第39話 ダークフェンリル

 晶と怜はヱルゴールドのところへ戻って来た。晶はミカに言った。

「伊東アイに見つからないうちに、二人のヱンゲージの力で、フォースヱンジェルを覚醒するわよ。そうすれば、必ず世界を新しく再生できる。ミカ、第二段階のストレートヱンゲージを実行するわ!」

「やったぁ!」

 ミカは喜んで逆M字型に足を曲げてジャンプする。

「晶さん、ありがとう! わたし、きっとやるから!」

 ミカは晶の細い首に飛びついた。

「なんだか楽しくなってきた」

 ミカはウキウキしてアクセスデバイスに座った。

 伊東アイに隠れてコソコソ計画を実行する、それは巨蟹学園で自分たちがやっていたことだ。それを今や、時空研が行っている。

 第二段階ヱンゲージ・プログラムを走らせると、格段に高まった来栖ミカの力を先に覚醒させることができそうだった。エンゲージと同時進行で、人類から奪われた十二束のDNAの機能を取り戻すため、ヱルゴールドはミカのDNAを解析する。DNAは改造を受けても、活動していないだけで、機能自体は存在する。同時に、亮のDNAの解析も行われる。

 怜は作戦の詳細な目的を伝えた後、神妙な顔つきで二人に向き合った。

「いい? 二人とも、今はとにかくお互いと意識を合わせる事に集中するのよ。お互いを信頼し合って、相手の意識だけに周波数を合わせるの。余計な雑念は差し挟まない事。信頼関係が大事だからね! お互いの事以外は考えない事。これまで以上に気をつけるのよ? もし雑念があると、君達の心の周波数は他の周波数の時空へアクセスされて、さっきのような事態が起こってしまう。でも、これからはそういう事は決して許されない。分かるわね? だけど、これはアイに黙って行う秘密の計画。あまり時間がないから、ゆっくり考える暇もないわ。でも君達は、一度世界を再生させる事に成功している。その時の事を、よく思い出して。君たちならできるわよ! どんな奇跡もね-------」

 そうは言ったものの、不空怜には、ヱンゲージ計画の実行が何を引き起こすのか全く予想が着かなかった。そして、二人の心境の方が問題だった。亮が時輪ひとみを月から召還したように、今度はそれ以上に、想像も着かないような恐ろしいことが起こるかもしれないという不安を常に抱きながら、アクセスデバイスに座る二人の意識をヱルゴールドに接続する。

 晶は時輪ひとみという存在に対して恐怖を抱いていない。それどころか、ひとみの語った言葉を信じてさえいる。ブルータイプに対する違和感も感じていないようだ。それが怜には不可解でならない。なぜ、晶はこれほどまでに自分の考えに自信を持つのか。すべては彼女の憶測でしかない。それが、智恵の実を食べた者の思考だ。しかし晶がそこまで信念を持って計画を進めるというのなら、もはや怜は反対するつもりはない。

 晶は怜の隣に立ち、怜がヱルゴールドを操作する様を見ている。二人は委員会への徹底抗戦という目的に埋没し、亮とミカをヱルゴールドに接続したのだった。晶にとって、全ては賭だった。時間はなかった。ヱンゲージを強行し、ヱヴォリューションを実現すれば、すぐシャンバラに異変を感知されてしまう。そしてそれは、東京時空研究所の、明らかな三百伊東アイ委員会に対する反乱を意味する。もしヱヴォリューションが成功しなければ、全てはお終いだった。しかも、ヱヴォリューションできるという確証は何もない。実験もしないで、いきなり最終段階に踏み込んだのである。

 博打とチャレンジ精神に満ちたこの計画に、ミカは、絶対に亮とのストレートヱンゲージを成功させてやると意気込んでアクセスデバイスに座っている。それが二人の愛の証、自分が亮のツインソウルである証となるのだから。目を瞑り、亮と意識を合わせようと集中する。

 怜に忠告されたにも関わらず、ヱンゲージ実験の最中、ミカの心は揺れまくっていた。ミカはさっきの事を思い出す。亮によって召喚されたひとみ。裸じゃん……。裸のひとみを想像していたんじゃないか。亮の気持ちに、時輪ひとみが住み着いているという事を知って、心が揺れる。ミカは時輪ひとみに対する激しい嫉妬を押さえきれない。ミカは、亮が異東京でひとみのことが好きだったのだと考える。既にひとみがこの時空から消えていても、ミカの心はわだかまり続けている。ひとみの事が頭から離れなかった。ひとみの姿がミカの心の中を占め、次第に膨れ上っていった。

 悔しい。こんな事で負けたくないのに。ミカが悲しかったのは、好きだっていう意思表示を示し、ヱンゲージに挑んだのに亮がひとみにこだわり、その結果ひとみが出現した事。亮は自分の事なんかより、ずっとひとみの事を考えている-------。だから彼女は姿この時空に出て来る事ができたんだ。亮はひとみが、ツインソウルだと思っているのだ。辛い。

 こんな気持ちでヱンゲージできるわけない。

 けど……晶さんだって怜さんだって、地球の皆があたし達に期待しているんだ。

 ……いいや、できる、絶対できる……! あたし、負けたくない。ひとみなんか、ひとみなんかに--------。


 …………

 時輪ひとみなんかに。


「あ(濁点)~もう……!!」

 怜が苛立って立ち上がる。

「どーしたの?」

「晶、代わりにトイレ行ってきてよ!」

「行ける訳……ないだろ。いいから行ってこい」

 怜がトイレから戻ってくると、大変なことが起こっていた。

 突如基地内に爆発音が響く。時空戦略ホールにあるヱルゴールドの周辺機器が爆発した。

(しまった!)

 ミカは目を開けた。ひとみへの嫉妬と、それを打ち消す心の葛藤は、いつの間にか嫉妬の方が勝った。もう抗いようがなかった。ミカの、ひとみへの嫉妬が、亮との間に意識の障壁を作り出していた。かつてのように。ミカのアストラル波の増幅が、ヱルゴールドから実体化しつつあった。赤いアストラル波のオーラが、タコ足のようにヱルゴールドから立ち上がっていた。真紅の炎にも似た揺らぎはホールのあちこちを破壊し、爆発を引き起こす。爆発はホール中に複数起こり、なかなか止まらない。消火システム作動と共に、クルーが消火活動に追われている。

「ヱルゴールドが暴走してる。こんな事始めてだわ! 計画中止! ……あぁー駄目だ、私の言う事を聞かないなんてェ――」

 ヱルゴールドのメタルマスターの怜でも手が着けられない状況だ。

 ミカは亮の腕から逃れるように立ち上がり、亮から離れる。亮は、この事態を引き起こした原因が自分にある事を、ヱンゲージの中ではっきりと分かっていた。自責の念に嘖まれながら、どうする事もできずにいた。

 時空戦略ホールのエレベータ付近に、薄暗い領域が出来始めた。暗いガスのようなモヤが集まっていく。暗黒のガスから憎悪と怒りが放射されているように、ホールの誰もがヒリヒリと肌合いで感じた。いや、憎しみの想念自体が冷却され、実体を求めて黒いガスを成立させている。すなわち、それがダークフィールドだ。たちまち、ホール内に冷気が立ち篭めた。暗いガスは形を持ち始める。やがて全長二十メートルの巨大な姿を形作っていった。それはサーベルのような牙を持つ、大きな顎を持った黒い狼。目は真っ赤に燃えている。たった今地獄の牢獄から脱走してきたような、巨大な暗黒の狼だった。狼の外見ではあるが、まるでTレックスのようなノコギリ状の歯が並び、ほとんど古代の恐竜が復活した如きその姿。真っ黒い狼の形に、赤い二つの目だけが異様に輝いている。金属が圧力で引き裂かれていくような、怪物の吠え声がホール中に響きわたる。地獄のとどろきのようだった。

「あいつは?! 一体どっから出てきたのよッ!」

 総毛立った晶が叫ぶ。

 怜はミカと亮の様子から悟った。

「二人の不安定な心が生み出した化け物よ、ダークフィールドのね!」

「ヱルゴールドを停止させなさい」

 晶は努めて冷静を装った。

「やってるけど命令を受け付けなぁーい!」

「なら今すぐヱルゴールドの電源を切って!」

「何を今更そんな事、勘違いしているの? このコンピュータは、生きた一個のメタルなのよ。その辺の只の機械なんかじゃないのよ。電源なんかある訳がないでしょう。これは、自ら引き込んだ霊エネルギーで活動してんだから」

 ヱルは光の特異点を持つコンピュータだ。特異点を通し、異次元から無尽蔵のエネルギーが送り込まれてくる。ヱルは星々の力と同じ動力で動いていた。だからこそ色々な世界に通じてしまい、そのベクトルが重要だった。

 怜はとにかくヱルゴールドを停止させないと、と思いプログラムを切ろうとする。しかし切る事ができなかった。

「ダークフェンリル、ヱルゴールドは『ダークフェンリル』と表示したわ。あいつのことよ。ヱルゴールドは正常に作動してる。でもやっぱり、私の命令を一切受け付けない!」

 巨大な漆黒の狼の形をした闇は、耳をつんざく音でホールの機器を手当りしだい巨大な顎で噛み砕き、破壊し始めた。すさまじい鍵爪は、軽々とマシンを引き裂いた。そして逃げ遅れた研究員達を次々丸のみしていく。喰ったものの質量は、その者の身体を凌駕しているはずだったが、どこの時空へ消えていくのか、次々と巨大な顎で噛み砕き、頭を上げて呑み込んでいく。研究員達の一斉射撃の銃声が鳴り響く。だが撃った銃はまるで効果がないようだった。

 ミカはガタガタと震え、那月の携帯をギュッと握った。

(那月、守って、私を守って!)

「レージングでヤツの動きを止めて!」

 晶の冷静な声が響く。

 レージングは人馬市が開発したプラズマ拘束銃である。晶の指示に従い、数十人の保安兵が集結し、プラズマの帯で相手を拘束する銃を怪物に向けて一斉に放った。銃から放たれた水色の光のロープが、次々とダークフェンリルの体に巻き付いて拘束する。一瞬ダークフェンリルは動きを止めた。しかしダークフェンリルは光のロープを引きちぎった。怪物は一層基地をめちゃくちゃに破壊した。保安兵の何人かが、再び怪物に呑み込まれていった。

「効果なしか」

 怪物はホールの二階通路へジャンプすると壁を鋭い爪で突き壊し、姿を消した。

「移動している。ヱデン棟へ向かうわ!」

 怜はヱルゴールドで怪物のエネルギーを追跡する。

「なんとか、基地の外へ出す前にしとめなくちゃ!」

 怜は必死にヱルゴールドで分析を試みる。

「あれの正体は分かる?」

「ヱルゴールドの分析によると、あいつは実体のあってないような存在みたい。二人の心の生み出した、言わば影のようなもの。質感はあるし、破壊力もあるけど。投影された映像、光源が消えれば影も消えてしまう。物体でもない、アストラル存在でもない。つまり、実体があるように見えて体験できる、インタラクティブなヴァーチャルリアリティー存在」

「要するにそれは-------」

「要するに、実体がないのよ。-------存在していないの」

「てことは三界は唯心の所現か。てどーいう事?」

「つまりー。エートまるっきり虚像なの」

「じゃあなんで存在してるように見えて、動きまわってるのよ」

「分かんない。私だって分かんないことだらけだよ! でも、晶、あいつでディモン兵器の正体が推測できるかもしれない。もしあいつが、ディモン兵器ならね」

「あれがディモン兵器? そうか……」

 晶はクリスタルガイザーを一口飲みながら聞く。

「その通り。ディモン兵器というのは、ダークフィールドが生み出した、もともと実体のない存在なのかもしれないわね。帝国が月に兵器を所有しているのがディモン兵器だと言われているけど、実はそうじゃなくて、膨れ上ったダークフィールドそのものが、ディモン兵器を生み出したという事。現に今、ミカの中から怪物が出現したように、ダークフィールドが作り出されれば、それ自体がディモン兵器を生み出す。つまり、ディモン兵器は存在しない。人の心の闇が映し出した、映写機の映像なのかもしれない」

「という事は、異東京を滅ぼした黒い船も、ダークフィールド自体が生み出していたという事になる。しかも、実体はない存在。なら、ブルータイプはダークフィールドに包まれた存在だけど、レッドタイプだって、同じ事なのかもしれない。今がそうであるように。ダークフィールドそのものが原因であって、ブルータイプが原因じゃないってことか。ダークフィールドそのものが消えてしまえば、ディモン兵器も消えてしまう。原因が分かった以上、とにかく、あれを消さないと。怜、ヱルゴールドで消去できるかしら?」

 怜は、ヱルゴールドを操作し、必死にダークフェンリルを消そうとする。

「駄目だわ!」

「何でよ!」

「一度実体化したものは、そう簡単に消せるものじゃないってことみたい。二人の心から完全に独立して存在している。もう物理的に現れたものは、物理的に消すしかない。つまり、あいつを物理的に破壊する方法を思い付かなくては」

「開発中のドローミがあったわね。部隊を集めて!」

 スーパープラズマ銃・ドローミは時空研で十丁試作されていた。実験結果ではほとんど実用レベルに達している。それはレージングの二倍の出力を持っていた。保安兵はスーパープラズマ銃を担ぎ出し、ダークフェンリルが暴れているヱデン棟へと向かった。ダークフェンリルは辺り構わずヱデン棟を破壊し、研究員を呑み込んでいた。ドローミが撃ち込まれると、ダークフェンリルは嫌がる様子を示した。保安兵はダークフェンリルに破壊する隙を与えず、追い詰める。途端にダークフェンリルは消滅した。

「消滅に成功しました!」

 報告が晶に入る。

「いいえ、消えていない。今度はユートピア棟に現れたわ。まさか、瞬間移動したんじゃないの」

 怜はヱルゴールドを見て悔しそうに言った。

「虚像なのか実像なのかはっきりしてほしいもんだワ」

 晶は腕を組んで呟いた。

「全員、ユートピア棟に向かって!」

「了解」

 ダークフェンリルは確かにスーパープラズマ銃・ドローミを嫌がった。だがそれも最初のうちで、膨れ上がった黒い巨体は、ドローミを跳ね返した。そして今度は自分の意思を持って消えたかと思うと、基地の別の場所に出現するのだ。

「イタチごっこね。これでは効果があると言えないわ。銃もあんまり効かないし。機械でも何でも噛み砕き放題。防御壁でも何でも突進して破壊してしまう。神出鬼没だし。もしあいつが時空研の外に出たら、大変な事になるわ! 何とかこの中で倒さないと---------。怜、もうヱルゴールドを破棄するしかないかもしれない」

「な、何言ってんのよ、冗談じゃない!!」

「いいえ、冗談なんか言ってない」

「私は絶対ヱルゴールドを破壊なんかしない、今なんとかするからちょっと待っててよ!」

 怜はやっきになって、ヱルゴールドを操作する。

「ちきしょー、レージングがダメでドローミがダメなら何を持ってくればいいんだよ……えーと」

「グレイプニール」

 ヱルゴールドは表示する。怜は説明を読んで思い出した。理論上ドローミの百倍の出力を持ったプラズマガンだ。

「ない! そんなもん。今から開発しても間に合わない!」

 確かに計画書には可能性として研究した事はあったが、予算額が天文学的数字になり、計画は中断された。もともと、ヱルメタルのように人知を超えたテクノロジーに近い。

「それ以外の答えを教えてちょうだい」

「ルビースピアー」

「それもないわよ! って何それ?」

 その頃、ダークフェンリルは地上階へ出ようとしていた。何でも噛み砕き飲み込む巨大な狼の形をした闇の動きを察知し、宝生晶はオリオンゲートをスーパープラズマ銃ドローミ部隊で固めていた。しかしダークフェンリルは地上へ向かう途中に消滅した。怜が索敵システムで行方を追っていると、ダークフェンリルは再びホールに出現した。怪物は全身から憎悪をまき散らし、ヱルゴールドに向かって突進する。保安兵が拘束銃レージングを撃つ。多少の時間稼ぎにはなるがほとんど効果はない。

「しまった、ドローミ部隊は全員オリオンゲートに出払ってしまっている! そうか、これって陽動? ヱルゴールドを乗っ取るつもり? ヱルゴールドと一体化を? そうなったら……本当に何が起こるか分からない」

 怜は中腰の姿勢で立ち上がりながら、できることは何でもやろうと、歯を食いしばって必死でキーボードを叩いている。

 ミカはずっと恐怖に震えながら、守護霊に心の中で必死に呼び掛けていた。

(守護霊さん、早く来て……早く来てよ! 助けて! お願いだから!)

 ミカは背後に気配を感じた。いつの間にか黒髪の守護霊は現れていた。他の人間には見えないらしい。

(あぁ……よかった!)

 ミカは安堵した。守護霊の表情に不安や恐れは微塵もなく、いつもの信念に満ちた鋭い眼差しと威厳を保っていた。

「言ったはずだ。いつでも側に居ると」

 守護霊は、腕を組んでダークフィールドの怪物をじっと見ている。

(助かったわ。あれ、なんとかして!)

「お前達が生み出したものだ。お前達で解決せねばならない。ちょうどいい、倒してみろ。但し、訓練の時のようにはいかないぞ」

 守護霊は来栖ミカにとってマサカの結論を言う。

「ちょ、ちょっと待ってよ! あんなのあたしがどうやって倒せばいいのよ!」

 ミカが守護霊に対して口に出してそう叫んだので、周囲の晶たちは一斉に驚いてミカの顔を見た。ミカは独り言を言っているように見える格好だ。彼らにはミカの守護霊の姿は見えない。

 怪物が腕を振り回した後、その爪で金属製の壁に巨大な三本の亀裂が入る。

 怪物はヱルゴールドに突進している。

「む、無理だってば! 守護霊さんが倒してよ、お願い。わたし、あんなの駄目だから!」

 ミカは口に出して叫んで、守護霊の後ろに隠れようと必死になった。

「何処へ行くつもりだ、貴様! 引けば私がお前を斬るぞ-------」

 守護霊は厳しい目つきで、赤い槍を持ってミカの前に立ちはだかる。その目は本気だった。ミカが一瞬守護霊に恐怖を感じた程だった。

「私に力があったからって、あんなヤツ倒せる訳ないでしょ!」

 ミカは前方に機械を蹴散らしながら近づいて来る怪物に、背後に槍を持った守護霊に挟まれて、身動きが出来なくなっていた。

「ただ戦士として実践の中で行動しろ。安心しろ、もはやお前はかつての者とは違う。お前はよくこれまで訓練に耐えて来たな。誉めてやる。これまでの訓練で、お前の力はあいつを倒すのに十分なくらい高まっている」

 こんな時に誉められてもあんまり嬉しくない。

「嫌よ、助けてよ! 助けてくれるっていう約束でしょ」

「バカ者! 私がお前を鍛えあげたのだぞ! たかがあのような者を相手に、臆病風を吹かして、情けない事を言うな! このルビースピアーは宇宙最強の兵器だ、これに破壊できぬものなど何もないのだ!! これは今よりお前のものだ。これを使ってあいつを倒せ!」

 守護霊はルビー色の槍をミカに渡した。槍は、しっくりと手に馴染んでいる。それはアストラル体のものではなく、物質化した質感があるものだった。重さもミカに程よく、まるでミカのために設えたようだった。ルビー色の槍、それはミカが以前から好きだった色。守護霊がこれを持っていたのをはじめて見た時、うらやましかった。平行宇宙で手にしたルビー色のスタンドマイクは、やっぱりこの槍の事だった。今、その槍は自分の手の中で真紅の輝きを放っている。手に取って分かった事だが、守護霊はこの槍でミカのシールドを突き破ろうと思えばやすやすと突き破れたらしい。守護霊はわざと、訓練の為に力を抜いていた。ミカは今更その事に気付いてゾッとした。

 もはや守護霊から逃げる方法はなかった。唯一、あの怪物を倒す事以外には。

 ミカの持った槍は、晶達にもはっきりと見る事ができた。

「ミカ、一体どこからあんなものを?」

 晶達は、ミカに何か異変が起こっているらしい事に気づいた。

「何てこと。あれが、『ルビースピアー』か!」

 怜はヱルゴールドの表示する文字を見て叫んだ。

「JK、JK戦士!」

 もしや今、自分が見ているものは……不空怜の全身は、電気が走ったような興奮状態に陥った。

「お前が槍と一体になる事が大事だ。その時、お前自身の力が槍に篭るのだ」

 黒髪の霊はかすかに微笑んでいる。

「ホントに、あたしに倒せるの。あのさ、もし危なくなったら助けて欲しいんだけど」

「これ以上、ゴチャゴチャ言うつもりか」

 黒髪は切れ長の眼でじろりとミカを睨む。

「もぉ、分かったわよ!」

 ルビースピアーを持つうちに、ミカは自分の中の変化に気づいた。ミカはその槍を持った途端に、今までとは違う力が宿る事を感じた。同時に、恐怖が吹っ飛んだ。ミカはただただ、目の前の敵に目掛けて突進する事しか考えない。

 ダークフェンリルはミカを見て一旦立ち止まり、歯をむき出して唸った。巨大な顎から黒い蒸気が立ち上り、真っ黒なオイルのような唾液が滴り落ちている。ダークフェンリルはさっきよりも実体に近づいていた。黒いフサフサした毛並みから獣の匂いが漂ってきた。

 ミカは飛び上がった。誰もがあっと叫んだ。ミカの背中に巨大な羽が視覚化されて出現した。ミカは、ダークフィールドの怪物の頭上まで上昇した。

 ミカは両手に持った真紅の槍を振り降ろす。真っ赤に輝いた槍先が怪物の肩口から袈裟切りに斬り付けられる。槍が捉えた感触は、まるっきりモヤのような感じではない。ミカは確かに手ごたえを感じた。ダークフェンリルは叫び声を上げて、怪物は突進する事を止めて破壊された機器の上に倒れ込む。

「フォースヱンジェル……。晶、これがフォースヱンジェルだよ! ミカの数値の高まりは、確かにライトフィールドからのものだもの! まだ、完全なものじゃないらしいけど――。でも、ミカがヱルゴールドに接続された時、ヱンゲージと同時に潜在能力が開花し始めたらしい。やっぱり実在するんだ、戦闘天使って! その存在が今、実証されたんだよ」

 怜が興奮気味にまくしたてた。

「ミカが、戦闘天使だった……。委員会にとってフォースヱンジェルの覚醒は、人類に力をもたらすものだった。伊東アイにとっては認め難い存在だったに違いない。だから、アイはそれを導いてしまうディモン・スターの研究を阻止したんだ。あのパワー。戦闘天使が、私たちの中から誕生した事は、確かに人類の進化を意味するのかもしれない」

 晶はミカを見ながら呟くように言う。

「ちょっと待った、まだ倒れてない!」

 怜が叫んだ瞬間、ダークフェンリルは凶悪な顔つきに生気をよみがえらせて再び立ち上がった。獣はダークフィールドをまき散らし、近づくミカに向かって前足を振り上げた。地面に着地したミカに鍵爪が襲ってきた。ミカは自分の前にシールドを張り、鍵爪を阻止した。鍵爪は衝撃と共に跳ね飛ばされた。すでにミカは本能といってもよい程、瞬間的に動いていた。

 ミカは怪物の右側に円を描くように回り込んだ。槍を突き上げる。槍身が伸びてゆく。槍は肩口を貫いた。ダークフェンリルは突き刺さった槍を噛み砕こうと、牙を向ける。ミカは槍を引っこ抜き、再び構えた。怪物の顎がミカに襲い掛かる。ミカはふわりと宙に浮かんだ。怪物の牙は唾液をだらしながらミカの背後にあったマシンを噛んでいた。怪物は頭上を見上げ、悔しそうに鍵爪を振り回す。鍵爪は壁面に突き刺さる。怪物はますます凶暴に、破壊しながらミカを追った。

 ミカは急接近し、怪物の顎を蹴り上げた。ダークフェンリルはぶっ飛び、壁に叩き付けられる。ミカは槍を振り、怪物の首をすっ飛ばす。止めに胸に突き刺すと形がぼんやりと薄くなり、やがて消えいく。死骸はなく、跡には破壊された機器の残骸だけが残っていた。すでに守護霊は見当たらず、また勝手に居なくなっていた。

「完全に消滅したわ。ダークフェンリル、この世界から居なくなった」

 怜はミカに驚きながら報告する。

 ルビースピアーを手にしたミカは、ヱルゴールド近くの晶たちの方を振り返る。槍は、役割を終えると背中の羽と共に消えていた。

 ミカの覚醒した力は、コンピュータが予測する、人類の中に眠るフォースヱンジェルの予測と一致していた。目の前に、そのフォースヱンジェルがいる。確かに存在した。来栖ミカこそ、眠れるフォースヱンジェルだったのである。

「君は、いつからあの力に目覚めたの? -------始めてじゃないんでしょ」

 怜が質問する。

「最初にヱルゴールドに接続されてから、少しずつ自分に力がある事に気が付いたの」

「やっぱり……。もともとミカの力は覚醒が早かったけど、まさかここまでとは。ヴァージン・ヱンゲージの時から、ミカのエネルギーの方が高かった理由が、これで分かったわ。私達には、それが何故なのか理由が分からなかった」

「アイに私の覚醒を悟られないようにって、守護霊さんから言われていたの。ごめんなさい!」

「君は誰かと話していた。姿は見えなかったけど。君は、正体の分からないアストラル存在と交流していたのね」

 怜は自分にも予想がつかないことがあると思い知らされる。

「怜、ヱルゴールドにその存在のデータは何か残ってるの?」

 晶はデスクに手をついてモニターを覗く。

「いいえ。あの時、ヱルゴールドは異常に振る舞っていたように見えるけど、今調べてみると全ての機能は正常に動いていた。だから、ミカのところに現れたアストラル存在が居れば、検知したはずなんだけど。時輪ひとみのデータも、はっきりとヱルゴールドは捉えている。でも、あの時、ミカと亮、それにあの怪物のアストラル波しかヱルゴールドは検知していなかった」

 今ヱルゴールドは完全に落ち着き、何事もなかったように正常に稼動している。

「私の守護霊なのよ。きっと、守護霊だから、検知されなかったんだと思う。だから私にしか分からない」

 しかし、何故守護霊のアストラル波が検知されないのか、ミカにも不思議だった。ミカにも、守護霊の正体は結局のところ分からない。

「分からない事だらけね------、あたしにはお手上げだわ! 晶、やっぱりこの計画は時期尚早よ。ヱルゴールドのオペレータとして、これ以上の計画続行は止めた方がいいと思う」

 怜はくたくただった。

「止めないで! お願いよ怜さん」

 ミカはソプラノで叫んだ。

「だってもう、君と亮のアストラル波はバラバラなのよ」

「そうじゃないの、私の力、-------あと、あともうちょっとなのよ! もうちょっとで、私の力が覚醒する。あたしの今の力を見たでしょう? これまでの亮とのヱンゲージ、決して無駄じゃなかった。私、分かったの。私の覚醒に、亮のエネルギーが必要だって事が」

 燃えるような情熱家のミカは、抗う事が困難なまなざしで不空怜を見た。そして怜はたじろいで二の句が継げない。

「怜、ミカがフォースヱンジェルとして覚醒していると分かった以上、計画を中止するべき理由はない。計画は途中まで成功している。もう一度、世界を再生させる事も可能だわ」

「分かったわよ! あんたの直観には誰も勝てないわね。伊東アイも、たとえヱルゴールドの計算でも」

 晶は怜の皮肉を聞き流し、

「この一件で、委員会に察知されたかもしれない。まだ人馬市には気づかれていないようだけど」

 と、作業をせかした。

「伊東アイが来るわよ」

「捕えて監禁する」

「捕まえたってどんどん来るわよ」

「何人来ても捕まえるわ」

「三万人来たらどうするのよ」

「……もうあまり時間はないわね。急ぐわよ」

「ハイハイやりますとも。これが終わったら、ビール飲むかんね!!」

 怜がそう叫んだ途端だった。

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