葉をきいている。

「ぼくはずっと問い続けるのが当たり前の世界出身です。ここでもその生き方しかできません」


 息をつく。


「だから、サイ子にききたい。『なぜ?』と問いたいのです。犯人捜しをしたり、罰をあたえたいのではありません。創造神にそんなまねはできないでしょう。でも知りたい。それだけです」

「この世界を創造した神に対して、行為の理由を知りたいと言うのですか」

「ええ、その通りです。お願いです。あなたの助けが必要です」

 イチバンは目をそらす。

「すこし、考えさせてください」

「すこしではなく、時間をかけてしっかり考えてください」

 ダイスケはほかの女官たちを見回す。

「みんなも、よく考えてほしい。信仰と、『なぜ?』と問うことが両立するかどうか。答えによっては、ゴバンさんの言った通り、大きな変化が始まるかもしれないから」


 ダイスケは会議室を出た。みんなもばらばらに出た。静かに毎日の作業を始めたが、頭のなかはダイスケの問いでいっぱいだった。

 ダイスケは部屋にもどり、いままでのメモを読み返してみた。会議の時は言わなかったが、これこそがミテルの仕返しかもしれない。ダイスケを通じてサイ子への信仰を揺るがせる。創造主が被造物から反抗される。


「よろしいですか」

 イチバンが開けっ放しの入り口に立っていた。どうぞと手招きする。すべるように入り、扉を閉めた。

「決心しました」

 ダイスケは黙っている。

「お伺いを立てましょう。サイ様にわれらの疑念を晴らしていただきましょう」

「あなたはまだ迷っています。もっと考えるべきです」

「いいえ、迷ってなどいません」

「では、なぜ下を向いたままなのですか。イチバンさん。あなたは人の目をまっすぐ見てものを言う人です。いまおっしゃったこと、ぼくの目を見てもういちど言えますか」

「ほんとうにあなたはひどい人です。なぜそのようにわたくしを苦しめるのですか」

 イチバンは部屋の隅に視線をやったまま、吐き出すように言った。

「今日はぼくのステータスのうち、魅力がかなり高く、知性もそんなに低くないからです。ぼくは本来女性に対してこんなに雄弁な人間ではなかった。元の世界では口下手で人付き合いを避けていました」

 イチバンがダイスケのほうを見た。目は合わせない。

「でも、サイ子がステータスをいじるようになって、心のなかを表にあらわすのに抵抗がなくなってきたんです。いくら低くても零ではない値がある。それで、ぼくは自分の考えをまわりに言えるようになりました」

 ダイスケは目をそらせるイチバンをのぞきこむ。

「さあ、ぼくを見てください。サイ子に伺いを立てますか」

 ふたりの目が合う。

「はい。そうしましょう」

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