第84話 山田太郎殺人事件 エピローグ 02

「あの人は、そうやって人が犯罪をしていく様を見て楽しむ、愉快犯なんだよ」


 兄はそう教えてくれた。

 そこでようやく気が付いた。

 兄。

 今まで暮らした中でも、兄は一度も、母のことを呼んだことは無い。

 お母さん、だの、ママ、だの、そんな風に母親を呼んだことない。

 面と向かってでは一度もないが、ずっと「あの人」って言っている。

 だからずっと警戒していることは、今更ながら分かった。

 だから母が教唆犯というのは本当なのだろう。

 それを考えれば、過去の事件についても考え直すところはある。


 例えば、私が誘拐されてベビーカーに覚せい剤が入れられた事件。


 あれは運び屋にたまたま利用されただけと考えていた。

 だが、あれは母親に恨みを持った人間が意図的に入れた可能性はないだろうか。

 今思えば、覚せい剤を運ぶのにあんな不確実な方法を取る意味がない。

 であれば、、とも考えられる。


「よく考えれば分かるでしょ? 僕や君のような存在を生んだ女性だよ? その女性の頭が悪いわけがないじゃないか」


 ずっとぼーっとしているような女性。

 それが切れ者だったなんて信じられるか?

 だが、今の状況からはそうだと言えるのだ。

 ……どうしよう。

 そこで私は焦る。

 今でこそ指で会話をしているが、昔は泣き声で会話をしていた。

 何ならメッセージを伝えるためにリズミカルに乳も舐めていた。

 となると、母は気が付いているのではないか?

 私が多大な知識を持っているということを。


「大丈夫だよ」


 唐突に兄はそう言った。


「僕はさっき言ったけど、直感でしか分からない。だから君が思っただろうということを口にしてみるよ。――『あの人に人並み以上の赤ちゃんだってことを知られていないか?』じゃないかな?」


 私は首を縦に動かす。


「それなら大丈夫だよ。だってあの人、つい最近まで君に興味が無かったみたいだから。だから泣き声にメッセージを仕込んでいた件は知らないと思うよ」


 母親が赤ちゃんについて興味がない、というのはどうかと思うが、その節々はあった。

 例えば、とか。


「だけど」


 兄は深刻そうな表情をする。


「最近は明らかにあの人は君に興味を持っている。人並み以上の知識を持っているんじゃないかって気が付いてきている節がある。そうなればあの人のことだ。絶対に碌なことにならない。色んな面で変なことに利用されるだろう」


 ……そういうことか。

 兄は自分の手柄にするために私が推理していたことを伝えなかったのではない。

 好奇な目で見られるのを防いでくれていたのだ。


「君は知識があるけれど、世界を知らない。だから怖さを知らない」


 そして、そういう目に遭うことが判っていたから、兄は無邪気な五歳児の振りをしていたのだ。もしかして既に遭っていたのかもしれない。

 だから、兄の言葉は重い。


「あの人は悪人だ。だが、ここで彼女を告発することは不可能だ。証拠などない。そんなものを残すはずがない。だからあの人の犯行を告げても信用してもらえないし、僕達の立場を悪くするだけだ。五歳児と赤ちゃんじゃ、今のあの人を完全に裁くことは出来ない」


 兄は、ふっ、と短く息を吐く。


「それにさ――


『エ』

「あの人もよねえ……」


 はあ、と大きく溜め息を吐いて、兄は顔を伏せる。


「僕一人だったら経済的だろうがどうとでも生きていけるけど、そんなことを考えた矢先に、ずるいことしたんだよなあ……」


 どういうこと、と訊く前に、兄は私に微笑みかける。


「君だよ、君なんだよ。。その笑顔を見たら――守りたくなったんだよ」


 ……っ。

 何て恥ずかしいことを言う兄だ。顔が赤くなる。

 まさしく、赤ちゃん、だ。

 ……なんでもない。忘れてくれ。

 そんな色んな意味で羞恥に震えている私に、兄は言葉を紡ぎ続ける。


「だから、君がきちんと大きくなるまで――僕が君を養えるようになるまで、僕はあの人を利用し続ける。だからそれまでは、あの人に養われる」


 兄の目が鋭くなる。


「一刻も早く自立できるように僕は頑張る。だから、待っててほしい」


 ……うん。

 私は頷く。

 同時に私は決意する。


 兄は私の為に頑張ってくれる。



 ならば私は、これからは――何があっても兄を信じよう。



 私は兄に付いていく。

 そう決めた。

 兄だけは何があっても裏切らない。

 私は兄と共に行く。


「だからね」


 そこで兄は。

 私を撫でて何よりも安心させる言葉を言ってくれた。




「君のことは僕が絶対守るからね。――僕の

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