第21話 涙のパラダイス

 雨が止んだ。三日月が雲間に現れる。

 ミカは花びらが散乱したままになっている青い薔薇園のベンチに座って、今後どうするべきか考えていた。

 ふと思い出した。

 今日は、那月が言っていた天文台の所長が戻ってくる日だ。天文台のコンピュータは、間違いなくヱルメタルだった。所長があのコンピュータの秘密を知らない訳がない。いや、もしかすると所長は、何もかも事情を知っているかもしれない。ミカは僅かな希望を持って大学の天文台へ行った。

 アメジストのドームは煌々と輝いており、部屋の明かりが着いていた。天文台のドアは開放されていた。ミカは恐る恐る中へと入っていった。伊東アイが居るかもしれない。研究室に白い猫が入り込んでいるのが目に入った。白い猫は、餌皿に入った黒い液体を小さな舌で舐めている。しかし、猫の動きが止まって、白い女性の手が猫を持ちあげた。猫は精巧なロボットだった。

 一人で片づけをしている眼鏡を掛けた女性が、猫を撫でている。まさか、伊東アイでは?

 それとも、まさか那月が? 中に入ると、そこにはなんと不空怜が居た。姿勢よく、ボーイッシュで中性的な雰囲気を漂わせた眼の大きな女。あの東京時空研究所でヱルゴールドを操作していた彼女だ。不空怜はミカに気づいて微笑んだ。

「ヤッホー。久しぶり」

「怜さん?! って、なんでここに居るんですか!」

 ミカは思わず駆け寄って叫んだ。怜は眼鏡を取って、にっこりとした。

「この天文台の所長だから」

「え? 怜さんが那月の言ってた所長なの」

「うん、そう」

 怜は大きな口で微笑んで返事する。怜の指にはアメジストの指輪が光っている。この天文台ドームのアメジストと合わせているように。所長とは、不空怜の事だったのだ!

「一体何がどうなっているのか説明してよ怜さん。私、基地にも行ったのよ。そしたら瓦礫だったし、時空研はどこかに消えちゃってた。ずっと連絡つかなかったんだから。怜さん、基地から来たんでしょ?」

 ミカはアニメ調のキンキン声で叫んでいた。

「もちろん消えてなんかないよ。消えているように見えただろーけど。これまで、事情があって君達に説明する事ができなかった。登場が遅れてしまってごめん。心から謝る」

「遅いなんてもんじゃないわ。一体何をしてたのよ! あぁもぉ言いたいこといっぱいあるんだから! 侵略者はもうこの世界に溢れているし、月面には敵の戦艦が……私も亮も、危ない目にあったんだよ! 亮、消えちゃったし、それに、那月、那月が……」

「那月さんの事、全部知ってるよ。申し訳なかったって思ってる」

 不空怜は、ヱルゴールド同様、ヱル・アメジストのメタルマスターだった。怜でなければ、ヱルアメジストの真の力は発揮できない。それは単なるスーパーコンピュータで終わってしまうのだ。だがむろん、ヱルアメジストは単なるスーパーコンピュータなんかではない。だが那月にも怜ほどではないが、これを使いこなす才能があった。

「わたしが鮎川那月を見い出したの……。あのコは、とっても優秀な力を持った子だった。メタルマスターの才能があった。私以外で、ヱルアメジストと交流できた唯一の人間だったんだ。ヱルシステムは、心で交流するものなの。アメジストのメタルマスターでなくても、少なくともヱルメタルのどれかのメタルマスターにはなれたかもしれない。だから、天文部を彼女一人にしたのも、私だった。英才教育を施そうと思ってね。それで、那月さんにはいろいろ施設を使えるように便宜をはかってあげた。だから、大学生でも、彼女くらい自由にここを使えた子はいなかった」

 ヱルとまともにコミュニケーションできるのは特殊な能力者だけだ。不空怜が高校の天文部を取り潰さず、鮎川那月という生徒を優遇したのは、那月が怜と同じくヱルのメタルマスターになりうる力を持っている事を知ったからだ。怜は天文部を那月一人だけ残した。那月のヱルの操作はめきめきと上達した。

 だが、那月がヱルを使えたのは、怜のようなメタルマスターではなく、ひょっとすると時輪ひとみのような特殊能力者だったからではないか? そう考えないと那月の発揮した力は説明できない。怜に、那月のような力の活性はない。

「やっぱりこれ、ヱルだったのね。でもどうして学園の中にヱルがあるの?」

「何もかも計画よ。すべて基地で説明するから」

 詰め寄るミカに、怜は口数少なく答えた。以前会った時はざっくばらんで取っ付きやすいキャラクターだった怜は、何故か寡黙だった。

「亮は消えていないわよ」

「なんですって! 今どこに?」

 ミカは怜に迫った。聞きたい事が沢山あった。

「基地に居るわ。これから会わせてあげる」

「基地に行けるの?」

「もちろんよ。事情があって隠してあったのよ。これから出発しましょ。向こうで説明するわ」

「急いで欲しいの。あいつが、ここに入って来る前に」

「焦らなくてもすぐ出発するわ。なぜそんなに急ぐの?」

「うちの高校に居る侵略者の伊東アイってヤツが神出鬼没の化け物だからよ。ここに私たちが居る事を勘づかれたら一貫のおしまいなんだから!」

「じゃあ車に乗って」

 ミカは怜の車の助手席に座って、不安げに月を見上げる。白い三日月が雲間に静かに浮かんでいる。黒い船は一体今どうなっているのだろう。

 白羊の街に入り、住宅街をしばらく走る間、怜のカーステレオのラジオから伊東アイの曲「涙のパラダイス」が流れてくる。


「彼らは、ふりかえり、ほんの今先まで

 自分たち二人の幸福な住処の地であった

 楽園の東にあたるあたりをじっと見つめた。

 彼らの目からはおのずから涙があふれ落ちた。

 しかし、すぐにそれを拭った。

 世界が……そうだ、安住の地を求め選ぶべき世界が、

 今や彼らの眼前に広々と横たわっていた。

 そして、摂理が彼らの導き手であった。

 二人は手に手をとって、漂泊の足どりも

 緩やかに、ヱデンを通って二人だけの寂しい路を辿っていった」


「ちょっと、-------音楽消してくれる」

 ミカが不愉快そうに言うので、怜はミカをチラッと見て、無言でラジオを消す。


 白羊市内に、あの眩く輝く黄金ドームが現れた。時空研の基地は存在していた。助手席のミカは信じがたい思いで見つめていた。基地はあの夜の姿に戻っていた。

 駐車場で車から降り、エレベータに乗って地下ホールに着く。目の前に原田亮が立っていた。

「無事だったんだね、亮」

ミカは、駆け寄って亮に抱きつく。

「直接連絡できなくてすまなかった、晶さんに、ここに居ろって言われて」

「亮には先にここに来てもらってたの。すでに、時空研で亮のプログラムが完成していたから、亮から順番にね。でも君のプログラムの完成には時間が掛かった。それだけ、君が、私たちの予想以上に強い力を持っていたから。その力は、今のところ、亮よりも遥かに強い」

 怜が説明した。

 亮と共に宝生晶が出迎えていた。ミカは晶に叫んだ。

「どうしてこんなことになる前に、もっと早く助けてくれなかったのよ! どうせあんた達の事よ。黙って見てたんでしょう。あたしが苦しい時に、あなたは助けてくれなかった」

「悪かったわ……申し訳なかったと思ってる。私たちは、あなた達を助けたかった、本当よ。でも、時が必要だった。生まれたばかりの新宇宙に問題が起こって、私たちの時空と引き離さなければならなかった。何もしていなかった訳じゃない。ミカたちが苦しんでいる時、私たちは助けるタイミングではなかった。信じて。さ、ヱルゴールドのところへ行きましょう」

 ヱルゴールドの前で作業をしていた女が立った。振り返ったその女を見てミカは卒倒しそうなほど驚く。

 伊東アイ。今は制服ではない。銀色の半袖の丸首シャツに黒いミニスカート、黒いブーツを履いている。

「こんにちは」

 伊東アイはミカを見て微笑んだ。テレビや広告では何度も見た笑顔だが、面と向かって直接見るのは初めてだ。

 ミカは何度も伊東アイと不空怜を見直す。怜もまた微笑んでいた。

「騙した……。怜さん、晶さん。あんた達騙したのね!」

 ミカはかすれた声で呟く。

「皆グルだったのね。時空研も、グルだった……」

「ち、違うわよミカ。話を聞いて」

 怜が興奮するミカを制そうとする。

「近づかないで! 怜さん、私コイツに殺されそうになったんだから。あたしがどんなに恐ろしい目にあったか、あなた達ここで見てて知らなかったっていうの! ……そんなの認めない」

 ミカは彼らから後ずさった。

「初めまして、来栖ミカ」

 制服を着たアイは挨拶した。

「初めましてって何? 学校で何度も会ってるじゃん。そーやってまた人をバカにして!」

「私という個体があなたに会うのは初めてだからよ。学園で会ったアイと私は違う」

 そう言って、アイは顔を傾ける。

「えぇ? それってどういうことよ」

 ミカは挑発を受けたと思った。

「いいかげんにして!」

 ミカは怒りに任せて張り手をしようと左手を振りかざす。かわい気のない子供を見下す大人のような顔で、伊東アイは指をぱちんと鳴らした。すると、二階のガラス窓の向こうで、もう一人の伊東アイが、手を振っていた。

「彼女はアイ48。わたしはアイ36」

 ミカは、目の前の少女と同じ顔があっちでも笑っているのを見た。

「時空研の中にも、もうこんなに沢山伊東アイが」

「私たちはクローンよ。あなたが学園で会ったのは、アイ12。アイ12は、あなた達を直接見守るのが役目。私たちは全体で一つの存在。全体の認識に従って個々の伊東アイが活動する。一つの個体の経験は全体の認識になっているから、あなたの事はもちろん知っている。だけど、個体としては始めて会うから挨拶をしたという訳。混乱させてしまったようね。今後はしないでおくわ」

 二階の手すりから声が聞こえて、見上げるとそこにも伊東アイが微笑んでいた。アイが神出鬼没な理由はもはや明確だ。やはりアイは複数存在するのだ。

「じゃああのアイドルも」

「アイドルをしていた伊東アイは、アイ24」

「一体何人居るのよ」

 少なくともアイが今言ったナンバーから考えると48体は居ることになる。

「いつからここに居たの?」

 階段の方から別のアイが降りて来て答えた。

「もちろん、あなた達が最初にここへ来た時から、私は時空研で作業していた」

 答えるとそのままドアの向こうに消えて行った。

 目の前のアイ36がくるりとミカの方を見て微笑む。

「あなた、世界を滅ぼした巨人を操っているじゃない。こいつ、ディモン兵器を操ってるのよ! それでどうやって人類の味方だって信じられるっていうの?」

「断片的な情報から憶測するととても危険だと、アイ12があなたに伝えたはずでしょ。あの巨人はメタルドライバーっていうの。私たちの組織が持つ兵士よ。帝国のディモン兵器じゃないのよ。メタルドライバーは、ヱルメタルを外部からコントロールする為に存在する。あなたが前の世界の終焉の時に出会ったメタルドライバーは、ヱルセレンを外部から操作していた」

「な、なんですって……。晶さん、こいつは一体何者なの!」

ミカの問いに、晶は答える。

「伊東アイは、この星の進化計画を指揮する最高レベルの委員会から派遣されているメンバー。アイはあなた達を、巨蟹市に溢れたダークフィールドから守ってくれていた。それは、アイがこの計画を二度と潰さない為に、自ら買って出てくれたからよ」

「そんなの信じられないわ。晶さん、こんなに彼女が沢山居るのだって、人間じゃない証拠じゃん! クローンって言ったけど、それも半端な数じゃなくて、彼女は今、世界中に溢れているんだから。それがまともな世界の状態じゃない事くらい、気がついてないというの? この時空が歪んでいる証拠、伊東アイが侵略者である事の、何よりの証拠じゃない!」

「アイがこの世界に溢れ、支配しているのは、伊東アイが人類のトップ委員会そのものだから。いわば、世界の支配者」

「何ですって」

「世界を支配する委員会。その名を、三百伊東アイ委員会という」

「さ、三百-------」

 ミカは仰け反る。

「そう。地球上には、常時三百人の伊東アイが世界中に散らばって活動している。だからそう呼ぶの。三百伊東アイ委員会は、地球のすべての運命を決定する委員会。そこの意思で、セレン研究所も、時空研も動いてきた。もっとも、地球の地下にはもっと沢山居るけど。この地球には、総勢三万人の伊東アイが存在する。委員会の真の名は、シャンバラ。現代だけじゃない……悠久の太古から、シャンバラは地球の内部から、この地球の進化計画を運営してきたわ」

 シャンバラとは、チベット、ヒマラヤ山脈の地下にある伝説の都市の名前だ。

「アイは、太古から人類を指導してきた。彼女は太古の昔に確立したクローン技術でマイクローン化し、永遠に生き長らえたのよ。その永遠の生命で、創造主に等しい力を持ち、人類の歴史をコントロールした。あらゆる人類社会の、世界宗教や文化、文明、科学、芸術は、すべてシャンバラからもたらされた叡智が元になっている。いつの時代にも、時の権力者たちは、アイの存在を知っていて、その恩恵を受けてきた。人類はシャンバラから恩恵を受けて、進化してきたってことよ」

「なんですって」

 この目の前の娘が……? 伊東アイが? 虫唾が走る。

「このヱルゴールドも、人類のテクノロジーでは到底作れるものではない。七千万年前、地下のシャンバラで作られたのよ。シャンバラの錬金術を使ってって、前に言ったでしょ。全てのヱルメタルが、シャンバラで作られている。むろん、巨蟹学園大学のヱル・アメジストもね」

 巨大で、精巧なヱルゴールドは、全て純金で出来ているコンピュータである。こんなコンピュータは、確かに錬金術でもなければ製造は不可能だろう。

 世界は、永遠の十七才の美少女に支配されていた。人類の敵ディモンの話以上に、信じがたい話だった。

 伊東アイは、世界を影で操る政府の、そのまた頂点に立つ秘密結社シャンバラのメンバーだ。アイは、本当に世界を支配している。巨蟹学園を作ったのも、いや世界を作った者こそが、伊東アイということだ。むろん、セレン研究所や時空研も。そもそもヱルメタルは、アイによってもたらされた。だから、学園の中にヱルメタルがあってもむしろ当然だろう。那月は巨蟹学園で自分を、世界を救うシャンバラの転輪聖王になぞらえた。そして侵略者である伊東アイとの最終決戦に挑もうとした。だが、伊東アイこそが正真正銘シャンバラの支配者だったというのだ。

「到底信じられない。あたしに何をしようとしているのか知らないけど、私に、指一本触れないで! 私絶対あなた達に協力なんかしない」

 ミカはじりじりと後ずさる。アイはミカをゆっくりと追い詰める。

「あなたは、勝手に私に対して、自分の中の恐怖を投影し、作り出した恐怖と戦ってきた。恐怖に、あなたの力が加わって拍車が掛かり、生徒会室でオーバーロードしかけた。今も同じ。自分を恐怖に追い込む事は、ダークフィールドを生み出す結果になる。それがどのような危険をもたらすか、あなたは人類の歴史から学ばなくてはいけない」

 黄金の太陽の眼差しを持ったアイの目に、ミカの目は釘付けになる。

「うるさいわね……私に指図しないでよ。私が世界を決定するなんて話は、もううんざりしてんだから」

「ミカの心が、この時空の運命を握っているのよ。逃げないで!! あなたたちの力は、今世界を決定する。……その現実から逃げないでほしい」

 晶は切実な声で訴える。

 この世界が私のせい? これが私の意思? 冗談じゃない! こんな力なんか要らなかったの! 私はずっと、多摩音大付属高の頃から人に利用されてきた。そう、いつも私は利用されている! 誰もあたしの気持ちなんか知らないで。今だって、時空研に、伊東アイに! そして晶さん、あんたにも……!

 亮が心配そうに近づくが、ミカは亮の腕を払った。

 ミカを赤いオーラが包み込みはじめる。ミカは自分自身が生み出したエネルギーに締め付けられ苦しくなっていく。視界が全て真っ赤に染まり、ミカを心配そうに見ている顔が影のように薄れていく。

「時空研も、晶さんも、怜さんも、亮も誰も信じない-----!」

 目が見えなくなってミカは叫んだ。アイが右腕を翳すと、白い輝きがミカを包み込む。ミカは気絶し、アイは抱きかかえる。


 ミカは目を覚ました。ミカはヱルゴールドのアクセスデバイスに座っていた。身体はずっと楽になっていた。アストラル波の調整を受けていたらしい。

「大丈夫か?」

 傍に亮が覗き込んでいた。ミカは頷く。

「君がアイを許せない気持ちは分かる。だが、俺たちが知っていた事は極限られていた。結論を言うと、伊東アイが正しかった。俺たちが間違っていた。事実は逆だった。残念だが、認めるしかない」

 亮の言葉に、ミカは亮の目をじっと見る。

「また君は、自分の中に閉じこもろうとした。あの時、伊東アイが天文台で亮を呼んで君を助け出した。今度も亮が救ったのよ。だから----」

 怜は慎重に説明を試みる。ミカは遮って、

「もういいわよ。分かったから。説得しようとしてくれなくていい。……私たちが間違ってたんでしょ」

 力なく頷いて、アイの方を向く。

「詳しく教えて、何が起こったのか。新しい宇宙で」

「新宇宙誕生間もなく、予想外の事態が起こっていた」

 アイは、いつも深い透明感のあるまっすぐな視線を送ってくる。

「あなた達が最初に月面に発見した船は、ダークフィールドの力が、ライトフィールドの力の合間を縫うようにして、見え隠れしていたもの。あなた達は、そのダークフィールドが投影された姿を月面に発見してしまった。あろう事か、毎日のように観察し、心の中に焼きつけていった。特に来栖ミカ、あなたの力は、私たちの予想を遥かに超えていた。ヱルゴールドで覚醒したあなたの力が、月の侵略者、ディモンの写真の像に引きずり込まれていく内に、次第にダークフィールドは増殖していった。受容体としての器が大きいということ。そこで月の脅威が、新しい世界でもいち早く出始めた。ディモン兵器は、月面に次第に増加していった。帝国はその機に乗じて、地球ディフェンスシステムを破り、この新しい世界に侵略するための進入路をこじ開けようとした。ヱンゲージした亮とあなたの意識は繋がっている。だから、私はあなた達自身から時空研を守らねばならなかった」

「私と亮から……? そんな---------」

 アイの言葉は、ミカは落ち込ませる。

「そう。あなた達が、基本的な力の安定性を獲得していなかったために、人類の敵の像を見ただけで、ダークフィールドは広がっていった。一度、二人にアクセスしてしまったダークフィールドが、さらに月へとアクセスされて、二人を経由し、敵がここ、時空研の存在を察知する可能性があった。そうなれば、こちらの反撃も困難になる。今度は彼らはヱルゴールドを乗っ取ろうとしていたのよ。ヱルゴールドは決戦兵器。ここを失ったらこの計画は敗北する。帝国はヱルゴールドを乗っ取り、大艦隊で押し寄せて、新しい地球は異東京と同じ目にあったはず。力を持ったあなた達の『器』を帝国に利用されて、セレン計画の時と同じ過ちが繰り返されるところだった。だから、私は巨蟹市だけをこの時空からずらした。ずらした時に、三ヵ月だけ季節がずれてしまったけど。巨蟹市が夏みたいに暑かったのは、そのせいよ。世界では十一月だけど、巨蟹市だけ八月だったから。ずれたのは季節だけで、外との時間に矛盾はない。そうして私はあなたの前に現れ、忠告した。でもあなた達は間違い続けた。そうして巨蟹市はダークフィールドに包まれていった。ずれたことでまた新たな問題が生じた。ヱルアメジストを操作する鮎川那月が世界の中心になってしまった。この新世界が。だからさっき、怜はミカと亮を世界の中心にチューニングしなおした」

 伊東アイは淡々と続ける。

「それだけ分かってたんなら、どうして私たちを放っておいたの? ちゃんと助けてほしかった。あなた、単に私たちの前に現れただけじゃん! ただただうっとうしいだけだった!」

 ミカはアイに突っかかっる。

 晶がアイに続けて説明する。

「それは違うわ、ミカ。アイはね、時空研が隠されている間、その問題を解決すべく、直接巨蟹学園で生徒会長としてあなたの前へ現れたのよ。二人の居る時空に降り立ったアイは、二人の意識に目立つように、世界に自分の分身を溢れさせた。ミカの意識を振り向かせる為に、ミカが目指したアイドル歌手になって、マスコミに登場したんだよ。街の広告に、テレビに、ニュースに登場したでしょ。あなたにとっては、目障りだったかもしれないけどね。それは、ダークシップに向いてしまっているあなたの意識を、光の使者である伊東アイに合わせる必要があったからなの。巨蟹学園はもとより、街の時空全体に広がったダークフィールドを片付けるために。この世界に開けられた無数の侵入経路を塞ぐ作業をするために。力が不安定で、ダークフィールドとの道が出来ていたあなたの意識が向くところ向くところに、無数の特異点が発生した。伊東アイの分身達は、その開きかかったダークフィールドの特異点に、無数の光の矢を投射して、埋めていったの。だから、原因であるあなたの注意を引く必要があったんだよ。そして、彼女は月に顕在化しかかったダークシップを、その像を消していった。もしあなた達の意識があのまま、月のダークフィールドの像に固定されれば、月からの侵略者は本当に実体化するところだったの」

 何やら巨蟹学園で、壮絶な戦いが行われていたらしいが、説明されてもミカには理解が及ばない。

「二人にはおよそ想像もつかなかったでしょうけれど、伊東アイは自ら最前線に出て戦ってくれていたっていうこと。それは、アイにしかできない事だった。この新しい世界が存続するか、終わってしまうかの瀬戸際の戦いだったから。私たちはハラハラしながら、ここで戦いの成り行きを見守っていた。その時、あたしたちは時空研で必死になってサポートしていた。祈るような気持ちでね」

 晶は思い詰めた眼差しで、二人を見ながら補足した。

 その伊東アイが続ける。

「新世界が誕生して間もなく、あなた達に、異東京の時と同じ問題が起こっていた。亮もあなたも、その中にある力は、世界を変える程のエネルギーを持っている。だから、私があなた達に直接介入しなければならなかった。だけどあなた達は、誰が味方で、誰が敵なのかも見分けが着けられない状態で、まんまと敵の罠に掛かっていった。私はもちろん、異東京を滅ぼした侵略者なんかじゃない。だけどあなたの、私に対する感情の高ぶり、焦燥感、苛立ち、怒り、憎しみ……それらが、生み出されたダークフィールドを一層巨大なものにしていった。そこは、私の反省材料」

 アイは結論を突き付ける。侵略者を招いていたのがほかならぬミカと亮であり、自分達がやっていた月の敵の観測はまるで逆効果だったということだ。

「……あたし達は、この世界をもう一度平和な世界に創りなおそうって……それで、がんばったのに。そんな、間違っていたなんて。全部、無意味だったなんて」

 ミカは沈んだ表情でうなだれた。

「今回の事から学びなさい。常に、物事を正しく認識するように努めるのよ。そうすれば、あなたはもう同じ事で間違える事はなくなるのだから」

 アイの言葉は、ミカに突き刺さる。偉そうに。ムカつく。何も言い返せない事が今日程悔しいと思った事はなかった。

「新しいプログラムで世界の中心を二人に戻すと同時に、二人のアストラル波を調整したから、今後はディモンの映像を見ただけで地球ディフェンスシステムが破られる事はもうないよ」

 ミカの調整を終えた怜がフォローしようとした。

「この世界は、あなたたちが創り出した。あなた達は巨蟹市の外側は真実の世界じゃないと思っていたようだけど、そうではない。世界を生み出し、間違っていった後も、現実の世界だった。この再生した世界には、前の宇宙から引き継いだダークフィールドの負の遺産が残されている。前の宇宙の精算の時が先延ばしになっている宇宙。清算しなければならない。執行猶予の時間は、後一年とちょっと。二〇一二年十二月二十二日から、宇宙の風が吹いてくる。それと同時に、滅亡か進化か選択を迫られる。タイムリミットはその日からちょうど一年後の、二〇一三年十二月二十二日と考えてほしい。それまでの間に、宇宙の進化の周期の波に地球が乗って、進化する事ができるかどうかよ。これまでの光と闇が相克する悪循環の輪廻を超えることができるか? そこで選択は決定される。そこで光を選択しても、闇を選択しても、もう列車の乗り換えはできない。あなた達人類は、ダークフィールドの解消をする為に、もはや二度とダークフィールドを生産しないでいられる種族として――、もう一段高いレベルへと、次元進化しなければならない。------原田亮。あなたの力は、私たちは地球の王子と呼んでいる。あなたはセレン計画に代わって、新しい地球の運命を担っている。そして来栖ミカ、あなたの覚醒した力は、地球の王子との第二段階のヱンゲージによって人類に進化をもたらす。だけど、あなた達の力はまだ、そこに至っていない。これから二人の力をパワーアップして、第二段階、ストレート・ヱンゲージに臨む事になる。だから早く、本当の自分の力に目覚めなさい。あなた達の双肩に地球の運命が掛かっているんだから」

「またそんな話――。晶さん、あの時、世界を再生したら、もう何も要求しないって言ったじゃない、嘘つき!」

 黙っている晶の代わりに、アイは話を続ける。

「ミカ、新しい宇宙を創り出す時、人類は二度と間違えないと約束するって、言ったわよね。私はその時聞いていた。ヱルダイヤモンドは、あなたの言葉を受けて、高次元からの光を降ろす決定を下した。光を発信する種族へと進化すると、約束したはずでしょ。その約束を、忘れたとは言わせないわ。あなたは自分の言葉を果たさなければならない。……よろしく頼むわよ。ミカ」

 ミカは釈然としない。自分が那月と戦わなくてはならなくなったのは、アイのせいだ。許せない。そんな世界の支配者なんて、決して許せない。那月はたとえ空回りの情熱でも、侵略者だと思っていたアイと戦って、地球を守ろうとしていたのだ。伊東アイが、ディモン・スターでなく、地球の支配者なら、もっと違う方法があったはずだ。那月がこんな風になってしまったのはすべてアイの責任だ。ミカは那月が犠牲になったようで、可哀想だった。

「全部分かっていたのに、何も助けてくれなかった! 結果が分かっているなら、こうなる前に助けてくれたらいいじゃない!」

 ミカはキッとアイを睨み付ける。キラキラと光る、アイの瞳がミカをじっと見つめていた。

「最初に会った時、言ったでしょ。それであなたは、何を選択するの、って。あなたたちがどう選択するのかを、私は見ていた。私が全てをやることはできない。それはあなたが、この宇宙を創造した、クリエイティブ・フォースだから。あなたは創造主って事よ。あなたが創った宇宙でしょ。何を他人事みたいな事を言っているの。この時空はあなた達が創造主として作り出したもの。今もあなたは、瞬間瞬間世界を創造していっているわ。だからどんなに未熟でも、あなたが選択しなくてはいけない。たとえそれが、どのような選択だとしても、私は尊重する。私が代わりにやってあげるなら、それはもうあなたの宇宙ではない。私が過干渉することはできない。それがルールよ。私がする事は、あなた達の選択の中で、アドバイスをする事だけよ。私は最善を尽くして指導し、あなた達を守るわ。もし、助けて欲しいと依頼されたら、助ける事もできる。守ってあげるし導いてあげる。でも結局、一瞬一瞬、最終的に何を選択するのか、それは創造主であるあなた達が決めなくてはならない事よ。あなた達が主体的にね。あなたの決定に、全てが掛かっている」

「またあたしのせいっていう話になるのね?」

 最初に晶に会った時にも、同じような問答をした。

「あなた達には、成功するか、失敗するか二つの道しかない。でも、逆に言うと、失敗する選択の自由もあなた達にはある。どこからでも学べるわ。それを決めるのは、あなた達人類よ。私ではない。あなたは、何を選択する?」

 ミカは黙っていたが心の中は怒りで充満していた。それこそダークフィールドが充満したかもしれないが、おかまいなしだった。すまして気取ってないで助けてくれればいいのに!! それだから那月が、那月があんな事に-----。

 伊東アイは何もかも分かっていて、それでいながら、手助けをしなかった。そんな事、絶対に許されないと、ミカは思う。非情すぎる。冷たく、冷酷だ。冷酷な管理者だ。認めない。わたしはそんな世界の支配者、絶対に認めない!! アイ程の能力者なら、テレパシーで自分の心を見抜くことなど簡単だろう。けど、もう構わない。

(世界の支配者なら、なんでこんな事が起こるのよ。那月が変わってしまったのも、那月と戦わなくちゃいけなくなったのも、全てこの女が原因よ! 伊東アイ、私は、絶対あなたの事を許さない)

 ミカとアイはお互いに目を離さずに、二人の少女は見つめあう。


 参考:「失楽園」(岩波文庫)著・ジョン・ミルトン 訳・平井 正穂

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