十二 ロクバンの成長

 ダイスケが馬に乗った記憶は、子供のころの観光農場での乗馬体験だけだった。それが唯一の経験だった。

 サンバンに手伝ってもらいながら鞍にまたがる。思ったより高く、馬の首筋は汗でじっとり濡れていた。それに体臭がかなりある。

 ヨンバンとゴバンが見送りに出てきた。月が出ていて明るいが、夜の山道で馬を駆けさせて大丈夫かどうか、ダイスケには見当もつかない。まあ、登ってきたんだからなんとかなるだろう。それに、暗くて見えないほうが怖くない。

「しっかりつかまってて、急ぎますよ」

 うしろから耳元で大声を出された。山を下りながら神託についてくわしくきこうとしたが、下手に口を開くと舌を噛みそうなのでおとなしくしていた。

 ふもと近くで空が明るくなってきた。とにかく無事に下山した。山道から村のなだらかな道になる。

「イチバンとニバンは先に町に向かっています。これから馬を替えます」

 ダイスケはうなずくことしかできなかった。前は馬の首、うしろにサンバン。山道で揺られ、体温で蒸されている。それに股間がすれるが、全部がまんだ。肉体も精神も耐久力は低いが、ロクバンの命がかかっている。

 気を失ったって、馬にくくりつけてでもサンバンが連れて行ってくれる。港に着けばなんとかなるだろう。

 そう覚悟を決めると気楽になった。

 村では村長とエト家の男性が待っていた。ダイスケは軽く挨拶をし、水を一杯飲んでサンバンと替えの馬にまたがった。


 村と田畑をまっすぐ突き抜けて海に向かう。町の家並みが見えてきたころ、夜が明けはじめた。町には二階建て以上の建物もあり、日が屋根に反射している。その向こうには海が輝いている。風はなく、まだ大半の住民が寝ている町に蹄の音がやけに大きく響く。

 町を抜けていき、港に向かってまっすぐ早足で進む。土を押し固めた道だが、交差点や曲がり角は石を敷いて補強してあった。真ん中には排水溝が掘ってあり、屑や馬糞を流している。

 両脇の家は木と石で作られている。町の真ん中に行くにつれ石の割合が多くなり、また、二階建てが増えてくる。三階建てもあったが、そういう建物の地上階は店やなにかの施設になっていた。

 早起きなのか、朝帰りなのか、ときどきすれちがう人たちは女官と若い男という二人連れを振り返って見送った。馬の上では首飾りがよく見えないのだろう。

 港に近づくにしたがって、潮の香りがするようになり、波の音がきこえてきた。船の帆柱が家々の間に見え隠れし、だんだん見えている時間が長くなる。海からの風が頬をなでるようになった。

 港の区域に入る前に馬を降り、繋ぎ場に預けた。


「ここらへんで待ち合わせのはずなんだけど」

 サンバンが周りを見回している。ダイスケはがたがたになった体中をもんでいた。

「おはようございます。急ぎましょう」

 イチバンがふたりのうしろから現れた。

「見つかった?」

 すぐにサンバンがきくが、イチバンは首を振った。

「荷をあげた船はもう出港しています。倉庫にニバンがいます。とにかく読めない字の品物は全部べつにしてもらっていますが、それらしいのはありません」

「すぐ行こう」

 三人は倉庫に向かった。二階建てほどの大型の長方形をした建物だ。海側とその反対の道側が短辺になっていて、大きく開くようになっている。木箱が積まれ、詰め物の藁屑がそこらに散っている。ニバンは海側でひとつひとつ確認していた。手持ちの灯りがふらふら揺れている。

「サンバンと、ダイスケ様が来ました。いっしょに探しましょう」

 ニバンは返事代わりに灯りを振った。

「読めない字といっても、ここの人たちが読めないってだけで、ほとんどすべてこっちの世界の字だった」

「ロクバンさんはもう関節が腫れあがってます。急ぎましょう。まだ見てない分は?」

「あちら側半分」

 ニバンは手を振って道側の半分を指した。

「ここにあるのは確実?」

 ダイスケが念を押した。

「荷の詰め替えとかはしてないし、ロクバンの頼みを覚えてる人がいて、十一個壺の入った箱はどこかにあるはずだって言ってたから。ここにあるはず」

「どこかにあるはずって……荷の記録とかは?」

「これからつけるところだったの。でも、だからこそ荷は全部この倉庫一か所に集まってる。ほかへは行ってない」


 なんてやり方だと、ダイスケは思ったが、サイ子がいて神託があるここでは荷を抜くような計画的犯罪は不可能なのだと理解した。それならとにかく早く荷をあげて船を出港させたほうがいい。整理は後からだってできるのだから。そういう仕事のやり方なのだろう。


「サイ子はどこにあるか言わなかったの?」

 ダイスケはイチバンたちとともに荷をあらためながらきいた。自分の読める字を探せばいい。

「この倉庫にあるとしかおっしゃいませんでした」

 イチバンが答えた。

「ダイスケ様の幸運でなんとかならない?」 サンバンが荷積みの奥の方へもぐっていく。

「幸運って言っても吉になりやすさのことだから。指さしてそこってわかるわけじゃない」

「じゃあ、右半分か左半分か教えて」

 ニバンが大声で言う。

(あっ、そうか。その手があったか。すくなくとも五十パーセント以上にはなるはずだよな。いや、なるのかな。まあいいっ!)

「ええいっ、右」

「それからぁ?」

「うーん、手前側」

「じゃ、みんなで集中して探そう」

 まずは探す範囲を四分の一に絞った。いや、本当に絞れているのか。あてずっぽうよりは割がいいはずだが、いまの知性ではすぐ検証できない。


 高くなった日が開け放った倉庫の天窓から差し込み、灯りがいらなくなるころ、その木箱が見つかった。一部が腐りかけており、取り切れなかった海藻の根や貝がまだくっついていた。両手で抱えられるほどの大きさで、薄くなった黒い字で『毒』『危』『解毒剤同梱』と書かれていた。字の意味を説明する。緊張した顔のままで、まだだれも喜ばない。

「注意して。五つは毒だ」

 木箱をそっと海岸に運び出し、人払いをし、風上側から息を止めて開けた。あれとおなじ毒壺が五個、細身の壺が六個入っていた。見た感じではひびなど破損はない。

「回収しましょう。念入りに梱包しないと」

 イチバンがほうっと息を吐く。

 ニバンが荷主の代表と倉庫の管理人に話をしている。

「なんでもいいのでこういう字の荷があったらうかつに触らずに連絡ください。直線的で角ばっているのが特徴です。それと、交易船はこれをどこで手に入れたと言っていましたか」

 それによると、海外の町では最近神託によって進んだ技術をつかい、いままでより深い海の底からの遺物引き上げができるようになった。それであがってきた第一号だと言う。

「と、言うことは、こういうのがそこら中にあるわけじゃないようね」

 安心した顔でニバンも梱包を手伝っている。ふつうの壊れ物の荷物より厳重に、壺がわずかでも動かないように紙でくるんで藁屑を詰めた。それから古い木箱ごと新しい木箱に入れた。

 念のために神託で確認しようかとニバンが言ったが、時間がないので行わず、すぐに帰ることとなった。動物実験も行わない。鶏は即死だったし、それ以上の大きさの動物を連れてきて安全を確保したうえで実験を行っている時間ももったいなかった。

「昨夜の神託があるのですから、無駄な時間を費やすのはやめましょう」

 そうイチバンに言われると、ダイスケも実験を強く主張できなかった。


 イチバンの馬に木箱を固定し、ニバンが先頭、サンバンとダイスケが後ろからはさむように隊列を組んで帰る。距離はじゅうぶんにおき、走らず、早足にした。

 町や村は完全に避けていきたかったが、極端に遠回りになるので人ごみのない外側を回っていくのにとどめた。それでも行きより長い道のりになる。あせりはあるがやむを得ない。これだけの数の壺が割れたらと考えると真ん中を通っていくわけにはいかない。

 帰りの汗は冷や汗がまじっている。海からの風が追い風になって心地いいが、いまはのんびりしていられない。だれも口をきかなかった。

 村でまた馬を替え、山に入る。町の道を知ってしまうと山道はがたがたしており、ひやりとさせられるのも一度や二度ではなかった。

 日が傾き、そこらじゅうが茜色に染まっている。足元が見えなくなりかけたころ、神殿の明かりが目に入った。

 馬をつなぐのももどかしく、厳重にしばった荷をほどくのにてこずりながら、急いで、しかし慎重に木箱を住居棟の風下側に運んだ。手伝いたちに触ってはいけないが風上から監視しておくように言いつける。

 そこから解毒剤を一壺取り出してロクバンの部屋に行く。ダイスケも壺の字を見て『解毒』とあるのを再確認した。やはり蓋はなく、毒壺とおなじつかいかたをするようだった。


 ヨンバンとゴバンは枕もとで血の気がない顔をして見守っている。ロクバンはそれよりもっとひどい紙のような肌だ。しかし、のどと関節だけは赤黒くふくれ、ざらざらした呼吸音に痛みからくるうめきがまじっている。

 しかし、それを見てダイスケはうれしかった。最悪の事態にはなっていない。

 ニバンが窓を閉め、イチバンが枕もとで壺を割った。黄色い濃い煙がロクバンの上半身を包む。そこから呼吸音がきこえてくる。吸い込んでいるようだ。

 窓を閉め切っていても、すきまなどから入ってくる風で散らされ、煙は薄くなり、やがて消えてしまった。そして、ロクバンのうめきも消えた。まだ呼吸音は荒く、関節はふくらんだままだが、一呼吸ごとに頬に血の気が戻っているように見える。気のせいかもしれないが、すくなくとも真っ白ではない。

「いいほうに向かっているんでしょうか」

 ゴバンが言うが、イチバンは首を振った。

「まだわかりません。しばらくこのまま交替で見守りましょう。それと、あの木箱の保管場所を決めないと」

 部屋の全員が息をついた。ニバンがまた窓を半開きにしたので、夜風が静かに入ってきた。


 ロクバンのところには手伝いをひとり残し、全員食堂に集まった。だれもが疲労を顔に貼り付けている。それでもこれからの行動の方針を決めておかないといけない。

 ロクバンの意識が不安定なため、神託には当分頼れない。緊急時は村まで降りてお伺いを立てる。

 木箱は雨ざらしにはできないが、かといって毒が煙である以上、密閉された部屋に置くのも危ない。壊してしまったり、海中に投棄するのは無責任だ。手に入れた以上、危険がないように責任をもって保管しなければならない。

 結論として、石造りの箱に入れて神殿そばに埋め、いきさつや解毒剤の保管場所を書いた石碑を建てることとなった。解毒剤はべつに神殿内に厳重に保管する。

 ほかに事件の経緯の説明と注意喚起の文書をミドリ村とオオカゼ町に配布する。深海から引き揚げた荷に、注意文書に記載されたような角ばった判読できない文字があったら取り扱いに注意し、連絡してもらう。


「当面の対処はこれでいいとして、穴掘りと石碑を発注しましょう。文案を考えないと」

「わたしがやりましょう」

 ゴバンが手をあげ、イチバンはうなずいた。

「それが終わって、ロクバンが完全に回復したら、真相の究明ですね。この事件、まったく納得できません。サイ様に伺いたい疑問が山ほどあります」

 ニバンが強い口調で言った。それにはダイスケも同意だった。だが、イチバンは手をあげて注目を求めた。

「みなさん、この件に関して、心にとどめておいてほしいのですが、わたくしたちはサイ様の女官であり、日々祈りを捧げる僕です」

 ニバンとダイスケをじっと見る。

「神託はその信仰篤き者に対してサイ様から与えられるお恵みです。われわれ人間が、その小さな心で理解できない事象を詰問するためにあるのではありません」

 テーブルの全員を見回す。

「よって、本件は壺の封印をもって終了としましょう。あれこれとサイ様にきき、神の御心をわずらわせてはなりません」


 静かだが、強い口調だった。これは提案の形をとっているが、命令だった。言っている内容は正しい。イチバンの態度は神に仕える女官としては当然だった。この世界の人間として、目の前の疑問と信仰のどちらが大切であるか。考えるまでもない。

 だから、ほかの女官たちは沈黙をもって同意をあらわした。ニバンは不満げだが口を開かない。サンバンは腕を組んで目を細めている。ヨンバンは目をつむって眉間にしわを寄せている。ゴバンはなぜか憐れむようにイチバンを見ている。

「ダイスケ様も同意いただけますね」

 イチバンは黒い目でじっと見つめる。ダイスケは、こんな時なのに美しい目だと思った。

「それはロクバンさんしだいです。無事回復すればそれでいいでしょう。でも、もしなにかあったら、ぼくは真相を確かめます。だれがなんと言っても、ひとりでも確かめます」

 ダイスケの目が熱くなった。涙が一筋、頬を伝った。


 看護は継続され、その夜からも引き続き交替でロクバンの看病にあたる。ダイスケは六時間以上寝ないように気をつけていた。まだなにかあるかもしれない。

 解毒されたロクバンは日がたつごとに回復し、三日目の朝には関節の赤黒さと腫れが引き、その夕方にはのどの腫れがおさまった。もう荒れた呼吸音はせず、かためのお粥を食べさせてもらっている。話もできるようになった。

 四日目、文書の配布と穴掘りが完了し、毒壺は地中深く封印された。石碑はまだまだかかる。秋の中ごろになるだろう。それまでは木で仮の札が立てられた。

 六日目、ロクバンはベッドで上体を起こせるようになり、ふつうに炊いたご飯を自分で食べた。翌日の朝、床上げとなり、湯に入った。イチバンはみんなと相談し、看護の態勢を解いた。神殿で感謝の祈りをささげたが、ダイスケは参加しなかった。

 夕食は祝いの膳が用意された。そうはいってもロクバンの体力が完全に回復していないので脂っこい肉類は避け、香草で色を付けたご飯と脂のすくない魚、色鮮やかな野菜の献立で、舌や腹より目と鼻を楽しませるような華やかな食卓になった。

 食後は快気祝いに町と村から届いた菓子が出された。毒壺については神殿に一任するとのことで、次に交易船が来たら今回の事件を教え、深海からの遺物引き上げには注意するよう知らせると伝えてきた。


 ロクバンはあれほどの目にあったのを忘れたかのようにはしゃいで菓子をつまんでいる。今日ばかりはニバンも菓子をゆずっている。

 二杯目の茶をみんなに注いだ後、サンバンがおや、という顔をした。

「なあ、ロクバン。ちょっと立ってもらっていいか」

「なにー?」

 不思議そうな顔をしながら立つ。その横にサンバンがならんで手で頭を軽くおさえる。

「なっ」

「あら、気のせいじゃないのね」

 イチバンがびっくりしている。ほかのみんなもうすうす感づいてはいたが、はっきりと気づいた。口々に話し出す。

「背、伸びたな」

「そうですね。でも、どうして」

 そう言われてみるとたしかに伸びている。六人のなかではまだ一番低いが、初対面の時よりは伸びたかなとダイスケも思った。

「関節や背骨が腫れあがったのと関係してるんじゃないかしら」

 ゴバンが分析し、ニバンがうなずいた。

「そうだね。毒の作用で腫れた部分が、腫れが引いても育ったままになったんじゃないかな」

「背だけじゃないよ」

 ロクバンは胸を突き出す。気づいたダイスケの耳が赤くなった。

「もうすぐサンバン抜かすから」

「それは育ったんじゃない。まだ腫れが残ってるだけですぐしぼむさ」

 サンバンがつついて悪口を言うが、くやしそうだ。

「およしなさい。ダイスケ様が困ってらっしゃいます」

 みんなの陽気さにつられたのか、イチバンがダイスケをからかった。それほどうれしいのだろう。ダイスケも今夜はいくらからかわれてもいいと思った。

「耳真っ赤だ。なんで?」

 サンバンとニバンがロクバンを押してダイスケのとなりに密着させるように座らせた。

「あたし、育ったよね」

「うん、育った育った。認める。だからちょっと離れよう、な」

 ロクバンは離れたが、もう顔中真っ赤になったダイスケをにやにやして見ている。手伝いも含め、みんなが大笑いした。

「ロクバンさんは幸運の子だっていうのきいたけど、納得した。あんな大変な事件でもこんないい結果になるんだから」

 感心したように言った。みんな微笑んでうなずいている。

「見て、ダイスケ様がロクバンを餌付けしてる」

 まだ手をつけていない自分の菓子をロクバンにゆずっているダイスケを見てサンバンがふざけた。またみんな笑う。

 その夜はみんな笑った。疲れるほど笑った。ダイスケは、こういう疲れはいいものだと思いながらぐっすりと眠った。

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