第37話 時輪ひとみの出現

 夜九時だった。二人がそろそろ帰ろうと考えていると、時空研にミカと亮が現れたという連絡が入った。

「亮とヱンゲージがしたいわ。お願い、やらせて」

 開口一発、ミカは晶に叫んだ。

 二人は雨を滴らせて駆け込んできたらしい。ここまではタクシーで来たようだが、傘もささずに基地の中に走り込んだようだった。

 晶と怜は、とんでもない事を言って来たミカに驚き、お互いの顔を見た。ミカの泣き濡れた懇願するような眼差しに、晶は事情を察した。ヱンゲージ中止以来、ミカは亮との事で苦しみぬいていた。ミカは、亮との関係が本物である事を証明したかったのだ。

「ちょっとここで待っててくれる」

 晶はミカをいさめるかと思えば、彼らを待たせて所長室に怜と入り、二人きりになった。

「ヱンゲージ計画を続けるわ」

入るなりそう言う。ミカの必死の申し出にほだされた訳でもあるまいが。

「委員会に黙って? まさか-------」

 アイの存在を警戒し、晶に対して委員会の計画に警告を発して来た怜も、この若い所長の唐突な言葉に驚くしかない。

「委員会は唐突に、一方的に計画を中止した。けれど、本当にヱンゲージができるのかどうか、結果は私たち人類がやってみなければならない。ヱヴォリューションのプログラムはもう出来ているんでしょ?」

「------それはそうなんだけどサ」

 実験が中止になる前に、怜はすでにヱヴォリューションのプログラムを組んでいる。

「彼らの意思の疎通が問題だったけど、二人で一緒にエンゲージしたいって言ってきた。いいチャンスよ。さっそく始めましょう。怜、いいわね」

 智恵の実を食べてしまったからなのか、晶の目に迷いはない。

「ちょっと待ってよ。原因を完全に究明しないまま、ヱンゲージを無理に押し進めたら、本当に取りかえしのつかない事が起こる恐れがあるかもしれないよ」

 怜は技術者として当然の危惧を口にする。怜も、ゆくゆくはヱンゲージ計画の続行を望んでいたが、突然今から始めると宣言する晶の大胆さには着いていけない。

 時空研は、委員会から完全に宝生晶と不空怜に委任されている。時折、ヱルゴールドの調整で伊東アイが数人訪れるが、今はどういう訳か世界中の大部分が本国に帰還しているので、アイに隠れての研究はなんとかなるかもしれない。

「だから、ちゃんと調べればいいのよ。何にしても、二人をヱルゴールドに接続しないと始まらないんだから。ヱンゲージは準備段階で一旦中止されたよね。ミカ、亮、それぞれに問題点があるなら、本来それを究明しなければならないはず。それなのに、そうする前に一方的に中止を言い渡された。もしかすると、アイに計画を阻止されなければうまく行っていたのかもしれない。まずそれをヱルゴールドに接続して原因を究明する。まだヱンゲージの実行はしないわよ」

 晶は細長い指で胸ポケットからリンゴ味のカロリーメイトを取り出し、かじった。


 計画をアイに黙って続行すると晶から聞かされて、ミカはホッとした。接続できさえすればミカ自身は問題なかった。ヱルゴールドと接続さえすれば、後はミカが亮との繋がりをアストラル波の感覚で確かめればいいのだ。

 深夜十一時。遂に委員会に黙ってヱルゴールドの接続が続行された。ミカは自分の携帯をポケットの中に入れ、左手に那月の携帯を持っている。

 最初に二人のデータが確認される事になった。

 来栖ミカと原田亮、怜がそれぞれの単独のデータを見ると、すぐミカの方には問題はないとの結論が出た。いや、それどころか来栖ミカのエネルギーは計画中止前よりも格段に高まっていたので、晶と怜は驚いた。なぜ、しばらくヱルゴールドに接続しなかったミカが、これ程まで能力が高まっているのか不明だった。しかし亮は逆にアストラル波自体が弱まっていて、完全にミカとのバランスが取れてない事が判明した。

「ヱンゲージはやっぱり当分無理ね。しばらくは二人を別個に調整しないといけない」

 怜はそう結論付けるしかない。

「そんな……駄目でもいいからこのまま亮と一緒に繋げてよ、お願いだから!」

 ミカは立ち上がり、怜に頼み込んだ。

「でもね」

「私、亮とずっと繋がっていたいの!」

「分かったわよ」

 怜は微笑んでミカの願いを聞き入れて、そのまま二人を接続し、亮のアストラル波を調整に入った。

「あ……あの、私、亮の世界一の応援団だよ。一緒にがんばろうね!」

 ミカは亮を上目遣いで見上げて、微笑んで言った。亮は力なく微笑む。

 その日の接続は深夜二時まで行われた。二人は時空研の仮眠室に宿泊し、翌朝、七時からまたヱルゴールドに接続した。ミカは必死だった。亮と何としても、ヱンゲージができるようにならないといけない。必死になって亮と心を通わせようと努力した。

 ヱルゴールドから、亮の心が流れ込んでくる。亮は沈んでいた。同時に、亮のものとは違う、宇宙にたった独りで居る寂しさ、孤独感がひしひしと感じられるのだった。それは亮のものでもなく、ミカのものでもなかった。何者かの、二人ではない別の存在が持っている感情だった。誰だろう? ミカは何者かの存在感を常に感じながら不安に駆られつつ、ヱルゴールドに接続されている。

 怜も気づいていた。ヱルゴールドのデータ上にもその異変が現れていた。

「止めなくちゃ!」

 怜がヱルゴールドのプログラムを止めようとした時だった。

 突然、亮が右目を押さえた。

 「ぐぅっ……」と低いうなり声を上げたまま、亮は状態を起こし、アクセスデバイスの上でうずくまる。

「亮?! 大丈夫」

 怜は振り向いてデスクの椅子から立ち上がり、亮のもとへ駆け寄る。

 ミカはうっすらと眼を開けた。

 亮が押さえていた眼を開け、ゆっくりと研究室の一角を指差す。

 ミカと怜がその場所を見ると、少女が立っていた。それはいつの間にか出現していた。少女は全裸だった。ミカがよく見ると、その少女は半透明だった。ミカは、守護霊と同じだと思った。

「時輪ひとみだ」

 と亮は呟いた。

「彼女が?!」

 ミカは驚いた。亮が見たという幻覚がそこに現れたらしい。しかしその幻覚は、はっきりとミカにも怜にも見える客観的な存在だった。もしかすると、ひとみは亮にとっての守護霊のような存在だろうか、とミカはその時思った。それとも、もっと亮にとって根源的な-------。その事を考えると、ミカの心は乱れ、嫉妬で焼け尽きそうになるのだった。

「怜、あの正体は一体なんなのかしら」

 と晶が慌てて質問する。

「アストラル体が実体化した存在ね。ヱルゴールドで二人を調整している最中に現れた。ミカと亮の中から出現したのよ」

 怜の心の中に不吉な予感が膨れ上っていった。

「解析結果が出たわ。あれはブルータイプ!」

 怜はヱルゴールドに表示されたデータを見てゾッとする。出現した時輪ひとみは正真正銘のブルータイプだった。

「何かしらこれ。『アルテミス』?」

 ヱルゴールドは「ディモン・スター『アルテミス』」と表示している。

「ヱルゴールドの記憶の一部が勝手に解かれ始めた……。時輪経が勝手に解読されているんだわ。やっぱり最初のドミノの一枚は、ヱルシルバー。そしてヱルアメジストが解析した断章だったか。あの存在は――」

 ディモン・スター! すなわち特異点が出現したのだ!

「ブルータイプ……」

 なぜかぼんやりした顔で晶はつぶやく。

「晶、一刻も早くひとみを殺さないと!」

 怜は慌てて、晶にまくしたてる。

 不空怜は、異東京でセレン研究所に勤めていた時輪ひとみの存在は知っていた。だが、実際に彼女を見た事はなかった。だが怜はその少女を見た瞬間から、自分が唐突な生理的憎悪に襲われたことに驚いていた。

 でも、どういう風に殺せばいいのかは分からない。

「待って!!」

 晶はひとみをじっと見て、

「少し調べましょう……」

 と言った。パニックに近い怜と違い、晶は落ち着いていた。怜は耳を疑った。晶、何を考えているの? こうしている間にも刻一刻と、開けられた特異点を通して平行宇宙から敵のディモン兵器群が、実体化するかもしれないという時に……。

「晶……でも……」

「殺す事はいつでも決断できる。可能かどうかはこの際置いておいても。でも、ひとみは戦おうという意思を示していない」

「そんなの巨蟹学園のブルータイプの学生達だって同じだったでしょ。彼らは、無自覚な侵略者だったのよ。それがディモン兵器を侵攻させていた。ひとみもそうなのよ。だから一刻も早く!」

 怜はもっともな事を言って晶をせかす。

「ディモン・スターは下等ディモンとは違うわ。彼らは、自覚している。だってそうでしょ? ディモン・スターは帝国のエリート、貴族階級であり、侵略の指揮を全て取り仕切っている。でもその時輪ひとみ自身が、わたしたちと戦おうとしていないのだから」

 晶はずっと何かを考えているらしい。

「なんで分かるの、あなたに! ディモン・スターの事が」

「言う通りにして」

 晶の声は落ち着きはらっている。

「何を言っているの? こんな事を時空研がしていて、地球を守れるというの? わたしたちは地球を守るどころか、今地球を潰そうとしているのよ、帝国は、異東京を潰して、ダークフィールドの供給源を求めて、この時空に必死に食い込もうとしている。そうでなきゃ彼らは自滅する。畑を求めてさまよう、饑餓寸前のイナゴの大軍なのよ。彼らも生きているのだから、血マナコになってダークフィールドを求めて、漁ろうとする。あたし達も星の、この時空の存亡を掛けて必死だけど、敵だって、必死なのよ?! あなたには人類の運命を背負った組織の長としての自覚はあるの?!」

 怜の声は必然的に大きくなった。

「……」

「あたしは人類を進化させる為にあなたに賛同したんだよ。決して、ディモンを召還するためなんかじゃない。あなたの中に、伊達統次に対する激しい反抗心がある事は分かっている。あなたは、義理の父親の横暴、独裁と戦うつもりで、今日まで彼の七光りと自分の才能を使って出世してきた。その延長線上に、伊東アイへの反抗心があるんでしょ。だけど、今は人類の存亡を掛け、地球自体の存亡を掛けた戦いの時。そのためにあたしたちは必死で今日までこの計画を頑張ってきた。たとえ伊達がどんなに危険な男だとしても、今は私情は捨てなさい」

 二人の対立を、ミカと亮は黙って見ている。

「もちろん分かっているわ」

 晶の眼を見て怜は黙った。晶は、怜の言っている事を決して自覚していない訳じゃない。全てを認識している。その上で、あえて言っているのだ。時空研の所長が決めた事なら、最後は怜も従うしかない。怜には、晶の側に居てやる事しかできない。理解者として。友人として。一方で怜はひとみに対して、研究者としての興味はある。

「時輪ひとみはセレン研究所の研究員だった。君の異東京での同級生でもある。亮、君が呼んだの?」

 怜は亮に質問する。

「そうかもしれません。でも、俺には分かりません------」

「何か私たちに隠している事がありそうね。正直に私たちに言って」

「実は、ずっと時輪ひとみの幻覚が見えていたんです」

 ひとみは亮の事をじっと見ていた。

「いつから?」

「一週間くらい前からです」

「ちょうど、私たちが委員会から計画の中止を言い渡された頃ね」

 晶は怜に言う。

「そうね。でも亮、なぜそれを私たちに報告しなかったのよ」

 怜が問いつめる。

「すみません」

「すみませんじゃないでしょ。君は自分の立場が分かっているの? 今、君達の心が世界の運命を決定しているって事を------。君の心の状態は、ヱンゲージ計画において、とても重要な問題だって事」

「------すみません」

 と亮は繰り返す。亮には、状況が掴めているようだった。

「まったく------。本当に分かってる? もう君達は一度、巨蟹学園大学の天文台の一件で間違いを犯しているのよ。それなのに一度ならず二度迄も-------。ミカも知っていたの?」

「う、うん……」

「だったら君も、私たちに接続をお願いする前に言うべきよ。ヱルゴールドでのヱンゲージ計画は人の心を扱う、物凄く繊細なものなのだから-----。ああもう、そんなんじゃ、委員会から止められるのも無理ないわね。亮、どうして黙っていたのか言いなさい」

 ひとみへの薄気味悪さから、怜はさらに問いつめようとした。

 だが、晶に制された。

「怜、ここは私が聞く。------亮、ひとみについて、あなたが思っている事をできるだけ話してくれるかしら」

「ひとみは、この世界に再生しませんでした。俺には、どうして彼女が幻覚として現れるのに、この世界に存在しないのかが、ずっと疑問だった-----。でも、彼女が何者なのか、考えていた。自分にとって、どういう存在なのか。だからそれを、自分で確かめたかったんです」

 彼らが話している間に、ひとみが倒れた。怜は、体調の優れないひとみを医務室へ連れてゆき、安静にさせながら、同時に調べた。全裸で何も身に着けていないと思っていたひとみは、例外的に、左の薬指に指輪を着けている。黄色いトパーズが輝いていた。かつて巨蟹市に現れた偽の満月は、トパーズで構成されていた。アルテミスは、トパーズを操る……。「アルテミス・トパーズ」。そんな言葉が浮かんでくる。そして右手には、別の指輪が輝いていた。

時空研が突き付けられている命題、ブルータイプとは、一体何者なのか? それは本当に人類の敵、帝国のディモンなのか。それを見極めなければならない。

 怜はひとみから発せられる人間とは違うものの固有の振動波を肌で感じとるように憎悪を感じていた。それは、出現した異界の存在に対する生物的恐怖心というのが相応しかった。しかしそれが真実、人類の敵であるという事を表しているのかどうかははっきり分からない。

 今、怜はその感覚を自分で真正面から対決し、確認しようと試みていた。青白く、ぐったりとしている時輪ひとみの身体は極度に冷えきっていた。怜は研究員に命じて、ひとみの身体にシャワーを浴びせ、温めさせた。シャワーから出て来たひとみを、怜は抱きかかえるようにベッドに乗せた。ひとみはこの世のものとは思えない美しさだった。だがその瞬間、怜はひとみに対する決定的な憎悪を抱いた。これは人間ではない。それだけではない。これは人類の敵だ。憑依されるという、乗っ取られる瞬間のおぞましい感覚が自分の中から湧きあがる。恐ろしい。ひとみ自身がそれを自覚しているかどうかは分からないが、ひとみの持つ美しさの中にこそ、危険な何かが潜んでいる。

 怜は結論した。心底の憎悪と恐怖、生まれて始めて体験した感覚、そう、これは敵なのだ。いくら擬態を使っても、隠しきれやしない。いや、ディモンたちは今後究極的に、このおぞましい感覚をも克服して進化するのかもしれない。そういう個体が出現したという証拠はまだ存在しないが、そうなったら判別する手は、ヱルゴールドの「ブラッド・スペクトル分析」だけだ。一刻も早く全人類の分析を終えなければ、人類は危うい。

 バスローブにくるまってるひとみに、今度は晶が近づいた。

「寒い?」

 晶は、怜と違って平然とした顔でひとみに近づく。

 ひとみは壁の一点を見つめたまま、観音像のように動かない。

(これが、ブルータイプか。ディモン・スターの一人が、今私の目の前に)

 晶は、温かいお茶をカップに入れて渡した。ひとみは黙って可憐な唇で飲む。晶は、意外な感覚を覚えていた。自分と変わらない。晶には、ひとみは、肌の青白い普通の人間に見える。何も変わらない。私たちと……。そして、私と。

 ひとみは鋭角な横顔をゆっくりと晶の方へ向け、切れ長の美しい眼差しで見た。

「やっと伝えられるだけの条件が整ったわ。この世界にわたしは入り込めなかったから。あなたは宝生晶さんね。晶さん、あの二人のところへ連れていって」

 晶はひとみにシャツを着せ、一緒に連れて司令室に戻った。ひとみを再び亮に会わせるなんてと、怜は反対したが、晶はなぜか行動に迷いがない。

 ヱルゴールドの所へ戻った時輪ひとみは、意識的に原田亮をじっと見ているようだった。

「君は、この世界に居ないんだろ」

 と亮はひとみに声を掛けた。

 ひとみは頷いた。

「なぜ会えなかったんだ」

「出られなかったの……」

 時輪ひとみは静かに答えた。

「私はこの時空に入る事を伊東アイによってシャットアウトされていた」

「アイがシャットアウトしているだって」

「私たちは、伊東アイに追放された。再生しなかった人たちはみんなそう」

「その人達は今、どうなっているんだ?」

「みんな月にいるわ……」

 月は侵略者の世界とされている。

「月だって。君は今、月の世界に居るのか?」

「封印されているの。月は牢獄だから」

「俺は、何度も何度も君の幻覚を見たんだ」

「私は、原田君に伝える事があってこの世界に来た。伝える為に、わたしは、何度もあなたの前にアストラル体で姿を現した。原田君の、私への関心を高める為に、あなたを魅了した。ごめんね。侵入するためにそうする必要があったの。原田君の私への想いが高まった事で、二人がヱンゲージのためにヱルゴールドに接続された時、実体化し、言葉を発するだけの条件が整ったわ。伊東アイに追放されている私がここへ侵入するには、それしかなかった」

 ひとみの幻覚は、原田カグヤのメッセージを伝えるため、この世界に侵入する為に現れたのだった。原田亮の心を引き付け、色っぽく出現して亮の心を捉える事に成功した。

 ミカはひとみの話を聞くほど無性に悔しかった。

「あなたは、電話でわたしを必死に呼んでいた。あの時、わたしは答えられる状況になかったから、今全てを話す、そのために来た。あの時、あなたのお母さん、原田カグヤさんに何が起こったのかを、伝える」

 そもそも、時輪ひとみを電話で呼んでいたのは原田亮だった。あの時の想いが今、実体を伴ってひとみを召還した。亮が自分で召喚してしまったのだろう。彼女の幻影を見たお蔭でミカと気まずい関係になったが、そもそも時輪ひとみに電話しなかったら、原田亮は来栖ミカと出会えなかった。ミカとの出会いのきっかけとなったあの電話が、今日まで問題を引きずる事になった。だが、これで終わらないような気がする。

 かつて、異東京での戦争の直前、亮は母親と連絡が取れなくなった。しばらくして、学校で同級生の時輪ひとみから突然母親の事を伝えられた。原田カグヤは、ひとみと共に政府の仕事をしていると。しばらく、会えそうもない、訳は話せない。あの時、ひとみは申しわけなさそうに、ただただ亮にそう言っただけだった。

「わたしはあの世界で、カグヤさんと同じセレン研究所のメンバーだった。途中から、学校で、あなたの質問にほとんど答えられなくなった事を、心苦しく思っていた。ごめんね」

 ひとみは切ない声で謝った。ひとみは学校に来なくなった。しばらく、ひとみとの連絡は通じた。ただ、何をしているのかは一切伝えてくれなかったが。そして、帝国との戦争が始まった。

「カグヤさんは、月の女王セレネーの力を持っていた。私たちは、カグヤさんをサポートする役割だった。セレネーをカグヤさんの中に召還すれば、ディモンを消す事ができる。けど、最後の最後で、カグヤさんは姿を消してしまった。そしてヱルセレンは月のディモン・スター、ヘカテに乗っ取られてしまった。あっという間の出来事だった。ヘカテは、ヱルセレンを操ってダークフィールドを一気に臨界点まで突破させた。それでエネルギーはプラスからマイナスに逆転し、一気に地上にダークフィールドが蔓延し、特異点から大量のディモン軍が侵略した。それは月からの侵入経路を作った。月の軍団の本体が地球になだれ込み、空は月から来た数万のダークシップ艦隊で溢れかえった。カグヤさんは最期の時に言った。……私がこの計画を成功させていれば、こんな事にはならなかった。ごめんなさい、だけど私は行かなければいけないって」

 原田カグヤは、どこへ行ったのだろう。なぜ、計画を放棄して、自ら出て行ったのだろう。

「わたしも、わたし自身の存在の意味を取り替えられた。ブルータイプになって、アイによって月へと追放されている」

 戦争が始まって、連絡が取れなくなった原田亮は、母と時輪ひとみが居る新宿の都庁ビルの地下基地へと向かった。母がどうなっているのか、生きているのか死んでいるのか? しかし入口は堅く閉ざされ、中に人の気配はなく、仕方なく亮は入口でひとみに連絡をし続けていた。そしてミカと繋がった。

「あなたのお母さんからの伝言を伝えるためにわたし、ここに来たわ。……私の事は心配しないでって。あと、これ、カグヤさんだと思って持っていてって。形見だって。直接渡せなくてごめん、て」

 ひとみの白い手に、黒い石の着いた銀色のリングが輝いていた。石は、繊細にカットされている。ヱルセレンと同じ色をしている。ひとみの右手から外されたそれは、確かに母の指輪だった。亮は受け取った。

「今、母さんは月でどうなっているんだ?」

「……分からない……。最後の日から、一度も会っていない」

「君と同じ、月に居るんじゃないのか?」

「月にいるのかどうか、分からない。もしそうなら、カグヤさんは、わたしより、ずっと深い月の地下の世界に閉じ込められているのかもしれない……。でも、そうではないのかもしれない。本当に、何も分からない。あの日、私はカグヤさんから伝言を頼まれて、それを果す為にずっと今日まで生きて来た。原田君に会うために」

 原田カグヤもきっと時空シャットアウトされているのだ。この新しい時空で何がOKで、何が駄目なのか、全ての生殺与奪を伊東アイが一人で決めている。それが、生まれ変わった新しい世界の秘密だった。アイがこの時空を支配しているからだ。いや、それ以前の世界からずっと。何という恐ろしい世界だろう。晶はそんな事は許せないと思う。

「君や、追放されたブルータイプ達は月で一体何をしているんだ?」

「……」

 ひとみは語らない。

「異東京を滅ぼしたのは、ブルータイプなのかしら?」

 晶は問題の核心をぶつけてみる。

 問いかけに、ひとみは黙って頷く。

「セレン研究所の人間は、異東京に出現した青い血の人間にすり変わったわ」

 だから亮がセレンタワーに到着した時、研究員たちは居なかったのだ。出現したブルータイプの研究員たち、原田カグヤ、時輪ひとみは、伊東アイによって、月の時空へ飛ばされ、封印されたのだった。

 ミカは、ひとみの左手のトパーズの指輪が輝いているのを、不快そうに見ている。あの巨蟹学園で出現した偽の満月を那月が破壊した時、トパーズの破片が飛び散った。

「あなたは自分で、帝国のディモンである事を自覚している?」

「いいえ。自分がなぜ青い血なのか分からない」

 ブルータイプは、自覚のある侵略者ではないという事は確からしい。

「あなたは、ディモン・スターなの?」

「それも分からない」

 ひとみの、エッジの効いた顔立ち(エッチではない)がピタリと動かず、まるで写真が絵の像のようだ。

「私が知りたいのは、ブルータイプが人類の敵、ディモンなのかって事よ。ディモンは月から来る。あなたは月から来たんでしょ」

「現在の月は、伊東アイが牢獄にしているだけ……。月は邪悪なものじゃない。月は本来進化の源だから」

 ひとみの声は語る程に聞き取りづらくなり、小さくなっていく。像がぼやけていた。

「じゃあ、そのブルータイプって一体何なの? 今、あなたが語った、シャットアウトされた人達、ブルータイプの中から、その一部が地上にまた出現し始めている。それは私たちレッドタイプとは、明らかに周波数の違う存在。ディモンなのかどうか、答えてちょうだい!」

 晶は焦っている。ひとみが消える前に、何としてもディモンかどうかを確認しなければならないからだった。

「新世界では、ブルータイプとレッドタイプは双子のようなものじゃないかしら。元の人類は、来栖ミカと原田君だけだから」

「な、何ですって……!」

 一瞬、晶にはひとみの言葉の意味が分からなかった。

「すべてビックバンのプロセスを辿って、この世界は再生した。最初に二人から再生した人類が、鮎川那月。彼女はブルータイプだった。来栖ミカは、その鮎川那月を想って世界を再生した。だから、その後の人間は、すべてブルータイプだった。でも、伊東アイはその事実を扮飾するために、ディモン・スターの鮎川那月以外のブルータイプを、瞬時にレッドタイプに作り替え、進化させた。それが、巨蟹学園で起こった事件、その時に伊東アイが行っていたこと。そうして進化して、沢山増えたレッドタイプを人類の基本にしていった。つまり、レッドタイプの基本はブルータイプで、両者は共に月のエネルギーを受けて誕生した同じ種族。だから私には、自分がディモンかどうかは分からない」

 晶だけでなく、ひとみの言葉に全ての関係者が唖然としている。

 究極に進化したブルータイプの擬態は、すでに存在している、それが自分たちレッドタイプだというのか?! レッドタイプはブルータイプの最終進化形だという。元から全員が鮎川那月に継いで誕生したディモンなのだ。原田亮と、来栖ミカを除いて。だとすると、ディモンとの違いは? もはや違いなどない。血の色が違うというだけで、むしろ、同じではないか。

 宝生晶は、ひとみに対して、怜のような恐怖感、異質感を持たなかった。この突然出現した時輪ひとみに共感すら覚え、彼女の語る言葉に真実を感じているのだった。

「アイが気づいたわ。もう、形を留めている事ができない。さようなら、原田君。会えてよかった」

「ひとみ、君とはもう、この世界で永遠に会う事はできないのか------」

 亮が尋ねる。ひとみは亮の問いに首を横に振る。

 ミカはキッとなった。なんで亮は時輪ひとみにそんなにこだわるのだろう。自分が隣に居るのに、信じられなかった。ひとみが現れた事は、ミカは激しく動揺させていた。亮は、本気でひとみの事を想っているんだと分かったからだ。そしてひとみには、亮を守ろうとする気持ちがある。そのことにミカは気づいてしまった。

 ひとみはやがて輪郭は薄くなり、姿を消した。

「何故今、彼女は消えたのかしら?」

 晶は怜に尋ねる。

「分からないけど、急にひとみのアストラル体の周波数がこの時空と合わなくなってしまった。もう委員会にはバレてるんじゃないかしら」

 怜は投げやりにゴールドのデータを見て答える。

「さっき、時輪ひとみが語った話だけど、怜、今調べられない?」

「やってみる」

 怜はヱルゴールドでレッドタイプの詳細データを、この世界を創造した来栖ミカ及び原田亮のデータと比べる。確かに、若干の違いが発生した。

「やっぱり、レッドタイプとされる人類は、それ以前の人類のデータと少し違うのね」

 晶は衝撃を受けた。次にブラッド・スペクトル分析上の、レッドタイプとブルータイプのデータを再度確認する。それにしても、似ているなんてものじゃない。違いは微妙であり、どう考えても同じ種族としか思われない。晶は統次の言葉を思い出していた。

「究極まで進化したブルータイプは、レッドタイプと何も変わらないまでの擬態になる。もう区別は着かない。そうなる前に--------」

 人類の敵を殲滅するのだ! そう、伊達統次は言った。だが、もともと同じ種族なら、一体どうして抹殺する事ができようか。

「ちょっと待って。これは大した差じゃないわよ。前の宇宙と今の宇宙は違う。これは単なる、平行宇宙の位相の差に過ぎない。平行宇宙が異なれば、人間の周波数はこの程度、異なっていて当たり前なのよ」

 怜は晶と違い、ひとみの言葉に動揺しなかった。眼中にないという感じで平然としている。というより、馬鹿馬鹿しいとでもいいた気な顔である。

「私は彼女の言う事を無視できない」

 モニターから眼をそらさず、晶はつぶやく。

「なんで晶は彼女の言う事を信じるの? ディモン・スターの言う事をうのみにするなんて! きっと、私たちを騙そうとしたのよ! インチキな情報に決まってる。晶、時輪ひとみはディモン・スターなのよ。アルテミスって表示したでしょ。アルテミスは、時輪経に記されたディモン・スターの名前なのよ! ヱルゴールドがそう言ってるんだから、間違いない」

 確かに怜の言う事は正しいかもしれない。だが問題はヱルゴールドも三百伊東アイ委員会からもたらされたコンピュータだという事だ。しかし、怜はヱルゴールドに関する事になると、何故か絶対的に肯定する。どういう訳か、ヱルゴールドはアイよりも自分に着くといつも思っているようだ。怜がヱルゴールドを絶対的に信頼しているのは分かるが、果たしてヱルゴールドが真実を述べていると言えるのだろうか。

「アイはレッドタイプに対し、ブルータイプから進化した事を誤魔化す為に、『人類』の自主性を尊重する格好を取り続け、鮎川那月が増やした純粋なブルータイプを抹殺させ、スッ恍けている。アイは問題をなかった事にしようとしている。ブルータイプとレッテルを貼った方を皆殺しにし、なかったことにしようとしているんだわ。どちらかといえば、人馬市の方が帝国そのものなのも、それが事実だから。世界は偽りに満ちている」

「ねぇ晶! 私たち人間と、アイとどっちが認識が上なのよ? アイの深遠な考えは晶のような只の人間の智慧を越えているわ! まずそれを認めなければ」

 怜は猛反発した。

「ブルータイプも、私たちと同じ星に住む人間よ。血の色が違う以外、何が違うというの」

「同じなんかじゃないわ! 明らかに違う。異界の化け物よッ。あなたにはそれが感じられないの?」

 怜は、頭のおかしなヤツでも見るような目つきで晶を見る。怜は巨蟹学園大学の天文台で、鮎川那月を側に置いていて観察していた。けど入れ代わってからは決して近寄らなかった。出現した時輪ひとみに、おぞましい異種族に対する恐怖を感じた。しかし晶はなぜか怜が言うようには感じてないらしい。

「しばらく、ヱンゲージ計画は中止した方がいいと思うわ」

 怜はひとみが出現した事で、計画の続行を危ぶんだ。

 だが、二人の話を聞いていたミカは激しく怜と晶に食い下がった。

「きっとうまく行くわ、きっときっと。だからやめないで……! このまま止めたら私、納得いかない。だから、お願い-----」

 ミカは晶に、だだっ子のようにしがみついて、叫んでいた。

 ミカにとっては亮と自分がツインソウルなのかどうか確認するには、ヱンゲージを試してみるしかなかった。

「駄目よ、これだけは。危険すぎるのよ、ミカ」

 怜は諌める。

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