十 ツイてる勇者と漢字の壺(体力三、知性五、運十二、魅力六)

 翌朝、身支度を済まし、朝食をいただいて村長の家を出た。遠慮したが村長やエト家の人たちが村のはずれまで見送ってくれた。

 朝日に照らされた山に向かって歩き出すが、首飾りが重い。そう感じるような体力で山登りはきついかなと思ったが、馬や荷車を出してもらうのは厚かましい気がしたのでなにも言わず歩くことにした。

 途中で木の枝をひろって杖にした。来た時とちがい、中腹にかかったころには汗が流れだす。前のふたりのほうが荷物が多いのに、ダイスケのほうが疲れたようすだった。

「すこし休憩しましょうか」

 ときどきうしろを気にしていたイチバンが、道のわきが広くなって木陰になっているところを指して言った。荷車がすれちがうところだろうか。

 ダイスケはありがたくうなずいた。

「座ったらだめですよ。小休止だから、立ったままで、汗を拭くだけです」

 ニバンが飲み水の水筒を渡してくれる。

「ありがとう」

 子供のころの遠足でおなじ注意をされたのを思い出した。五分程度の休止では座り込んで体を冷やしてしまってはいけない。

「きょうのステータス、体力はあまり高くないみたい」

 一口だけ、唇を湿すくらいの水を飲んで水筒を返しながら言った。

「帰ったら、だれかが写しといてくれてますよ」

 イチバンも、ニバンもうっすら汗が浮かんでいるだけだ。道に慣れているのもあるだろうが、ダイスケの体力はよほど低い値が出たのだろう。

「さあ、行きましょう」

 息が整ったが足は冷えないちょうどいいところでイチバンが声をかけ、また歩きはじめた。道が整備されていてありがたい。荷車が通れるほどの道なので、きついとはいえ足を取られないのがなによりだった。

 それに加えてありがたく感じるのが、イチバンの気のつかいかただった。今日のステータスは知性も低いのか堪えがきかず、ダイスケはとちゅうでなんども音をあげそうになったが、かならずその前にイチバンが小休止を提案してくれた。ちらりとうしろを見るだけなのになぜわかるのだろう。

 しかし、神殿に帰り着いたのは予定より遅く、昼をだいぶまわっていた。ダイスケはステータスに振り回される自分にひけめを感じていた。


「おかえりー。うわ、すごい汗」

 食堂に入るとサンバンがまず声をかけてきた。みんな挨拶をしあう。奥の初めて見るふたりがゴバンとロクバンなのだろう。イチバンとニバンは荷物を置きに行った。

「大丈夫だった?」

 心配そうにヨンバンが近づいてきて、ステータスを写し取った紙を見せてくれる。書き順を知らない人が単に図形として漢字を写し取ったので読みにくい、しかし意味は取れた。きのうのは無視して今日のを見る。


『体力三、知性五、運十二、魅力六』


(やっぱりな)

 値に納得しながら返事をする。

「心配かけてごめん。寝たら大丈夫なんだけど寝られなくて」

「そうよね。けがして痛いのにぐっすり寝られるわけがないわ」

 ききなれない声が奥からした。そちらに向かって声をかける。

「はじめまして、フルヤダイスケです」

「はじめまして。神の子、いえ、すみません。ダイスケ様。ゴバンと申します。話は伺っております」

 ダイスケとおなじくらいの体格の女官がお辞儀をした。おとなしそうな人だった。

「よろしくお願いします。ダイスケ様。ロクバンです」

 もうひとりのほうも声をかけてきた。やけに幼い声をしている。こちらはかなり小柄な人だった。一瞬、子供がまぎれこんでいるのかと思ったが、みんなおなじ年齢のはずだ。

 紹介しあっていると、そのうちにイチバンとニバンが戻ってきた。

「もうおたがいの紹介は済んだみたいですね。これで女官全員がそろいました」

 イチバンがダイスケを見ながら言った。

「その話でしたらもう考えは決まっています。神のお遣わしにはここにいてもらいましょう。神託も出ていますし」

 ゴバンが先を読んで言い、ロクバンもいきおいよくうなずく。ほかの女官たちも同様にうなずいた。イチバンは面倒な手続きが省けたので良かったと言う顔をしている。

「それでは決まりですね。ダイスケ様にはここにいていただき、われらは神のお遣わしとして待遇します」

(えらくあっさり決まったけど、いいのかな)

 みんなにこにこしている。とくにロクバンは考えや感情を隠さない性格のようで、いっしょにお風呂に入ると言いだした。

(おいおい。そのたびに説明するのか)

 幸い、サンバンとヨンバンが説明してくれ、ロクバンは不満げに納得した。話のようすからすると、もうすでに説明していたようだ。

「でも、いっしょに寝るのはいいんでしょう?」

 ニバンがふきだす。習慣のちがいを乗り越えるのは、ほんとうに困難だ。サンバンがロクバンの頭をぐりぐりしている。

「だからー、それもとっくに説明したはずだろ。何回おなじこと言わせるんだよ」

「ひどいー、サンバンまた頭押さえたー。成長止まっちゃうじゃなーい」

 ほかのみんなはまたか、という顔をしている。

「サンバン、しつこいよ。ロクバンが気にしてることなのに」

 ヨンバンは気づいているのかいないのか、サンバンをたしなめつつ、ロクバンに追撃を加えた。

「気にしてないよー、気にしてないけどー、もうちょっと背がほしいのに、サンバンがばか力で押さえるからー」

「ばかとはなんだ」

「およしなさい。ふざけるのは。サイ様のお遣わしが見てらっしゃるのに」

 怒ったふりをし、さらにロクバンを押さえるサンバンにゴバンが注意した。ダイスケは騒ぎに圧倒されている。口をはさむ隙がまったくない。


 そこで、とりあえずそっと食堂を抜け出し、騒ぎを階下に置き去りにする。部屋に入ると荷物をおいてサンダルに履き替えた。ベッドに腰かけてほうっと息を吐く。窓からの風が心地いい。

 足をもんでいるとイチバンがやってきた。気を遣わせないように静かに抜けだしたはずなのに、この人にはみんなが同時に見えているようだ。

「騒がしくてすみません。お疲れですか」

「いいえ、でも今日は幸運以外が低いので」

 紙を見せながら今日のステータスを説明した。

「まあ、でもしかたないです。サイ様のお考えですから。それよりこのステータスを表す漢字くらいは読めるようになりたいですね」

 それで話は決まった。いまのところ、町や村からの神託の依頼はなかったのでしばらく時間ができる。その間にステータスを読める程度の漢字を教えることになった。


 漢字は形で覚えてもらうしかない。「体力」「知性」「運」「魅力」は表示順を参考にしつつ覚えてもらった。そのあとの漢数字は一、二、三は横棒の数で簡単に理解してもらえたが、四以降でつまづき始めた。一二三四五六七八九十。規則性がまったくない。

「ダイスケ様はこのような字をつかっていたのですか」

 イチバンが驚く。ダイスケは、ほかにひらがな、カタカナ、英数字をまぜて書いていることや、ほかにも外国語があることは、いまは言わないことにした。話をややこしくするだけだ。

「うん、覚えるしかない。規則とか理屈はないよ」

「縦書きなんですね」

 ダイスケの書いた手本を手元に置いてニバンが言った。

「そう、字は上から下に書き、行は右から左に送る。でも横に書いてもまちがいじゃない」

「わたしたちは左から右に書いて、上から下に送るのよ」

 ヨンバンが手本を写しながら言う。サンバンは口をぎゅっと結び、真剣な顔で線を引いている。


 ゴバンが見本をじっと見ている。手は動いていない。ロクバンがそれに気づいた。

「どうしたの? 練習しないの?」

「ねえ、ロクバン。こんなの町で見なかった?」

 みんなが手を止める。ダイスケはゴバンのそばに行った。

「ええっと、あ、ちょっと待ってて」

 ロクバンは食堂から出て行った。ゴバンは目で見送ってから言う。

「ううん、これとおなじじゃないけど、似てた。直線でできた角ばった字。港で、品物見てるときに壺か箱に書いてあったような。よく思い出せない」

「ゴバンさん、字は何種類もあるの?」

「ええ、でもみんな似てるし、ひとつ覚えたらほかのはだいたい見当がつくのですが、港で見たのは初めてで、どの字にも似てないから変だなって思ったんです。ああ、写しておけばよかった」

「ゴバンは書物や古文書が好きで、わたしたちのなかでは一番物知りです。それで品物の入手にはよく出かけてもらいます」

 イチバンが説明する。

「ですので、ゴバンが見たことのない字と言うなら、ほんとうに珍しいものなのでしょう」

「古文書?」

 世界ができて四十五年で古文書とはどういうことだろう? ダイスケは疑問をそのまま口にした。ゴバンがそれに答える。

「はい。この世界を作るときに、サイ様が配置したもので、壺や陶片、木、石、象牙の箱などに刻まれています。サイ様はなにも教えてくれませんが、神託以外の手段によって知識を伝えようとなさったのかもしれません」

「回収はしてないの?」

「以前はしていましたが、解読できてみるとわざわざそうするほどの有用な知識がほとんどないのです。神託で間に合うか、まるで、いまわたしたちがやっているような文字の練習の跡としか思えないほど内容がつかめないものかどちらかです。それでいまでは変わった模様のついた飾り物程度に流通しています。値打ちはありません」


「一個あるよ」

 ダイスケとゴバンの間からロクバンが顔を出した。手に小さい壺を握っている。ちょうどダイスケが歯磨き用の塩を詰めてもらった壺に似ている。

 机に置かれた小壺をみんなじっと見た。かなり長く海底にあったようで、小さな貝や汚れがついている。耳元で振ってみると液体が揺れるような音がした。

「蓋がないんだね」

「うん、割らないと中身が分からない」

 ニバンとサンバンが顔を近づけて見る。指ではじくと、ふつうの壺とおなじ音がした。とくに変わった材質ではないらしい。

「なんで持ってたの?」

 ゴバンがきいた。

「ゴバンがさ、これの入ってた木箱を見て変だなって顔をしたから、頼んで一個もらってきた」

「ほかにあったの?」

「全部で十二個」

「さすがロクバン。幸運の子だね」

 サンバンが感心したように言う。ダイスケがサンバンの顔を見ると、説明してくれる。

「神託で選ばれた時、その理由を言ってくれることがあるんだけど、ロクバンは幸運の子だからって言われたんだ」

 ロクバンの頭をなでる。

「こいつはたしかに運を持ってる。だから品物の入手に行ってもらってる。掘り出し物を見つけるのがうまいんだ。ゴバンの知識、ロクバンの幸運の組み合わせのおかげでめったなものはつかまされない」

 ダイスケは半信半疑だった。神殿の女官とわかって粗悪品をわたす者はいないだろう。


「ねえ、上に彫ってあるの、これ、『三』じゃないかしら?」

 イチバンが爪でがりがりけずり、ななめから光をあてて見ながら言った。

「うん、たしかに『三』だけど、字のバランスがおかしい。これだとほかにも字がありそうだ」

 ダイスケは通し番号かと思ったが、横棒の間隔が妙に狭く、下の余白が開きすぎているのが気になった。

「『三』の下がよくわからないけど、『女』かもしれない」

「ちょっと外でこすってくるよ」

 ロクバンがさっと壺を取って外へ出て行った。ダイスケは唖然とその背中を見送り、ほかのみんなはくすくす笑っている。

「ロクバンはいつもそう。止まらないのよね」

 ダイスケのあきれ具合を代弁するようにニバンがつぶやく。

(感覚のせまい『三』の下にゆがんだ『女』……)

 紙に書き出してみたがわからない。知性がなくても幸運がある。なにかひらめかないか。

「『三・女』ってなに?」

「三番目の娘?」

 サンバンとヨンバンがごちゃごちゃ言っている。イチバンとニバンとゴバンはダイスケの顔と紙を交互に見ている。

「あっ!」

 ダイスケが椅子をけって立ち上がった。

「ロクバンさん!」

 ロクバンは裏で放し飼いをしている鶏のそばにしゃがみ込み、家畜用の硬いブラシで壺をこすっていた。そこにダイスケが駆けていき、うしろからみんなついてきた。大声でどなる。

「壺を置いて! 戻って!」

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