第40話 クーデター

 エレベータのドアが静かに開き、制服を着た伊東アイが現れたのだった。巨蟹学園高校の生徒会長のアイ12だ。今までアイ12が時空研に現れた事は一度もない。アイはこのように、基地のゲートで関知せずに突然入って来るので驚かされる。だがインディゴのオーラを放つアイはどんなゲートも関係なくあらわれる。当然だ。彼女の力は人知を超えている。人馬市は騙せても、三百伊東アイ委員会を騙せるわけがない。晶は心の中で動揺したが、顔には出さなかった。

「さっき、私の本国で時空研から異常なエネルギーを検知したわ」

 アイは晶に言った。

「そう」

 時輪ひとみが消えたのは、やはりシャンバラの干渉によるものだったらしい。

「ここに、何故亮とミカが来ているの? ヱンゲージの実験は、中止したはずでしょ」

「少し、ヱルゴールドに接続しただけよ」

「そんな事を私に黙って勝手にやられては困るわ。二人に重大な問題があったからヱンゲージを中止するに至ったのだから。ヱルゴールドをあなた達の私物にされては困る。……どうやら大変なことがあったようね? 随分基地の中が破壊されている」

 アイは周囲を見渡した。これで何事もないとは言えない。

「……」

「時輪ひとみが出現したのね」

「ええ、現れたわ」

 晶は返事する。

「時輪ひとみは、亮のアニマとしての属性を持っている。彼のアニマの実体化なのだから、亮が見入られるのも当然だったわね。ひとみは亮の右目から侵入した。亮のアニマ、アルテミス。ひとみはディモン・スターよ」

 やはりアイはひとみと同じ事を言った。亮がひとみ=アルテミスに惹き付けられるのは当然なのだ。何故ならそれは、アニマつまり自分自身なのだから。

「それと、アストラル波のブラッド・スペクトル分析も中止したわね。どういう事なのかしら? 国防省から分析が上がって来ないという報告があったわ」

「ちょっと、ヱルゴールドの調子が悪くてね」

 晶は苦しい言い訳をする。アイはちらっとヱルゴールドを目視した。

「ヱルゴールドに問題はないわ。どうしてそんな愚かな惚け方をするの」

「…………」

 確かにアイに嘘は着けない。

「どうやら、あなたは私の命令が聞けないようね。その人類の勝手な行動が、セレン計画を潰した。そして、地球を破壊に導いたのよ。まして、一度滅んだ地球を再生し、もう一度再起に賭けようというこの大事な時に、あなたは何も分からずに、ただ自分たちの独断だけで行動しようとする」

 晶は黙って聞いている。

「あなた達が生み出したダークフェンリルは、消えてなんかいないわよ。あなた達は『彼』を解き放ってしまった。ダークフェンリルは、今、チベットから地下のシャンバラへのゲートに侵入しようとして、ゲートキーパーであるメタルドライバーの持つグレイプニールに拘束されて、荒野で雄たけびを上げている。遥かに巨大化してね。ダークフェンリルは時間を経るごとに強大化し、世界を破滅させるでしょう。全て、あなた達の責任よ。宝生晶。残念だけど、あなたにはもうこれ以上、計画を任せておくことはできない。以後、国防省にすべての計画を委譲するわ。宝生晶少佐、この計画からあなたの任を解く。四十八時間以内に、人馬市の軍にここを接収させる。プランBは放棄し、この宇宙は終焉を迎える。すぐに、プランCを発動させる。地球を救うために」

 伊東アイは時空研をこの計画から解雇した。月の女王計画についで、ヱンゲージ計画も破棄、ここは、国防省が没収するという。プランCがどのように行われるのかは分からない。自分たちは平行宇宙の失敗ヴァージョンであり、異東京のようにつぶされることが伊東アイの委員会で決定したことを知って、晶は愕然とした。このまま、滅びるしかない運命が待っているのだ。どうせ、ダークシップがここにも溢れることを、どうやら委員会は予測しているらしい。そしてどこかの平行宇宙には、正しい選択をした自分・宝生晶もいるはずだが……。

「一つ聞いていい? なぜ戦闘天使の存在を私たちに隠したの?」

「晶、あれほどまでに、ディモン・スターの研究はしてはいけないと言ったのに。困ったものね」

「恍けないでよ。ディモン・スターの数式のプラスとマイナスをひっくり返せば、簡単に戦闘天使の数式が導き出される。あなたは当然、この事を知っていたんでしょう」

「ディモン・スターの研究は、禁止したはずよ。なぜならば--------」

「そうよね。ディモンを語る事は、すなわちそれを実体化させる。あなたはそうしてディモンに対する恐れを与えておけば、同時に人類の進化も一向に進まないという訳ね。考えたものだわ。人類の支配者。私は今日知った。人類、レッドタイプの中に、戦闘天使が存在するという事を。そしてあなたはこの事を隠していた。我々人類が気づかないようにね」

「なぜそんな事を思うの」

 小柄な少女の姿の調生命体は、限りある年月しか生きられない宝生晶を見上げる。その黒曜石の目に宿る光は、少女にしてはあまりに老成している。

「時輪経はシャンバラの根本経典にして、智恵の実の智恵。読む者に準備が出来ていない内に知ることは危険を伴う。だから『密教』というの。正しい認識を持って読まないと二元性にとらわれる。それが善悪を知る意味。正しいとか正しくないとか、二つに一つしか生き残る道はないとか。あなたにはまだその時期が来ていなかった。なのに知ってしまった。だから極端な思考に囚われている。ちょうど、巨蟹学園の事件の時、ミカたちが私を敵だと思ったように。あなたも私を敵だと思い込んでいる。密教は、しかるべき作法に則って習得しないと誤っていくものよ」

「戦闘天使が覚醒し、人類が力を持つと困るからでしょ。あなたの支配圏を超えてしまう。保護者でなくなってしまう。一人立ちするという事は、すなわち伊東アイ委員会からの独立を意味するからよ。そしてそれは、人類が自立する道。-------捕えて!」

 晶の命令で、保安兵たちが、伊東アイを取り囲む。

「クーデターでもするつもり? 愚かな女(ひと)ね」

 制服姿のアイは、四方から銃を突き付けられて、静かに言った。

「私を捕えても無駄よ。知っているでしょう。わたしは三百人全ての伊東アイと、アストラル波で繋がっている。わたしの意識は全体を察知し、全体はわたしの個の意識を知覚する。既に、本国はあなた達の行動を知っている」

「一即多多即一ね、御講議ありがとう。そんなことは承知の上よ。とにかくアイ12、あなたは時空研で確保させていただいたわ。本国にも、人質として捕えられたこと、今伝わったわよね」

「あなたの決断がどれだけ愚かなものか、あなたは分かっていないようね。そうやって、人類はセレン計画のように、何度も自らを滅ぼして来た」

 アイ12の視線には、哀れみの光が宿っている。そんな目で、……そんな目であたしを見ないで! 晶は苛立つ。

「あなたの命令のままに、敵であるという証拠のないブルータイプ達を虐殺する計画に加担するほど、わたしはおとなしい人間じゃない」

「あなたも、異東京の人間たちと同じように、過ちを繰り返すのかしら」

「あなたのお陰で、わたし達は滅びの淵から再生した。だけど、人間はあなたに理不尽な支配を受けるために存在している訳じゃない。この星でただ飼いならされるだけの存在はもう御免よ。人間という生き物は、そういう風には出来ていないの。時空研がある限り、時空研に、この私が居る限りはね」

「あなたを任命した、わたしにも責任がある。晶、あなたに人類の運命を託したわたしの想い、それがどんなものだったか分かる? あなたにすべての期待を掛けていた。失った、月の女王の分まで何もかも」

 アイは無念に思っていた。また無数の過去の文明のように、この時空も閉じなければならないのかと。そして、悲しい選択を選ばなければならないのだろうかという事を。

「彼女をイデア棟の留置所に閉じ込めて!」

 晶は命じ、アイは保安兵に連行された。

「急ぐわよ!」

 すぐに晶はミカと亮をアクセスデバイスに座らせ、ヱルゴールドに接続する。ミカと亮は頷き、手を繋いだ。

 二人の様子を見ていた怜が晶に言った。

「ミカの髪の毛、ずいぶん明るい色になったわね」

 ミカの栗色のツインテールは明るさを増している。今日、ミカがここへ現れた時よりも明るくなっていた。不思議な事があるものだと思った。

 またたく間に二人のアストラル波の数値が上昇していく。

「凄い……上出来よ。二人とも」

 晶はにやりとする。

(今度こそうまく行くわ。私と亮がツインソウルである事を、証明するんだから!)

 ミカははりきっていた。ミカは自分の覚醒が不完全だったら、ダークフェンリルを倒せなかったんだと思っている。完全に覚醒して、ダークフェンリルを倒さなくちゃ……そう決心した。

「怜、国防省が動く前に、時空迷彩を施して。人馬軍から時空研を隠すわよ」

 怜の隣に立った晶は命ずる。

「いいえ、今度は委員会が直接動くに違いない」

 と怜は言った。

「晶、一体委員会を敵に回してどうやって闘うつもり? 今更戦略がないなんて言わせないわよ。委員会は、必ずメタルドライバーを送り込む。あれには時空迷彩なんか通用しない。簡単に見破られてしまう。メタルドライバーでヱルゴールドを外部からハッキングしてコントロールされたら、ここは一貫の終わりよ」

 メタルドライバーは、文字どおり、メタルコンピュータであるヱルメタルをハッキングするための兵器である。通常の如何なる方法でも、ヱルメタルをハッキングする事は不可能だった。たとえヱルメタル同志でも、不可能、あるいは非常に困難である。だがメタルドライバーは確実にヱルメタルをハッキングする為に開発されているのだ。怜によると阻止する方法はないという。

 ヱルゴールドは、時空研はもとより白羊市のあらゆるインフラに関わっており、無数のコンピュータと連結されている。むろん、それだけではなく、白羊市の時空そのものを支配し、コントロールしているのがヱルゴールドである。そして、白羊市のみならず東京全体、さらに日本列島の時空を意味するデクセリュオンを管理しているのだ。そのヱルゴールドを奪われることは敗北を意味する。

「セレン計画が失敗した時、直ちにメタルドライバーが派遣された。メタルドライバーは、亮がセレンタワーに到着する直前に、ヱンゲージ計画にチューニングし直すために、ヱルセレンをコントロールした。委員会に操られたヱルセレンは、おそらく原田カグヤや、時輪ひとみ、セレン研究所のブルータイプの研究員達を月の時空に飛ばしたのよ。その後、ミカと亮を引き合わせ、ヱルゴールドと共に世界を再生させた。今度は彼らは、この日本列島の時空、デクセリュオンを直接委員会の完全コントロール下に置こうとしているはず。操られたヱルゴールドは、シャンバラの配下となり、この時空を支配下に置く」

 デクセリュオンは、地球における時空の中心を意味している。ヱンゲージ計画も月の女王計画も、すべて地球の中心デクセリュオンだから可能なのである。委員会の支配下に置かれると、ヱンゲージ計画は阻止され、ヱヴォリューションを実行する事ができなくなる。時輪経に予言されたシャンバラの門を守る兵士は、世界を終わらせる時に出現し、悪魔と戦うという。

「今、メタルドライバーがどこにあるか分かる?」

「今はチベットのヒマラヤ近くでダークフェンリルを拘束している奴と、他はシャンバラに格納されてるみたいね。けど、やってくるのは時間の問題よ」

「メタルドライバーが来る前に世界をもう一度再生させるわ。ヱルゴールドは絶対に渡さない! ヱルゴールドを明け渡してはならない。この時空を明け渡してはならない。ここで諦めてしまったら、人類は同じ輪を抜け出せない。人類はここで、進化しなければならないんだから!」

 委員会のメタルドライバーは、ヱルメタル同様、超科学の固まりだった。通常の兵器では太刀打ちできない。基地の兵力で、防げるかどうか分からないが、おそらく無理だろう。

「ヱンゲージ計画が早いか、委員会の攻撃が早いかよ。このまま、一気にヱヴォリューションまで持っていくしかない」

 晶の賭けが当ればいいけど、と怜は思う。

(晶は、時輪ひとみという蛇にそそのかされただけじゃないの! このままでは人類は新世界というヱデンを追放されてしまう。私たちは異東京のように滅亡して、消滅してしまう)

 もう人類は引き返せない誤った道を選択したのだ、そういう考えが怜の中に渦巻いている。

 私たちは、ブルータイプという蛇にそそのかされ、アイの創った楽園を追放され、いや自ら荒野を目指して出ていく選択を選んだ。これから一体どうなるのか。


 失楽園。


 怜は再度、ミカのアストラル波が急上昇を始めるのを確認した。ミカとヱルゴールドはアストラルレベルで連結されており、それはミカの周囲の赤いオーラによってはっきりと肉眼で見ることができた。

 だが、ミカの眉は、第三者が気付かないくらい微妙に歪んでいた。

ミカの脳裏に、再び時輪ひとみの顔がチラつく。悔しさと悲しさが蘇る。その瞬間、亮と心がすれ違った。分かっていた。このまま接続し続ければ、危ないという事を。再びダークフェンリル出現のような間違いが、いやそれ以上に危険な事が起こるに違いないと思った。

 ミカは頭を振った。ダメ、ダメだ私。負けちゃいけない! 自分に負けちゃいけない。しかし、亮の心を掴めない。どうしても。亮と心を合わせられない。落ち込む。何故なのか分からなかった。亮は、ミカがツインソウルであるという確証がない、なんて言う。やっぱり、この瞬間もひとみの事を想っているのではないか。そうかもしれない。その事は、さっきよりも数倍ミカを苦しませる。悲しみと自分への情けなさとで、いつの間にかミカの閉じたまぶたから涙がこぼれ落ちる。

 怜は振り返り、ミカが苦しんでいる様子を確認した。

「晶! ミカの様子がおかしいわ。また危険な事が……」

 二人のエネルギーが急速に落ちていく。一瞬失敗か、と晶も諦めかけた。怜はヱルゴールドを止めるかどうか、ミカの様子を伺った。

「止めないで、止めないで、亮、晶さん、怜さん! 私なら大丈夫だから!」

 ミカは叫んだ。ミカは、目をぎゅっと瞑り歯を食いしばって意識を元に戻そうとする。ミカとヱルゴールドの間に強力な場が形成され、相互に増殖しあっている事には変わらない。ここで負けたらお終いだ。アイにも、自分にも負けちゃいけない。

「あと少し! 臨界点まで九十九パーセント、私、後たった一パーセントで臨界点に達するんだから!」

 もうちょっとで何かが掴めるような気がする。

「来栖の言う通りだ。来栖は俺とのヱンゲージで覚醒する」

「分かった。続けましょう」

 晶はヱルゴールドよりもミカと亮の言葉を信用した。ヱルゴールドの検知を超えた何かが二人に起こっている。

 アイ12が再び晶の前に姿を現した。どうやら留置所を抜け出したらしい。アイを捕まえておく留置所などないかもしれない。晶はとっさに銃を構えた。しかし、すぐに撃たない。

「呼んでないんだけど」

「晶、あなた達はこれから何を選択するの?」

「いいわ、あなたにはここに居て、私たち人類の運命を見届けてもらいます。人類が始めて進化する姿をその眼で見るがいいわ。少しでも妙な動きをしたら、すぐ殺すからそのつもりでいて」

「ストレートヱンゲージを強行するつもりね。仕方がない。今すぐこの時空を閉鎖するしかない。晶、委員会の言葉を伝えるわ。今から白羊市は、私たち委員会が直接制圧する」

 アイ12はアイ1から、たった今アストラル通信で受信したことを晶に告げた。遂に来るべきものが来るのか……と晶は戦慄する。


 ヒマラヤ山脈の中腹の雪山の一つの山肌から青白い発光現象が起こる。発光現象が起こった場所から、暗い藍色の金属光沢の巨人が山肌を透過して出現する。まるで、三次元の物体ではないかのように。しかし、それは白い雪に影を落とし、低いうなり声を立てて浮いていた。甲殻類を思わせるトゲを持った鎧、右手にアンテナランスと呼ばれる巨大な槍を持っていた。藍色の兜の奥で、白い両眼が輝いていた。たちまち、晴天に暗雲が垂れこめる。

 メタルドライバー・ウォリアーは、雪を巻き上げ、プラズマの浮力で上昇すると、雲を切り裂き一気に上空一万メートルまで飛び上がった。日本列島の時空へ軌道を定めると、轟音を響かせて飛行し、音速を超えた。周囲に嵐と、青白い稲妻を走らせながら。

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