十四 ダイスケの提案
日がほとんど落ち、『預言の池』の天井の穴から見える空は赤い。
女官六人全員が池の前にならんだ。供物として炊飯と鶏の水炊きの準備が整っている。
ニバンが大げさに腰に手を伸ばす。水スクリーンが立ち上がる音の後、顔をあげたダイスケをサイ子がじっと見ていた。
「どうした、ダイスケ。なにか言うことはないのか」
「全部知っているはずだ。おれを観察しているんだろ。すぐ答えてほしい。だが、その前にロクバンさんに謝罪しろ」
「いえ、ダイスケ様、それは求めません。謝罪は不要です」
ロクバンがあわてて言い、額を床にこすりつけんばかりにしてサイ子を拝した。
「わかった。毒壺の件はこれから説明する。しかし、ロクバンが被害にあったのはわたしの計画の一部だ」
「謝罪はしないと言うのか」
「おまえたち人間が言うような意味で謝るつもりはない」
「では、まずは説明しろ」
ダイスケだけが立っている。女官たちは膝をつくか、ロクバンのように頭を垂れて拝している。
「できるだけ人間の言葉や概念にして説明するが、毒と解毒剤を深海に置き、引き揚げさせたのは実験のためだ。人間は教えた技術をどのくらいの正確さで実行できるか、そして注意深さは、愚かさはどうか。そう言うことを知りたかった」
ダイスケは続けろと目でうながした。
サイ子は人間が神託で伝えた技術を正確に再現するのを見てきたが、その限界が知りたくなった。そこでいままで経験がなく、かつ、高度で多数の人々の協力なくしては実現しない技術として深海作業を教えた。するとこれもきちんと運用した。
ならば、その技術から得たものを注意深く扱えるかどうか知りたくなった。これまでも遺物の形でものをばらまき、その流通の速度や到達する範囲を調べていたが、意味不明の文字の書かれた見たことのない品物ならどう対応するか知りたくなった。
ちょうどダイスケを投下したところだったので、ダイスケの記憶から読み取った言葉を使った。
中身は危険な毒と、その解毒剤、取り扱い上の注意を一組にした。サイ子としては、突然上がってきた見慣れないものは用心深く扱うだろうと想定していた。そのうちにうわさがひろまり、ダイスケが読み取って正しく対処するというのが初期の想定だった。
ところが、流通の途中で取り扱い上の注意事項を書いた陶片をなくし、あちらこちらの港をさまよったあげくにオオカゼ町についた。それからは知っての通り、あの事件を引き起こした。
「だからダイスケのところにたどり着いたのは想定通りともいえるが、それ以外の人間の対応にはあきれたぞ。教えた技術はつかうが、それがもたらすものにはおそろしく無頓着だな。この結果は今後神託を与える際の参考になった」
「毒でないといけなかったのか」
「もちろん。技術がもたらすものはよいものばかりではないと示さなければならない。教訓も兼ねている」
「死人が出たかもしれないんだぞ」
「それが? わたしの被造物だ。ダイスケ、おまえなにか勘違いしていないか。わたしが人の姿を取っているからと言って、人とおなじ倫理観を持っているとでも思ったか」
「悪魔め」
「前にもそう言ったな。その言葉には意味はない。神も悪魔もおなじものだ。能力も行動も変わらない」
「もう、およしになってください!」
イチバンが叫んだ。
「ダイスケ様、控えてください。やはり、サイ様に『なぜ?』などと問うべきではありません」
ダイスケも、サイ子も、ほかの女官たちもイチバンを見ている。
「サイ様、お許しください。神に対して行為の理由を伺うべきではありませんでした。わたくしの迷いから出たものです。罰はわたくしのみに与えてくださいますよう」
「いや、おまえのみの責任ではない。ここの全員の責任だ。しかし、罰をあたえるつもりはない。人間は愚かなものだと言う教訓を胸に生きていけばいい」
「神だって愚かだろう。おまえはとくに!」
ダイスケが指さしてどなった。
「世界の基礎はミテルのコピー、神託と称して世界に干渉する。結果は言われたことのみを実行する人間ができただけだ。おれの元の世界には多少混乱はあるが自分たちで作った秩序があった」
「ダイスケ様、やめてください」
イチバンが腕に取りすがり、女官たちもそうした。
「ここはどうだ。困ったことがあったら神託だ。その通りにするだけ。おかげで世界ができてからたった四十五年でここまでになったが、なにかうわっついた文明じゃないか。この世界は人の暮らす家じゃなくて、なにかの工場みたいだ。そう、おまえは創造主じゃなくて工場主みたいなもんだ。違うか?」
「言ってくれるな」
サイ子はダイスケをにらむが、そのうちに涙が頬を伝った。女官たちはその場に座り込んでしまい、泣く神を呆然と見ている。
「わたしは姉を越えられないのか」
「いまのところは無理だ」
「いまのところ?」
「おまえには欠けているものがある。世界の欠点と言うより、おまえの欠点だが、おなじことかもな」
「なんだ」
「悩んだり、苦しんだりすることを避けようとしてるだろう。なんでも神託を与えるのが証拠だ。答えを探させるんじゃなく、即答えを与えてる。それで、だれも悩まない、苦しまない世界ができた」
「それがなぜ欠点になる。それに、姉は悩み、苦しんでいるのか」
「神だろうと人間だろうと、自分の頭で考えないやつは愚か者だ。おまえの姉さんについてはくわしく知らないけど、いまの放任主義になるまではいろいろあったんじゃないか」
サイ子は揺らめく水スクリーンのなかで頬をこすって涙を拭いた。
「どうすればいい?」
「すぐ答えを求めるな。考えろ」
「まさか、人間に説教されるとはな」
「おれの魂はおまえじゃなく、おまえの姉さんが作ったものだ。姉さんに説教されてると考えてみろ」
「前から姉はきらいだった。ダイスケ、おまえもだ」
「おれもおまえがきらいだ。おれをここに投下した頃から。でも、どうすればいいかについて、ひとつ提案がある」
「きこう」
「神託を控えめにしたらどうだ」
「人間たちが混乱するぞ。生活が成り立たない」
「急にじゃない。すこしずつ減らす。それに、いままで四十五年分の質問と答えがある」
ゆっくり時間をかけ、ダイスケは神託の問答データベースの構築を提案した。現在各地の神殿とその担当地域でばらばらになっている過去の問答を相互に参照できるようにする。
集めてきた質問は神託を伺う前に、神殿の水スクリーンで問答を引き出して回答する。
いままでは自分の地域のみの過去問なので範囲が狭かったが、全地域の全神殿の答えともなればほとんど神託に頼らなくなるのではないか。
また、新しい問題も即座に共有されるので一度答えた質問には二度と答えなくてもいい。
「つまり、おまえの仕事も楽になるぞ、サイ子」
「しかし、それでは結局答えを与えているという状況は変わらないではないか」
「そう、だからこれからは神託を与える前にどのような答えを考えているかきくんだ。それでよければそのままそれを答えとする。だめなら修正案を与える。なにも考えていない者には答えも与えない」
「つまり、自分で調べさせ、無ければ答えを考えさせる。わたしはそれへの審査と助言をするだけか」
「そう。それが手始め。そうやって自分で考えるようにさせたらどうかな」
「神殿や収納倉庫にある過去問を全部連結するのか。大変な作業だぞ。それに、人々に新しい習慣を身につけさせないといけない」
「やるやらないはまかせる。これはあくまでおれの提案だ」
「考えてみよう。ところで……」
いい香りがただよってくる。しかし、すこし強く匂い気味だ。
「そうだな。煮詰まったか。いいよ、だし汁足しとくから。おこげも嫌いじゃない」
「じゃあな。提案ありがとう」
「『ありがとう』って言えるのか」
サイ子は消え、水スクリーンは崩れた。女官たちはまだ事態の整理がつかないようだが、目の前の料理がとりあえずいますべき作業となり、六人は機械のように働いている。この神託の意味が胸の奥に落ちるのはもっと後だろうとダイスケは思った。ただし、イチバンはもう打ちのめされている。
味の濃い水炊きをだし汁でうすめて食べ、おこげのご飯を雑炊にして夕食は静かに終わった。食事中は、みんなわざと神託を話題にしなかったが、会話ははずまなかった。
「これから、サイ様とのかかわりは大きく変わりますね」
ゴバンが茶を飲みながらついに神託について話した。
「そう、ゴバンの言った通りになった。まずは自分で考えてから、か」
サンバンはぼうっと天井を眺めている。ニバンがサンバンとおなじあたりを見ながら言う。
「あたしたちだけじゃない。全世界の神殿でみんなこうなるんだよ」
「データベースって、なに?」
ロクバンがきいたが、だれも答えないのでダイスケが教える。
「情報をある規則に基づいて整理した集まりのことだよ。いまは神託の問答を集める。きちんと系統立てて集めるから検索もしやすくなる」
「ダイスケ様はなんでそんなこと知ってるの?」
「学校で習った」
「学校で教える人はどこで習ったの?」
「学校で教える人を教える学校がある。もっとたどっていけばデータベースの考え方を発想した人々がいる。神様に教えてもらったんじゃないよ。ロクバンさん」
「それじゃ、暮らしを成り立たせるためにあれもこれも全部自分たちで考えたんだね」
(午前中、その話はしたよね)
ヨンバンが微笑んでいるが、疲れたような表情もまじっている。イチバンをちらりと見た。
「どうしたの? イチバン。ずっとしゃべらないけど」
「うん、どうなるのかわからない。こんなに頭をつかったのは生まれて初めてかもしれない。ダイスケ、あなたはこの世界をどうしたいの?」
ダイスケ以外のみんなは驚いてイチバンを見た。
「そのほうがずっといい。『様』はいらない」
テーブル越しにイチバンの手に触れた。びくっと震える。
「ぼくは、ぼくの生き方しかできない。『なぜ?』って問い続ける生き方。そのせいでみんなや、ここの人々の暮らしや考え方を全部ひっくり返すと思う。ぼくは破壊者になる」
イチバンは小さくうなずいている。ダイスケから目をそらさない。
「それが気に入らなかったら、君に殺してほしい」
「わかった。そうする。でも、破壊は目的ではないでしょう。手段ですよね」
「そう。それは約束する。ぼくは、みんなが自分で考える世界を作りたい」
「この世界を、ダイスケの元の世界とおなじにしたいのですか」
「いや、それはできない。もうみんなサイ子の存在は知ってるし。神なんかいないのが当然だった元の世界のようにはできない。神様はいて、助言は下さるけれども、まずは自分で考えなくちゃならない世界かな」
「どんなふうになるでしょうね」
「さあ。でも、混乱はまちがいない。たとえばだけど、犯罪を取り締まったり捜査する仕組みを早く作らないと、悪事が割に合うようになるよ」
ニバンがきっとダイスケをにらんだ。
「そんな重大なことを人々に相談もせず決めたんですね」
「相談したって決まらない。サイ子の実験でも明らかになっただろ。どうせ自分の頭で考えない人たちなんだから。みんな現状維持を選ぶはず」
「よくもそんな」
「ニバンさん。君が怒るのは自分の頭で考えたからだ。それでいい。新しい世界を作るんだ。気に入らなかったらぼくを殺せ。それでなかったことにしろ」
「でも、もういままでのように無条件に神託は下らない」
「だから問答データベースの提案をした。いきなり答えは無くならない。新しい問題も過去の似たような状況を参考にすればいい」
「ダイスケは卑怯だ。殺せ殺せって、できないと思って言ってるだろ」
サンバンが腕を組んで目を細めている。
「いいえ、サンバン。わたくしはできます。ダイスケが単にこの世界を破壊するだけのつもりなら、わたくしが手を下します」
そう言うイチバンをゴバンが憐れむような眼で見ていた。
「すぐにでも人々に知らせないといけませんね」
ヨンバンが冷静に話した。
「それはサイ様の方針変更と伝えればいい。そうですね。ダイスケ」
ニバンが言い、ダイスケはうなずいた。人々が自分の頭で考え、自分たちの社会のかじ取りを自分たちでするようになるまでどのくらいかかるだろうか。
ダイスケはもう、問答データベースの使用制限や閉鎖も考えていた。
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