十一 毒

 その声に立ち上がったロクバンの手から壺が滑り落ちたのと、建物の角を曲がろうとしてダイスケが転んだのは同時だった。それを見てびっくりした五人も足を止めた。

 ロクバンの足元で壺が割れ、黒っぽい紫の煙がふきだす。ダイスケはとっさに袖で顔を覆い、息を止めた。幸運にも風があり、また、風上にいたので吸ったり肌にかかったりはまったくしなかった。

 黒紫の煙は軽く、あっという間に散った。

 ロクバンと風下にいた鶏が数羽倒れていた。鶏はけいれんし、あっという間に動かなくなった。

「『毒』だ。もっと早くわかれば……」

 ダイスケは唇をかんだ。また鉄の味がした。


 ロクバンは、気を失ってはいないがもうろうとしていた。呼びかけに反応するときもあればしないときもある。顔色は青く、目が濁っている。みんなで注意深く布でくるみ、部屋に運んで寝かせた。

 ニバンとゴバンが、死んだ鶏のようすや、ロクバンの肌がただれていないことから、吸うと害のある毒なのだろうと見当をつけた。割れた壺の破片は一部がきれいに磨き終わっており、『毒』と『危』の字が浮かんでいた。


「……いいえ、お伺いは立てられません。ここでは」

「なんで?」

 ロクバンの部屋に全員集まっている。そこで神託の準備を急かすダイスケにイチバンが答えた。

「神託は、その場にいる全員がそろわないといけません。ロクバンもいまは意識がある以上、立ち会わなければなりません」

「でも、祈れないじゃないか」

「その通りです。意識はあるのに祈れない。女官全員がそろわない。神託をきけません」

「その場って、どのくらいの範囲?」

「わからない。そんなの試したことがないから。いままでは試す意味もなかったし」

 ニバンが答えた。ダイスケは髪をかきむしる。もっと早くわかっていれば。あの時おどかすような大声で呼びかけなければ。

「とにかく、村なら神託がきける」

「そうですね。迷ってはいられません。わたしとニバン、サンバンは村に降りてお伺いを立てます。結果はサンバンが折り返し知らせます。それから次の行動に移りましょう」

 全員即準備にかかった。出発前、イチバンはダイスケに言う。

「すみませんが、六時間以上の睡眠はとらないでください。ダイスケ様の幸運は十二。最高値です。それが必要になるかもしれません」

「わかった。寝て全部ぱっとしないステータスになったら大変だしな。それにどうせ寝られないし」

「いえ、疲れを取る程度の睡眠は取ってください。これはみんなもよ。神託によってはどんな行動をとることになるかわからない。なにがあってもすぐ動けるようにしておいて」

 もう日が傾きかけている中、灯りを持って三人は下山していった。


 ロクバンは水をすこし飲んで眠っているが、息をするたびにのどからざらざら音がするようになった。

「腫れてきたようなの」

 食堂でヨンバンが心配そうにふたりに告げた。手伝いたちと交替でようすを見ている。テーブルには好きな時につまめるようおにぎりと漬物が用意され、ふきんがかけてあった。ダイスケは頭を絞って事態を整理していたがまとまらない。

 いま最優先で行うことはロクバンの治療だ。それはまちがいない。

 しかし、なぜだ。なぜ漢字で『毒』と書かれた壺がこの世界にある。あと十一個も。いや、場合によってはもっと。そもそも『毒』、『危』と書いた理由はなんだ。

 用心しながら壺の破片をすべて集めた。鶏にかがせてみたが、もう害はないようだった。念入りにこすったが、それ以上の字は見つけられなかった。さらによく調べると、小さい穴をふさいだ跡があり、そこから液体を入れて封をしたらしい。でも、だれがなんでそんな細工をしたんだ。

 いらいらする。考えをまとめるだけの落ち着きも得られない。せめて人なみの知性があれば、心の強さがあればいいのに、いま頼りになるのはステータスのなかでは一番つかみどころのない幸運だけだ。

「ダイスケ様、休んでください」

 心配そうにゴバンが言い、ダイスケはうなずいた。みんなで交替で眠り、ロクバンを見守らないといけない。休む時はあれこれ言わずに休もう。

「起こすの忘れないでください」

「ええ、今日は星も月も出ています。振り直しになる前に起こします」


 なかなか眠れなかったが、寝たと思ったらゴバンに起こされた。なにがあってもいいように、サンダルではなくブーツを履き、首飾りを持った。ロクバンの部屋へ歩きながらきく。

「ようすは?」

「よくありません。のどだけでなく、手足の関節と背骨が腫れてきました。いまは横向けに寝かせていますが、かなり痛がっています」

 部屋に入ると、手伝いがお辞儀をした。そのままと合図する。左を下にしたロクバンは窓のほうを向いている。息をするたびに雑音がきこえてくる。掛け布団から出ている右腕の関節が見た目にはっきりわかるほど腫れていた。ときどき痛みにうめいている。

「なにか口に入れた?」

「ヨンバンが湯冷ましをすこし」

 後をお願いしますと言うように手伝いに礼をしてゴバンと食堂に降りた。


「サンバンさんはまだかな」

「たぶん、いま神託が下ったくらいでしょう。それから馬を借りて戻ってくるとして日の出前でしょうか」

「ゴバンさん、きいてもいいかな」

「ええ」

「町で見た変な木箱、どこから来たのかわかる?」

「いいえ、いつもの交易船が持ち込んだ荷ですから、途中のどこで手に入れたかまではわかりません。気になるのですか」

「うん。ぼくの元の世界の字だから。ここにないはずのものがある。サイ子かミテルか、どっちがからんでいるのか。いまのぼくには推測もできない」

 ゴバンは口に手を当てている。話にきいていても、サイ様を神聖名で呼ぶのをきくと畏れるのだろう。それでも、もうひとりの名をきき逃さなかった。


「ミテル、とは?」

「サイ子の姉。ぼくの元世界の創造主」

 ダイスケは気絶していた時の体験を話した。そこで言われた『仕返し』が気になっているとも付け加える。ゴバンは「ジャージ」とか「こたつ」といった不明な単語についてところどころで質問を入れ、話は思ったより長くなった。

「そうですね。それは気になりますね。ほかの者にも話してよろしいですか」

「もちろん。本当は夕食後にでもぼくから話すつもりだったし」

 ゴバンは考えている。

「その『仕返し』ですが、ダイスケ様に事情を話すことがそうだと言っていたんですね。それに、よその世界の事象を直接いじりたくはないとも」

「そう。だからつじつまが合わない。もっとも、ミテルがつねに真実を言ってる保証もないけど」

「ええ、けれど、それを考え始めるときりがないので、とりあえず創造主はみんな真実を話していると仮定してはいかがでしょう」

「そうだね。そうだ」


 まだ引っかかるものがあるが、いまのダイスケはそれをうまくまとめて考えられない。クリップボードにメモを取りながら冷えたおにぎりをつまんだ。食べたくなくてもイチバンの言うとおり、すぐに行動できるようにしておかなくてはならない。ゴバンが湯を持ってきて茶を入れてくれる。

「ありがとう。ふたりも食べた?」

「もちろん。イチバンの指示通りにしています。わたしもヨンバンと交替で休みましたからご心配なく」

「みんな、イチバンさんを頼りにしてるんだな」

「そうです。女官には序列はありませんが、イチバンはみんなが信頼しています」

「ここの女官は全員おなじ年の生まれって聞いたけど、神殿に来たのもいっしょなの?」

 ただ待っているだけなのはつらい。なにか関係ない話で気をまぎらわそうと思って聞いてみた。

「ええ、そうです。おなじころに神託で選ばれ、基礎教育を受けてから赴任する神殿を指示されます。あとは移動時間だけで到着にわずかな差がでますが、みんな平等です。先輩後輩の差もありません」

「じゃあ、みんなの前の女官はどうなったの。先代の人たちは?」

「さまざまな理由でひとりでも女官を務められなくなったら次に引き継いで全員いっせいに引退です。結婚とか死亡とかですね」

「いっせいに交代するのか。たしかにそれじゃ序列ができないわけだ」

「それでも、それぞれに性格や個性の差はありますからね。イチバンは人をまとめる才能があるのでしょう。わたしはあの人を尊敬しています」

 ゴバンはそう言いながらも眉をひそめたのを、ダイスケは見逃さなかった。

「どうしたの。なにか心配?」

「ええ。こう言っていいのかわかりませんが、あの方は自分を殺しすぎます」

 そう言った後、言い過ぎたかという顔をしたが、ダイスケはもっと聞きたいと思い、さらに質問する。

「どういう意味?」

「サイ様につかえ、神託を受けると言う女官の任務を人生のすべてととらえています。それは一面では正しいのですが、わたしはそれだけではないと思います」

「ゴバンさんはどう思ってるの?」

「わたしは、あの、ええと、……ちょっとしゃべりすぎではないですか。わたしごときが神のお遣わしにご無礼では?」

 ダイスケは首を振って先をうながす。

「わたしは……」

 馬がかけてくる音がした。ふたりとも耳をそばだてる。


「いま帰りました」

 サンバンが大声で入ってきた。ほこりだらけだ。思っていたよりかなり早い。よほどとばしてきたのだろう。手伝いに馬の世話を指示した。ききつけたヨンバンが降りてくる。

 汗もほこりも拭かずに椅子に座る。馬の体臭がする。ヨンバンが白湯を入れたが、一息に飲み干してしまった。

「ロクバンは治る。解毒剤はあるし、吸い込んでしばらくたってからでも効く。でも急がないと、関節が腫れたらあまり時間がないって」

 みんな黙って話の続きを待っている。

「ロクバンの言ってた木箱に毒と解毒剤が一組に入ってたんだ。木箱ごと回収する」

「でも、いまから行ってまだある? 船に積まれて出港していない?」

 心配そうにヨンバンが言う。

「それは大丈夫。サイ様は港の倉庫にあげられたって。でも荷をひとつひとつあらためてなんかいられない。運にも頼りたい。だからダイスケ様にも来てもらう。すぐにあたしと行こう」

「準備はできてる」

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