第3次元 ブラッド・スペクトル

第22話 ブルービーチ


 過ち続ける人類の選択のプロセス

 新たに生まれた楽園に蛇が侵入し、月からの闇は確実に侵攻していく

 宝生晶は、智恵の実を口にし、自らヱデンを出てゆく

 人類はやはり、間違ったところからしか始まらないのか




 目を閉じ、再び開けると

 鏡に映した右目は青い

 燃えるような瞳はガスコンロの青

 天才少女が創った盆栽箱庭宇宙

 パラダイスの

 青いリンゴと赤いリンゴ擂った

 ジュースをマドラーで

 まぜまぜ飲んでみた

 禁断の果実 アップルン

 さぁ触れてごらん

 とっても柔らかいんだよ

 さぁもう一口 上目づかい

               鮎川那月の置き手紙



ブルービーチ


 空虚な光に包まれて、透明な風ばかりが校内を通り過ぎていく。闇の気配はどこにも存在しない。それが来栖ミカがテレパシックに感じた結論だった。闇の代わりに、巨蟹学園高校は静寂を取り戻している。

「なんであたし達に何の説明もないのよ」

 来栖ミカは昼休みに、校庭の芝生で隣に座る原田亮にささやく。

「あいつらはどうなったの?」

「やっぱりこの間来てた軍用トラックの連中に連れていかれたんだ。兵士達が何者で、親衛隊たちがどこに連れていかれたのかは分からないけど、もちろん国防省関係だと思う。国防省があるのは、人馬市だ」

 鮎川那月の親衛隊の中核だった学生百人が、突然学校へ来なくなった。彼らは、那月が特に手足のように動かしていた取り巻き連中だった。だが奇妙な事に、学園内で少年たちの事を覚えている者が誰も居ない。知らないふりをしているのではないらしい。まるで最初から彼らが存在しなかったように、生徒も、教師達さえも百人の事を覚えていない。そしてその異変に、巨蟹学園の誰もが気がつかないつまりの親衛隊は、完全に存在を消されてしまったという事だ。

 だが、その事実を知る者は二人の他に、巨蟹学園にいない。事件の記憶の一切が、人々から消えていたのだ。ミカと亮は、国防省が那月の百人の親衛隊たちを連行したとほぼ確信しているが、宝生晶ははっきりと答えてくれない。

 那月の親衛隊は全部でおよそ五百人は居ただろう。消えなかった残りの約四百人は、中核メンバーの周囲に群がっていた程度の連中だったが、彼ら自身も、事件については無論、消えた百人の事をすっかり忘れているらしい。

 那月の魔力でコントロールされていた親衛隊の残りの四百人の生徒たちは、まるで悪夢から目覚めたように平素の姿に戻り、鮎川那月の存在も忘れていた。誰も鮎川那月なんか知らない。教師たち、他の生徒たちも、那月の事を覚えていない。

 変化はそれだけではなく、生徒会長の伊東アイも姿を消した。生徒会長には三年生の選挙で負けたはずの対立候補が、いつの間にか就任している。同時にメディアからアイドルの伊東アイも消えてしまった。入念な事に、世の中にその証拠も一切残されていない。周到に抹消されていた。テレビから消え、そしてどのような細工をしたのか、すでに発刊されている雑誌や携帯サイトなどの証拠も残っていない。今や、伊東アイという存在が居た事さえ、世間の誰も覚えていないのだ。

 よってもはや、巨蟹学園で鮎川那月と伊東アイの戦いを覚えているのは、完全に来栖ミカと原田亮だけだったのである。


 ミカは放課後、毎日のように巨蟹市の中央病院に通っている。鮎川那月は消えてなどいなかった。そして那月自身は人馬市へと連行もされる事もなく、未だ市の病院に入院している。那月は個室をあてがわれ、ベッドで一人で寝ていた。部屋には、遠浅の白い砂浜の青い海、「ブルービーチ」の写真が飾ってある。ミカは毎日、お見舞いに色々な雑誌や本、那月が大好きなお菓子を持っていく。今日持ってきたのは復刻アイスの「宝石箱」と鎌倉名物の鳩サブレー。だが、那月はあの夜以来、虚脱感に包まれたように、気力も体力も全く失せ、それらを見せても、興味を示さない。ミカは仕方なく、自分でアイスを食べた。

 那月は、もうあの時の異様な元気さはない。学園を支配した時のようにイキイキとした感じが全くなかった。極度に弱り果て、やつれている。別人と言っていい。だが、医者によると原因不明で、医学では完全にお手上げだと言う事らしい。担当医によると、鮎川那月は調べても健康な人間と違わないと言うのである。

「あの先生、那月の血液とか、何か異常はありませんでした?」

 ミカは、那月のベッドの側の丸椅子に腰掛け、五十代の担当医に聞いた。

「血液は、全く異常はないですね」

「でも、血の色とか」

「色ですか? 正常ですよ」

「赤いって事ですよね。本当に、血液に何か違いはありませんでしたか? 他の人と違うところとか」

「健康な人と変わらないですね。もちろん違うといえば、那月さんはA型なので、そうでない人とは血液型が違うでしょうけれど」

 医者は那月の「血液」に疑問を持たなかった。だがミカは確かに、救急車に担がれた時、那月の口から、赤ではなく真っ青な血が流れていたのを見たのだ。それは目の錯覚ではない。それともあれは、一瞬の出来事で、現在は違うという事か。

 医者が部屋を去った後、那月は上体を起こして大きく咳き込んだ。両手で口許を覆い、咳を続ける。ミカは那月の背中を抱きかかえるように摩る。那月の両手に青い血が着いている。那月はそれを見て恐怖に顔を硬直させながら、涙を滲ませ、両手を震わせていた。やはり、あの時見たのと同じ青い血だった。なぜ医者は青い血に気づかないのか不明だ。彼らには見えていないのか。

 医者が分からないはずがない。しかし、医学でそれ以外の那月の身体の以上の原因が分からないという理由を、ミカは何となく予想できていた。これは特殊能力が絡んだ、高度に超科学的な問題だ。到底、現代医学の範疇を超えている。那月は自分で放ったパワーの反作用で弱っているのだ。むろん、医者には分かるわけがないし、治せない。

 那月には、もう、かげろうのような命しかないように感じられた。それは、那月のパワーの源が、ヱル・アメジストの増幅した月のエネルギーだったこととも関係があるかもしれない。そして途中からは、ダークフィールドを摂取する事で力を得ていた。そして那月はその両方を失った。

 那月は、巨蟹学園の天文台の望遠鏡で月から集めたダークフィールドを石に閉じ込め、それを使ってシンパの生徒たちから青いアストラル波を吸収していたのだ。

 那月はあの時力を得てから、急に大食になっていた。しかし肉を一切口にしなかった。しかし食事だけでなくディモン・スターとしての超能力を維持するためには、ディモンの生気を飲まねばならない。その為に、夜の生徒会があった。

 ディモンたちは、普通の食事をしつつ、ダークフィールドを吸収している。人間及び社会に破壊と混乱をもたらす事により、エネルギー源であるダークフィールドの生産、拡大をする。元々は、人間社会を維持する霊的エネルギーが、ダークフィールドに変換されるのだ。よって、人間は帝国にエネルギーを奪われることになる。そうしてダークフィールドをまとったディモンの青い血は、ダークフィールドの純粋な結晶であり、ディモン・スターの力の源なのである。だから彼らの血を吸収する那月は眠らなくてもよかった。

 ディモン・スターは自分より下等なディモンの生気を吸収してパワーを得る。サイキック吸血鬼である。しかもそれは、同族、つまりディモン同志で行われている。

 帝国は完全な階級社会であり、上級ディモン・スターにはディモン達は絶対服従をし、自らの血と生命を差し出す事を喜びとする。ディモン達が多い程、ディモン・スターは丸まる太り、力を得る。その代り、ディモン達は生気を奪われ、ゾンビのようだった。そしてさらに思考の自由を奪われ、自分で考えることさえできない。那月が、親衛隊を必要としたのは、彼らの青い血が必要だったからだ。

 那月は、あの時ミカの赤い血を試しに舐めてみた。しかしそのとたん、那月はアストラル波を乱し、吐いてしまった。那月が肉を摂取できなくなったのは、肉の血が赤いせいだった。ディモン・スターが摂取する血は、あくまで青い血でなければならない。

 那月にはもはや夜の生徒会もなく、月の石・ナツキナイトも失い、天文台にも行くことができない。ダークフィールドを摂取できないディモン・スターは生気を失い、同時に、ダークフィールドを吸収して得ていた一切のパワーも失った。だからもはやデーモニッシュなオーラもまとっていない。それにつれて人格は元の人間に戻った。だが、只の人間として見ても弱々しい。

 ミカは那月を横にさせると、目をつぶり、那月のハートに向かって手をかざす。以前那月が最初にパワーを得た時に、ミカにやってくれたように。あの時の那月程の力はないが、自分でも僅かながらヒーリングができると分かっていた。そう、今は、自分にしか治せない。それしか彼女を助ける手立てはない。だから、ミカは毎日放課後に病院を訪れ、医者の目を盗んでヒーリングを行っているのだった。

 那月は、比較的落ち着いているときでも、あまりミカと話しをしようとしてくれない。すっかりふさぎ込んでいる。亮が自分ではないミカを選んだ事、この世界全体に対する怯えを持ち、何より伊東アイに対する怯えが強かった。

 なぜか那月のところに、人馬市の兵士は来なかった。だが那月はアイに、怯えていた。那月の意識ははっきりとしたが、極度に怯えている。

「アイが来る、アイが来る、アイが……来るぅう!!」

 アイが自分を殺しにくるといつも言う。那月にとって、ミカだけが希望であり、ミカにすがった。

「あいつが来る、あいつが来る! そして、あたしを消してしまう!! いや、いやぁ、いやぁぁあああ!!!」

 那月に親衛隊が消えた事は言っていなかったはずなのに、何故か那月は気づいているらしかった。今度は自分が消される番ではないかと。力がなくなったとはいえ、那月は微弱なテレパシーで察したのかもしれない。

「大丈夫、いないわよ、ここには伊東アイは来ないから。安心して」

「助けて、ミカちゃん、お願い!」

「私が守る、私が守るから! ね、きっと」

 ミカはアイに怯え続ける那月を抱きしめて何度も何度も繰り替えしなぐさめた。

「来ないわよ! ここにはアイはいないの。だから安心して」

 まるで捨てられた子犬のようにガタガタと震える那月をミカは抱いた。かわいそうな那月。那月の身体は冷えきっていた。

 食事が運ばれて来た。

「那月、おかゆだよ」

「わたし……ミカちゃんに、酷い事をした。酷い事を言った。許して……許して?!」

 那月は涙を一杯に溜めて、子犬のような目で自分を抱きかかえるミカを見上げる。

「そんな事ないってば。大丈夫だよ! 那月はよく頑張ったんだから」

「ねぇ、許してくれる?」

「あたしだって那月にひどいこと言った事あるよ。那月、覚えてないけど」

 那月は黙った。

「ちょっと失敗しちゃっただけだよ、ね? 私だって那月に酷い事したんだから。おあいこだよっ? ほら、早く食べないと、おかゆ冷めちゃうよ!」

 ミカは笑ってお椀を那月に差し出す。

「うん!」

 那月は笑顔で鼻水を垂らしながらお粥に口を着けた。入院以来、やっと笑ってくれた那月。ミカは那月の鼻水を拭いてあげた。この先、この子を、たとえ何があっても一生守って生きていく。

 那月はあの夜、素晴らしいライトフィールドの能力を覚醒させた。水をつかさどり世界を救う力だ。それは、地球を救う偉大な戦士の誕生だった。だが、覚醒したばかりの那月は危険にさらされていた。那月は、確かにディモン・スターなのかもしれない。今もってそうなのかもしれない。那月は意識的でなかったとしても、深層意識レベルで、隠れた帝国の目的に操られ、突き動かされていたのだろう。だけど、那月は亮とミカの話を最初から信じてくれて、その素晴らしい知性と、自ら獲得した能力で、二人よりも地球を守ろうとしてベストを尽くした。根本的に伊東アイがディモン・スターであるという勘違いはあったのだが、それはミカと亮も同じだった。確かに那月には間違いや勘違いが多々あった。いや、勘違いだらけで、その行動はほとんど空回りだったかもしれない。しかし、それはミカと亮も同じなのだから、責める事はできないとミカは思う。むしろ、那月を巻き込んでしまった申し訳なさでいっぱいだった。

 何故、伊東アイは全てを知っていて、教えてくれないのか。三人の選択を見ていた、というのだが、あまりに冷たいと、このところそればかり考えている。

 その結果、ミカと那月は対決するまでに至った。そこには那月の、亮への一途な想いがあった。那月の、燃えるような瞳。あの時、季節は晩秋なのに、どうして巨蟹学園だけ真夏だったのか。あの時、ヱルアメジストによって設定された那月が、世界の中心だった証拠だ。那月のハートは、恋でホットになっていた。だから、伊東アイが巨蟹学園の時空だけ、他とずらした時に、三ヵ月前にずれて八月になったのだ。

 だけどミカは那月を憎めない。同じ亮を愛するミカとしては、那月のピュアは気持ちがよく分かる。那月は親衛隊や学園をその美貌で悩殺したが、亮に対してはそんな魔力は使わず、純粋で一途で、そして思い込むと他が何も見えなくなってしまう程激しい。それは、ミカよりもずっと激しいのかもしれない。

 那月はベストを尽くした。決して、地球を侵略してきた帝国の手先を、意識してやっていた訳じゃない。ただ、間違って利用されてしまっただけなのだ。那月は、必死に彼女なりに考えて、地球を守ろうとした。その気持ちを、結果が間違っていたからと言って、伊東アイに全否定されてしまう事は、ミカには認められない。許せなかった。このままでは、那月は完全な悪役だ。今回の全ての事件の悪玉じゃないか。それじゃ、那月は浮かばれない。だから自分が側に居てやらなくちゃ。ミカはそう強く決心する。

「那月。那月はあたしが守る」

 都庁の夜に、那月はミカを助けに来てくれたのだから。今度こそ、ミカが那月を助ける時が来た。那月は学内で自分のシンパを拡大し、最後、自分を殺そうとするまでに至った。だが今は全世界が那月の敵となり、那月はその事にとても怯えている。可哀想だった。--------戦ってやるわ。那月を守るためなら、ミカは国家権力、国防省、時空研、いや、世界を支配している委員会、伊東アイとだって戦ってやるつもりだ。何もかも、アイのせいなんだ。アイに対して、よい感情を持てと、どんなに時空研の連中に言われても、今のミカには到底無理な話だった。


 ミカは病院から出て、病院の外で待っていた亮に那月の状態を説明した。

「やっぱり医者に原因は分からないみたい。医学的には原因不明なのに、身体が弱り続けているって。まだ亮は会わない方がいいわ。身体もだけど、精神の方が弱って、落ち着かない。亮を見たら、何をするか分からないから。これ以上、那月を興奮させないようにしないと」

 亮は、必要があれば那月に会おうと思って一緒に来ていた。

「那月は夜の生徒会長をやって、髪が水色になり始めた頃から、アイと戦いを始めた時、すでに以前の那月じゃなかった。幼稚園からのつき合いだったけど、あんな那月、初めて見た。見たくなかった。あんなに、頭が良くて、かわいくて、いい子だったのに」

「鮎川は平行宇宙のディモン・スターだった自分と一体化、いや、入れ代わったんだ。本人は地球を守ってるつもりで、その実、正反対の事をしてた。侵略者の手先として働いていた。気づかないうちにな。そのうちどんどんダークフィールドに包まれて、自分が自分でなくなってくると、やがて元の自分が何だったのかも分からなくなる」

「そう……。那月は結局、ディモン・スターだった。そういうことだよね。でも、何で那月は国防省に放っておかれているんだろう。親衛隊は国防省に連れていかれたに違いないのに」

 亮とミカの携帯に、メールで時空研の不空怜から連絡が来た。出頭命令だ。東京時空研究所では、第二段階ヱンゲージへ向けた準備として、原田亮と来栖ミカをヱルゴールドに繋げる調整が予定されている。二人は、明日から時空研の正式なメンバーになるという。ヱルゴールドでの調整以外に、車の運転、射撃訓練、マーシャルアーツ、技術や軍事に関する専門分野の授業が二人には課せられていた。それで二人は基本的に週に四日、時空研に通う事になった。


 ミカは家に戻った。ピンクで統一された自室のベッドでうつ伏せになり、枕に突っ伏していると、伊東アイの顔が浮かんでくる。

「あんなヤツが世界の支配者だなんて。これから時空研でもあいつの言う事を聞かなきゃいけないなんて。いやよっ! 私は支配されるのが大っ嫌いなのよ!」

 ミカは叫び、唇を噛んだ。伊東アイ。世界を支配している女。

 一層腹立だしい事には、伊東アイが頭にちらついて苛立ち、歌に集中できなくなった事だった。昨日まで歌えた曲もちゃんと歌えない。今はアイドルの伊東アイは居なくなったが、CMや街の大看板、雑誌の表紙にたびたび登場した彼女は、また時空研に行けば会う事になる。

「ああっ、伊東アイ。どうして邪魔ばかり……するのよっ。そうよ、私は世界の支配者のあんたに比べたら、社会の底辺にこびり着いたカスみたいなもんよ。だからってわざわざ高台から降りて来てあたしを惨めな気分にさせる事ないでしょ!」

 歌えないのは伊東アイのせいではなかった。だが、ミカはアイの姿がちらつき、どんどん気力が失せてしまう。梅のしば漬けを一袋食べ続けている。

 もうイイんだ。この世界は、しょせん彼女が創った世界なんだ。あたしが世界の創造主なんて、うわべだけの事。彼女は、なろうと思えばなんでもなれる。この世は彼女のルールで動いているのだから。私なんか、あいつが人さし指でほんのチョットつつけば、それで潰されてしまう。伊東アイは、アイドルでも何でも、自分の支配する箱庭世界で好き放題にやっている。だから、彼女の創った世界では勝てないんだ。

 世界の支配者が相手では、この世界の、この時空のどこへ行こうと、逃げ場はない。彼女の支配から逃れられない。ミカはうずくまった。自分が世界の運命を背負っているという話も相変わらず受け入れる事ができない。苦しかった。

 ベッドの傍らに、黒髪の女が立っていた。生徒会室でアイと対決した時に救ってくれたあの女の霊だった。今はまるではっきりと触れる事ができような実感を伴って、霊はそこに居る。

「どこに行っていたの? あなたを待ってたのよ。わたしにはもう、あなたしか頼れる人はいない。わたし、どうすればいいの?」

 ミカはベッドに女の子座りした。

「私はいつもお前の側にいる。私はお前から片時も離れた事はない。お前が気が着かないだけだ。守って欲しくば、私の事をもっと念じよ。親和の法則によって、私はお前をより強固に守れる」

 霊は静かな声で言った。

「だったら、もっと分かるようにはっきり姿を見せてよ。わたしを助けてくれるんでしょう。こんなに苦しんでるのに」

 ミカは不満げに抗議した。

「そう簡単に、姿を現す事はできない。あの女に、私の存在を気づかれない為に」

「伊東アイの事ね? あいつ、まだ気づいてないの?」

「まだ気づかれてはいない。あの女は、私の存在に気づいたなら、ただちに私の目的を阻止しようとするだろう。私とお前、我等の目的を、あの女に阻止される訳にはいかない。ヤツが私の存在に気づく前に、お前の力の解放させる。ヤツはお前の力を恐れている。お前はすでに様々な力を備えている。だが、今こそお前の中に眠っている真の力を発揮させる時が来た。お前の中にある本当の力を開放すれば、何者にも支配されない存在になれる。今お前がなすべきこと、それは自分の力を意識して使い、増幅する事だ。それまでは無駄な対立は避けろ。それが兵法だ」

 声は静かで大きくないが、ピシピシと緊張感が漂ってくる。

「また私に、戦えっていうのね」

「不服か?」

「ええ、嫌よ。助けてくれるんなら、あなたが私をいつも助けてくれたらいいじゃない。どうして私に戦えなんていうの? 世界を支配してるやつなんかと、どうやって戦えっていうのよ!」

 ミカは突っぱねた。

「言ったはずだ。甘えは許さぬと。私はお前が知らぬ、お前の力を知っている。お前には偉大な力が眠っている。その宝を解放するために、私はお前を鍛える」

 あぁもう! また宝生晶や、伊東アイと似たような事言って! どうしてこう、どいつもこいつもあたしに偉そうに命令ばっかりするんだ。

「冗談じゃないわよ。なんで私が? 助けてくれたのだって、たった一回きりじゃない。何でいきなり現れたあなたに、そんなに偉そうにいわれなくちゃいけないのよ!」

「この時空を主体的に生きているのはお前だ、私ではない。その事を勘違いしてはならない。それが法則なのだ。私の唯一の役目は、お前が真の力に目覚めるまで鍛え上げる事だ」

 あーそうですか。伊東アイと似たような事言って。

「ところであなた名前は? 名前がないと、困った時にどう呼んでいいか分からない」

 しかしこの黒髪の霊は何故かミカと親密な関係があるように感じられるのだった。赤の他人とは思えない。だからその正体を探りたかった。

「ヱルゴールドに接続された時、お前自身の中にあった、生きたいという決心がわたしを引き寄せた。お前を守り、導く為に。これはお前と私だけの秘密だ。原田亮にも言うな。私は周囲に悟られぬよう、今後お前の前にあらわれるつもりだ」

「そうか、分かったわ。いつも守ってくれるって事は、あなたはつまり私の守護霊ね? ね、そうでしょ?! 守護霊さん」

「……」

 問いかけられた黒髪の霊は黙り、消えてしまった。今後、この女の霊のことを、守護霊と呼ぶことにしよう。しかしこの守護霊は、必要の事以外は決してしゃべらないタイプとうかがえる。

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